北西に陣を構える連合軍は、統率が取れていないながらもダスカー兵を追い詰めていた。救援として駆けつけた私たちは、東西に伸びる登山道を利用しながら連合軍と共にダスカー兵を挟撃する――という風を装って、ダスカー兵をこの戦場から離脱させることを目標に、進軍を開始する。
そのためには、王国軍よりも早くダスカー兵と戦闘に入らなければならない。元より戦意を喪失しているような相手であれば離脱を勧めることは難しくないだろうけれど、王国軍に対して敵意を剥き出しにしている彼らを逃がすには、まず武器を交える必要があった。
「ああいう手合いは、一度実力の差を思い知らせた上で、こちらから見逃すという意思を見せた方が早いよ。……今の彼らは視野が狭くなっているから」
要するに、冷水をかけるのと一緒、と考えれば良いのだろうか。先生の言葉に頷きながら、そんなことを考える。
実際、殿下や先生、フェリクスくんらと武器を交えたダスカー兵は、彼らに致命傷には至らない程度の傷を負わされた後、自らにとどめを刺すことなく武器を下ろす彼らを不思議そうに見つめていた。
「おれたちを、殺さないのか……?」
ゆっくりとした、少したどたどしい声だ。
彼らは私たちが王国軍の部隊ではないこと。この戦場から逃がす意思があることを知ると、傷口を押さえたまま、短い礼と共にこちらに背を向ける。何度かこちらを振り返るその目は、微かな疑念が残っているようだったけれど、最後にこちらを振り返ったときにはもう、それは完全に消え失せていた。
元々このゲネウラを越えた先で暮らしていたダスカーの民にとって、ここは勝手知ったる山なのだろう。見晴らしの良い地であるのに、彼らは王国軍に見つかるよりも先に、その身を疎らに生えた木々の間に滑り込ませる。もしも軍隊としてきちんと鍛えられていれば、或いは作戦系統に応じて統率のある動きが取れていれば、この戦場においてという限定的なところではあれど、彼らは王国軍を出し抜くことも成しえるのではないかと思えた。総じて体格の良いダスカーの民は、身体的な面が私たちよりも遥かに秀でていた。
そんな彼らを相手に、加減をしつつ戦えなんて言われても私には難しい。一度山を北上した後、そのまま西へと進む部隊へと割り振られた私は、ドゥドゥーくんとフェリクスくん、フレンちゃんと共に進軍をしていた。
ダスカー地方に向かうと知ったセテス様は、それはそれは心配して、なんなら「お前はガルグ=マクに残ったらどうだ」とフレンちゃんに声をかけていたのだけど、フレンちゃんは「ま! お兄様。わたくし、もう先生の学級の一員なんですのよ? それにわたくしだって、少しは皆さんのお役に立てますわ」と笑ってそれを躱していた。実際にフレンちゃんは魔法の扱いに長けていて、私たちの負った怪我だけでなく、王国軍によって瀕死の重傷を負わされたダスカー兵を見かけては足を止めて、その傷を癒してあげていたのだ。
「もう大丈夫ですわよ。ね、すっかり元気になりましたでしょう?」
服が汚れるのも厭わず、血溜まりの広がる地面に膝を着くフレンちゃんは宛ら聖母のようだ。「はぁ……それくらいにしておけ。進軍が遅れる」と舌打ちするのはフェリクスくんだったけれど、彼は決してそれ以上急かすことはしない。むしろ無防備なフレンちゃんを守るように、周囲を警戒しながら「おい、、犬。お前達は先に行け」と私とドゥドゥーくんにそう告げた。
フェリクスくんはドゥドゥーくんを、犬と呼ぶ。
「そのまま西へ進めばすぐに王国軍と合流することになるだろう。ダスカー兵のほとんどは猪たちの方に群がっているからな……。道中の孤立したやつらを任せる」
私だけを見据えてそう言うフェリクスくんは、最後にドゥドゥーくんをちらりと一瞥した。それだけで、彼はもう何も言わなかった。「わかった」と短く言うドゥドゥーくんは、すぐさま踵を返し、西に広がる王国軍の方へと大股で向かっていく。「ま、待って!」と追いかけたとき、隆起した地面に足を引っかけて、危うく転ぶところだった。ドゥドゥーくんは小さく悲鳴をあげた私を、振り返りもしない。
