「あらら。クロードくん。砦、取られちゃったみたいよー?」



 森の開けたその先、高台になるように作られた中央の砦を、手で庇を作りながら見るヒルダは、その内容とは裏腹に差し迫った様子の一つも無いまま口にする。
 木々の隙間から差す陽は、秋めいて白々としていた。農耕には適さない荒れ地らしいが、それでも充分、この辺りの土は軟らかい。草いきれの匂いを吸い込みながら、ヒルダの隣に並び立ち、視線の先を見る。



「そうだなあ……」



 取られたな。
 弓砲台による攻撃がぴたりと止んだのがその証拠だ。こちらにまで届いていた、戦場特有のうねりのような怒号も今は静まっている。やがて砦に掲げられるようにはためいた旗の濃い青は、外衣を翻す獅子王を彷彿とさせた。ディミトリたち青獅子の学級が、上手くあそこを押さえたのだろう。
 あそこは元々黒鷲の学級――ベルナデッタが主軸になって防衛していた砦だ。戦力がぶつかりあうところと言えば、まずはあの砦だった。勿論、素直に考えればな。ひょっとしたら砦に続く橋ではなく、俺たちの学級が陣を広げた森林地帯に繋がる橋を渡って黒鷲の学級との挟撃を狙ってくるんじゃないかと考えて、そちらにもイグナーツを筆頭に人数を割いて置いたんだが……俺ほどひねた考えをしている生徒は、あちらにはいなかったらしい。
 川を挟んで南に陣を作っていたディミトリたちと、森林地帯に広く兵を配置した俺たち。方や橋を渡らなければ砦には向かえず、方や木々に進行を遮られてしまうという状況で、どちらが先に砦に到達するかはディミトリたちの出方次第でもあったわけだが、結果を見ればあちらに軍配が上がったことになる。
 あそこに設置されている弓砲台はまあ便利な代物ではあるが、射程にさえ気を付ければ恐れるもんでもない。あちらさんも、どこに身を潜めているか分からないような森に闇雲に矢を放つよりも向こうの黒鷲を狙うはずだ。だから、まあ良いのだ。俺達が森林地帯にいる以上、砦をどこが押さえるかなんてのは、些事だ。
 問題があるとしたら、俺の指示を待たずにあの砦の奪取へ向かった奴らがいる、ってことだろう。
 口の端からため息が漏れそうになるのを、息を止めて堪えた。
 こればっかりはな。この半年で、信頼に足る存在になれなかった俺が悪い。特にローレンツはグロスタールの嫡男として、俺が将来の同盟をまとめるに相応しい人間であるかを見極めようとしている。そんで、できれば不足した男であれ、と思っているんだろうな。全く難しい男だよ。そんなやつが、この大舞台で俺の指揮のもと素直に戦うか、と問われれば、それは否なのだ。



「どうするの? クロードくん」



 振り向いたヒルダの大きな瞳が、真っ直ぐに俺を見据えている。
 突出したローレンツの援護には、既に何人かが回っている。砦の南では、運悪く黒鷲の学級とぶつかった部隊もあるみたいだ。
 初っぱなから、どうも上手くいかない。「下準備」も済ませた以上、本当だったらこの森林地帯に何人かつりたいところだったんだがな。
 これが本物の戦だったら、鷲と獅子の争いを眺めているのも悪くはない判断だった。戦いで弱った奴らに俺達がとどめを刺す――。ま、だとしてもローレンツを助け出すために兵を動かす必要はあっただろう。
 「伝統ある鷲獅子戦」でなければ、の仮定の先と、今が混ざり合って、僅かに思考が鈍った。軽くこめかみを押さえ、目線を落とす。手の内にあるものだけを考えろ。兎に角多くの敵を戦闘不能にすること。逆を言えば、こちらもなるべく多くの駒を生かさなくてはならない。畢竟、ローレンツが落とされるのはまずい。



「……ローレンツの援護をしつつ、可能であれば砦を奪取。難しそうなら仕方ない。一旦ここまで撤退だ。なるべく何人かひきつけた上でな」

「えー? わざわざこっちに引きつけるの?」

「流石に二学級を相手にするのは骨が折れるだろ? 黒鷲の学級もあの砦の奪還に向かっているだろうし、わざわざ混戦にするのはな。戦力を分散させて叩く。何事も堅実に……ってな」

