LOOP.008
グノーシア反応の検出を知らせる警報音を、僕はもう慣れたもののように思っていた。
ループはこれで、実に八回目。前回のループではグノーシアと思われたを眠らせることができたけれど、その後で僕の記憶はぶつりと途切れている。恐らくシュリンプ移動の際、残るもう一人のグノーシアによってこの身が消滅させられたのだろう。
少し目立ちすぎただろうか。
「仲間」を槍玉に挙げた僕が目障りだったのか、僕が薄ら勘づいたことを察したのか、或いは偶然か。僕の消滅した宇宙における答えを探ることは最早不可能だ。僕の予想通り、実際に彼、シピがグノーシアだったかどうかも定かではない。そもそも確証はないのだ。ただ、他と比べて愛想の良い割に掴み所がない彼が、どこか妙に浮いているように思っただけで。まあ、敢えて理由を挙げるなら、が視線を送る先がラキオと同程度にあった、というのがシピだったのだけど。
だけどもしも本当に彼がもう一人のグノーシアで、僕の目線や言葉、一挙手一投足から思考を読み取った上で僕を消すことを選んだのだとしたら、随分侮れない人物であるように思う。
シピに、コメット。あの二人との「付き合い」は記憶のない僕には浅すぎるから、もう少し慎重に行動した方が良いのかもしれない。少なくとも、彼らの人となりを知るまでは。あとは、僕の「歪み」を正して以降、一度もこの船においてその存在がみとめられない黒髪の少女も含めて。
今現在自身に起きているループの原因を解明しうる手段を持たない僕は、この事態に漫然と向き合う他なかった。勿論それが徐々に受動的なものとは言い難くなっていることは認めざるを得ないが、意思を持った人間として、その都度グノーシアに対抗したいと考えるのは不自然なことではないと思う。僕はこの状況を理解できていなくとも、人類の敵と戦うという意思自体は持っていたのだ。
そしてまた、浮遊感と呼ぶには強烈な眩暈の後、けたたましく鳴り響く警報音に投げ出されるような感覚をもって、僕は新しい僕に馴染んでいく。だけどそこには何だか、違和感のようなものが沈殿しているのだ。今までとは違うと、直感でそう思う。直感というのを持っているかどうか定かでない僕ですら、その差異が分かる。
僕はこの時、何かに背を預け、立っていた。壁か、扉か、目を閉じているせいでそこがどこかは分からないけれど、緩く続く吐き気に、閉じたままの瞼は言う事をきかなかった。指が上手く動かないような、脳を直接撫でられているような、嫌悪感と紙一重の陶酔がそこにある。
等間隔に鳴り続けている耳障りな音に呼応するように瞼の裏で赤く点滅しているのは、室内に設置された警報灯だ。その色味すらも鮮烈なもののように思えた。違うな、と思ったのだ。何がって、何もかもが。肌に触れる空気の感触も、湧き上がる感情も。何らかに支配されていると思ったのは一瞬で、一度息を吐けば、それは体外に排出される不純物になって消えていった。支配されているのではない、これは僕の意思だ。
警報が収まってから、数秒。ため息とも、不意に溢れた笑いともつかない音が同じ室内から聞こえた。僕はこの声の主を、もう、良く知っている。
「始まったね」
聞き覚えのある声に、ようやく目を開ける。見覚えのあるベッドに、備え付けられたデスク、細やかなクローゼット。僕は船内の、個室にいた。恐らくラキオの部屋だ。扉を背に立っている僕に対して、ラキオはベッドに浅く腰掛けている。
始まった。ああ、そうだ、始まった。これまで七度のループにおいて、僕が一度も立つことのなかったそちら側。いや、もう、「こちら」と言うべきなのかもしれないけれど。「ははッ!」ラキオが笑う。普段は青い宝石のような色をしたその眼球が、人の血のように見えた気がした。
「凡愚な人間ども。せいぜい消し飛ばしてやろうじゃないか」
浸食されていく。爪の先から、皮膚の表面から。いや、違う、もっと奥の、内臓や骨から。妙に視野が広く思える。見下ろした手の平は、間違いなく人間のそれなのに、内に眠る細胞の一つ一つが囁いているのだ。
僕は今、グノーシアなのだと。
なるほど、こういうこともあるんだな。どこか他人事のように浮かんだその思考は、瞬きの間に、黒く塗り潰された。
コンソール室の丸いテーブルは、今回も全ての椅子が埋まることはない。
