書庫番のトマシュさんがこの事態を引き起こした張本人であることは、間違いないらしい。
 トマシュさんは先生や殿下、大勢の兵士の前でその姿を変え、「ソロン」と名乗った。血色の悪い、腰の曲がった老人でありながら、禍々しく強大な魔力を持った魔術師だったと聞いている。彼はこの村で、とある実験を行ったと言う。その結果が、今私たちの目の前で起きた凄惨な出来事なのだった。
 だけどソロンはそうしてトマシュさんの姿から変容して見せることで、トマシュさんに濡れ衣を着せようとしたのではないか。本当のトマシュさんは、ソロンによってどこかに閉じ込められているのではないか――。トマシュさんの善良さを信じていた私はそう思ってしまったのだけれど、ソロンは一方で、フレンちゃんの血を手に入れるためにガルグ=マクに潜入していたのだと語ったと言う。
 それはつまり、角弓の節、フレンちゃんが忽然と姿を消してしまったときのことを指すのだろう。あのときフレンちゃんはイエリッツァ先生(彼は聖廟を襲撃した死神騎士であることがこの時に判明している)の部屋から続く地下道で気を失った状態で発見された。フレンちゃんが血を奪われていたとすれば、あの時に違いなかった。
 さらに、ルミール村には件の死神騎士も姿を現していたらしい。
 それらを念頭に置いて考えて見ると、やっぱりどうしたってトマシュさんがセイロス教会の敵、ソロンその人なのであるとうことは、疑いようがなかった。二人は繋がっていた。イエリッツァ先生だけでなく、トマシュさんも裏切り者だったのだ。
 ソロンらはベレト先生や殿下、ジェラルトさんたちの手によって退けられた。残されたのは、焼き尽くされ、かつての面影を失ったルミール村だ。
 負傷者は多く、一方でソロンの「実験」の犠牲になった人たちは、目を覚まさなかった。医師や治癒術の使える人たちが総出で治療を続けても、ほとんど手応えがないらしい。外傷が原因ではない。気を失わせるため、彼らに与えられた傷は浅いはずなのに、その身体はみるみる冷たくなっていくのだ。
 一人、また一人と息を引き取っていく中、それでも何か救える手段はないかと、皆が必死になっていた。天幕の奥で、幼い子供の泣き叫ぶ声がした。多くの人が泣いていた。息が上手くできなかった。包帯を抱えた騎士にぶつかって、「そこにいられると邪魔だ」と叱られた。言われて気がついたのだけど、私はもう長いこと、天幕の出入り口の近くで一人、立ち尽くしていたのだった。



「……すみません」



 謝罪の声は、私に背を向けて負傷者のかたわらに膝をついた彼には届いていないだろう。
 私も何か、手伝わなくちゃ。そう思って踏み出そうとした足は、けれど、最終的には外へと向かっていた。こんな暗い顔をした女が治療を手伝っていたら、意識のある負傷者だって不安になるに違いないというのもあったけれど、丁度その時、「まだ生存者が残されているかもしれないから、手の空いている人は村を見てきてくれないか」と騎士が言っていたのが、偶々耳に届いたためでもあった。
 それに、そうでなければ私の方が叫びだしてしまいそうだったのだ。



「あなたにとって少しでも学びがあるといいですね」



 かつて本を探していた私に、トマシュさんが言ってくれた言葉が蘇る。背表紙をなぞる、しわしわの手も。それらが私の表皮を、何の感触もないままにするりと滑っていってくれたら良かったのに、私はそこにある夥しい数の小さな棘に、いちいち痛みを覚えている。
 最後に天幕を振り返ったとき、先の男の子の丸まった背を、私は確かに見た。









