コメットがコールドスリープされることが決まってからのは、それはもう分かりやすいくらいに憔悴していた。ほとんどまともな判断もできなかったんじゃないの?コメットはそんな彼女に何か話しかけていたようだったけれど、残される側は正常とは言い難い。はコメットの手を離さなかった。コンソール室から階段を下り、下りスロープを歩き、足を止めることこそなかったけれど、口を開くこともしなかった。「私が見届けるから」と言ってコールドスリープ室から僕達を追い出した彼女は、最後にコメットとどんな話をしたのだろう。廊下から盗み見たとき、コメットに抱きつくその後ろ姿があった。随分華奢な背だった。
 最後のボタンを押したのはだ。そのまま座り込んで、抱えた膝に顔を埋めた彼女は、飼い主を待つ犬のようにも見えたし、墓の前で動けない子供のようにも見えた。
 あれは存外、美しかった。
 そんな風に感じる心など、僕にはもう必要ないのに。








 コールドスリープ室からの帰り道、あからさまに胸を撫で下ろすしげみちは言う。



「あんなは見てられんけど、流石にグノーシアも、一人は眠っただろ。そう思ったら多少は安心だよな! な?」



 あれはどうもチハルを信頼しているらしい。チハルの表情は僕の立ち位置からでは窺えなかったけれど、しげみちに対して緩く頷いているのが見てとれた。良くやるよ。コメットを窮地に立たせるために、SQを消すことを選んだのはチハルなのに。
 チハルは僕が思っていたより余程マシなヤツだった。周りの状況を良く見て、誰がグノーシアである僕らにとってより目障りかを量っている。使えるヤツは使い、敵になりそうなやつは早めに排除する。そのための下準備も抜かりなく、適切だ。地頭が良いんだろう。ルゥアンでグノーシア騒動に巻き込まれる前はどこで何をしていたのかは定かではないけれど、ここに居る連中の中では随分まともな方に思えた。これだったら切り捨てずに置いてやっても良いと思えるくらいには。
 この時点でこの船に残っているのは僕とチハル、それからジナ、、しげみちとシピ、セツの七人だ。僕達が船を占拠、制圧するには、僕らと乗員の人数が同数になる必要があるだろう。別にグノーシアになったからと言って、身体能力が上がるわけじゃないからね。つまりこのまま僕達のいずれかが欠けることなく三人分の頭を潰せば、目的は達成されるのだ。



「さて、チハル。今日は君は誰を消すべきだと考えている?」



 空間転移の度、と言うよりも、グノースに接続される環境下において、僕らグノーシアは人類を消滅させる力を行使することができる。
 こんな星間航行船の中でなければ、もっと容易に多くの人間を消すことが可能なのだけど、この状況では一回の転移につき一人が限界だ。なんて言ったって、接続状況が悪すぎる。グノーシアとしてこの身に変化が起きたのが、どこかの寄港地に立ち寄った際であれば都合が良かったのに。そうしたらその星に居る連中ごとまとめて、蓋然計算領域へと送ってやれた。
 だけどそんな空理空論を並べたところで意味は無い。宇宙を移動する船の中でグノーシア反応の検出がなされた以上、僕達は手ずから乗員である彼らを消してやる義務があるのだ。それは、最早本能と言って差し支えないのかもしれないけれど。
 チハルは「誰を消すか」という僕の問いかけに、微かに首を傾げた。



「シピ、と言いたいところだけど」



 その一言で僕は、ふぅん、と思う。



「セツだろうね」
 
 

 答えのない問題ではあるが、それでもその選択が、僕達の勝利に限りなく近いものであることは間違いない。
 しげみちはチハルを信じ切っているから、僕らの味方として残して置いた方が良い。今は落ち込んで悄然としているが、もそうだ。コメットを失ったが次に寄り掛かるだろう相手がセツ、或いは僕であることはまず疑いようがないだろう。少なくとも、彼女はジナとも、シピとも仲が良いわけではない。畢竟、の依存先を僕に絞らせるためにセツを今晩消してしまうのが理に適っているわけだけど、そうでなくてもチハルにはシピではなくセツを優先すべきであるという理由が分かっている。
 なかなか賢いんじゃないか?



