黒鷲の学級と金鹿の学級がぶつかりあっている南に比べたら、まだ東の森の方が隙はあるだろう。
 まずは突出しているローレンツくんを落とす。それから彼の援護に回っている生徒を各個撃破。クロードくんが森に潜ませている可能性のある伏兵に注意を払いつつ、砦の足元から南へ向かい殿下たちの援護へ向かう――。先生がシルヴァンくんに出した指示は、大まかに言うとそのようなものだったらしい。



「砦から見た感じだと、金鹿も黒鷲もほとんどの戦力を南に割いているな。……ま、動いている分は、の話だが」

「動いている分?」

「まだ動かしてない兵があるということだろう」



 メルセデスちゃんと並んで、東の森へと続く階段を駆け下りていくシルヴァンくんの背に尋ねたけれど、答えたのは彼よりも僅かに先を行くフェリクスくんの方だった。頭頂部でお団子に結ばれた髪の後れ毛が、彼を追いかけるように靡いている。



「金鹿の学級長……クロードと言ったか、あれが素直な用兵をするようには思えん」

「た、確かに。殿下と違って、クロードくんは前線には出てないみたいだもんね」

「あらあら〜……じゃあ、ローレンツも囮ってことになるのかしら〜」

「いやそれは……」



 どうだろうな。
 シルヴァンくんが言い切るか言い切らないかのうちに、木々の隙間を縫うように空を切った槍が、階段を駆け下りた私たちの先に突き刺さった。地面に深々と突き刺さったそれに、ひゅ、と喉が音を立てる。



「僕が囮?」



 ローレンツ=ヘルマン=グロスタール。
 馬を器用に操って、私たち四人の前に立ち塞がるように現われたローレンツくんは、馬上からその切れ長の瞳をそっと細める。
 背の高い人だ。けれど、ドゥドゥーくんのようにがっしりしているというわけではなくて、無駄な筋肉がなく、線が細い。
 金鹿の学級に所属している生徒にしては珍しく貴族然としている彼は、士官学校でも女生徒に声をかけているのを度々見かけた。軽薄、というと違うんだろう。「僕はグロスタールに相応しい相手を選んでいるからね」と話しているのを耳にした事がある通り、彼は平民や、私のような、彼と比べれば身分の低い、男爵家の娘は決して相手にしない。
 そういう一面とは裏腹に、こと座学や訓練に関しては人一倍真摯に取り組む人だった。彼は同盟貴族である自分に誇りを持っていて、そのための努力を惜しむ人ではない。
 そんな彼が自学級の長であるクロードくんのことを良く思っていないのは、外から見ていても分かった。いや、「良く思っていない」というより、どちらかというと、「認めるまでに至っていない」の方が正しいのかもしれない。そういう意味で自尊心の高い人だ。そしてそれを裏付けするための実力もまた彼には備わっている。ならば今回、彼がこの鷲獅子戦という大舞台で先陣を切ったのは、クロードくんの策ではなく、むしろ逆。その意には反するもので、彼の独断なのではないか――。シルヴァンくんの口にした「どうだろうな」が、そういう思考に私を導いてくれる。そしてそれは、正しかったのだ、実際に。
 微かに首を傾げ、ローレンツくんは笑った。「囮など」深い紫色の、良く手入れされた髪が、柔らかく風に靡いていた。



「敵とは言え、貴族たる僕がそのような卑怯な手段をとるものか。僕は正々堂々、君たちに勝負を挑みに来たのだよ」



 空気を裂くように通るその声の背後に、光の照り返しがあった。そこから放たれた矢が、ローレンツくんの脇腹をすり抜ける。
 私がそうしたのは、ほとんど反射だった。
 剣を持った腕を咄嗟に伸ばした。メルセデスちゃんの胸元目掛けて飛んだ矢が、私の剣の切っ先に触れ軌道を変える。「っ!」鈍い痛みと痺れに、声にならない声が漏れた。矢を受けた衝撃で私の手から離れた剣が空を舞う。



!」



 私に流れ矢が当たったと勘違いさせてしまったのだろう。メルセデスちゃんが手を押さえる私に駆け寄るから、私は小さく首を振った。一方で、彼の足元に落ちた剣をフェリクスくんは無言でこちらに放り投げる。その目が「立て」と言っているように思えた。そうでなくても、私は立たなくてはいけなかった。そこに新たな声が加わったから。



