ダスカー地方で反乱が起きたという報せが殿下の元に届いたのは、角弓の節の終わり頃のことだった。
 ダスカー地方とは王国の西北端、聖なる山と呼ばれるゲネウラを越えた先にある周囲が海に囲まれた地で、今はクレイマン子爵が治めている。珍しい鉱物が取れる以外は取り立てて何もない土地だとドゥドゥーくんが漏らしたのを聞いたことがあるけれど、故郷を失った彼の目は、いつもどこか遠いものを見ているように、寂しい。
 ダスカーの民は、今はもうほとんどこのフォドラにいない。その罪の責を問われ、王国軍により多くが虐殺されてしまったのだ。
 「国王殺しの罪」のために。
 四年前、当時のファーガス王であるランベール王がダスカー人の手によって殺されてしまったことは、王国民の記憶に新しいだろう。それどころか、あれは今も生々しい傷となって人々の胸に残り続けている。ダスカーの悲劇と呼ばれる一連の事件によって家族を、友人を、恋人を失った人は多く、それは現在進行形で膿み、瘡蓋になることもないまま存在している。
 ダスカー人への憎しみを今も尚抱える人々、或いは差別することに慣れてしまった人々により、ドゥドゥーくんは今も謂われのない言葉を向けられていた。どうしてガルグ=マクにあんな男がいるのか。ダスカー人は信用できない。ここで起きる全ての騒動や問題は、全てあの男のせいに決まっている――。
 ドゥドゥーくんはそれでも、じっと目を伏せるだけだった。それが痛々しくて、どうにかしてあげられたらって思うのに、ドゥドゥーくんは首を振る。私の気持ちはお節介で、余計なお世話で、彼からしたら良い迷惑であるらしい。そういうドゥドゥーくんの気持ちをきちんと受け止めて、割り切れるくらい器用な人間だったら良かった。
 そうしたらドゥドゥーくんを困らせることもなかったのに。








「反乱」



 殿下は、ダスカーの民が起こした反乱の仔細を王国からではなくレア様から聞かされたらしい。ドゥドゥーくんと殿下が教室の隅で話をしているのを偶々立ち聞きしてしまって、思わずその単語を口にしてしまった。壁の方を向いていた二人の視線が、こちらに向けられる。
 ダスカー人による反乱がファーガスで起こったなんて一大事ではないだろうか。そう思うのに、殿下もドゥドゥーくんも、やけに落ち着いているように見えた。或いは、そうあるように努めているだけだったのかもしれないけれど。



「……ああ、良かった。か」

「あ、あの、すみません、立ち聞きをしてしまって。その、また反乱……が起きたんですか?」



 眉尻を下げる殿下と、ほとんど表情もないまま私を見下ろしているドゥドゥーくんの顔を交互に見る。
 反乱と聞いて脳裏を過ぎるのは、ロナート様のことだ。
 ダスカーの民が起こした反乱であるならば、恐らく対象は彼らの故郷を治めているクレイマン子爵家、そうでなくても王国に向けてのものであることは間違いないだろう。教団が鎮圧に向かうこともなければ、その粛正に積極的に関わることもないはずだ。それでも胸がざわざわして落ち着かなくて、思わず胸のあたりを押さえる。



