私と殿下がイエリッツァ先生の部屋に戻って来たとき、先生たちもまた地下へと続いていたその穴から引き返してきたところだったらしい。
 皆の様子を見るに、あの穴の先で何者かと戦いになったことは確からしかったけれど、それよりも驚いたのは、フェリクスくんの腕の中にフレンちゃんがいたことだった。



「フレンちゃん!」



 思わず叫びながら駆け寄った。大きな声を出してしまったというのに、けれどフェリクスくんの腕の中にいるフレンちゃんはぴくりとも動かない。本当にフレンちゃんが見つかるなんて、という安堵と喜び、それから目を閉じたままであることへの不安が一緒になって私を襲う。それでも、その胸が微かに動いていることに気がついたときはほっとした。



「寝てるだけ……?」

「寝ているだけだ」



 フェリクスくんとほとんど同時に言葉を発してしまって、ぎょっとする。私はフェリクスくんとは、未だにどんな風に接していいのかが分かってないのだ。そういう風に変な意識をしているのがフェリクスくんにも伝わっているから、彼の方も恐らく私を煩わしく思っている。多分。今だって思わず顔を上げたら、眉根を寄せたフェリクスくんが分かりやすく舌打ちをするから、どうしようかと思ってしまった。同じ学級で過ごすようになってからもう半年も経つっていうのに、本当に難儀なことだ。
 フレンちゃんはそんな私とフェリクスくんのことなんか全く気がつかない様子で、すうすうと穏やかな寝息を立てている。顔色は少し悪いように思えたけれど、マヌエラ先生と違って外傷がなさそうなことだけは安心だった。



「フレンが見つかったのか」



 そのとき私の真横に立ったのは殿下だった。その双眸に穏やかな光が差し込んでいるように思えて、思わず視線を逸らす。「……良かった、本当によかった」そう殿下は繰り返す。そこには必要以上の親密さが込められているように思えた。ちょっとだけもやっとしてしまって、誤魔化すように胸元を押さえる。そうした後で、嫌な子だな、と思ってしまった。フレンちゃんが見つかって嬉しいはずなのに、私だって物凄く安心しているのに、殿下が同じように感じるのが、ちょっと嫌だ、なんて。そんなのおかしい。
 そうしたとき、自分の左目の脇、丁度さっき、殿下に触れられた部分が急激に熱を持ったように思えた。そこについていた血はここに来る前に拭き取ったから、もう何も残ってないはずなのに、つい触れてしまう。思い出して、落ち着かなくなってしまう。そっと頭を振った。それでも熱は簡単には取れなかった。



「隠し通路の先で倒れていたんです」



 もしそんな風に声をかけられなければ、私はもう少しの間、そわそわしていたかもしれない。
 私と殿下に説明してくれるアネットちゃんは、「犯人には逃げられちゃったんですけど」とちょっとだけばつが悪そうに言った。その髪は、いつもの彼女のものよりも少し乱れていた。アネットちゃんだけじゃなくて、シルヴァンくんも、アッシュくんも、イングリットちゃんも、皆が少し疲れた顔をしていた。制服の裾は土や血で汚れていたし、アッシュくんの矢筒は明らかに矢が減っていた。逃げられたって、皆が無事であるならばそれで良かった。殿下も、似たようなことを口にした。
 あの薄暗い穴の先で、先生や皆はその「犯人」とやらとの戦いになったと考えるべきだろう。犯人は、フレンちゃんを連れ去ろうとしていたのだろうか? 間一髪、敵の目論見(それが最終的に何なのか、っていうのは勿論分からないのだけど)を阻止できた。そういうことだとしたら、今こうしてフレンちゃんがここにいることは、やっぱりどうしたって奇跡みたいだった。



