「よ、お疲れさん」



 私がクロードくんに声をかけられたのは、舞踏会の、丁度中盤に差し掛かろうかという頃だった。
 舞踏会も、何となく漂っていた緊張感のようなものが程よく抜けている。踊りを楽しむ人、会話に花を咲かせる人、食事が目当てと言っても過言ではない人。だけど最初に窮屈さを解したのは、ベレト先生の手を取った彼だったのかもしれない。



「クロードくん」



 そう名前を呼べば、クロードくんは私の隣に立って、「いやあ」と息を吐いた。



「なかなかを見つけられなくてさ。参ったよ」



 曖昧に微笑むクロードくんに、私も笑みを返す。舞踏会のために各々が衣装を準備しているのなら兎も角、士官学校の行事である今回は全員が制服での参加だ。私が級長を象徴する外套をつけたクロードくんを見つけ出すのは容易いとしても、彼が私を見つけられなかったのは無理はないだろう。実際私も、未だにイングリットちゃんを見つけられずにいるんだもの。イングリットちゃんの方だって、きっとそう。



「人、いっぱいいるもんね。私も誰がどこにいるのか、全然わかんないや」

「踊りに誘おうとして声をかけたら全然別のやつだった……とかもありそうだよな」

「ふふ、ね。でもそうなったら、勢いで踊ってください、って言うしかなさそう」

「はは、それは見てみたいな」



 やっと気軽に話が出来る人が現われて、肩の力が抜けるのを感じる。クロードくんは私にとって、数少ない学級外のお友達だから。
 だけど、わざわざ探してまで声をかけにきてくれたってことは、クロードくんは例の約束を守りに来たっていうことなのだろうか。「私が誰とも踊れずに暇を持て余すようだったら相手をする」っていう、私が「呪いみたい」と思わず口にしてしまった、あの約束だ。
 「誰かと踊ったか?」とか、そういう風に現状を確かめられるかなと思って身構えたけれど、一度言葉を切ったクロードくんは、給仕の女性から受け取った杯の中身をほとんど煽るように飲んでいた。喉が渇いていたのかもしれない。彼もきっと、殿下ほどではないにしろ、踊りの誘いを受けていたに違いないから。
 クロードくんの言葉を間には受けない、とは言え、そんな中でも私を探してくれていたのだと思ったら、ちょっとだけ申し訳なくなってしまった。



「はあ、生き返る」



 しみじみと口にするクロードくんは、やっぱり私に、何も尋ねない。だから、「呪いみたい」って思ったクロードくんの、私への配慮、あの気遣いは、実際にはなくても大丈夫だったよと言う言葉は、ずっと舌の上で留まっていた。
 というのも、ぼんやりと舞踏会を眺めていた私に、奇特にも声をかけてくれた人がいたのだ。
 黒鷲の学級の、何となく見覚えのある男の子だった。「良かったら、踊りませんか」って、手を差し出してくれた。優しそうな声色をした人だった。
 彼とは踊りながら自己紹介をし合った。彼の方は私の名前をきちんと知っていてくれてびっくりしたのだけど、名前を聞いてしまった私に気分を害した様子もなかった。本当に優しい人だったのだと思う。それから毒にも薬にもならないような、細やかな会話をした。緊張はしたけれど、粗相はなかったはずだ。踊りだってそつなくこなせたし、手汗もかいていなかった。私がこれまで出席してきた舞踏会と、もう、ほとんど変わりなかった。
 だけど、一曲踊り終えた後の安堵と充足感は、形容しがたいものがあった。私は私に声をかけてくれた彼に、何度だってお礼を言いたいくらいだった。だって、それまで自分が抱えていた後悔とか、孤独とかが、一曲踊っただけでずっと小さくなったから。なんていうか、彼と踊ったことで、自分がちゃんと舞踏会に参加できた気がした。壁に背を預けているだけじゃどうにもならなかった感覚が、柔らかい布で拭われたみたい。
 お礼を言って彼と別れ、ほっとして自分が元いた場所に帰ってきたのが、本当に丁度、ついさっきのことだった。さっきまでフェリクスくんがいた場所にその姿がないことが気に掛かり、きょろきょろと辺りを見回していたところを、クロードくんに声をかけられたのだった。
 しかしフェリクスくんは、どこに行ってしまったんだろう。踊っているとは思えなかった。実際私が踊りに誘われる直前も、彼は声をかけてくる女子生徒に煩わしげに首を振っていたから。だから、もしかしたら本当に、剣の訓練にでも行ってしまったのかも。昨日「踊るよりもそうしていた方がずっと良い」って言ってたくらいだし。
 クロードくんは杯を片手に、大広間をじっと見渡している。曲は、丁度最後の繰り返しの部分に入っている。



