この船の中にグノーシアがいるなんて、どうしよう。すごく怖い。ついさっきまで私は、もうこれ以上最悪なことなんて起こらないに決まってるって思っていたのに。脱出できたと思ったら、今度はこの中にグノーシアが存在しているなんて、そんな不運に見舞われるってそうそう無いんじゃないか。しかも、二人もなんて。
 そんなことを悶々と考えていたら、コンソール室に集まった皆の前で、セツがグノーシアのことを「二体」って呼ぶものだから、どきっとした。体、そっか、体なんだ。当たり前だ。人間ではない。一般的にはグノーシア汚染体、って呼ぶくらいだし、彼らは人類の敵で、最早ひとならざるものである、っていう認識はとうの昔にしていたはずなのに、実際こういう状況になってみると、私はこの状況が夢とか、何かの悪い冗談なんじゃないかって思ってしまっている。本当に、この中の誰かが人間じゃなくなってしまったの? って。だってどんなにまじまじと観察したって、誰一人おかしな人なんていないのだ。それぞれ、普段の彼らからはちょっと信じられないくらいに真剣な面持ちをしていたけれど。
 落ち着かなくて、広い円のテーブルにつく皆を順々に眺めた。ルゥアンから脱出した日からずっと仲良くしてくれているコメット、いつも皆を笑わせてくれるしげみちに、どんな時もその首に引っかけるようにして猫を抱いているシピ。私と大して年齢が変わらない割にずっと大人びたジナの隣が、軍人のセツで、私は彼女を物凄く信頼している。それからそんなセツと気が合うみたいで、良く一緒にいるステラ。その隣のSQと私がそんなに接点を持たないのは、何となくコメットが彼女のことを好きじゃないみたいだからだ。何でも、どうでも良いところでウソを吐くから、なんだって。私はそういうの、全然分からないから、そんな風にSQのことを見ているコメットにビックリしてしまった。



は好きだよ。ウソ吐けないもんな」

「えっ」

「ほら。そういう素直な反応見せてくれるところとか、僕は好きだな。どーせなら裏表がないヤツと仲良くなりたいからさ」

「え、へへ、喜んでいいのかな……?」



 いいよ、喜んどけよ、って、何てこと無いように口にして口角をあげ笑うコメットに、無性に照れてしまったけれど。
 そんなコメットが避けるSQの隣にいるのがラキオで、ラキオと私に挟まれるように座っているのが、チハルだ。チハルともそんなに話をしたことはないけど、それは単純に、私が緊張してしまうから。皆、良くチハルに平気で話しかけられるなって思う。だって、チハルだよ?私なんかとてもじゃないけど、恐れ多くて、同じ部屋の空気を吸っているのだけでも緊張してしまう。
 でも、そういえばコメットは、チハルともあまり喋ろうとしないかも。好き嫌いがはっきりしてる子だから、それで考えるなら多分コメットはチハルのことも実はそんなに好きじゃないんだと思う。それ自体は、仕方ない。だって私たち、仲良しこよしで宇宙を漂っているわけじゃないんだもの。ソリが合わない人がいるのなんて、当たり前だ。私はSQとは少し距離を置いてはいるものの、どうしても苦手だなって思う人はこの船にはいない。でも、それがすごく幸運なことだっていうのは分かっているつもりだ。怖くて近寄りがたい人、嫌なことを言ってくる人、とか、そういうのはこの船にはいないから。
 ルゥアンでグノーシア騒動に巻き込まれて、何とか逃げ延びたのが私たち十人だ。元々知り合い同士だったのなんて、コメットとシピくらいじゃないのかな。その辺りの話はほとんど聞かされてないから、詳しくは知らないけれど。



