「そんな顔してたらグノーシアに襲われるンじゃない?」
背後からそんな風に声をかけられたけれど、声の主を特定することは容易かった。だってそんな風にずけずけと私に物を言うのって、この船じゃラキオ以外にはいなかったから。ラキオの言う「そんな顔」のまま振り向けば、薄笑いを浮かべているものとばかり思っていたラキオは、だけど、その口元を真一文字に結んで私を見つめていた。
今個室の並ぶこの階層には、私たちの他は誰も居ない。話し合いを終えた今、皆は下層のコールドスリープ室に向かっているのだ。正直、ラキオもそうするとばかり思っていた。
「あれ……ラキオ、どうしてここにいるの?」
「は? 君にそんなこと説明する義理はないよね」
もしかして部屋に戻る私を心配して追いかけて来てくれたのかな、なんて思ったけれど、一瞬で否定されてしまって、思わず小さく笑ってしまった。だけど、やっぱり今までみたいにはできないみたいだ。引き攣った唇の端が、微かに震えている。
メインコンソール室を出る皆の背中を思い出す。皆、どうしてあんな風に平然としていられるんだろう。確かに私たちはルゥアンでのグノーシア騒動の際に偶然生き延びてこの船に逃げ込んだだけで、付き合い自体はそんなに長いわけではない。だけど私はこの船を居心地良く思っていたし、皆のことを信頼していた。一緒に過ごして、笑って、お話して、たまにゲームをして、美味しくないご飯を向かい合って食べて。あの警告音が鳴るまではこれから先もそうしていられるんだって信じてた。勿論、私たちの目的地が違う以上は、近い将来お別れしなくちゃいけないことはあるだろうって思ってたけど、こんな風に何の心構えもないままに終わってしまうなんて、思ってもみなかったのだ。
LeViによりグノーシア汚染体の存在を報されて、すぐに話し合いが始まって。淡々と進む議論についていけなかった。大好きな人が皆から疑われて、絶対に違うって思ったのに、そんなはずないって言いたかったのに、上手く庇うことができなくて、そんな自分が許せなかった。今も。
不甲斐ない自分が情けなくて、悔しい。どうしてこんなことになったんだろうって悔いてしまう。もう遅いのに。「嫌だ」って言うことはできなかったから、代わりに、ラキオの名前を呼ぼうとした。半開きになった唇は最初、酸素だけを吸って、吐いた。言葉なんか出てきてはくれなかった。ラ、と言いかけたそれは惨めに掠れて、だけど、ラキオはずっと私の言葉を待ってくれているように思えて、どうにか、細く長く息を吐ききる。
「……ラキオ」
ようやく口に出来たそれは、酷く震えていた。私の顔を見たラキオが、ぎょっとしたように目を見開いている。だけど、その後はもう分からなかった。目の奥が熱を持って、痛くてたまらなかった。噛みしめた唇から嗚咽が漏れる。手で押さえても、どうにもならない。
話し合いの結果コールドスリープする人物が決まった。投票された彼女ですらそれを受け入れていたのに、私が動揺して、取り乱してしまうなんて、なんて情けないんだろう。
メインコンソール室を出てコールドスリープ室へと向かう際、セツは私に「無理して見届ける必要はないよ」と、彼女を疑ったのと同じ口で、気遣うように言った。彼女は全てを飲み下して、その運命の中に自分の身を投じようとしていたのに、私はその後ろ姿を見送ることすらできなかったのだ。コールドスリープ室についていくことのできなかった私は、間違いなく臆病者だった。
席を立つとき、最後に私に触れた指先の感触を覚えている。「様」いくら言ってもやめてくれないその呼び名を、彼女は最後まで口にしていた。
「どうか泣かないで。皆様の判断なのですから、仕方ありません」
私の代わりに、どうかあの花をよろしくお願いしますね。そう囁くように言い残して、そしてステラは行ってしまった。
私にとって彼女は実の姉のような存在だったと言っても過言ではなかった。恐らくもう二度と母星に帰ることはできないだろう私を包み込む優しさを持った人。慈愛の象徴。ステラのことが、私は大好きだったのだ。
だから、私は彼女がグノーシアだなんて思えなかった。今でも。
「ねえ、ラキオ、ス、ステラが怪しいって、なんで?ステラ、嘘吐いてるように、見えなかったよ」
「……グノーシアがそんな分かりやすい嘘を吐くワケないだろう?」
「ラキオもステラがそうだって思うの?と、投票、してなかったじゃん」
「君、案外良く見てるな。……でも、多数決って言う民主的な方法を採るって決めたのは僕達だ。決まった以上は従わなくてはならない。ここで文句を言ったって意味はないよ」
「でも……!」
