LOOP.009




 救いようのない馬鹿って世の中には大勢いるけれど、まさかがこれほどまでとは思わなかった。
 この星間航行船内においてグノーシア反応が検出されて、全会一致でシピにコールドスリープが施されたその日の夜、話があるなんて言うから、多少警戒しつつもを部屋に入れたのはつい数分前のことだ。僕のベッドの端に腰掛けたが「あの、私、ラキオのこと、とても信頼しているのね」と前置きをしてから話し出したのを、僕は最初眉根を寄せながら聞いていたのだけど、最終的に堪えていたため息がの言葉をかき消した。聞くに堪えなかったのだ。あまりにもその発言、そこに至る思考が愚かすぎて。
 僕はそれなりにのことを買っていた。何せ、ルゥアンの中央学校の制服を着ていたものだからね。見た目だけで人を判断するのは愚の骨頂ではあるけれど、少なくとも人間を構成する一つの要素ではあるわけだから、重視はする。だけど、どうやら買いかぶり過ぎていたらしい。



「……何? 君、その制服はその辺の闇市で買ってきたわけ? 校章までセットだなんて随分高かったンじゃない?」



 そう言えば、ははっきりと傷ついた顔をした。だれど、だからなんだ、と思う。こっちは命が懸かっているんだ。この馬鹿のせいでグノーシアに消されるなんて考えただけでゾッとする。



「……違うもん、ちゃんと、生徒だもん。この前学生証だって見せたでしょ」

「ハッ、だったら僕の知らない間に随分と学生の質が落ちたんだね」

「ひ、ひどい……」

「酷いのは君の頭だろ? 誰が敵かも分からない状況で、良く他人にそんな話が出来たものだね。僕を信頼しているからだって? はっ、馬鹿馬鹿しい。感情論じゃなく、数字で考えたらどう? さっきコールドスリープされたシピがグノーシアか、或いはこの船に紛れ込んでいるかもしれないAC主義者だったとして、僕が君の敵である確率はどれくらいか言ってみなよ」

「…………25%……」

「ふぅん、それくらいの計算はできるんだ。じゃあ、もしシピが敵でなかった場合、それは40%近くまであがるってことも分かるよね。命が懸かっているこの状況で、その数字が高いとは思わないわけ? 君は」

「…………」



 ぐ、と下唇を噛んで目線を落とすに、僕は呆れて肩を竦める。
 元々この船には十人の乗員がいて、うち検出されたグノーシア反応は二体分。アンチ・コズミックを掲げ、異星体グノースを崇拝するイカれたAC主義者、つまり人の身体でありながらグノーシアによる消滅を望む人間がこの船にいるとは限らないけれど、ソレがいたとした場合、僕ら人類の敵は三人だ。運良くシピがそのうちの一人だったと仮定したとして、残る敵は自分自身を除いた八人のうち二人。すぐに計算できたことを褒めてやる気は無い。それくらいできて当然だ。
 その数字を理解しておきながら、浅慮が過ぎることに呆れているのだ、僕は。