「ふうん。堅実ねー」



 曖昧に笑うヒルダは、恐らく俺の腹に何かがあることを察しながらもそれ以上は尋ねない。それが俺には、救いのようにも思えてしまう。
 戦いなんて勝てば良いのだ。どんな手段を使っても。どんな経過を辿ろうと。最後に立っていたやつが勝つ。正々堂々、なんて、恵まれた人間の口上だろ?
 出だしは躓いたが、折角の鷲獅子戦だ。
 今の俺たちがどこまでいけるか試すのも、悪くない。








 砦の奪取に成功したは良いけれど、そのままそこが主戦場となるだろうことまでは考えていなかった。いや、考えていなかったのは私だけで、幾多もの戦場を潜り抜けてきた過去を持つ先生はきちんと読んでいたんだろう。「すぐに防衛の準備を。アッシュ、弓砲台の使い方は分かるね」って、顔色一つ変えずに指示を出しているくらいなんだもの。
 四方が階段になっているこの砦は、どう考えても防衛には向かない。元々鷲獅子戦のために作られたもので、例えば他国から攻め込まれたときの防衛砦として機能するようには考えられていないはずだ。(それに、他国からの防衛という意味ならば、この南にあるはずのメリセウス要塞で充分だった。そこが戦場となることすらも想像しにくいけれど。)
 それでもここを守り切らなければならないのは、そうでなければ私たちに勝ち目がないからだ。一度ここを奪取した以上、放棄するわけにはいかない。最初から後方で陣形を整えていた黒鷲の学級と違って、私たちはこの砦を奪われてしまえば再び川の向こうに後退するしかなかった。そこで再び態勢を立て直すとしても、この鷲獅子戦の勝敗が「他学級の生徒をどれだけ撤退に追い込んだか」である以上、手遅れであることは明らかだ。つまり私たちは、包囲されながらも戦うしかないのだ。



「アッシュとイングリットは西の天馬部隊を。南は……一部、黒鷲の学級が金鹿の部隊と交戦しているようだ。ディミトリとドゥドゥーで応戦して、可能ならば金鹿の生徒も叩いてほしい。アネットとフレンはその援護を」



 砦の上から他学級の動きを見て、先生は私たち一人一人に声をかけていく。籠もるのに適さない名ばかりの砦である以上、そこを起点に戦力を分散せざるを得ないのだろう。
 先生のその目が東からの、金鹿の学級の先遣隊に向けられる。「ローレンツか」ほとんど独りごちるようなそれは、グロンダーズの空気に混じって、きれいに溶けて消えて行く。
 馬を操るローレンツくんは、森を抜けそのまま砦へと直進していた。それはもう、ほとんど突出していると言って良いくらいに。クロードくんの指示による、陽動だろうか? だけど、森からは何人かの生徒がローレンツくんを追うようにその姿を現している。
 先生はシルヴァンくんを手招きすると、彼の耳元で何かを囁いた。恐らく、指示を出しているのだろう。その口元に耳を近づけるように、微かに屈んだシルヴァンくんが何度か小さく頷くのを、視界の隅に入れていた。「フェリクス、。それからメルセデス」次に呼ばれるのが、恐らく自分であることを薄々察していたから。



「シルヴァンと一緒に、東を頼む」



 役割を与えられてしまえば、もう、怖いだなんて言ってられなかった。
 「わかったわ〜」とのんびり頷くメルセデスちゃんの言葉に被さるように、「はい!」と口にする。無言で東を見下ろすフェリクスくんの目は、どこまでも鋭い。
 砦の東、金鹿の学級が広く陣を構える森は、砦から見下ろすと所々土肌が見えていた。だというのに、肝心の本隊らしき部隊は見えない。緊張を紛らわすように、制服の裾を掴む。南へと伸びる階段へと向かう殿下がすれ違い様私の肩にそっと触れて私の名前を呼んだのに、すぐに反応できなかったのは、身体も、思考も、何もかもが強張っていたせいだった。



「……無理はするなよ」



 私の返事を待たず、殿下は槍を構え、駆け出した。
 思わず振り向いたその先で、殿下の肩の青い外套は、鷲獅子の野に吹く風に柔らかく靡いていた。


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