「チハルってグノーシア?」



 下層から自室に戻るため、スロープを上りきったあたりだった。名前を呼ばれて振り向いた先に、企んだような笑顔のコメットが居たのは。僕は彼女が僕に向けた言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
 絶え間なく続くループは七回目。今日初めて出会ったコメットの頬に、七と言う数字を焼き付けるように、彼女を見る。濃い好奇の色に染まった眼球は、真っ直ぐ僕を見つめ返していた。
 終着点の見えないまま、何者かの意思によって連綿とした日々を送らされることに虚無を覚えない人間なんかいないだろうけれど、そう言う点で言えば、僕がさほど神経質な人間でなかったことは幸運だったと思う。これだけループを繰り返しても、精神面においてのすり減りは大きくなかったのだ。あと同じ事を数回繰り返せば、これは僕にとっての日常になるのだろうなと漠然と思えるくらいに、僕は順応していた。
 僕はきっと向いていたのだろう。グノーシアの発生とその排除を繰り返すだけの世界に放り込まれる人間に。それもどうなんだと思うけど。
 ジナもSQもラキオももステラもしげみちも、出会う度に彼らは彼らなりの「まともさ」を持って僕に接した。ジナは表情をほとんど変えず、SQは馴れ馴れしく、ラキオは目を細めて笑い、はその双眸の奥に僅かな緊張を孕ませ、ステラは優しく慈愛に満ちた瞳で、しげみちは親しみをもって僕の名前を呼ぶ。夕里子はまた彼らとは切り離されたように宙に浮いてはいたけれど、切迫感と諦念のようなものが滲んでいるのはセツだけで、僕たちが恐らく何らかの共犯者であるらしいということはそこからも察せられた。
 目が覚めればグノーシアが船内にいて、何らかの結末を迎えてはループする。
 頬杖をついて悪態付く人物は多数決で眠りにつかされ、気弱に笑う少女はグノーシアによってその存在を消され、乗員の次元波を解析できると手を上げた人物は嘘つきだった。都度変化する何もかもに法則性など無いのだと気がついてからは自分以外の全てを疑う他なかった。
 展望ラウンジで夕里子に手をかざされたあのループで僕の中の何かは変質し、それまで一歩離れたところで俯瞰するだけの自分が死んだ。夕里子の言葉を借りるなら、「歪みが正された」のだろう。
 僕はあの直後、グノーシアによって消滅させられた。だから夕里子のいたあの宇宙がどうなったのかを、僕は見届けることはできていない。その次もそうだ。僕は呆気なく眠らされることになってしまった。潔白の身を疑われるって、あんまり気分の良いものではないな。そんなことを思いながら、見届ける側ではなく眠る側として、コールドスリープのためのカプセルに入った。
 そして七回目のループの今、僕は新たに二人の乗員と出会った。そのうちの一人が、目の前にいるコメットだ。



「おーい、チハル」



 ラキオのコールドスリープを見届けてから自室に向かうまでの道中に声をかけられた。ショッキングピンクの派手な髪色をした少女だった。いや、派手なのは髪だけじゃなく、全身か。身体中に彫られた鮮やかな色の入れ墨を晒して、コメットは臆することなく僕に微笑み、そして、先の台詞を口にしたのだ。「チハルってグノーシア?」と。



「人間だ」



 疑われているのだろうか。けれどコメットはその丸い瞳をゆっくりと瞬かせると「だよね」と答えたのだった。どうしてそんなことを聞くのだろう。それで「はいそうです」と答える人間なんているのだろうか。そう思ったけれど「いやさ」とコメットは続ける。



「チハルってウソが下手だろ? しげみちやジナもヘタだけど。……あ、もう一人いるか、ヘタくそなヤツ」



 残りの面子から考えると、多分のことだろう。思い当たる人物の顔を浮かべて曖昧に頷きながら、「僕けっこうカンは鋭いからさ、誰かがウソついたらそれなりにわかるんだよね」と続けるコメットが目を細めるのを言葉もなく見つめ返した。その仕草がどうにも気になったらしい。コメットは首を傾げて僕を下から覗き込む。無遠慮な視線を平気で突き刺すコメットは、怪訝そうに眉根を寄せている。