「自分が守護天使だなんて、良く僕に言えたな、君。ちょっと馬鹿なンじゃないの?」



 僕の言葉に、は制服のスカートの裾を握りしめた。その一つ一つの皺が、の悲鳴のように思えたけれど、それだけだ、撤回なんかしないし、フォローする気も無い。僕を信頼しているから、だからなんだ。この状況で他人を信頼することがどれだけ危険かが分からないほど馬鹿なのか。
 は何も言わず、じっと黙っている。その指先が震えている。グノーシアの演技だろうか、と、僕はそれを見ながら考える。
 演技だとして、しかし果たして、僕に自身が守護天使であると嘘を教える必要があるだろうか。可能性があるとしたら、グノーシアよりもAC主義者。僕がグノーシアかどうかを推し量っていると考えるのが妥当だ。いくらグノーシア側につこうと思っても、本質的には人間であるAC主義者にグノーシアを嗅ぎ分ける術はない。まずは相手がグノーシアか否かを見極める必要があるのだ。
 物理原則、人間存在の否定、グノーシアへの崇拝を掲げるAC主義者は昨今急激に支持者が増えていて、彼らは総じてグノーシアによる自身の消滅を願っている。曰く、消滅の先に真実の世界があると捉えているのだとか。馬鹿馬鹿しい気狂いの集団だけど、この船の中に一人くらい居たっておかしくはない。
 つまり、がそのAC主義者であるとするなら、こんな風に守護天使を自称するのも頷けるのだ。
 守護天使は、空間転移の際にある一定の範囲において遅延実行を行う特殊権限を所有していて、それ故に空間転移時に人間を襲うグノーシアの目を欺くことができる。要するに、グノーシアに対抗しうる唯一の存在なのだ。ただ自分の周辺の空間に関してはその限りではない。つまりその権限で守れるのは他人だけで、だからまあ、「守護天使」なんていう名称で呼ばれているんだろう。まあ、グノーシアからしたら目障りこの上ない存在なわけで、いの一番に消してしまいたい対象だろうね。
 僕がグノーシアだったら、間違いなく今晩を消している。



「ひょっとして君、AC主義者?」



 僕の言葉にはぱっと顔をあげた。泣いているかと思ったけれど、ちょっと目が潤んでいる程度だった。ふ、と小さく息を吐いた自分に、わけが分からなくて、思わず眉を寄せてしまう。がそんな僕を全く気にも留めないのが救いだった。彼女は僕の足元にそろりと視線を下ろすと、「違う」と緩く首を振る。
 僕の言わんとすることが分かったのだろう。AC主義者だからこそ、グノーシアから消して貰おうと目論んで、己が守護天使であると嘯いているんじゃないかと。



「……違う……私、AC主義者なんかじゃ、ない」



 じゃあやっぱりただの馬鹿じゃないか。
 改めて俯くの旋毛を見つめる。



「私が守護天使なのは、本当。信じてもらえないかもしれないけど……馬鹿って言われるかもしれないけど、それでも、ラキオに相談したかった」



 震える声が演技のようには、どうしても思えなかった。
 こんな時に僕は、シピの言葉を思い出している。本当に、ただ思いついたから何となく口にしてみた、あれにはそう言った気安さがあった。
 


「グノーシアってのは、退治しねーと駄目なのか? 人間に化けるんだ。取引くらいはできるだろ?」



 話し合いの前、コンソールテーブルに座った僕らに対し、そんな風に疑問を投げかけたシピが敵だったのかそうでなかったかを確かめる術は、けれど、今の僕達にはない。



「それは不可能だ、シピ。グノーシアは、人間を消滅させる。何故なら、そういう存在だから、だ」



 人間と見分けが付かずとも、生き物(果たしてアレをそう呼んで良いのかは疑問の余地があるけれど)としての性質が根本から違う以上、グノーシアとの間に相互理解が生まれることはない。
 セツが噛み砕いて説明してやったことでシピも理解を示したようではあったが、シピがグノーシアとの対話の可能性について提示した事実が消えることはない。そんなシピを、ステラがAC主義者なのではないかと疑うところから今日の話し合いは始まった。議題の中心にシピが据えられるのは何ら不思議なことではなかったし、他に何の情報も無い以上、疑わしい言動はそのまま投票結果に繋がってしまう。実際僕だってシピを眠らせることに賛成したのだ。目の前のだって。
 ただ、「俺らを消さないように頼んだら、案外それで済んだりしねーか?」と笑ったシピは、単に無知だっただけなのかもしれない、と今の僕は思っている。
 軍人の経歴故か、グノーシアについてやたら知見のあるセツや、自身の背景は見えないがそれなりに知識のあるらしいステラ、ルゥアンの中央学校の生徒であるに、グリーゼ出身の僕が、人間とグノーシアの間に交渉が成立した事例はないという事実を考慮して、話し合いを不可能と結論づけるのは当然だ。シピはなかなか頭の回転が速い。だが、僕らと同じだけの判断力をブルーカラーであるシピに求めるのは酷だろう。それは知能差の問題ではなく、知識量の問題として。
 それを分かっていながら、シピを話し合いの中心に最初に引きずり出したのは誰だ。



