フレンちゃんは翠雨の節の終わりに、忽然と姿を消してしまった。大聖堂にも、釣り池にも、食堂にも彼女はいない。彼女が行きそうな、或いは却って普段はいなそうな場所も余すところなく捜してみても、見つからないのだと言う。
 かといって街の外に出て行った形跡もないとなると、事故か事件に巻き込まれてしまったのではないかと考えるのが普通だろう。ただでさえ、最近は死神の噂もあるのだから。
 大切な妹であるフレンちゃんが消息を絶ったことに、セテス様は非常に苦しんでいる。いつも泰然としていたその姿も、今は憔悴して、目の焦点が定まっていない。かと思えばベレト先生との会話中に突然耐えかねたように大きな声をあげたりするものだから、その心中は察するに余りある。
 そんなセテス様を見ていたものだから、全ての学級に対して「フレンちゃんの捜索」という課題が与えられたことに関しては、当たり前に受け入れた。騎士団は総動員で城郭都市での調査に当たることになり、修道士も情報を集めている。大修道院の誰しもがフレンちゃんの捜索に関わっている。その足取りを掴むため、方々に駆けずり回っている。
 涼しくなり始める角弓の節とは言え、ガルグ=マクはまだ夏の残り香が残っていた。植樹された木を覆う葉の色は、けれど少しずつ、褪せるように色を変えている。








は知っていますか? 実は去年も、このガルグ=マクでは生徒がいなくなっているそうなんですよ」

「えっ」



 思いも寄らないアッシュくんの言葉に、食事の手を止めて思わず聞き返してしまう。
 昼の食堂は今日も賑やかだったけれど、周囲から漏れ聞こえる単語はどれも似たり寄ったりで、少しだけ息苦しかった。だって、「誘拐」とか「もう無事ではないんじゃないか」とか、「死神に殺されてしまったのでは」なんていう話は、やっぱり聞いてて気分の良いものではなかったから。
 今のガルグ=マクでは、フレンちゃんに関わる噂話ばかりがあちこちに落ちている。授業も減って、騎士たちも動員されての捜索になっているのだから、当たり前だ。この現状に不満を抱いている人がいるのだって薄々だけど感じるし、セテス様の公私混同ではないかと陰で言われるようになっているのも知っている。でも、じゃあ自分が同じ立場だったら、って考えたら、セテス様を責めたりはできないと思うのだ。
 手早く食事を終わらせて、手がかりを探しに行こう。もうなかなか目新しい情報は得られないけれど。そう思っていたものだったから、アッシュくんの口から出た去年の話には、色んな意味で驚いてしまったのだ。
 だって、このガルグ=マクで、過去に生徒がいなくなっているなんて。



「い、いなくなった子がいるの? 初めて聞いた……」

「はい。でも行方不明って言っても、正確にはガルグ=マクから自領に帰るところだったとかで、士官学校に関係はないだろうという形になったらしいです。……でも、彼女の消息も犯人も、依然として不明だそうですよ」

「そっか、女の子なんだ……怖いね。その子、今どこにいるんだろう? 無事だといいけど……」

「それが全く分からないから、中には幽霊の仕業じゃないかって話している人もいるみたいで」

「ゆっ」



 幽霊?
 喉元まで出かかったその言葉を、少し躊躇ってから、お水と一緒にどうにか飲み込む。
 いくら行方知れずのままだからって、幽霊なんてそんな、突飛すぎないだろうか。「そ、そんなことないよねえ、幽霊なんて、そんな」と同意を求めるようにアッシュくんに言ったら、アッシュくんも「ないでしょう、流石に」と作ったような、微かに引き攣った笑みで答えてくれた。私たちはそういう話は昔から得意ではない。ガスパール城の書庫から本を読むにしても、そういう物語を徹底的に避けていたから。
 お互い薄く笑い合うこと数秒、私たちはどちらからともなく小さく息を吐き、食事を下げるために立ち上がった。椅子が床を引きずる音をもってしても、周囲の「怪しいやつなんか、正直あちこちにいるよな」は全く消えず、いつまでも耳の内側に残っていた。








 フレンちゃんは失踪ではなく、家出をしたのだ。いやいや駆け落ちに違いない。過保護なセテス様に愛想を尽かしたのでは。もしかしたら事故ではないだろうか? 或いは矢張り事件。夜な夜な徘徊し、その鎌で人を殺すという死神に、彼女は目を付けられたのだ。この世にはもう、フレンちゃんはいないだろう――。
 そんな言葉は耳にたこができるくらい拾ってきた。あちこちにそういった言葉の散らばるこんな状況であっては、セテス様の憔悴も無理がない。
 いつまでも手がかりの掴めない状況に、やがて、外に出た形跡がないのであれば、内部の誰かによる犯行ではないかという論が増え始めた。フレンちゃんの意思ではなく、外部の人間によるものでもなかった場合、と考えれば、その可能性に行き着くのは仕方の無いことだっただろう。
 そうなったとき、疑われやすい人っていうのはどうしても出てきてしまう。フレンちゃんに紋章があることを考えれば、紋章の研究に余念が無いハンネマン先生が怪しいという人もいたし、トマシュさんなんかも疑われていた。何でも、ちょっと人にフレンちゃんのことを尋ねたことがあったみたい。あんな優しい人なのに疑われてしまうなんて、トマシュさんも運が悪いと思う。あとは騎士団の中でも、雰囲気のあるシャミアさんとか。イエリッツァ先生もいつもと空気が違っていた、って言ってたのは、フェリクスくんだ。私からしたらいつも同じように見えるけれど、良く訓練をつけてもらっているフェリクスくんには、そういう細やかな違いも気がつくものなのだろう。



