LOOP.005




 この船内で起きるグノーシア騒動を終わらせる度、僕は歪な空間移動を強いられた。何か見えざる手によって、僕という存在はつまみ上げられ、また別の世界に放り込まれる。と言ってもその先は星間航行船D.Q.Oであることに変わりなく、そこで僕はまた別のグノーシアの発生に立ち会っている。
 この空間移動を僕は「ループ」と呼ぶことにした。時間軸が異なっている以上その言葉は厳密には相応しくないように思うのだけど、他に都合の良いものが思いつかないのだ。
 僕は今、自室でペンを持っていた。どうせ僕がメモに残したところで今回のグノーシア騒動が終われば僕はループする。だからこのメモは最終的に、その存在ごと亜空間に飲み込まれるのと変わらない。要するに今回こうしてこれまでの出来事を時系列順に書き記そうと思ったのは単純に思考の整理のためで、それ以上でも以下でもなかった。
 ペンの紙を走る音と、独特なインクの匂い。懐かしいような、大して触れたこともないような。自分が何者なのかも知らない僕には、明確な答えは弾き出せない。
 僕が医療ポッドで目を覚ましたのをループの一回目としよう。もしかしたらそれ以前も僕はループを繰り返していたのかもしれないけれど、記憶を失ってしまった以上は探りようがない。
 あのとき僕は右も左も分からない乗員で(或いはそれは今もそう変わらないのかもしれないけれど)グノーシアが何であるか以前に、自分がどうしてこの船にいるのかも分からなかった。僕達は、ルゥアンという星を脱出する際に偶然一緒になっただけの関係だそうだ。記憶喪失以前から、僕は自分の身の上話を彼らにすることがなかったらしく、この船に乗る前のことは明らかになっていない。
 初回のループでは記憶喪失の僕に、ラキオ以外は随分親身になってくれた。こう表現してしまうとラキオが人でなしのように感じられるかもしれないけれど、ラキオは合理的なところのある人物だから、異物を排除しようとしたこと自体は間違いではなかったと思う。結局、あの時グノーシアだったのはSQだった。彼女はジナを消滅させた後、コールドスリープされることになった。グノーシアの活動停止が認められた直後、僕は再び船内のメインコンソール室で目を覚ます。
 二回目のループでグノーシア汚染体となっていたのはジナだった。彼女は淡々と嘘を吐いて周囲を欺こうとした。そう言う印象を受けたけれど、コールドスリープされる間際に彼女が口にした言葉は、いっそグノーシアである身から解放されることに安堵しているようにも見えた。あの時ラキオはどこか怒りを滲ませていたようにも思えたけれど、その理由は定かではない。僕はどうやら、人の感情を汲み取ることが得意ではないらしい。疑問に思ったことをそのまま口にした僕に、ラキオは「気持ちが悪いな」と吐き捨てるように言ったのだった。
 三回目のループでは、それまで船内に存在しなかったしげみちとステラという二人の乗員がいた。なるほど時間軸が異なるのならそういうこともあるだろう。例えばルゥアンからの脱出劇において、僕や彼らの靴紐が解けていただけで生死は分かれていたかもしれない。そういう「何か一つでも違っていたら」が、結果として船内における彼らの存在の有無に如実に表れているのだ。そういう思いついたことも、端のあたりにメモとして残しておく。
 この一つ前、四回目のループにおいて、僕はエンジニアの権限を有していた。空間跳躍の際に任意の人物を選んでその次元波を解析することで対象者がグノーシアか否かを調べることができるという、グノーシア側からすればどうにも目障りな存在だ。エンジニアの調査結果は議論の主軸たり得るから、その存在が認められた時点でグノーシアは自らもエンジニアであると偽証する選択を取らざるを得ない。実際、僕がエンジニアを主張した際もすぐに自分が真のエンジニアであると主張する人物が現われた。しげみちだった。彼は嘘が下手だったから、すぐに皆から怪しまれてコールドスリープが決定してしまったけれど。
 こうなっては船内にもう一人潜伏しているらしいグノーシアに早々に消されることになってもおかしくないな、と思っていたが、僕は結局また最後まで生き延びた。どうやら空間転移の遅延実行を行う特殊権限を所有する人物が、グノーシアに襲うべき対象を見失わせることで僕を守ってくれたらしい。守護天使、とステラは呼んだ。それが正式名称なのかどうかは定かではない。その後、二人目のグノーシアも、呆気なく眠りについた。
 書き記したメモをざっと眺める。
 ループ毎に誰がグノーシアだったか、誰が消され、誰がコールドスリープされることになったか。これがもう少しループを重ねていたならば一つ一つを覚えていることは困難だっただろうけれど、四回分くらいならば問題はなかった。
 そうして見返してみたとき、一つだけ浮き彫りになることがある。



「…………彼女の言う通りだな」



 空間移動の際、グノーシアに襲われもしなければ、話し合いの場で全員から疑われ、無実の罪を着せられることもない。
 この四度のループにおいて双方を経験していないのは、僕一人だ。



