「…………聞いたか、先生」
ガルグ=マクの中が俄に騒がしくなったのは、守護の節が間もなく終わろうとする頃だった。騎士団が追っていた敵の居所が、ようやく判明したのだ。
彼らは大修道院に程近い、封じられた森に身を潜めているらしい。レア様はこれを掃討することを決めたが、セイロス騎士団の主戦力は現在フォドラ各地の捜索に当たっている。これを再び収集させ作戦を決行するには、多少なりとも時間がかかるだろう。実際、その間にこうして俺の耳にも入ることになったのだから、俺としては有り難い話ではあったのだが。
先生の姿をみとめ呼び止めた俺が、ジェラルト殿を殺した連中がすぐそこにいる情報を得たことを打ち明けたとき、先生は確かにその顔色を変えた。純粋な殺意がそこにあった。先生の中の蝋は、火を消していたのではなかった。それを知ったときの俺の安堵と喜びを、一体誰が推し量れるだろう。背筋が粟立った気すらした。湧き上がる情動を、目を伏せて飲み込んだ。
しかし先生がその情報を耳にしていないということは、レア様はあの連中の討伐を内々に進めるつもりだったということになる。復讐を望む先生が、一人敵陣に飛び込むことのないように。そうとしか考えられない。
復讐の機会を他者から奪われることなど、あって良いはずがないのに。
大切なものを奪われた俺たちには、かざした刃を振り下ろす権利があるはずだ。例えレア様であろうと、それを咎めることはできない。ただレア様が先生のその身を案じているだけなのだとしても。復讐は、果たさなければならないのだ。それが俺たちから全てを奪ったのなら。
俺は、俺と同じ道を歩む先生の力になりたかった。先生と共に奴らを討ち滅ぼしたかった。彼らと接触する機会が欲しかったのもそうだが、この時はそれ以上に、先生のことを思っていたのだ。
「……レア様は秘密裏に掃討を実行するはずだ。だが、先生はそれでは納得できないだろう? 先生、お前が命じるなら、俺達は協力する」
だから、と続けようとしたそのときだ。「待ちなさい」と、俺達の間に張り詰めた声が降ってきたのは。
「そのような行動……私は許しませんよ」
制したのは、レア様だ。
強張った表情をしたレア様は、セテス殿をその背後に従え、先生のことを真っ直ぐ見つめていた。レア様は、思えばいつもこうして、先生のことを気に懸けていた。いっそ執拗なほどに。
けれどレア様の視線の先にいる先生の瞳の奥に宿る、淀みに似た炎を理解できるのは、きっと俺だけだ。
阻ませてなるものか。
森へと向かうことを主張する先生と、それを止めるレア様とセテス殿の間に身体を滑り込ませるようにして立った。どのみち、レア様を説き伏せなければガルグ=マクを出ることはできないだろうとわかっていた。それが想定より、僅かに早まったに過ぎない。「お二人も理解されているはずです」と低く口にすれば、二人の視線は俺へと突き刺さった。
現在騎士団がほとんど出払っている以上、レア様やセテス殿が大修道院を空けるわけにはいかないこと、奴らに対抗できるのは英雄の遺産に匹敵する武器を扱える先生くらいであること、この機を逃すわけにはいかないであろうということ。――それらしい説得は、いくらでも口からついて出た。長考の末、最終的にレア様が先生の出陣を渋々であるが許可したのは、俺の主張に加えて、先生の無言の説得を受けてのことだったのかもしれないが。
レア様は先生に「あなたはそれでいいのですね」と確認を取った後、最後には俺達が戦いの場に赴くことを正式に許可してくださった。準備が出来次第、封じられた森へ向かうように、と。
人の行き来の多い玄関ホールでのやりとりは、多くの人の視線を集める。レア様の肩の奥、生徒が作る人垣の中に、アッシュの隣に立つの姿を見た。
