竪琴の節、ザナドにて戦った賊たちと比べれば、今目の前にいる彼らの方が余程統率が取れているように思う。
襲い来る賊たちから身を守るために剣を振ることは、けれど私の心をすり減らすのには充分だった。そうしなければ死んでしまうのは私の方だから、戦わなければ仲間に危険が及ぶから、この人達はそれ以上のことを力の無い民たちにしたのだから――自分が戦い、相手の命を奪うことをそうやって正当化して、私は息を止めて戦った。
フェリクスくんや殿下、先生、シルヴァンくんやドゥドゥーくん、前線で戦う彼らによって深傷を負った賊たちを切り伏せる。せめて戦意を喪失してくれていたら、私は躊躇って、彼らにとどめを刺すことなくいたのかもしれないのに、彼らは決して武器を下ろさなかった。自分の身体が動かなくなるまで、その目に鋭い光を携えていた。生を諦めない人間の目だった。けれどそんな美しい言葉で表現するには、彼らの罪は大きすぎた。
そうして躊躇うことなく私たちの命を奪いにくる相手だったからこそ、私は自己防衛という大義名分を掲げて剣を振れたのだ。いつしか私の持つその刃は赤黒い血で濡れていた。鼻は随分前から利かなくなって、手には肉を切る感触がいつまでも残っていた。断末魔の悲鳴は、どれも同じように聞こえた。人の命を直接奪う度、私は自分が自分でなくなるような感覚に陥ってしまう。いつもの自分が隔離されて、思考が鈍化する。そうしないと、戦えないと思っている。
後背をつくように現われた階下からの新手は殿を務めていたギルベルトさんが蹴散らし、隠し部屋に潜んでいた敵も、挟撃をされる前に先生が切り伏せた。それでも次々と襲い来る敵に息つく暇もなかった。ただこの戦場を生き延びるのに、誰しもが必死だったのだ。
「自分一人で戦っているとは思わないこと」
鼓膜にくっついたままの先生の声は、酸素の足りなくなった私に正しい呼吸をさせてくれる。
私は一人ではなかった。イングリットちゃんは私と同じくらいの返り血を浴びていたし、アッシュくんの矢は私を狙う賊の眉間に深く突き刺さっていた。フェリクスくんはなるべくこちらに敵が回ってこないように戦ってくれて、先生やドゥドゥーくんも、シルヴァンくんもこちらに気を配ってくれているのが分かった。
先陣を切る殿下の背だけが遠かった。
青い外套は薄暗い塔の中で大きく翻っていた。大樹の節の、まだ先生がいなかったあの夜を、私は思い出す。月光の中私を助け、血を被りながら敵を屠り続けたその人を、私は美しいと思った。それと同じくらい、恐ろしいとも。
殿下の瞳に一瞬だけ宿った光は、今ここで命を落としている彼らのそれとは、全くの別物であるように思えた。それを形容する一つの言葉が脳裏を過ぎったけれど、私はそれに目を閉じた。私はどこまでも、ずるい人間だった。
「……っ!」
「大丈夫ですか、!」
「う、うん、ごめんね」
振った剣が賊の肩を切った後、脚がもつれて膝をついてしまった。今の攻撃で敵が事切れてくれたから助かったものの、そうでなければ怪我では済まなかったかもしれない。
賊は次々と現われた。全ての敵を相手にしていては、到底きりがなかった。立ち上がれないほどの怪我を負いながらも、その命が尽きるまで武器を振り続ける賊らに、こちらも消耗させられている。
彼らが頭目に絶対的な信頼を抱いている様子が窺える時点で、マイクランさんを討ったところでその戦意が喪失するかどうかというのは分の悪い賭けではあったけれど、それでも幾分か戦いは早く終わることにはなるだろう。ここまで戦いが長引いてしまっている以上、その選択を取らない理由はなかった。
「頭目を討つ。ついてきて」
未だ多くの賊を相手取りながらも、マイクランさんがいる最奥の間に到達したとき、先生がシルヴァンくんに声をかけたことが、正しかったことなのかどうかは、私には分からない。
けれど、シルヴァンくんはベレト先生の言葉に、ややあってから微かに笑った、それはほとんど、首肯の代わりだった。
「……まあ、不出来な兄の尻拭いは、弟の役目ですからね」
