今回の話し合いの結果、コールドスリープされることになったのはステラだった。
でも、ステラに決まったって言ったって、はっきりとした確証なんかない上での決定だったと思う。だってあの場にいたほとんどの人がそれぞれ誰かに一票ずつ投票されていたのだから。誰からも投票されていなかったのは、シピだけだったんじゃないかな。要するに、二人分の票を集めてしまったのがステラだったってだけで、誰だってコールドスリープされる可能性はあったのだ。そう思うとぞっとする。
私はと言うと、しっかりラキオから票を入れられていてビックリした。何でそんなことされなくちゃいけないんだろう。私は正真正銘の人間だって言うのに。探られて痛い腹はないけれど、勘違いされてしまうのも良い気分はしない。
ラキオとは、ステラのコールドスリープを見届けた後、部屋に戻る道中で二人きりになった。お互いの部屋が向かい合っているのだから、こればかりは仕方ない。二人で並んで歩きつつも無言の圧で遺憾の意を表明した私に、ラキオは自分の部屋に入る寸前、私のことを振り返って鼻で笑った。あんまりにも普段通りのラキオだったから、本当はちょっとほっとしたのだ。
「が何を怒っているのかは知らないけどさ、僕に怪しまれたくないんだったら、君、もう少し喋った方が良いンじゃない?」
吐き捨てるように口にされた言葉に、だけど閉口してしまう。確かにさっきの話し合いで私はほとんど発言しなかったけれど、皆のお話を聞いて、それで一体誰がグノーシアなのかを見極めようって思っていただけなのだ。私は私で、真剣だった。
反論しようとしたけれど、ラキオの視線が鋭くて、思わず目線を彷徨わせる。
「で、でも、私だって色々考えてたんだよ」
「その考えを表に出さなきゃ、端から存在しないのと同じだよね。無言を貫くってことは、失言を恐れているとも取られかねないだろう? 疑われたって仕方ない」
「ん、む。……そ、そりゃあ、そう……です、けれども」
ラキオは本当に言葉が上手い。何だかんだ、普段からこんな風に丸め込まれてしまうのだ。この船に乗ったばかりの頃、そんな風に抑制剤で済ませないで、少しはご飯を食べた方が良いんじゃないの、と言う私に論理立てて反論し、封殺したように。あの時のように上手く言い返せずに言葉に詰まる私に、ラキオは「は」と短く笑う。
「まあ、せいぜい生にしがみつく努力でもするんだね。明日の朝にはグノーシアに消されてるかもしれないけど」
その時私が黙っていられなかったのは、ラキオに良いように言われて悔しかったせいではない。
私はショックだったのだ。感情のスイッチをその一瞬、全部切られてしまったんじゃないかと思えるくらいには。こんな状況で、誰も信用しちゃいけないってことくらい分かっている。合理的なラキオはそうして自分の身を守っているだけだ。私のことになんか構っていられないのなんて、そんなの当たり前だ。
心配してほしかったわけでも、守ってほしかったわけでもないはずなのに、ラキオに見捨てられてしまったような気がした。心の薄い皮の部分を手ずから剥がされて、無理やり暴かれてしまったみたいに、時間差でずきずきと身体の内側で痛みを主張する何かがあった。明日には消されてるかもしれないけど、なんて、そんな風に突き放さないでほしかったのだ。
だけど、言わなきゃ良かった。この時何もかも飲み込んでいたら、少なくとも、あんな結末を迎えることはなかったはずだった。この時の私は、それを知る由もないのだけど。
「……そんなの、ラキオだって」
「は? 僕がなに」
自室の扉に手を触れかけたラキオがぴたりとその動きを止めて私を振り返った。それだけで心臓が鳴る。
短い眉が八の字に歪んで、私を真っ直ぐ見つめるその目は不快そうに細められている。美しい顔立ちの人だった。私はこの船の中で、チハルと同じくらい、ラキオのことを美しいと思っていた。怯みそうになったけれど、ここで躊躇って、言葉を飲み込んだら負けてしまう気がして、唇を緩く噛む。