「多少堅苦しいが、こういうのも悪くはないな」

「えっ、う、うん。そうだね」



 フェリクスくんのことを考えていたせいで、思わず上擦った声をあげてしまう。だけどクロードくんは、何も気にしていないようだった。ただ楽しげに踊る皆を見て、微笑んでいる。
 何かがあるごとに宴だなんだっていう人だから、一見肩が凝るような催しであっても、賑やかな空気そのものを楽しむことができるんだろう。そんなことを考えながら彼のことを見つめていたら、目が合った。その肩越しに、青い外套が翻る。殿下は今も、誰かと踊っている。
 あともう少しで、この曲が終わる。クロードくんもそれを知っているのかもしれない。翡翠の瞳が私を真っ直ぐ捉えた。彼とした約束は、「私がもし誰とも踊ることがなかったら」で、その前提は既に崩れている。だけどクロードくんは、何も聞かなかった。当たり前のように私に手を差し出して、「さて」って、短く、言った。その睫毛が、微かに揺れた。



「踊るか」



 水が流れるみたいに、自然に「」って、私の名前を呼んで。
 穏やかに流れていた音楽が、名残を惜しむように消えて行く。いくつかの男女がそれを合図に中央から退き、入れ替わるように他の男女が歩み出る。殿下は、前者だった。クロードくんの背中の奥で、今まで踊っていた女性に小さく会釈をする殿下の姿がある。視界の端でそれを見た私は、クロードくんへの反応が分かりやすく遅れてしまった。首肯の一つもしない私の手を、けれどクロードくんは取って、引く。



「わ」

「おっと」



 つんのめって転びそうになるのに、クロードくんはそうさせなかった。器用に私をその腕で回転させて、そのまま受け止めた。びっくりした。だってこんなの、形式的な舞踏会で踊るようなものではない。お腹の底に、変な浮遊感があった。ひやっとしたのだ。それこそ二重、三重の意味で。
 そうさせた相手がクロードくんだったせいで、私はすっかり周囲の人の目を引いてしまったらしい。彼が先生の手を取って踊り出したときの半分くらいの笑い声に包まれて、もうどうしたら良いのか分からなくなる。羞恥のせいで、耳まで顔が熱い。だけど、クロードくんはそんな周囲の目なんか全然関係ないみたいに私の手を引いた。私のものよりも、それはずっと温かかった。
 言いたいことはたくさんあって、私は本当は、変に自分を目立たせたクロードくんに文句の一つでも言いたかったのだけど、ふ、と息だけで笑った彼が、あんまりにも眩しそうに目を細めていたものだから、何も言えなくなる。その代わりに、ぎゅうと手を握り返した。痛いくらいにしたつもりだったのに、クロードくんは全然、何の反応も示さなかった。
 苦手だ、って言ってたのに、クロードくんはびっくりするくらい上手に踊った。あの日の殿下と比べたらちょっとだけ荒削りだったけれど、私を支えるその手つきは、似合わないくらいに丁寧だった。
 そんな私たちを観衆の輪の奥から殿下が見ていたなんて、当然、知る由もなかったのだ。


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