「なんていうか、別に昔なじみとか腐れ縁とか、そういうんじゃないんだよね」



 そうコメットは言ってたけど、実際の所は良く分からない。コメットが私の過去を探ろうとしないように、私もそうすべきだと思うから。それは実のところ、ほんの少し寂しくもあるけれど。
 でも、本当にこの中にグノーシアがいるのかな。
 こうして一人一人の顔を見ていっても、私にはちっとも分からないのだ。LeViが反応したってことは、二人(でも、二体、って言うべきなのかな、やっぱり)が汚染されたのはこの数日のことなんだと思う。この前立ち寄った寄港地で異星体に触れてしまったって考えるのが妥当なのだろうけれど、グノーシアって未だに解明されていないことが多いから、実際はどういう風に汚染されていくのかっていうのかも判然としていない。でもその前後で明らかに変化があったら、いちいちこんな話し合いなんかする必要ないわけだし、そういうのって本当に自分がグノーシアにでもならなきゃ分からないものなのかもしれない。細胞が端っこから上書きされていくような感覚なのか、それとも、もっと劇的に、瞬きの間に全てが入れ替わってしまうようなものなのか、或いはまた別の。考えたって、答えなんか出るわけがなかった。
 人間に擬態するグノーシアを探し出すなんて、そんなの、本当にできるのかな。漠然とした不安のままに留めておけば良かったのに、つい教科書に載っていた閉鎖空間内におけるグノーシア発生時の乗員生存率を思い出して、気が遠くなってしまった。さっき食べたお昼ご飯、そのまま吐いちゃいそう。数十分後に警報音が鳴り響くって知ってたら、腹五分目くらいでやめといたのに。



「う……」



 込み上げてくる吐き気に思わず口元を手で押さえたとき、隣に座っていたコメットが、突然もう片方の手をテーブルの下でぎゅうっと繋いでくれた。目一杯の力をそこに込められるものだから、思わず顔を顰めてしまったけれど。コメットの体温が左手から伝わってきて、そうしてはじめて自分の体温が、びっくりするくらいに低く、冷たくなっていたことを知った。顔をあげても、コメットは真っ直ぐ、私以外の皆を確かめるみたいに目線を向けている。私を労ってくれているのだと、それでも分かる。
 コメット。
 情けない声が口をついて出そうになって、耐えた。丁度、ラキオがエンジニアの権限を持っているって主張したタイミングだったから、余計に他の言葉を口にするのは憚られたのだ。



「僕がエンジニアさ」



 ラキオはこんな時でも余裕のある笑みを口元に浮かべている。目を細めて、ちょっと周りを小馬鹿にするみたいなその言葉尻は健在だった。全員の視線がラキオへと向けられる。



「十六時間もあればグノーシアを判別できる。君達はただ、僕が探し出したグノーシアを処分していけば?」



 ああ、そっか、ラキオがエンジニアなんだったら、安心だなあ。安堵でそれまでの吐き気がゆるゆると消失していく。ラキオはとても頭が良い人だから、きっとウソつきが誰かもすぐに分かるだろう。そうしたら、教科書の数字なんか塗り替えて、なかったことにしてくれる。手の平から伝わる温もりと、いつものトーンで話すラキオにすっかり安心して、ふ、と短く息を吐いた。あれだけ煩かった心臓の鼓動が、落ち着きを取り戻したように思えた。だって、七人も味方がいるのだ。誰が敵かは分からないとは言え、それでも私は皆を信頼している。
 こういうとき、友達とか、信用できる人がいてよかったなあって思う。今の段階では、私には誰がグノーシアかなんてことはちっとも分からないから、エンジニアであるラキオやコメット、セツを信じて、確実にグノーシアを探し出すしかない。そうしたらきっと大丈夫だって、そう思ったのだ。きっとグノーシアなんかすぐに眠らせることができるって思えた。「違う」って、真っ直ぐな芯の入ったような声音がそこに響くまでは。



「エンジニアは私」



 動揺の欠片も見せないその声は、ジナのものだった。そのジナが、非難とも言えない感情の漣のようなものを滲ませて、ラキオを見つめている。



「次元管理コアへのアクセス許可は、私しか無いはず」



 え、と声を漏らしたのは、私一人だった。
 グノーシアは嘘を吐く。だからこの場合、ラキオかジナのいずれかが、少なくとも、グノーシアの一人ということになる。
 初等教育で習ったような単純な話なのに、今、私はそれを上手く飲み込むことができない。




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