「だったらあの場でステラを、もっと捨て身で庇うべきだったンじゃない? まあ、そしたら次に疑われたのは君だろうけどね。何せこの船には二人もグノーシアがいるらしいし」
痛いところを突かれて、言葉に詰まる。
だけど、どうしてもステラの笑顔が頭から離れないのだ。いつも紅茶を淹れてくれた。下手くそな私に淹れ方を教えてくれるとも。色んなことに気の付く人だったから、乗員の体調管理も、メンタルケアも、それとなくしてくれた。優しい人なのだ。人間を消す、って行為からは、彼女がこの船の中で一番かけ離れていると思えるほどに。
花のことだってそうだ。グノーシアであるなら、どうしてあんな風に自分が眠りについた後のことまで考えられるだろう。
「あ、あんな風に、最後まで花のことを気に掛ける人がグノーシアなんて、そんなことあるのかなあ?」
なるべく平静を装って口にしたかったのに、途中でどうしてもしゃくり上げてしまう。
廊下で憚らずに泣く私に、ラキオがどんな顔をしていたかは定かではない。面倒くさがって、さっさと自室に戻ってしまうか、或いは皆を追ってスロープを下りていくことだって考えられた。だけどその両方を、ラキオはしなかったのだ。拭いきれない涙が手首を伝う。
やがて「はぁ」って大きなため息が聞こえて、涙で濡れた手首を掴まれた。びっくりした。ラキオはそういうの、汚がると思っていたから。
「ちょっとおいで。話をしよう」
「え」
「そろそろ下から誰かが戻ってきてもおかしくない。君、そのぐちゃぐちゃの泣き顔を晒したいわけ? 悪趣味だな」
思わず身構えるように腕に力を入れてしまった私に、ラキオは分かりやすく眉を顰める。
「……そんな状態で部屋に帰すなんて、寝覚めが悪い。思い詰めて後追い自殺なんかされても溜まったもんじゃないし」
「あ、後追い? しないよ、そんな」
「は、どうだか。兎に角、おいで」
ぐ、と手首を引かれてしまえば、ついていく他なかった。
ラキオはよろける私に構わず、目と鼻の先にあった自室の扉を開けた。ラキオの使っている部屋は私の個室の目の前だから、何度かこの扉を開けたことはある。ラキオは案外眠りが深いタイプで、定期ミーティングのときは毎回起こして行けってラキオ本人に命じられていたから「ラキオ、始まっちゃうよ」って、入り口のところから声だけかけることが多々あったのだ。ああ、あとは、ぼんやりしてるチハルのことも、一緒に声をかけてたっけ。今はただ、あの平穏な日々が懐かしい。
だけど、こうして実際にラキオの部屋に足を踏み入れたのは初めてだった。
私の背後で扉が閉められた後、ラキオはぱ、と掴んでいた私の手首を離す。私は分かりやすく緊張していた。この船で、ステラ以外の人と密室で二人きりになることって、記憶になかったから。ラキオは私を振り返って目を細める。ラキオなのに、気遣うように、口にする。
「……場所は提供してあげるから、紅茶でも淹れなよ」
ラキオの言葉に何と答えたら良いのか分からなくて、何とか「……でも、ドブ色だよ」と口にした。「ははっ、今更君の紅茶に期待なんかするわけないだろう?それでも良いって言ってるンだよ」と返したラキオは、もしかしたら私を元気づけようとしてくれていたのかもしれない。彼なりに。
ラキオの瞳は真っ直ぐ私を見つめていた。その眼は雄弁に何かを語りかけるようだった。そうしていたら、いつまでもくよくよしているわけにいかない、って、ちょっとだけど、思えたのだ。
私はステラがグノーシアだったとは今でも思えない。だから、まだこの船には二人のグノーシアがいるはずだ。だったらステラのためにも、本物の人類の敵を見つけなくちゃいけない。
制服の袖で涙を拭う。俯いて、細く長い息を吐いてから、ぱっと顔をあげた。
「ん、わかった。部屋にある茶葉、持ってくるね」
デスクの上に置いた茶葉の入った缶を手に取れば、私はまたステラのことを思い出してしまうと思う。だけど、泣きそうになったら口の中を思いっきり噛んで耐えよう。私のことを気に掛けて、勇気づけてくれる人がいるなら、私はまだ頑張れるって思うから。
紅茶を淹れたら、ラキオにはありがとうって言おう。そう考えながら、向かいの自室の扉に手を触れる。
ステラがどう考えていたのかは知らないけれど、あっという間にコールドスリープされた間抜けの思惑なんか測るつもりはない。
ステラを信じ切っていた彼女は弱い人間だった。疑うことを知らない。恐らく誰がグノーシアでもあの子は苦悩する。自傷しながら生きる。可哀想に。同情するよ。
茶葉を取りに行くと言って出ていったの背中を見送って、独りごちる。
「いっそ消してあげた方が幸せだ」
だけど僕はその前に、もう一度だけあの子が淹れた紅茶が飲みたい。