「ラキオだって、そんな風に目立ってばかりいたら、グノーシアに消されちゃうかも、しれない……じゃん」
別に、嫌味とか意趣返しとか、そんなつもりじゃなかった。私は本当に心配していたのだ。ラキオは目立つし、人の気持ちを考えるってことをあまりしない人だから変に恨みを買ってしまうんじゃないかって、実を言うと、この騒動が起きる以前から思ってた。本当は悪い人じゃないのに、皆それを知らないから、グノーシアにも疎んじられてしまったりしないかって。
だけどラキオの目を真っ直ぐ見つめているうちに、段々語尾に向かって、弱く、掠れるような声音になってしまった。なんだか自信がなくなってしまったのだ。
実際ラキオはその目を大きく見開いて、やがて、馬鹿にするような顔で笑った。「……馬鹿だな、君」って。その言葉がいつもより素っ気なく、冷たく響いた気がして、顔が強張る。ラキオは扉に触れていた手を引いて改めて私に向き直ると、一歩、こちら側に歩み寄った。思わず後ずさりしてしまったけれど、踵と背はすぐに背後の壁に触れた。ぞわ、としたのは、きっと、無機質なその冷たさに対してだ。
ラキオは私の目の前までやって来た。私のことを壁と自分の身体で閉じ込めるみたいに、その手を私の肩口あたりにつく。「え」と声が漏れた。ラキオの眼光は鋭く、射貫くような強さをもって私を見つめている。
「僕が消されることなんて、有り得ない。君、ルゥアンの中央学校に通っていたくらいの頭はあるんだろ? 冷静に考えればそれくらいわかるはずだけど。……それとも、僕を試してるわけ?」
「た、試す?」
「そうじゃないんだったら、ただの愚か者だよね」
少し考えれば分かるだろ?
そう続けられて、そっと視線を落とした。消されることなんて有り得ない、って、まさか自分がグノーシア側の人間だと告白しているわけではないだろう。ラキオはエンジニアだ。とは言えジナもその権限を主張しているから、二人のうちのどちらかが船内に紛れ込んだグノーシアの一人であることは間違いない。
グノーシア側にとって、任意の人物の次元波を解析することができるエンジニアは恐らくいっとう目障りな存在だ。時間がかかるとは言え、エンジニアに「調査」されたらその正体を明らかにされてしまうのだから。つまりエンジニアである以上その身は常にグノーシアによって狙われるんじゃないか、私なんかよりラキオの方がよほど消されてしまうんじゃないか、そんな風に思っての発言でもあったのだけど。
混乱しつつも思考を巡らせるうちに、だけど、私は一つの事実に思い当たるのだった。
もしもこの状況でラキオが消えたら。と。
「……あ」
そうだ、ラキオがここでグノーシアに消されてしまえば、一方でそれはジナがグノーシアであることの証左になるのだ。それはグノーシアにとって、避けたい展開だろう。ぱっと目を見開いた私に、ラキオはようやく壁についていた手を離した。その目を細めて、私のことを見下ろしている。
「やっと気付いた? ……僕はグノーシアには消されない。よっぽど連中の頭が悪ければ別だけどね。だから、君は僕の心配よりまずは自分の心配をすることだ」
「う、は、はい……」
わかりました、と小さくなりながら返事をした。視界は私の靴の爪先だけを映していたけれど、胸に落ちた痛みがじわじわと広がって、鼻の奥まで到達しているような気がした。ちょっと泣きそうなのかもしれない。自分が明日にはこの宇宙から消滅してしまうかもしれないという可能性を恐れているから、って言うのも、勿論多少はあるのだろう。だけど私は、今、どうしたら良いか分からなかった。色んなことに追い詰められていた。何が正しいのかを考える冷静な頭がないことを、ラキオに指摘された気がして、それを自覚してしまったことがどうしようもなく恐ろしく思えたのだ。