。ところで、マヌエラ先生は大丈夫なんですか?」

「あっ、マヌエラ先生も無事だよ。ハンネマン先生が治療をしてくれたから……」

「ああ、そうですか、良かった……」



 安堵したように胸を撫で下ろすイングリットちゃんと話をしていたときだった。ドゥドゥーくんもまた別の、見覚えのない少女を抱きかかえていることに気がついたのは。
 長い赤毛を二つのお団子にまとめた、華奢な女の子だ。士官学校の制服を着ているようだけど、こんな子、いただろうか? 私の視線から疑念を察してくれたのか、アッシュくんが説明してくれる。



「彼女もこの奥にいたんですよ。意識を失っているようだったので、一緒に保護したんですが……」

「この子、一体誰なのかしら〜? 見覚えがないのよね〜……」

「ね。一体誰なんだろう?」



 ドゥドゥーくんの腕の中で眠る少女と、フレンちゃん。敵には逃げられたとのことだったけれど、とりあえず今は二人を医務室へ運ぶべきだろう。詳しい話は、後からで充分だ。今だったら、きっとまだハンネマン先生も医務室に残っていると思うから。そう伝えれば、知らない女の子を抱えたドゥドゥーくんが私と目を合わせることのないまま、けれど小さく頷いて部屋を出て行く。
 その後に続くフェリクスくんに自分もついていこうとしたとき、部屋の隅でその様子を見ていた先生の顔に目が留まった。あれ、と思ったのだ。ベレト先生が、安心したような、柔らかい目をしていたように思えたから。それは、これまでの先生が見せたどれよりも穏やかなものに見えた。
 けれど改めて先生の顔をきちんと見ようとしたときには、先生はいつもの表情に戻っていた。感情の濃淡のない瞳に。それはもしかしたら、殿下が視界に入ったことで彼の意識がそちらに向いたためなのかもしれないけれど。



「行きましょう、



 イングリットちゃんに声をかけられて、慌てて皆を追いかける。
 部屋を出るとき、ちらりと中を振り返った。イエリッツァ先生の部屋に残った先生と殿下は、一教師と生徒というには近い距離感でもって、何かを話している。「先生のそんな顔、初めて見たな」そう微笑む殿下は、先の先生が浮かべた穏やかな微笑をきちんと見ていたらしかったけれど、先生はそんな殿下に不思議そうに首を傾げるだけだった。








 順調に回復したフレンちゃんが青獅子の学級に編入することになったのは、数日後のことだった。何でも、フレンちゃんの安全のためにということで、セテス様直々のお願いなんだとか。心配性のセテス様がフレンちゃんを頼むなんて、先生はよっぽど信頼されているらしい。



「皆さん、どうかよろしくお願いいたしますわね」



 教室で柔らかく微笑むフレンちゃんは、背後の窓からの穏やかな光を後光のように携えている。
 あの事件を経ての変化は、勿論学級内だけに留まらなかった。フレンちゃんと一緒に発見されたあの少女(モニカさん、と言うらしい。帝国西部にあるオックス男爵家の少女で、なんと彼女はこの前アッシュくんが話していた、去年忽然と姿を消してしまった生徒だったそうだ)は、今や隣の黒鷲の学級に属している。何でも、本人の強い希望なんだって。以来何度か姿を見かけたことがあるけれど、エーデルガルトさんにぴったり寄り添う彼女は血色もよく、随分元気そうで、安心した。
 一方でイエリッツァ先生はガルグ=マクから消えてしまった。フレンちゃんたちを救出する際、先生たちの前に立ちはだかったのが聖廟にも現われた死神の騎士であったこと、さらに諸々の状況を加味した結果、イエリッツァ先生と死神騎士が同一人物である、とセイロス騎士団は断定したらしい。もう一人、地下には別の仮面を被った人物も現われたそうなのだけど、その人に関しては専ら謎に包まれたままだ。
 少しずつ、私たちの周りのいろんなものが変化していた。目まぐるしく何かが起きて、音を立てて変わっていった。
 その節、ダスカー地方で起きた反乱も、そのうちの一つだった。


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