「ああ。クレイマン子爵から救援の要請があって……。俺はこれから、レア様のところへ行ってくるよ。ドゥドゥーとは、先生を捜しておいてもらえるだろうか」

「……殿下、それは」

「頼んだぞ」



 有無を言わせない、殿下にしては強い声色だった。ドゥドゥーくんの肩に軽く触れ、殿下は教室を出て行ってしまう。残された私は、ドゥドゥーくんの横顔を見上げた。
 ダスカーの民がクレイマン子爵に対して反乱を起こしたなら、恐らくそれは、領土奪還を目論んでのことだろう。その救援要請が教団、それから恐らくファーガスにも出ている。この状況で殿下がレア様に会いに行く理由、それからベレト先生を捜させる理由を考えれば、殿下が何をしようとしているか、というのは、自ずと浮かび上がってくるけれど。
 殿下は、反乱の起きた地に駆けつけるための許可を取りに行ったのだ。
 ドゥドゥーくんは、殿下の後ろ姿をずっとその目で追っていた。差し込んだ光のせいか、眩しさに細められたその瞳は、青く澄んでいた。
 私がダスカーの悲劇について知り得ているのは、一般人に広く知られている事実のみだ。ダスカー人の起こした事件であり、結果ランベール王や側近、多くの兵士が命を奪われたこと、殿下もそれに巻き込まれ、瀕死の重傷を負ったこと。ファーガスに住まう人々がそう信じているように、私もそれを疑ってはいない。
 だけど、殿下がドゥドゥーくんを傍に置いて、信頼している以上、私もドゥドゥーくんを拒絶したくなかったのだ。……それは勿論、私がダスカーの悲劇によって身内を失ったわけではないからこそ言えることなのかもしれなかったけれど。
 殿下の背が見えなくなった頃、黙って教室を出ようとするドゥドゥーくんを慌てて追いかける。



「待って、ドゥドゥーくん!」



 ドゥドゥーくんは、それでも立ち止まらない。教室を出て、右手にある食堂の方へと向かう。迷いのない足取りに、もしかして先生がいるところに心当たりがあるんじゃないかと思った。小走りで駆けて、ようやく追い付く。「一緒に」って言いかけた私にドゥドゥーくんは、「先生を捜すなら、手分けをした方が早い」と、低く言う。
 それは、確かにそうだ。私だって実際これがイングリットちゃんやアッシュくんだったら迷わずそうしただろう。わざわざ非効率な手段を取る必要なんかないのだから。大修道院の中にいる先生を一緒に捜す、なんて、そんな馬鹿みたいなことをしようとしていた自分自身にびっくりして、思わず目を丸くして「ああ」とだけ口にし、一つ頷いた私に、ドゥドゥーくんはその眉根をそっと寄せる。
 私は、なんだかんだ理由をつけて、ドゥドゥーくんと色々お話がしたいのだろう、そう思う。折角同じ学級になったんだもの。私はダスカーに産まれた彼の話が聞きたい。彼本人に向けられた侮蔑の目を、誹謗を、少しでも減らしたい。壁になりたい。同じ学級の、お友達として。殿下がそうしているんだから。
 ダスカー人だからといって彼を疎ましがる人たちの目が、いつか覚めるように。
 だけど、ドゥドゥーくんは首を振るのだ、今も。意識を失ったモニカさんを抱きかかえた彼が、決して私に目を合わせなかったように。



「おれとはあまり話さない方が良いと、以前も言ったはずだ」



 ドゥドゥーくんの声は静かで、思慮深くて、だからか一層私の胸を深く突き刺していく。



「…………おれのことを、良く思わない人間の方が多いのだから」



 その時私は、つい先ほどの殿下の言葉を思い返していた。
 教室で、ドゥドゥーくんと二人声量を落とし、壁に向かって話をしていた殿下は、私の存在に気がついたとき、「良かった」と言った。「良かった。か」と。あれは、そこにいたのがダスカーの民に対して大きな反感を持っていない私だったからだ。
 士官学校で学ぶようになって半年近くが過ぎた今、何も知らないふりなんかはできない。ガルグ=マクには、いや、青獅子の学級においてですら、ドゥドゥーくんを疎ましがる人はいる。ドゥドゥーくんからしたら、おかしいのは私の方だ。







 その時名前を呼ばれて、振り向いた。そこにはイングリットちゃんがいた。私のことだけを真っ直ぐ見つめるイングリットちゃんは、私の隣に立つドゥドゥーくんには、決して視線を送らない。



「何をしているんですか? 。アッシュが捜していましたよ」

「え、あ、でも」



 ドゥドゥーくんが食堂へと向かって歩き出すのを、視界の端で感じ取る。そんな私の腕を、イングリットちゃんが掴んだ。いつも温かいその手は、今、思わず息を止めてしまうくらいに、ひんやりとしている。



「行きましょう」



 半年前に出会って、それから仲良くなったイングリットちゃんの過去を、私は詳しくは知らない。けれど彼女がドゥドゥーくんにだけは話しかけないこと、目を合わせないことを思えば、それらしい理由を当てはめることはできた。いくらでも。
 目線をドゥドゥーくんに送っても、彼は振り向かなかった。そもそも一度として、彼が私を振り向いたことなんて、なかった。


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