LOOP.010
目は口ほどに物を語るとは良く言ったもので、ククルシカは言葉を話さないけれど、その豊かな表情や仕草で自分の思っていることを私たちに伝えてくれた。楽しいとか、眠たいとか、今はそっとしておいてほしいとか、一緒にゲームがしたいとか。ちょっとした咳払いなんかもしないから、私はククルシカが一体どんな声色をしているのかを全く知らないけれど、きっと物凄く可愛らしい声をしているんだろうな、と思っている。だってククルシカはとても愛らしい、お人形さんのような女の子だから。
眉上で切り揃えられた、亜麻色のウェーブがかった長い髪を揺らす彼女はまだどこかあどけない、幼さの残る笑みを惜しみなく向けてくれる。滑らかな白い肌に、ほっそりとした手足、未成熟な身体は少女そのもので、そんな彼女をこの船の所有者であるジョナスはとても大切に扱っていた。
ちょっと不自然なくらいに。
「私、最初は二人のことを親子だと思ってたんだよね」
ククルシカは私の言葉にきょとんとした表情を浮かべている。
そこの廊下でばったり出くわしたとき、ククルシカは私にこれから展望ラウンジに向かうのだと身振り手振りで教えてくれたけれど(あそこは立派な仮想空間投影装置があるから、リラックスしたいときなんかに利用するのに最適なのだ。ラキオはあんなもの下らないと言うけれど)先ほど食堂でジョナスが彼女に時間の確認をしていたのを見かけていたから、相手が誰かについては尋ねるまでもなかった。それでつい彼女がこれからジョナスと二人で過ごすということを前提に「親子だと思ってた」なんて口にしてしまったけれど、ククルシカからしたらちょっと突飛な発言だったのかもしれない。
「ククルシカとジョナスのこと」
私がそう補足した途端、ククルシカは僅かに眉を顰めて、緩く首を振る。ちょっとした不満の滲んだ否定だ。「そんなわけない」と言われているのが分かって、思わず「あ、ごめん、今はそんな風には思ってないんだよ」と謝る。ククルシカは私の謝罪に、今度は小さく頷いた。どうやら許してくれたらしく、彼女の纏う空気は柔らかい。
ククルシカが無垢な少女だとするなら、ジョナスはそれと反対のところに立っている。十代、二十代の多い私たちの中で、明らかに「大人」な風貌をしたジョナスは、容姿だけでなく言動も私たちとは違う。
「いや、ジョナスの場合は大人だからと言うよりは……何と言えば良いんだろうね」
セツはジョナスについて評するとき言葉を濁すけれど、私はジョナスのことは近寄りがたいと思う反面、はっきりとした苦手意識を持っているわけでもない。私が最近まで通っていた中央学校に、ああいう、言い回しや雰囲気の独特な先生がいたなって思えば、ジョナスに対して親近感すら湧くくらいだった。まあだからと言って例えば二人きりで会話を続けられるかと言うとちょっと難しいような気がするんだけど。幸いと言って良いのか、そういう機会はこれまで一度も無い。そんなに大型ではないこの星間航行船において十二人もの乗員がいるとなると、大抵どこにいても複数の他人の気配っていうのはあるものだ。敢えて動力室みたいなところにでも足を向けない限りは。
浅黒い肌に口周りや顎に無造作に生やした髭、帽子の下の、長い前髪から覗く眼球はいつも妙に強い力を放っているのにどこか澱んでいる。そんなククルシカとは似ても似つかない風貌をしたジョナスが彼女の近親者ではないかと私が思ってしまっていたのは、彼がククルシカを良く目で追っていたからだ。私はあれを勝手に、彼が彼女の保護者であるためだと思い込んでいたのだけど、実際そうでないと言うのならば、じゃあ一体なんなんだろう、と思ってしまう。思うだけで、深入りしようとは思わない。私たちは皆、偶然この船に避難をさせてもらっただけの他人同士だ。元々この船に乗っていたらしいジョナスやククルシカ、ステラなんかは別として、私たちはいずれどこかの寄港地で別れることになる。互いのことは詮索しない方が無難だ。例え、何か気になることがあったとしても。
ククルシカは上階に続く階段を指差して私を見上げた。「じゃあ行くね」と、その瞳が私に伝えている。花が綻ぶような笑顔につられて微笑み返して、展望ラウンジへと向かうククルシカに手を振った。華奢な後ろ姿は、だけど、時折酷く大人びて見えるときがある。私はククルシカのことも、良くは知らない。
ククルシカと別れて、そのまま自室へ戻ろうとしたときだった。私が部屋の扉を開けるのとほとんど同時に、隣室からチハルが出てきたのは。
「あ」
声をあげてから、しまったと思った。チハルの涼しげな瞳が私に向けられて、はっきりと狼狽えてしまう。
「」
名前を呼ばれてびくりと肩が震えた。
「あ、わ、ち、チハル」
だめだ、だめだ、チハルにこんなあからさまな動揺をみせては。そう思えど、じわりと汗が滲んでしまう。最初に言われたのに。「どうやらここで僕を知ってるのは君だけみたいだし、このまま内緒にしておいてもらえないかな」って、私の知る彼とは思えない静かな声音で、淡々と。私はそれに力強く頷いた。チハルがそうしてほしいと言うなら、わざわざ言いふらしたりするのは良くないと思ったから。でも、私がチハルに「普通に」接することができるかどうかというのは、また別の話だ。
注意深く周囲に気を配って、私は自分たち以外の誰かが近くにいないことを確認する。誰かの目がなかったとしても、普通に、普通に。いつもの、他の人に対してするように笑って、私がチハルに抱く特別をねじ伏せて。
「どこかに行くのっ!?」
上擦った声は、もう、フォローしきれないくらい大きかった。
だけどチハルはくすりとも笑わない。表情筋が死んでるわけじゃない、敢えて使わないんだってことを私は知っている。その首が僅かに傾げられたとき、深いオリーブ色の髪がさらりとその肩を流れた。口元の左下にある小さな黒子をじっと見る。緊張するとき、私はそれをチハルの目にしてしまう。
「ん。も行く?」
私の問いかけに対する答えではないチハルの言葉に、思わず目を丸くした。どこにって聞いてるのに、私も行くかって何?でもわざとやってるわけじゃないのだ、チハルは。チハルは案外ぼんやりしたところのある人で、言葉が少ない。省エネモード、そう思っていたけれど、こっちが彼の素なのかもしれない。
どこに行くのかは置いといて、それでも私がチハルと二人きりでお話をしたり、とか言うのはちょっと厳しいものがある。それはジョナスに対する「難しさ」とは種類が違うのだけど、チハルにはそんなこと分からないだろう。
意識的にゆっくりと首を振って、「ううん、その、疲れたから、今日はもう寝ちゃおうと思って」と伝えれば、チハルはやっぱり表情の読み取りにくい瞳を一度瞬かせた。私がチハルのことを一番知っているはずなのに、この船にいるチハルは、まるでその枠の外側にいるみたいだ。
「そう」
言葉を喋らないククルシカよりも、周囲を煙に巻くように振る舞うジョナスよりも、私はチハルのことが分からない。
ククルシカの歩いて行った方向に向かうその背を見送りながら、私は細く長い息を吐いた。
LeViによるグノーシア反応の検出を知らせる警告音が鳴り響いたのは、それから数十分後のことだった。