「それは、お前という存在の認知が歪んでいるからです。狂える神々の干渉によって」



 僕は思い出している。つい先ほど、話し合いを終えた直後の人気の無い展望ラウンジで僕の頭蓋にその手を伸ばした少女のことを。



「その歪みを、正してあげましょう」



 声に色があるとするならば、彼女のそれは、けれど無色透明と表現して良かった。僕と同じだ。「お前のそれは才能だよ」不意に脳裏を過ぎったその言葉に首を傾げる。
 僕はその声が誰のものだったかを、もう覚えてはいない。








「チハル。お前が凍りなさい」



 彼女は黒く長い、重い髪をした、まだ少女然とした所の残る人物だった。真っ直ぐに切られた前髪の下の瞳は妙に黒々として、強い光を放っていた。
 そのほっそりとした長い手足に、白いワンピースは良く似合った。ほとんど表情らしい表情を浮かべない彼女をステラは「夕里子様」と呼んだ。
 夕里子。五度目のループである今回に至るまで、その存在はなかった。場の空気は妙に張り詰めていた。その存在があるだけで、こうも空気は違うのだろうか。
 僕のコールドスリープを決定するのはあまりにも性急だと訴えるステラに一瞥もせず、夕里子は続ける。



「何も分からぬならば、誰でも同じこと。チハルを凍らせても問題はないでしょう」



 口を開く度、皮膚を刺されるような感覚を覚えた。敵意と形容していいのかは定かではないが、妙な威圧感のある少女だ。
 彼女の座る椅子から数席分の感覚を空けて座ったが、萎縮するように目線を彷徨わすのが視界の端で見て取れた。分かりやすい子だな、とちらりと思う。は夕里子を恐れているようだった。



「そうとも限らないだろう? 話し合ううちに、有益な情報が得られるかもしれない」

「はは、得られないかもしれないけどね」



 僕を庇うセツと、揶揄するように笑うラキオにそれぞれ目線だけを送る。二人のおかげで口を開く機会を逸してしまったが、夕里子は僕が唇を引き結んだままであることを別段気にもしていないらしかった。「まだるいこと」と言いながら、議論を進めることを受け入れたようだ。その黒い髪が肩からさらりと落ちるのを、何となく見届ける。
 五度目。ここまで手応えがないのだから、そう簡単に僕に纏わり付くループという現象が終わることはないだろう。それでもやりきれなさのようなものが滲んでくる。これまでのループを思い返しながら、目を伏せたときだ。隣に座っていたセツに、腿のあたりを突かれたのは。
 思わずセツの方に目線をやったが、セツは僕には目をくれることなく「夕里子には気をつけておいた方がいい」と、僕にしか届かないような声音で呟いた。



「敵でも味方でも……彼女は恐ろしい人だから」



 セツが僕と同じようにループしていることは、想像に難くない。
 自分がそうだからこそ分かる違和感がセツにはあった。何もかもを見透かしているような目。セツはどんなときも狼狽えることをしない。淡々と、流れ作業のように話し合いをこなしていく。無論、投げやりということではない。セツはいつも真摯だった。どこか諦念のような色がその瞳に浮かんでいるだけで。
 どうにかどこかで一度話をしなければならないと思う。腰を落ち着けて、誰の目もない場所で。「チハルはこれから、長い旅をすることになるんだ」初めてのループの終点でセツが口にしたあの言葉は、予言というよりもずっと確信めいていたから。
 どうしてこんな目に遭っているのかを知る権利くらいは、僕にだってあるだろう。



「セツ。お前はこの舞台の狂言回しなのでしょう?」



 セツの名を呼んだ夕里子がそう続ける。「さあ、幕を切るがいい」と。
 議論の場を仕切るセツは、ここに来るまでに四度のループを完了した僕にとって既に見慣れた光景になろうとしていた。夕里子はどうなのだろうか。彼女がいない世界線を経験しておきながら、僕は、しかし夕里子も何か、真相に近い場所にいる存在であるように思えている。
 見透かすようなあの黒い目は、穿たれた穴のように暗い。









「空間転移三分前です。チハル様、そろそろベッドに横になってくださいね」



 LeViの音声に、握っていたペンをデスクに放り投げる。
 グノーシアは今回も二人。ならば、先ほどコールドスリープされたセツがグノーシアであろうとなかろうと、例の「守護天使」とやらがグノーシアの動向を読み違えた時点で誰かは消えてしまう。



「その歪みを、正してあげましょう」



 鼓膜に張り付いたようなその声に目を閉じる。
 妙な予感を覚えている。誰かに監視されているような、纏わり付くような感覚は、殺意と似ているけれど、少し違った。
 あの時夕里子に何かを外されたような感覚だけがあった。僕は今晩消えるだろう。それはほとんど、確信と言っても良かった。




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