LOOP.003
同系色と言っても、その丁寧に梳かれた艶やかな髪は、チハルのそれよりも明るい翡翠の色をしていた。女性らしい膝下丈のマーメイドスカートの裾が翻ることがないのは、彼女が普段から淑やかであることの証左であると思う。私は彼女の丁寧な言葉遣いを耳にする度に、憧憬の念を覚える。いつか私も彼女みたいになれたら、なんて、途方もない夢物語を描いてしまう。
メインコンソール室の扉を開ければ、そこに彼女はいる。
そこは船内の全ての情報を統括しているらしい。ちょっと変なところに触れてしまっただけで私には理解できない文字列やら数式やらがスクリーンに投影されるから、本当はこの部屋自体近寄りがたく思っていたのだけど、彼女がいるときだけは安心して出入りできた。何か問題が発生しても、彼女ならばすぐに対処してくれるに違いないっていう絶対的な信頼があったから。
「こんばんは、ステラ」
コンソールテーブルにティーポットとカップを置いたところだったらしいステラは、私の声に振り向いて薄く微笑む。「まあ、様」って。そんな風に呼ばれるのはこそばゆいからやめてほしいって何度か頼んだのだけれど、その穏やかな風貌に反して案外頑固なところのあるステラは、決して譲ってはくれなかった。
ステラは私だけでなく誰に対しても、まるで従者が主に仕えるかのように接するところがある。お国柄、ってやつなのかな。ルゥアンから逃げるときに偶然一緒になった彼女が、どういう星の出身なのかは分からないけれど。秘書とかそういうお仕事をしていたのかな。ステラの雰囲気から言っても、そうだったら納得なのだけど。
ステラに限らず、この船で一緒になった彼らの中でも自分の話を好んでしない人って多い。傍から見たら、チハルなんか一番ミステリアスなんじゃないかな、って思ってしまう。あの綺麗な面立ちや、洗練された所作は、チハル自身を作り物みたいに見せるから。そういう不思議な魅力があるせいなのか、ステラはチハルのことを気にする素振りを見せた。「素敵な方ですよね」って、チハルの話をする時はその頬を赤らめるのだった。
チハルの性別は汎だけれど、元々男の子だった、っていう話も耳にしたことがあるから、どちらかと言うとチハルにはそういう側面が見え隠れすることが多い。だからステラが惹かれるのも無理はないと思う。私もチハルのことは目で追ってしまいがちだから。それは恋とか愛とかって言うのとは違う感情であることは間違いなかったけれど。
私よりも年上で、大人びていて、経験豊富そうで、頭が良い。ステラはそういう人だから、私も安心して色んな話ができた。自分の将来のこととか、これからのこと、学校のあったルゥアンがあんなことになってしまった今、できれば母星に戻りたいのだけど、もしかしたら許されないかもしれないこと。どうしよう、って悩む私に、ステラはいつも親身になってくれた。
「今晩も訪ねていただけて嬉しいです。そろそろかと思って、ちょうどお紅茶を淹れた所なの」
「やった! いつもお邪魔しちゃってごめんね」
メインコンソール室や船の最下層の動力室など、ステラは船内の中枢部と思われる場所で船のチェックをしつつ過ごしていることが多い。限りある個室は皆さんで使って下さい。私には必要ありませんから。穏やかな笑みを携えながらステラがそう言ったのは、記憶に新しかった。セツが「そういうわけにはいかない」と食い下がったのに緩く首を振り、ステラは自室というものを持たないまま航行生活を送っている。
この星間航行船D.Q.OにはLeViという擬知体が備わっているけれど、それに負けず劣らずの知識をステラは持っていた。細やかな気遣いは旅客船で働くプロの添乗員さんと遜色ないんじゃないだろうか。「まるでこの船のことを昔から知っているみたいだよね」と冗談めかして言う私に、ステラは否定も肯定もせず、穏やかに微笑む。その度にその笑顔に見とれて、どぎまぎしてしまう。
「ステラの紅茶ってどうしてこんなに美味しいんだろう? 私が淹れるとこうはならないんだよね。この前はラキオにドブ色だし味も粗悪品レベルって言われたし……同じ茶葉を使ったはずなんだけどなあ……」
「まあ。ラキオ様が様の淹れたお紅茶をお飲みになったのですか? あの方が嗜好品を口になさるなんて、珍しいですね」
「偶々喉が渇いてただけだと思うよ……もう散々罵られて心が折れちゃった」
「ふふ、誰しも最初は失敗するものですよ。私でよろしければ、今度淹れ方をお教えします」
「本当? 嬉しい! いつもステラに淹れてもらってばっかりだったから、申し訳ないなって思ってたんだ」
「そんな、気になさらないで」
ステラと一緒にいると、医務室の向かいにあるLABで彼女が甲斐甲斐しく育てている花のことを思い出す。まだ蕾の、真っ白な花だ。
ジャスミンだって聞いたけれど、それにしては蕾が大きすぎるから、品種改良されたものなんじゃないかな。大きくても、きっと可憐な花を咲かすんだろう。だってこんな素敵な人が育てているんだから。
ステラが淹れてくれた紅茶に息を吹きかけて、カップにそっと唇をつけたときだった。
「お、ステラに、何飲んでるんだ?」