今回、その場に知らない顔はなかった。セツに、ジナ、SQ。ステラとしげみちの姿もある。前回のループで初めて出会ったコメットとシピ。そして僕の両隣に座ったのが、とラキオだ。は今回も落ち着かない様子で、黒いスカートの裾を撫でていた。その様子をからかうのが、彼女の左隣の椅子を引いたコメットだった。
「なんだよ、緊張してんのか?」
前回のループ時に彼女がへと向けていた疑惑の目を思えば、随分と友好的な声音であるように思う。今回は、どうやらこの二人は友好関係にあるらしい。の肩を肘置きにしたコメットは引いた椅子にすぐ腰を下ろす様子はなく、もそれを迷惑がるような素振りを見せない。「コメット〜」気の置ける人物に向けて吐き出すような甘えた声が、その唇から漏れる。
「なんだよ。そんなにビビる必要ないだろ」
「ビビるよ、だって、この中にグノーシアが二人もいるんだよ?」
「たった二人だろ? 大丈夫だって。僕、ウソつき見つけるの得意だからさ」
「……コメットのその余裕、ちょっと分けてほしい……」
「いや、が緊張しすぎなんだって」
「そうかなあ……」
まじまじとその二人のやりとりを見ていたら、の頭越しにコメットと目が合った。彼女の丸い眼球は全ての輪郭を焼き付けるように、強い意思を持って僕を見つめている。
「ウソつきを見つけるのが得意」と、コメットの口から聞いたことはこれが初めてではない。彼女は思ったことをすぐ口にするたちらしく、「チハルってウソが下手だろ?」と単刀直入に尋ねられたことも記憶に新しかった。自信が持てなかったのか、あの時はその直後に「でもチハル、やっぱわかんないな」と首を傾げられたけれど。そういう演技をしているのではないか、と口にされて、僕は明言を避けた。と言うか、わからなかったのだ、自分でも。
今も彼女は僕を探ろうとしているのだろうか。その双眸にじっと見つめられ、逸らすことなく視線を合わせる。先に目を逸らした方が負けとでも言わんばかりに彼女の目が僅かに細められたけれど、決着は付かなかった。
「あ、ほら、セツが話すんだから、コメットも座って」
そう口にしたがコメットの腕を引っ張って、椅子に座らせてしまったのだ。「うわっ」ほとんどしがみつかれる形になったコメットは、必然的にその意識をに、そして話し合いを始めるために立ったセツに割かざるを得なくなる。彼女はもう、僕を見ることはなかった。
はセツを、信奉するような目で見る、いつも。まるでそれがをたらしめているとでも言わんばかりに。セツの高くも低くもない声を、祈るような面持ちで、彼女は聞いている。
「……以上。私たちの中に潜んでいる敵……二体のグノーシアを探し出し、コールドスリープさせるんだ」
もしもこのとき、もう少し互いにその視線を絡ませたままでいたら、勘の鋭いコメットは僕の本質を見抜いたのだろうか。腹の底に渦巻く、欲と呼ぶには相応しくない本能のにおいを、その鼻は嗅ぎ取ったのだろうか。
消さなければならないと、今の僕は思っている。
普段通り淡々と状況を説明するセツを、分かりやすく怯えるしげみちを、「エンジニアと守護天使の存在が確認されております。汚染体を確定するには、やや有利な条件ですね」と穏やかに告げるステラを、首に猫を引っかけながら欠伸をかみ殺すシピを、頬杖をついて大きく瞳を瞬かせるSQを、「お、楽勝っぽいじゃん」と口角をあげるコメットを、顔色一つ変えないジナを、僕の隣で、縋るようにそのスカートの裾に爪を立てるを。
僕らはこの宇宙から消さなくてはならない。
反対隣に座ったラキオは、僕に一瞥もくれはしなかった。肘をコンソールテーブルについて、俯瞰するようにその視線を動かしている。
「いいかいチハル」
つい先程のラキオの声が蘇る。僕はあの時、初めてこの事件に巻き込まれたときのことを思い出していた。僕の部屋を訪れて、セツを信じて良いのかと真剣な声音で問うたSQのことを。
あの時とは立場が真逆になってしまった。僕は今グノーシアとして、これから人間を消してやるための算段をしている。
「下手な真似をして、僕の足を引っ張るなよ」
グノーシアになったと言っても、人格までが変貌するわけではないらしい。
「あらかじめ言っておくけど、状況によっては君を見捨てるから。それが嫌なら、息を殺して大人しくしてれば?」
ラキオの素っ気ない言葉に、僕はなんと返事をしたのだったか。あれからまだ大して時間も経っていないはずなのにまともに思い出すこともできないのは、一度記憶を失ったこの脳に欠陥があるせいなのか、それともこの身がグノーシアとなったことに端を発するのか。
僕にはそれが分からない。