「懸命な判断じゃないか。チハル」



 シピを消したところでそれが僕らの決定的なミスとなるわけではないけれど、明日は間違いなく僕かジナ、どちらが本物のエンジニアなのかという点について議論になるはずだ。その時、ジナが人間であると既に調査しているシピがグノーシアに消されているとあっては、ジナが真のエンジニアであるという裏付けになりかねない。こちらに不利になる要素は、予め削り落としておくべきだ。



「君、グノーシアに向いてるンじゃない?」



 そう口にした僕に、チハルはそっと目を細めるだけだった。時間の止まった船内で、その深い緑色の髪は濁って、とてもじゃないけれど、人間のものであるようには見えなかった。
 だから僕らはもう、どこにも行けないのだ、本当は。








 信頼していた友人を失ったとき、みたいなタイプが抜け殻のようになることは想定の範囲内ではあったけれど、それが演技かどうかを量りかねたのだろう。或いは、僕が最初にの潔白を証明してみせたのがジナにとっては怪しかったのかもしれない。仲間を庇って嘘を吐いている、とでも考えたのかな。そんな分かりやすい真似、僕がするはずもないだろうに。
 ジナが改めて「調査」したのはだった。慎重な彼女らしいが、が人間であることに変わりはない。一手無駄にしてもらえて助かったよ。には、感謝しなければね。僕達の盾となってもらえたんだから。
 この船には、コールドスリープされた人間の解析ができるドクターがいない。もしもドクターがいれば、これまで僕達が話し合いの末に眠らせてきたステラやコメットを医療システムで調べられて、彼女たちがグノーシアでなかった事実が白日の下に晒されてしまっただろう。結果警戒心も高まっただろうから、これは幸いだった。
 セツが消えて、その日メインコンソールに集まったのはたったの六人だった。



「セツ……お前のカタキは打ってやるからな! ……なっ、チハル!」



 しげみちの声を聞きながら、随分この部屋もすっきりしたものだと考える。遅れてやって来たは、ぐるりとテーブルに座る僕らを見回して、それでセツの姿がないことを知ったらしい。何も言わなかったけれど、その顔色は蒼白だった。
 覚束ない足取りで彼女が座ったのは、思った通り僕の隣だ。斜向かいに座るジナの眉が僅かに動く。ああ、君は少し、下手だったよね。シピ一人しか味方につけられなかったんだから。
 膝の上に重ねられていたの、やわい手を取る。コメットがそうしてやっているのを、僕は何度か見ていた。こういうのに弱いんだろ?君は。
 思った通り、は、と彼女の目が僕を見た。背筋が粟立つ。僕ははっきりと、高揚している。それを押し殺して尋ねるのだ。「ねえ、」と、心配しているように見えるよう、眉を顰めて。



「顔色が悪いけど、大丈夫?」



 あんまり無理はしない方が良いンじゃないの、って。たったそれだけの言葉が、にとっては救いになると、僕はもう知っていた。
 この話し合いで、恐らくコールドスリープされるのはジナだろう。こっちには四人いるんだからね。そしてこの後僕達はもう一人、誰かを消す。誰でも良い。守護天使が残ってさえいなければ、どうにでもなるだろう。でも僕は今日は、君に好きに選んで良いよとは言わないよ、チハル。
 消すんだったら、シピかしげみちの二人から選んでくれ。その二人のうちいずれかならどっちでも良い。を残しておいてさえくれたらさ。
 僕がグノーシアだって知ったら、君はどんな顔をするんだろう。そう考えるだけで、胸の内側が高鳴るような心地に駆られるのだ。
 重ねられた手に視線を落とすは、一度小さく鼻を啜った。その瞳が潤んでいるのを見て、僕は確かに満足しているけれど、それがグノーシアの本能によるものなのかどうかは、今の僕にはもう分からない。




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