夢を見る。
 炎に包まれる夢だ。それまで乗っていた馬車は脱出した後崩れ落ち、事切れた御者の遺体を飲み込んだ。一緒に居たはずの継母の姿はなく、俺はその姿を探すように辺りを見回そうと思うのに、黒煙と武器を持った人間の気配がそうさせない。怒声と、武器のぶつかりあう音、その中に紛れもない父の声があるのに、俺はどうして、その傍へ参じることができないのか。
 やがて響く父の断末魔の声、地面に転がる重い音、「ダスカー人が陛下を!」周囲に広く知らしめるような絶叫を、俺はいつも止められない。
 手足に何かが纏わり付くような感覚がある。視線を落とせば、それは無数の、人間の手だ。「どうして助けてくれなかったの」と、その手が母の声で泣く。恐怖のあまり、咄嗟に振り払おうとする自分自身に、俺は絶望する。



「……ッ!」

「わっ!」



 飛び起きたその時、俺は自分が一体どのような状況におかれているのか、すぐには理解できなかった。
 場所は、書庫だ。日中よりもひんやりとした空気に、濃い紙の匂い。話し声や人の気配はほとんどなく、それだけで今が夜半であることを悟る。
 授業が終わり、いつも通り訓練をし、それから形だけの夕食を摂った後に臨時で書庫の管理している者と話をし、鍵を借り受けたのだ。灯りもそこそこに調べ物をしていたはずだったが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 やってしまった。
 覚醒した頭で、俺の隣に立つ彼女を見上げる。――は、困惑したような、それと同じくらい、申し訳なさそうな顔で俺を見つめていた。



「……

「お、起こしちゃって、ごめんなさい……殿下、折角眠ってらしたのに」

「ああ、いや、良いんだ。お前に起こされたわけでは……」



 彼女の気配で起きたというよりは、起きるべくして起きた、と言った方が正しい。そもそも最近は、まともに眠れた試しがないのだ。だからこそ、自室でも何でもないこんな場所で迂闊にも居眠りなんてしてしまったわけだが。けれど、は俺の言葉を受けても、その眉尻を弱々しく下げたままだった。
 机の上には、ここ数年の帝国貴族の動向について記された書物がある。既に目を通したが、上辺だけのもので、大したことは書かれていなかった。例えば、ここ数年のアランデル公の、具体的な挙動。彼と関わりのある貴族。金や、それ以外の人や物の動き。知りたいことの大半は、この書庫を探しても、出ては来ない。それでも彼女の視界に入れるのは憚られて、表紙を隠すように自分の方に引き寄せた。そうしながら、「……は本でも借りに来たのか?」と自然に響くよう、尋ねる。けれどは、ゆっくり首を振った。



「こんな遅くに、本なんて」



 彼女から見ればおかしな質問になってしまったらしいことに今更思い当たるのだから、嫌になる。考え事をしていると、いつもこうだった。
 身体の前で組まれたの指先が、何度か緩く組み直される。それが、彼女が何か逡巡している、証左のように思えた。



「…………その、ドゥドゥーくんが、殿下を知らないか、って言うから、手分けして捜してたんです。……以前は書庫にいたから、もしかしたらそっちかも、って聞いて、それで」

「そうか。すまない。……ドゥドゥーにも、気を遣わせてしまったかもしれないな」



 俺の言葉に、彼女は不思議そうに目を瞬かせた。
 とそういう仲になったということは、大っぴらには話していない。それでもドゥドゥーや、そういうことに妙に目敏いシルヴァンは、俺達の関係性の変化に勘づいてはいるのだろう。あとは、もしかしたらクロードも。勘違いとも言い切れないが妙に遠慮しているというか、俺の前でに声をかけることは、いつの間にかほとんどなくなっていたから。
 俺は、それに安堵しているのか、追い詰められたような気になっているのか、実のところ、分からないのだ。何か、胸中に燻る影が追い立てるように俺に囁くのを感じている。こんなこと、自分の中に押しとどめなければならない問題だと分かっているけれど。
 は、困ったような顔で小さく首を傾げて、遠慮深く微笑んだ。何か、一歩踏み込むべきか、やめるべきか、迷っているように見えた。その笑顔を、俺はどうにかいなすべきだったのだ、この時くらいは。