微かに怯えを孕んだその目は、春の彼女に似ていた。その手の温度だけは、今でも覚えている、鮮明に。
「すぐ近くの森とは言え、急な出撃になっちゃったね」
先生や殿下を責めているわけではない。
士官学校にいる以上、こういうことはこれまでだって何度もあったし、心構えはいついかなるときでもしていなければならなかった。それに、今回に関してはいわばジェラルトさんの敵討ちだ。そのためだったら、助力を惜しまないはずがない。
でも、それとは別に、未だに戦いに慣れない自分もいる。
支度を調えるため、それから他の皆にも事情を伝えるために教室へと向かうその道中、アッシュくんは「……そうですね」と強張った声音で答えた。
「特に今回は騎士団の皆さんの助力もありませんし……僕たちだけで何とかしなくちゃ」
「うん……カトリーヌさんもシャミアさんもアロイスさんも、主戦力になる人たちは皆出払っちゃってるんだもんね……。が、がんばらないと」
だけどまさか、敵がこんなに近くに潜伏しているなんて。そう思うと二重三重の意味でぞっとしてしまう。敵の捜索のためフォドラ各地に散ってしまった騎士団の助けが望めない以上、今回は私たちの力だけで討滅しなければならなくなる。ロナート様のとき然り、聖廟での戦い然り、ルミール村での件然り、私たちだけでは力が及ばないとき、セイロス騎士団はいつも力を貸してくれたけれど、今回はそれが最初から望めない。そう思うと、どうしたって緊張した。だって、ガルグ=マクに潜入し、何食わぬ顔で数節を共にし、あのジェラルトさんを殺めた相手なのだ。怖くないわけがない。
アッシュくんの隣で、どきどきする胸をそっと押さえる。こういうとき、なにか秘伝のおまじないとかあったらいいのに。緊張しなくなるとか、恐怖が消えるとか、そういう類の。
アッシュくんの顔をちらりと覗き見たら、アッシュくんは、声色とは裏腹に、真っ直ぐ前を見つめていた。白んだ空の下で、彼の色素の薄い髪が微かな光を放っていた。何年も前、ロナート様の書庫で二人で本を覗き込んでいたときとは、全然違う目だった。覚悟が決まっている、みたいな。揺らぐことのない目だった。私のものとは、違った。
そういえば、アッシュくんは前節、先生と一緒に騎士団の人の任務を手伝った、って聞いた。それこそカトリーヌさんと、あとは、レア様もいらっしゃったんだとか。あれは確か、舞踏会よりも前のことだったはずだ。急なことだったらしくて、あの時は私にまで声がかかることはなかった。本当に、騎士団以外は殿下を含めた数人での出撃になったんだって、後から教えてもらったのだ。どういう任務だったのかまでは聞いていないけれど、そういうのに積極的に参加することで場数を踏む、っていうのは、きっと大事なことなんだろう。アッシュくんは、だから今、私よりもずっと落ち着いて見えるのかもしれない。
ねえ、アッシュくん、そういえばこの前アッシュくんがお手伝いした任務って、どういうものだったの?
なにげなく尋ねようとしたその言葉は喉元まで出かかっていたけれど、結局そのまま口にはしなかった。単純に、出撃の準備中にする話じゃあないなって思ったからだし、いくら同じ学級の仲間とはいえ、騎士団が関わっている以上彼にも守秘義務があると気がついたから。それに、もしも私がこの時アッシュくんにそれを尋ねていたとしても、きっとアッシュくんは薄く笑って、答えてくれなかったんだろうなって思う。この時の私は、アッシュくんのそういう気遣いとか優しさに、本当の意味では気がついていなかった。私だけ、いつまでも何も知らない子供同然なんだってことも。
先の玄関ホールで見た、殿下と先生の姿を思い出す。そうすると、胸のあたりがざわざわして、息苦しいような気がした。
その日は冬らしい、曖昧な空模様だった。
ジェラルトさんが亡くなった日に、とてもよく似ていた。