きゅ、と下唇を噛んだとき、ラキオの気配とか、温度が遠ざかったのが分かった。数拍の間を置いて、旋毛の先の方で扉が開く音がする。あ、ラキオ、行っちゃうんだ、心細さに益々泣きそうになったそのときだった。「まあ」と、不意に思いついたような口調で、ラキオが口にしたのは。
「これが今生の別れにならないよう、祈っておいてあげても良いけど」
その言葉に思わず、弾かれたように顔をあげてしまった。ラキオは私を見て、目を細めている。そこにいつものラキオと違ったところがあったかどうかは分からない。その頭の奥にある室内は薄暗く、私の背にある自室と大して変わったところなんかないだろうに、引きずり込まれるような空気を孕んでいた、気のせいだろうか。
私は、多分何かに縋りたかった。一人じゃ立っていられなかった。コメットの腕に体重をかけて、ラキオの言葉にささくれ立った心を撫でてもらって、セツの頼もしさを後ろ盾に、この騒動を乗り切ること。それらの何か一つでも欠けたら、生きていける気がしなかった。
祈ってくれるの。ラキオ。だったら私、頑張れるよ、きっと。きっと。
私が返事をするよりも早く、ラキオは身を翻して、そのまま部屋に戻ってしまう。音を立てて閉まる扉を見送りながら、立っていられなくて、ずるずると座り込んだ。ああ、やだな、こんなの。
こんな時に、自分の本心に気づきたくなんか無かった。
制服の胸元を握りしめながら、滲む視界を覆って隠す。どうしよう、今、私、すごく混乱してる。誰かに話を聞いてほしい。コメットに、会いたい。
ラキオのことが好きかもしれないなんて、どうして今、気がついちゃったんだろう。
「はは」
扉を閉じた瞬間、堪えられなくて笑ってしまった。
人感センサーで自然と明るくなる室内が煩わしい。僕は今、何もこの目に入れたくないのだ。先のあの子の顔を網膜に焼き付けて、そのまま保管しておきたい。あんな風に僕の言葉でいちいちかき乱されて、怒って、泣いて、なんて愚かなんだろう。
もっと苛めてやりたかった。
はルゥアンの中央学校に通っていた学生で、その時点でこの船にいる他の連中よりは必然と優秀であると考えられるはずなのだけど、控えめな気質のせいもあるのか、この場においてその才をきちんと発揮できていないようだった。思考する脳はあるから、導いてやればすぐに答えに辿り着けるのだけど、立ち上がりが遅い。それが生死を分けるってのに、馬鹿だな。しかも、まさか僕を心配するなんて。あれじゃあ僕がグノーシアだとは思ってないんじゃないか? グノーシアのうちの一人がジナか僕かの二択になっている時点で、他の連中よりよほどその可能性が高いということは分かりきっているだろうに。或いは、その事実を直視したくないのか。込み上げてくる高揚感に、たまらず口角が上がる。
僕の指摘に敬語で返事をして、大人しく、小さくなったあの姿、面白かったな。いずれ消すことになる人間だけど、すぐ送ってやるには惜しい。僕の知らない姿はまだまだあるだろう。信じ切っていた相手がグノーシアだって知ったときの顔だって、どうせだったら見たいだろ?友人が自分の前から居なくなったときの反応だってさ。想像するだけで、好奇心が刺激される。
今夜誰を消滅させるかについてはチハルに一任するつもりだった。まあ今回のあの投票結果から鑑みれば、誰を消すべきかなんて未開の地の猿でも分かるだろうけど、チハルがどの程度の頭を持っているかは良く分からないし、どんな判断を下すかによって今後の僕の方針も変わってくる。頭の悪い人間にこの背を預けられるほど、僕はお人好しではないのだ。
だから、もしもチハルがを消そうと言いだしたら、僕はその時点でチハルに見切りをつけるんだろうな。止めはしないよ。そうなったとしても、僕は一人でもこの船にいる人間全員を消滅させられる。だけど、できたらあの子は最後までとっておきたいのだ。
それがどういう感情によるものなのかを自身では到底説明できないことを自覚しながら、小さく笑う。乾いた声が部屋に落ちるのを、どこか、俯瞰するように見ている。