そう呟くと、槍を構え、そのまま先生と共にマイクランさんの元へと向かったのだ。悲壮感など欠片もない背だった。後悔なんて、今更。シルヴァンくんは、塔の外でそう言った。彼はもう、覚悟していた、何もかも、兄の命をその手で奪うことも。
身体の半分を他人の血で汚したイングリットちゃんが、言葉もなく彼を見送っていた。静かな、深い海の底のような目をしていた。私たちは、分けられない痛みを抱えたままでいる。お互いの傷に触れぬまま、膜を張り合い、均等な距離を保ちながら、平然と生きているふりをしている。
私には分からない痛みを抱えた人が、どうか、せめて新しい後悔をすることなくいられたらいいと祈った。その道に苦悩が伴ったとしても。そう願うことしか、私にはできなかった。
外の雨は激しさを増し、嵌め硝子のない窓からは横殴りの雨がふきつけられていた。激しい明滅の後、地鳴りのような雷鳴が轟く。平時ではびくついてしまうそれにも、もう反応する余裕がない。
シルヴァンくんとマイクランさんが向かい合い、何かを話しているのを視界に入れた。その声は、広間の外にいるこちらまでははっきりとは届かない。切れた息を整えながら、顔についた返り血を拭う。身体は重く、手足も動きが鈍くなっていた。手はじんじんと痺れていて、きちんと呼吸が出来ていないせいなのか、頭がぼんやりする。ここに来るまで一体どれだけの人を手に掛けてきたか、数えるだけの体力も残ってないのは、幸運だったのかもしれない。
話し合いで解決できるとは、この場にいる誰もがきっと思っていなかった。首を振ったシルヴァンくんが、その槍を構える。彼は今、この場で、全てを終わらせようとしている。
マイクランさんを倒して、それで終われば良い。賊の人たちも投降してくれればいいと、願望混じりに思ってしまったせいなのだろうか。
先生たちとの激しい攻防の末、破裂の槍を手にしたマイクランさんが、シルヴァンくんと先生と距離を取ったその瞬間に、それは起きた。
赤い明滅。雷とは違う、禍々しい光は、何かの命みたいに鈍い輝きを放っている。それはマイクランさんの持つ破裂の槍から生まれたものだった。武器に埋め込まれた石のようなものから伸びる闇は無数の根になってマイクランさんの腕に絡みつく。
「う……うわ……ッ!」
賊と剣を重ね合わせていたフェリクスくんが目だけで振り向く。殿下がメルセデスちゃんを庇うように、その背後に押しやる。先生は天帝の剣を手にしたまま、瞬きもせずにそれを凝視している。シルヴァンくんの横顔は、こんなに暗い塔の中でも、酷く白んで見えた。
マイクランさんを飲み込む闇に、いくら彼が抗っても無駄だった。どれだけ足掻いても、引き剥がせないのだ。腕は既に飲み込まれ、一体化し、槍を手放すこともできない。その身体を端から包み込みながら膨張し、大きく膨れ上がるそれは、最早生き物の脈のようだった。赤黒い光が広がっていく。「……あにうえ」塔の中の風の流れに乗ったのか、掠れたその声を、耳が拾った、拾わなきゃよかった、薄情者の私には、彼を思いやる余裕が、どこにもなかった。マイクランさんの悲鳴はくぐもり、やがてその喉が潰される。輝きを増す石は、もう、どこにあるのかも分からない。
マイクランさんの全てを食らい尽くした闇は肥大し、尾になる。巨大な手足になる。獰猛な歯になる。
彼は獣に成り果てる。
「……え……」
「う、うわああ!」
「なんだよ、これ、なんだよぉ……!」
あちこちからあがる悲鳴は、彼の部下によるものだった。背を向け、我先にと塔の出口へと駆け出す彼らに、巻き込まれたアネットちゃんが悲鳴をあげている。ギルベルトさんがそれを守るように、ほとんど反射的にその腕の中にアネットちゃんを抱き入れた直後、一際大きな悲鳴が耳に届いた。振り向いて、息を飲む。逃げ遅れた賊が、その頭を握り潰されていた。
振り上げられた拳が柱を破壊する。砂塵の舞う中、空気を震わせるほどの声で、それは叫んだ。その声は、人のものでは、もうなかった。