「私、ステラがグノーシアなんじゃないかって思ってて」



 絞り出すように吐き出されたの言葉に、今度は僕が目線を上げる番だった。



「だ、だから、ステラのこと怪しいって、皆に言いたいの。でも、一人じゃ、多分負けちゃうから、だから、ラキオについててほしいの」

「…………」

「それで、守護天使として私が今夜守るべき人を、一緒に考えてほしくて……部屋に、来……ました……」



 僕の目線に耐えきれなくなったのか、の語尾が小さく、掠れていく。筋は通っている。僅かに首を傾げた瞬間、の身体は分かりやすく跳ねた。



「…………一応聞くけど、それは勘?」

「え?」

「ステラがグノーシアだってやつさ。根拠はあるわけ?」



 僕の問いかけに、その意図を理解したのだろう。数秒の間を空けて、は小さく頷く。
 僕の考えと、もし君のそれが同じであったとしたら、君のことだけは信頼してやっても良い。そう思ったのだ。
 の話を、僕は今度はため息で遮ったりしなかった。その代わり、彼女の座るベッドの隣に腰掛けて、驚いたように目を見開くに、「協力してやっても良い」と呟いた。
 瞬間、みるみるの頬が紅潮する。僕を映した瞳に強い光が宿る。「本当にッ?」上擦った声で僕の手を取るに、僕は思わず眉根を寄せてしまったけれど、彼女はそういう機微を読み取る気はないらしい。



「嬉しい、ラキオが協力してくれるなら、頑張れそう!」

「……言っとくけど、あまりにも馬鹿な発言をするようなら切り捨てるから、そのつもりでいるんだね」

「うん! わかった! 任せて!」

「…………分かってなさそうなんだけど」



 破顔して喜ぶを前に、何だか毒気が抜けてしまったような気がした。「じゃあ、私がラキオのこと、守るね、任せてね」手を包み込むを無碍にする言葉がどうにも出てこず、僕は眉根を目一杯寄せたまま、長いため息を吐くのだった。



「なに? 僕で良いわけ? そういう話し合いがしたかったんじゃないの?」

「したい! お願いします!」

「…………はぁ」



 言い過ぎたことを詫びようと思ったけれど、こんな調子なら必要ないか。
 どのみちが僕を無条件に信頼して自身が守護天使であることを打ち明けたのは間違いないし、この状況で危うい綱渡りをした彼女は、やっぱり聡いとは言えないから。









 翌日誰も消されることなくメインコンソール室に揃ったことを受けて、は昨日までと打って変わって明るい顔をしていた。守護天使として上手く働けたことを喜んでいるのは間違いないが、そういうところがツメが甘いのだ。苦虫を噛み潰すような顔で彼女の耳元に「顔に出すぎなんだけど」と忠告してやったその時、はっと我に返ったような顔をするのことは、こんな状況でなければ多少は好意的に思うこともできたのかもしれない、どうしてかそんなことを考えてしまう。勿論不愉快でない程度の面白い生き物として、の話だ。
 でもまあ、このグノーシア騒動が無事に終わったら、褒めてあげても良いのかもしれないな。僕達が二人揃って生き残る可能性なんか、そんなに高いものでもないのかもしれないけれど、それでも話し合いの最中くらいだったら、庇ってやることくらいはできる。
 は僕の視線に何を勘違いしたのか、はにかむように笑った。メインコンソール室の白々しい光の中、それが妙に美しいもののように見えたなんて、きっと僕の気のせいだ。




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