何と恐ろしいことに、私は砦への進軍時、殿下とフェリクスくんと共に最前線の部隊に入れられてしまった。



「こういう場でなければ、お前は一体いつ経験を積む。一応は剣士だろう」



 青ざめる私にフェリクスくんがそう眉根を寄せて口にしたことを思えば、もしかしたら私の配置について提言したのは彼だったのかもしれない。殿下は「状況を見て、適宜後衛に下げることもする」と取りなしてくれたけれど、フェリクスくんは「甘やかすな」と切り捨てるように短く言うのみだった。フェリクスくんの言葉は、正論だった。いつだって。
 実際、フェリクスくんの言う通りなのだ。確かに武器の扱い方も知らなかった春に比べればずっとましにはなったけれど、私の経験不足は誰が見たって否めない。ダスカーでの戦いでは毒矢を受け動けなくなってしまったし、フレンちゃんを救出するときもハンネマン先生の手伝いで戦場に出る機会を失った。聖廟が襲撃を受けたときもそうだ。それから、つい先日ゴーティエ領でシルヴァンくんのお兄さんの元にいたという賊らが略奪を繰り返しているという報があった際も。あの時は急だったせいもあり、武器を持つ以前にガルグ=マクで待機を言い渡された。実戦経験の少なさを、こういった場で補う必要があるのは、間違いなく私だった。
 「安心してついてきてくれないか」と、殿下が前もって声をかけてくれたのは、だから、このためでもあったのだろう。前線に放り込まれる私への鼓舞であり、激励。特別なんかじゃない、って分かってはいたけれど、それでもちょっとだけ心が萎びてしまう。
 そんな自分を自覚した瞬間、慌てて首を振った。萎びようが、落ち込もうが、今はこの舞台で剣を握らなければならない。そう、経験を積むのだ。フェリクスくんの言う通り。
 両手で頬を叩いたら、ぱん、って、案外小気味良い音が響いてしまった。開戦の報せを待ち、真っ直ぐ前方の丘を見据えていた殿下の視線がこちらへと向けられる。



「……が、がんばります」



 目が合った気恥ずかしさを誤魔化すように、どうにか笑ってそう言った。殿下はその眦を眩しそうに細めて、小さく頷くだけだった。








 騎士団による金管楽器の音が、開戦の合図だった。



「突撃だ!」



 槍を掲げた殿下の声は、広い戦場にどこまでも響き渡っていた。
 殿下は弓砲台からの矢が降り注ぐ中フェリクスくんと共に先陣を切って橋を渡り、電光石火の勢いで黒鷲の学級が押さえている砦を強襲する。フェリクスくんは、多分わざとなんだろう。砦前の防衛を任されていた数人の生徒を素通りし階段を駆け上ったから、後に続いていた私が彼らの相手をしなくてはならなくて、参った。アッシュくんたち後方からの支援がなかったらもう少し手間取っていたか、もしかしたら私の方が撤退に追い込まれていたかもしれない。マヌエラ先生が言っていた通り、彼らもまた鷲獅子戦に相応しい戦いができるよう、きちんと鍛えられていたのだった。そうなると、同様にこの砦に向かっているはずの金鹿の学級の生徒たちも手強いだろうことは想像に易い。



「増援が来る前に制圧を急いで」



 珍しく後方から指示を出す先生の声を拾いながら、私もまた砦の頂上へと続く階段を駆け上がった。
 鷲獅子戦っていうのは、勝ち残ればそれで良いというわけでもないらしい。肝要なのは、多くの敵(この場合、他の学級の生徒のことである)を戦闘不能にすること。こそこそ隠れて他の二学級の相打ちを狙い、おこぼれをもらう戦い方では勝利が遠ざかる。正々堂々、正面から二学級の生徒たちを相手取り戦うことが求められるのだ。だから、私が心配していた「他の二学級による協力」っていうのはあまり意味を成さないらしい。
 それでも先生は、兵力を分散して戦うことを避けた。まずは金鹿の学級よりも先に、一丸となって砦を奪い、守りを固めながら戦況を見極める。開戦前、そういう指示を私たちに出したのだった。