ドゥドゥーくんは、いつもより少し気が急いている。当たり前だ。自分の故郷の同胞たちの命がかかっているのだから。誰から見たって、勿論ドゥドゥーくんから見たって、これは無益な戦いだ。ダスカーの民はこの反乱で何も手に入れることはないし、何も取り返せない。命がぽろぽろと落ちていくだけ。それとも、ダスカー兵からしたら、誰か一人でも殺せたらそれで良いのだろうか。その襟首を掴んで、一緒に地の底に引きずり下ろすことができれば、それで良いのだろうか。そんな復讐、悲しすぎる。
荒涼とした山肌に残る野原を抜ければ、もうすぐで王国軍と合流する。そこでの戦闘はまだ多少は続いているようだったけれど、ダスカー兵の数が明らかに少なくなっているのを受けて、部隊は少しずつ撤収を始めているようだった。
「……殿下たちが上手く逃がしてくれてるみたいだね」
「…………」
「これだったら、王国軍の本隊も参戦することはなさそう。……良かった」
小さく息を吐いたとき「まだ気を抜くな」と声をかけられて、ちょっとだけびっくりした。前方を歩くドゥドゥーくんはやっぱりこちらに目線を寄越すことはしないけれど、その全身が周囲を警戒しているのが分かる。彼が気を張り巡らせていることが分かって、思わずぎゅ、と唇を閉じて、息まで止めてしまった。私の足音がその警戒の妨げになるのは間違いなくて、申し訳なくすらあった。
やっぱり、ダスカーの人がランベール王を殺したっていうのは、嘘なんじゃないかな。
ドゥドゥーくんの背中を見ながら、そんなことを考える。
嘘だから、殿下はダスカーの人たちを助けようとしている。ドゥドゥーくんを傍においている。――突飛かな。
考え込んでしまいそうになるけれど、戦場で思案する必要はないだろうと首を緩く振る。それから「道中の孤立したやつらを任せる」というフェリクスくんの言葉を思い出して、周囲に視線を巡らせた。ダスカー兵らしき人影は、けれど付近にはない。王国軍に殺されてしまったのだろうか、それとも自主的に撤退を始めたのか。いずれにせよ、このままでは私たちは殿下たちよりも早く王国軍に合流することになるだろう。そこでやるべきことと言えば、指揮官に残存兵はこちらが引き受けるという旨を伝えることくらいだろうか。
上手く話せるかな、と思うと少しだけお腹が痛くなったけれど、ダスカー人のドゥドゥーくんが伝えるよりは私が話した方が角は立たないはずだ。……勿論、私みたいな小娘が話したところで聞き受けてもらえるかというと、五分五分と言ったところなんだろうけれど。
でも、それくらいはしなくっちゃ。
私の剣は、ほとんどきれいなままだった。今日ダスカー兵と武器を交えたのは、指で数えられるくらい。それも大体フェリクスくんに助けてもらってたし、一方でフレンちゃんみたいに別のことで役に立てたわけでもない。ダスカーの民への説得も、ドゥドゥーくんが全てしてくれた。今回こうして作戦が上手く行ったのは喜ばしいことだけど、やっぱりもう少し頑張らなくちゃいけないな。
自省のため、足元に視線を下げたときだった。「」と、目の前を歩いたドゥドゥーくんが、どこか張り詰めたような声で呼んだのは。
「え?」
顔を上げた瞬間、ドゥドゥーくんに腕を引かれる。途端、肩口、背中のあたりに鋭い痛みがあった。頭の芯が痺れて、一瞬訳が分からなくなる。耳元で低い声が聞こえた。「く……っ」って、苦々しい声が。ドゥドゥーくんが発したものだなんて、すぐには分からなかった。
ドゥドゥーくんは私を引っ張ったのと同じ手で、すぐに斧を構えたようだった。私はと言うと、ドゥドゥーくんに強く引かれたせいで、身体の軸を崩してそのまま地面に倒れ込んでしまう。顔面を擦りむいて、それがすごく、びっくりするくらいに痛かったのに、それよりも背中の方がずっと痛かった。
目の前が白黒に点滅して、何も考えられなくなる。空を切る、もうこの半年ですっかり聞き慣れてしまった武器の音が響いている。うつ伏せに倒れ込んだままの私は、今この場で何が起きているのかを、きちんと判別することができない。