メインコンソールの自動扉が開いて、そこからしげみちがひょいと顔を覗かせたのは。
「紅茶だよ。ステラに淹れてもらったの」
「しげみち様もお飲みになりますか?」
「お、良いのか? へへっ、じゃあ折角だし混ぜてもらおうかな、っと」
軽快な足取りでしげみちは私の隣の椅子を引く。そのメタリックな銀色のボディには慣れるまで時間がかかったけれど、しげみち本人は人懐っこくて話しやすい。閉鎖空間の中で乗員同士が険悪な空気になれば仲介に入り、今後について悲観的な言葉が誰かの口から漏れればおどけてみせる。しげみちの明るさは、この船においてなくてはならないものだと思う。
「はー……あったまるなー。それに美味い!」
「ね、美味しいよね、ほんとにステラの紅茶、大好き。きっと素敵なお嫁さんになるんだろうなあ、ステラと結婚できる人が羨ましい……」
「まあ、ふふふ。様ったら」
「本当だよ。ね、しげみち」
「そうだなー。これだけ美味いお茶が淹れられるんだったら、引く手数多ってヤツだろうなー!」
私としげみちに口々に称賛されて、ステラはちょっとだけ困ったように、控えめに微笑んでいる。ステラのそういう奥ゆかしいところも、私は好きだ。男女汎問わずにきれいな人が好き、って言うのはそれこそ物心ついた頃からなのだけど、ここに来て益々拍車が掛かっている気がする。
「様、おかわりはいかが?」
「ありがとう、いただきます」
グローブで覆われたその手はきっと傷一つなく、滑らかなんだろうな。彼女の手がティーポットを恭しく持ち上げるのを見つめながら、私はその一挙手一投足を見落とさないように、意識的に瞬きの回数を減らす。
数秒後、LeViの警告音がけたたましく船内に鳴り響くことなんて、想像もしていなかった。
どうやらまたグノーシア発生時の始点に飛ばされたらしい。
見覚えのあるコンソールテーブルを前に目を開けた僕は、「みんな、協力してほしい」と言うセツの声にぼやける焦点をどうにか合わせる。
一体どういう原理なのか定かではないが、僕がグノーシア発生直後から殲滅までの時間をひたに繰り返していることは間違いない。ただ時間が巻き戻ったわけではないらしいということは前回と前々回の件で織り込み済みだったが、今回はテーブルについた人数の多さに面食らってしまった。
明るい翡翠色の髪をした人物と、全身がつるりとした銀色の表皮で覆われた人物の二人が、当然のような顔で座っていたのだった。「誰だ」という疑問が喉のあたりで生まれるよりも先に、「オイオイ」と銀色の男が口を開く。
「この船に宇宙人がいるとか……マジかよ! 怖ぇー」
「宇宙人と言うより、正しくはグノーシア汚染者ですね。それが、二体検知された……と」
その二人の間には、が座っている。元々お茶でも飲んでいたのか、三人の前にだけティーカップが並んでいた。琥珀色の液体が半分ほど残ったカップに両手を添えたまま、は「この中に二人もいるの?」と怯えたように僕たちを見回している。
彼女の反応から見るに、僕にとって見覚えのないこの二人は、僕たちと同じ乗員であると考えて良いらしい。
乗員同士の関係性が変化しているということは、つまり彼らが積み重ねてきた過去が異なっているということだ。要するに、どこかで何かがずれた時点で、船の乗員にも変化が見られて然るべき、ということなのだろう。
の揺れた声は、けれど、彼女の動揺を示していた。
「わ、私たち以外の不審者が船に乗り込んでるっていう可能性とかはない? ほら、この前寄港地に寄ったときとか、こっそり侵入した人がいる……とか」
「え、そっちのが怖くない?」
「怖いけど、この中の誰かがってよりはマシかなって」
眉を顰めるSQとに、名前も知らない女性は首を振る。
「残念ながらそれはありません。船内にはここに居る皆様以外の生体反応が検知された時点で、異常が報されるはずですから……」
「ステラがそう言うってことはそうなんだろうなー。じゃあマジでこの中に宇宙人がいるってことか。おいっ、誰だ、言ってみろ! ……って、名乗り出るわけないよな」
「グノーシア汚染体が二体、ねえ……そのうち一体がしげみち、と。成る程ね」
「おま……ラキオッ! オレが宇宙人のワケねーだろ!」
薄く笑いながら言うラキオのそれが冗談なのか本気なのかは分からないが、しげみちと呼ばれた男が突出して奇抜な風貌をしていることは確かだ。まあ、だからと言ってグノーシア汚染者とは限らないのだけど。
SQやジナまでもがしげみちの容姿について一方的な見解を口にし始める中、普段と変わらぬ声音で「兎に角、冷静に話し合おう」と告げたのはセツだった。セツは乗員の中でも、いつも、やけに落ち着いているように見える。軍人だからという理由だけでは説明がつけられないくらいに、彼女は俯瞰するような目で全体を見つめている。
「そうですね……時間は限られています。誰をコールドスリープさせるべきなのか、皆様の意見をお聞かせください」
一方で、ステラと言うらしい女の隣で、は落ち着かなそうにティーカップに両手を添えていた。セツと対照的だ。それがまるで何かに縋っているように見えた。神に祈る、修道女か何かのようだった。