「ぎゃ、ぎゃぁぁあ!? もう!? もう来るんですかぁ!?」



 砦を任されていたのはベルナデッタさん他、数人の生徒たちだ。
 ベルナデッタさんは、帝国貴族であるヴァーリ伯の御令嬢だ。小柄で、非好戦的であるのは誰の目から見ても分かる。普段あまりガルグ=マクで見かけることがないのは、自室からほとんど出ないためだと聞いてはいるけれど。真っ先に集中砲火を浴びるのが目に見えていたとは言え、弓の扱いに長けているために弓砲台のあるこの砦に配置されていたのだろう。あまりの怯えっぷりに、何だか居たたまれなくなってしまった。
 あっという間に距離を詰められたベルナデッタさんは、弓砲台を放棄し、それでも弓を引いて応戦しようとする。しかし近接戦で殿下に敵うはずもない。殿下の槍を紙一重で避けた拍子に、弓砲台の土台に足を引っかけ「んぎゃっ」という悲鳴と共に転倒してしまった。殿下はぐるりと槍を半回転させると、尻餅をついたベルナデッタさんのお腹にその柄を押し当てる――。
 ところまでは視界に入っていたのだけれど、私も悠長に殿下の戦いを眺めてばかりもいられなかった。黒鷲の学級もせめてここで一人でも潰しておきたいと考えているらしく、一人の生徒が私に狙いを定めて切りかかってきたのだ。



「わ、わわっ」



 剣がぶつかり合い、鈍い音が響く。力任せに剣に体重をかけられるから、握った剣の柄が肌に食い込んで、ともすれば鬱血しそうだった。身体の大きな男の子だ。足は踏ん張りが利かず、僅かに石畳を滑る。食いしばった歯の隙間から、「ぐぎ」って、自分のものとは思えない声が漏れた。
 腕が千切れそうに痛い。手首が折れそう。
 いくら救護用の天幕が用意されていて、怪我人はすぐに治療を受けることができると言ったって、なるべく怪我はしたくない。でも、それ以上に、負けたくないのだ、私だって。
 それでも押し負けてしまいそうになった瞬間、視界に何かが映る。私と戦う男の子の、その背をフェリクスくんが切りつけたのだと気がつくのに、時間はかからない。
 低い悲鳴と共に、重ねていた剣が軽くなった。頽れたその身体の先で、フェリクスくんが眉根を寄せて私を見る。「ご、ごめんなさ」言いかけた言葉を、彼は簡単に遮った。



「……こういう手合いと馬鹿正直に力比べをするな、阿呆」



 受け流して態勢を崩したところを斬れ、と。その正論に、ぐうの音も出なかった。








「この砦、貰い受けても良いだろうか」



 殿下がベルナデッタさんに尋ねたその声を、私はだから、聞き漏らしてしまっていた。
 弓砲台の足元に尻餅をついたベルナデッタさんは、槍の柄の押し当てられたままの自分のお腹だけを凝視しながら、身動ぎの一つもしない。いつそれが自分の腹を貫くのかという妄想(しかし彼女からしてみれば、それは起こり得る可能性の充分高い予測である)に囚われていたのだろう。彼女が気絶していることに殿下が気がついたのは、そのまま数秒ほど経った後のことだった。
 部隊の最後尾にいた先生が砦に到達したその時、私たちは第一目標であったこの砦の奪取に成功したことになるのだけど、休む間はなかった。予想通り、金鹿の学級の先遣隊と黒鷲の学級の増援が、砦の頂上より視認されたのだ。
 東と南、二方向からやって来る敵勢に、思わず先生を見る。先生は唇を引き結んだまま、思案するようにその目線を落としている。


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