 ルミール村の火は、まだ小さく燻っているものはあったけれど、ほとんどが既に消し止められていた。私はそういう学がないから分からないのだけれど、何か魔法によるものなのかもしれない。あれほどの大火、一朝一夕では消火できないはずだから。
 陽が沈もうとしていた。木々の隙間から飴色の光が漏れて、空は薄い紫と橙の混じり合ったような色に変化している。疎らな雲は、濃い灰の色。丁度この村から立ち上っていた、黒煙のような。
 村を見回したとき、随分見晴らしがいいことが、却って恐ろしかった。この村に着いたときは、炎と煙とで視界が随分狭められていたから。あれらは容赦なくルミール村で暮らす人々の住処を焼き払った。残されたのが、この瓦礫だらけの景色なのだった。
 あちこちから煙が燻る、凄惨な光景だった。屋根は崩れ、家財道具は総じて黒く焦げている。風車は羽根の幾つかが落ちていたけれど、がらがら、ぎいぎいと音を立てて回っていた。頬を撫でる風が運ぶ焦げた臭いは、私の鼻を簡単に麻痺させた。雪のように空から降り注ぐ煤が、髪や肩に落ちていく。
 戦場の後処理は、後詰めの騎士らと、黒鷲の学級と金鹿の学級が主体となってくれるらしい。彼らもきっと、この村の惨状に胸を痛めることだろう。無事な家など、一つもなかった。ほとんどが全焼、良くて半焼。畑は瓦礫に埋もれ、来る冬に備えた備蓄物は全て焼失したに違いない。
 既に何人かの騎士が、村の中を見回っていた。「誰か、いるかー!」方々から聞こえる声は、虚しく響くだけだ。それでも声も出せずにいる人がいるかもしれないと、彼らは賢明に瓦礫を持ち上げる。村人とおぼしき人が、娘の名前を呼んでいる。座り込んだまま動けない子供が居る。そのかたわらには、黒く焦げた人形のようなものが横たわっている。
 どうしてこんなことになっているんだろう。



「……無理をする必要はないぞ」



 思わず息を止めたとき、そう声をかけられた。
 柔らかな声だった。私の絶望を知って、その指先で拭ってくれるような。
 慌てて振り向けば、そこには殿下の姿がある。ほとんど条件反射で、背筋を伸ばした。



「……殿下……」



 私が呼ぶのに、殿下は気遣うようにその目をそっと細める。



「ルミール村に来てから、ずっと駆けずり回っていただろう。少し休んだ方が良い」

「で、でも、私にできることは、したいので」

「……そうか」



 慎重に受け答えをしながら、私は、殿下だ、と思ってしまう。私の知っている殿下だ。少なくとも、今は。そう思うと、無意識のうちに張り詰めていた緊張感が、微かに緩んだ。
 殿下はトマシュさん、いや、ソロンを退けた後、生存者を探してずっと村中を歩き回っていたらしい。数人、遺体を見つけたと、低く掠れた声で呟いた。逃げ遅れて、火に飲まれた様子の人もいたけれど、明らかに負った怪我が原因である人もいた。そう言葉を重ねる殿下の目は、出会ったときと同じ、静かな思慮深さを持っていた。そう努めているようにも見えた。
 私は、ずっと言葉を選んでいた。殿下の様子を窺いながら、思案していた。確かめたかった。あの時の殿下が見せた、言葉や表情、その意味を。
 殿下は肩から腰にかけて、酷い返り血を浴びている。



「嫌になるな」



 殿下の声に、その顔を見た。
 金色の、長い前髪の下にあるその瞳は、ルミール村の家々、その残骸を見つめている。それが細められたのは、差し込む太陽の光だけが原因ではないのだろう。その瞳が揺らぐ。この村に来たとき、殿下が見せたものの片鱗は、今はそこにない。



「力のない者から死んでいく」



 その声はどこまでも低かった。血の臭いは、もう戦場となってしまったこの村に長く居すぎた私たちには、分からなくなっていた。



「俺は彼らこそ、守ってやりたいのに」



 殿下はそう言った。その目が潤んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。
 殿下の目がこちらを向く。その手が私の頭に伸びる。視界の端で、籠手の嵌められたままの指を見た。身を竦めてしまったのはびっくりしたからで、怖かったからではない。その指先を頭に感じた瞬間、思わずびくりと身体が反応した。目をぎゅっと握って、「ひ」と口から漏れてしまった。殿下はもしかしたら、私を怖がらせたと思ったのだろうか。目を開けたとき、殿下は少し寂しそうな顔をしていた。



の髪に、煤がついていたから」



 今日は怖がらせてばかりだな。そう殿下は続けた。



「すまない」



 ルミール村の風は、ファーガスのものよりもずっと優しかった。歩き出した殿下は、私が思わず口にした「殿下」に一度だけ振り向いたけれど、その表情はもう、逆光になって見えない。


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