「……ん? でもチハル、やっぱわかんないな。もしかしてそういう演技してんのか?」

「演技?」

「ホントはウソが得意なのにウソが苦手なフリしてるとか? 普段からウソができない人間ですって顔されちゃうと、流石に僕も分かんないかなあ。もしかしてこの船に乗ったときからそうやってた?」

「さあ」

「何だよ、さあって」



 コメットは僕の言葉に目を丸くした後、声をあげて笑う。でも彼女に尋ねられた点に関して言えば、自覚なんかないのだ。僕はループによってついさっきここにやって来たばかりだし、それ以前に最初のループが起きる以前の記憶が無い。船に乗ったときの自分がどうしていたかなんて、知る由もなかった。
 コメットは何が面白いのかひとしきり笑うと、「ハー、面白かった。んじゃ、他の奴にも聞いてみるからバイバイな」と僕の腕をぽんと叩いて食堂の方へと歩いて行く。自分も当初の予定通り部屋に戻ろうと彼女に背を向けた瞬間だった。「あ、そうだ、チハル」と、本当に何でも無いことのようにコメットが言うから、僕は何の心構えもないままに、彼女に目線を戻したのだけれど。



「もう一人は分かんないけど、とりあえずは絶対ウソついてるから、覚えといてくれよな」



 弧を描いた唇が、この船の中でいつも人畜無害でいた少女の名前を呼んだ。








 正確に言えば、僕は前回と前々回のループで誰がグノーシアだったのかを知らない。敵の正体を判明させる前に、自分が終わってしまったから。前回は、話し合いの最初から外堀を埋めるように僕を追い詰めていたセツがそうだったのではないだろうかとは何となく思ってはいるけれど。
 は今まで、どのループにおいてもこの船にいたし、少なくとも僕が知る限り、彼女がグノーシアであったことは一度もない。だから彼女がグノーシアであることはない、だなんて馬鹿げたことを言うつもりはさらさらないけれど、それでも何だか信じられないことのように思えた。ループ七回分の時間を過ごしたあの子に、人類の敵という肩書きは重すぎるような気がして。
 裏表の無い女学生という印象が強すぎた。
 感情が顔に出やすいのもそのせいなのかもしれない。あの子はいつもラキオを見ていた。内側に秘めている感情はふとした瞬間に溢れていた。言葉の端々から滲み出るものがある。「知っている」と思った。何が「知っている」なのかは、記憶を失った僕には分からないけれど。
 グノーシアは嘘吐きだ。
 ならばコメットか、二人のどちらかがグノーシアであることは、少なくとも間違いないだろう。
 どっちを信じるかは、明日決めても問題ないか。
 照明を落とした部屋で、ベッドに横になる。瞼を緩く閉じながら、ラキオのコールドスリープを見送った、の横顔を思い出している。
 そうして彼女のあの目を脳裏に浮かべたとき、真に迫ったあの瞳の奥にある感情を読み取るとしたら、それはやっぱり、絶望と呼んで良い類のものであるような気がしたのだ。
 この日の夜にコメットが消滅することがなければ、僕はきっと彼女を最後まで信じていただろうけれど。








 もしかしたらコメット以外にも、何人かが彼女の嘘を見破っていたのかもしれない。翌日の話し合い、コメットの座っていた席が空っぽになったことで、僕が「はどうなの」と口にしたとき、一斉にその矛先が彼女へと向かった。
 はだけど、コールドスリープが決まったその瞬間、どこかほっとしているように見えたのだ。眉尻を下げて、人間らしい顔で笑った。「そっかあ。じゃあ、私が寝るね」と小さく首を傾げた彼女の目が、一瞬だけ、前日にラキオが座っていた椅子を見た。それがどこか、懺悔しているようだった。
 でも、それもグノーシアの演技なのかな。僕には、そういうのを見抜く眼はないみたいだ。
 だがそれは、お前には必要ないものだよ、これからも。いつかの誰かの言葉を思い出す。だけど僕はそのいつかを、もう記憶の中の、薄く靄がかかった部屋に閉じ込めてしまっている。ずっと。




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