「もー。ローレンツくん、前に出すぎー」

「や、やっと追い付きました……」



 木々の間を縫って現われたのは、金鹿の学級に所属する二人の生徒だった。可憐な桃色の長い髪を高く結った女の子が、ゴネリル家の息女であるヒルダさんで、弓を抱えたまま息を切らしているのがイグナーツくんだ。ローレンツくんが進軍途中で速度を緩めたのか、或いは援護に回ったこの二人の行動が早かったのか。彼らの合流を許してしまった以上、そう簡単にはここを突破できなくなってしまったことになる。
 振り向いたローレンツくんが、何か二言、三言、こちらには聞こえないような声量で二人と言葉を交わしている。まだ兵を隠しているかもしれない金鹿と違って、少なくとも私たちはすぐには援軍は望めない。ならば、時間をかけることはできないだろう。フェリクスくんとシルヴァンくん、メルセデスちゃん、それから私で、どうにかしなくては。
 フェリクスくんが煩わしげに舌打ちしたのが、風の音に紛れず耳に届いた。そうしたとき、握りしめた剣の柄が、汗でじとりと湿っていることに気がついた。








「……どうしたもんかねえ」



 この森からでは、平原の全体は見通せない。
 この手に与えられたものだけで戦いに勝利する。そうは言ったものの、端から不利であることは誰の目から見ても明らかだろう。いや、俺達が不利というよりも、青獅子の連中が「持ちすぎている」と言った方が正しいか。
 今に始まったことじゃあない。担任が決まった春に、もうそれはきっと決まっていた。灰色の悪魔として名を馳せた元傭兵教師、レアさんのお気に入りで、天帝の剣なんていう英雄の遺産に並ぶような武器を与えられた、選ばれし人間。あの先生が隣に立っててくれたら、俺ももっと楽ができたろうに。なんて、とんでもない無い物ねだりだな。
 仕方ないとは言え、ハンネマン先生が鷲獅子戦への不参加を表明したのも、こっちとしては誤算だった。



「だが我輩が居ない方が、君の経験にもなるだろう?」



 先生はそう見透かすように言ってくれたが、実際その通りとは言え、難しいもんだよ。乾いた笑いが、口の端に浮かんで消える。
 砦の南部、黒鷲の学級とぶつかった地点では、ラファエルとレオニーが上手くやってくれているらしい。拮抗しているとの報せは、ヒルダが前線に向かって暫く経った頃に入ってきた。間もなく青獅子もその戦闘に加わるだろうが、南に向かうのにまだ他学級の兵が残る東か西を迂回していずれかの学級の挟撃をするような手間はかけないはずだ。少なくとも、俺だったらそんなことはしないからな。
 かといって、青獅子側も東から攻め込まれている以上はそちらに兵を割かなければならない。南に注力できる状況じゃあ、間違ってもないわけだ。
 木々の切れ間の先にその姿を見せている砦を、漫然と見据える。
 あれが戦争でも使えるようなまともな砦であれば良かったんだろう。だがあの作りじゃ、四方から自由に攻め込んでくれと言っているようなもんだ。弓砲台が一台あったところで、その不具合を補うのに全く足りない。……まあ、敵が減ってきた頃合いを見計らって奪取するっていうのは理に適ってるんだがな。
 もしもローレンツたちが東に振られた青獅子の奴らを倒してそこを突破できりゃあ、砦を制圧し、そのまま南部に向かっている連中を挟撃することが可能だ。そうすれば一気に戦況がひっくり返るだろう。ただしこれは、最善の上を行った場合に限る。そうなった場合が一番困ることくらい、ベレト先生も分かっているはずだ。つまり青獅子が東に差し向ける戦力は南と同等か、下手したらそれ以上。そこをこじ開けられるとしたら、余程こっちに運があるか、向こうの隙をつくかしなければならない。
 よって一番可能性が高いのは、東からの突破が上手く行かなかった場合だ。
 そうなったら、戦っていた青獅子の生徒をこっちの森へ誘導する。ローレンツたちを退けたルーヴェの連中に南に回られることが、こっちとしちゃあ一番厄介だからな。何人いるかは定かじゃないが、森までつれれば、一人くらいは「戦闘不能」にまで持って行けるだろ。



「……よし」



 脳内にできた一本の道に灯りが灯されるような感覚に、空を見上げる。頭上に飛ぶ鷲を眺めれば、それは遥か西、エーデルガルトのいる陣へと向かっていった。


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