「……すまなかったな、も。手間取らせただろう。……外も暗いだろうに、捜させてしまって」

「いえ、そんな。医務室の前くらいまでは、ドゥドゥーくんも一緒にいてくれましたし。それより、大丈夫ですか? 殿下、やっぱり顔色が」

「灯りのせいだ。大丈夫だよ。……今本を片付けるから、待っててくれるか。一緒に寮に帰ろう」



 少し強引だっただろうか。
 そう思ったが、は何も言わなかった。いや、何も言わずにいてくれた、の間違いだったのかもしれない。は一歩身体を引くと、俺の傍にあった本を極力視界に入れないようにするためか、そっと目線を壁の本棚に向けた。その肩が、普段の彼女のものよりもずっと頼りなく見えた気がしたけれど、どうしてやればいいのか、俺には分からない。








「……暗いな」

「もう日付、変わっちゃってますからね」

「それは……重ね重ねすまない。ドゥドゥーにも謝らなければ」

「殿下がちゃんと休んでくれるなら、ドゥドゥーくんもそれで充分だと思いますよ。……私もそうです」

「……善処するよ」



 書庫を出てから、の口数が少し多くなったように思うのは気のせいではないのだろう。気遣ってくれているのだと思うと情けないが、正直に言えば有り難かった。
 大広間から一歩外へ出れば、天馬の節の風が容赦なく吹き付ける。俺には慣れたものだが、ファーガスでも南部のラルミナで生まれ育ったには、この風は堪えるらしい。「さっ……!」むい、と後に続く言葉は飲み込んだのだろうが、それでも身を竦めるから、どうしたものかと、少し考えた。籠手をつけたままの手では、触れたところで余計に彼女の体温を奪うだけだろうし、まさか俺の外套の中に入れとも言えない。「……急ごう」と声をかけるくらいしかできず、申し訳なくなる。あんなところでうっかり眠ったりしなければ、をこんな目に遭わせることもなかっただろうに。
 けれどは、そんなことは全く気にも留めていないらしかった。不意にぴたりと足を止めて空を見上げ、その目を丸くしたのだ。



「……わあ、星、きれい」



 その口から、白くなった息が漏れていた。「ほら、殿下、見て下さいあの星、ものすごくぴかぴかしてますよ。空気が冷たいせいですかね?」天上に指を差すその姿は、どこかあどけない。これも彼女なりの気遣いなのか、そうではないのか、俺にはわからなかった。鈍いのだ、きっと、俺は。
 が俺の傍にいてくれるのは、今だけだ。
 俺の復讐に付き合わせるつもりなんか、はじめからない。いつか俺の探す答えに俺自身が辿り着いたとき、彼女が好意を抱いてくれた「俺」は死ぬだろう。俺は先生のように、俺から全てを奪った敵を前に、冷静ではいられないから。そして、その答えはもう、きっと眼前にある。引き出しにしまった短剣が、俺を導こうとしている。
 その道の果てに至ったとき、お前は俺に失望する。それをもう、覚悟しておかなければならないのだ、俺は。



「……聞いてますか? 殿下」



 俺を見上げるの瞳は、寒さのせいか、微かに潤んでいた。
 頭上には、雲一つ無い空に幾多もの星が瞬いている。が「ぴかぴかしている」と言った星がどれなのか、俺には全く判別がつかなくて、どうしたらいいか分からず、仕方ないから、小さく笑った。けれど、「綺麗だな」と言ったのは、嘘ではない。
 籠手がどうとか、そんなものはどうだっていいから、もう一度くらいその手に触れておけばよかった。俺が汚してしまうのではないかと、恐れなければ良かった。俺がちゃんと、お前と向き合えているうちに。
 その日は、いつもの頭痛もどうしてか、息を潜めていた。「晴れててよかった」そう言ってくすぐったそうに笑う、は泥の奥にいる俺には、少しだけ、眩しい。


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