「どうせあのダスカー人だろう」



 私が足を止めたのは、寮の前の通りだった。と言っても、それが一体どこから聞こえてくる声だったのか、最初は分からなかった。思わず息を潜めて周囲を見回したとき、植え込みの向こう、丁度食堂と教室の間に作られた庭の方に、その声の主を見つけたのだ。



「ダスカー人は信用ならない。どうして大きな顔でガルグ=マクを彷徨いているのか……。今回の件でここを追い出されでもしてくれたら、私も溜飲が下がるものだよ」



 ガルグ=マクの修道士であるようだった。
 彼は肩を竦めながら、そう口にしている。そこには他に数人ほどの姿があったけれど、誰しもがそれに、反論することなく同意していた。
 ダスカー人。それって当たり前だけど、ドゥドゥーくんのことだ。私が知る限り、ガルグ=マクには他にダスカーの人はいないから。だけど、どうしてもすぐにドゥドゥーくんのことだと結びつかなかったのは、彼らがフレンちゃんの失踪に、ドゥドゥーくんが関わっていると決めつけていたせいだった。ドゥドゥーくん本人と関わりがあれば、彼がそんなことをするような人ではないことはすぐに分かるから。
 彼らは、今回の件でドゥドゥーくんが追放されることを願っている。ドゥドゥーくんがフレンちゃんに何かをしたに違いないと、決めつけているのだ。
 じわじわと時間をかけて染みこんだそれは、私の体温をちょっとだけ高くした。知らないうちに握りこぶしを作っていた。どうして、と思ったのだ。ドゥドゥーくんのことを何も知らないのに、酷い、って。なんでそんなことを言うの、って。
 気がついたら、植え込みの反対側に回り込んでいた。「あの!」って叫んだ瞬間、修道士の男性らの目が、私に一斉に注がれる。
 そうしてみて、初めてどうしよう、って思った。言いたいことはたくさんあったはずなのに。ドゥドゥーくんはそんなことするような人じゃない、ダスカー人って言葉で括らないで、ドゥドゥーくんが聞いてしまうかもしれない場所で、そんな話をしないで。だけど、その全部が出てこないのだ。知らない男性たちに、無遠慮な目で見られているっていう、たったそれだけで、足が震えた。
 だけどその瞬間、視界の端で何かが動いた。それは私の背後から私の肩を掴み、後ろへと追いやった。
 大きく動く視界の中、私よりも背の高い、暗い色の髪をした男の子が目に入る。彼が私と修道士の男性らとの間に身を滑らせた瞬間、その肩口にあった黄色の外套が翻ったのを見て、あ、と思った。
 金鹿の学級の、級長だ、って。
 確か名前は、クロードくん。



「出自で人間の善悪を判断するのはどうだろうな?」



 その言葉に、息が止まった。
 感情の密度が濃い、だけど、それがどんな種類のものなのかは読み取らせてくれない、そんな声色だった。彼は私の方を一瞥もしないまま、目の前の三人の修道士を見つめている。頬と、長い睫毛、それから良く通った鼻筋だけが、私の位置から見えている。



「それとも、そのダスカー人とやらがフレンを浚ったと主張するに足る証拠でもあるのか? ……だったらこんな風に話に割って入って悪かったな。そのままセテスさんに伝えてくれたらいい。きっとセテスさんも喜ぶだろうさ」



 そう言い切ったクロードくんは、その場にいる一人一人の顔をぐるりと見ると「そうじゃないなら、もう少し発言には気を付けた方が良いと思うぜ」と言い放った。どこまでも悠々とした、怒りも哀しみも滲んでいない声だった。それは私には、決して真似できないものだった。私が同じ事を言っても、こんな風にきれいな言葉にはならなかった、きっと。
 修道士の男性たちは顔を見合わせると、「いや、そこまでの話ではないのだ」と決まり悪そうに幾つか言葉を残し、そのまま立ち去ってしまう。後に残されたのは、握りこぶしを作ったまま、それを緩める時機を失った私と、そんな私を振り向く彼だけだ。
 クロードくんが首を傾げる。「邪魔したか?」って尋ねられて、慌てて首を振った。邪魔だなんて、とんでもなかったから。



「そ、そんな、助けてくれてありがとうございました。何か言ってやるんだ、って思って飛び出したは良いんですが、いざあの人達の前に立ったら、全然言葉が出てこなくて」



 クロードくんは私を見下ろすと、肩を竦めて笑う。「あんたの演説の邪魔をしちまったんじゃないかと思ってたんだ。そう言ってもらえるなら良かったよ」って。自然と拳が解けた。



「しかしもうちょっと言い争いになるかと思ったが……そうでもなかったな?」



 イングリットちゃんの瞳に似た色のそれは、向かい合ってみると思ったよりも柔らかい。そっと頷いたら、彼はその眦を細めた。私のことをまじまじと見るそれは、ほとんど瞬きをしていないのだけど、この時の私はそれには気がつかない。
 クロード=フォン=リーガン。
 彼はファーガスの東にあるレスター諸侯同盟の、次期盟主たる人だった。


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