は戦いに不慣れだ。
 元々鍛錬の類を一切詰んではいなかったのだろう。本人は自身を「文字通りの箱入り娘で……」と申し訳なさそうに評する。
 槍や斧は振るどころか持っているだけで精一杯。弓はそれらに比べればまだ扱えたが身体の軸を定めるのに時間がかかり、狩りならまだしも戦場で抱えるには向かなかった。一方魔道の素養があるわけでもなければ、馬や天馬の扱いもさほど得意ではない。他に比べれば伸び代があるだろうと勧めた剣を、しかし彼女は大切そうに抱えた。これが自分に与えられた唯一の正しい答えなのだと、は疑うことなく信じていた。
 そういうところも含め、は自分の言うことを良く聞く、素直な生徒だった。授業が終われば、彼女はディミトリやイングリットらに教えを請うて剣を振る。走り込みも素振りも、彼女は決して休まない。「無理をしてはいけない」という自分の言葉も、彼女は忠実に守った。「体力がないのが原因で、そもそも無理なんてしたくてもできないってことに気がついたんです……」と神妙な面持ちで口にしてはいたけれど。しかしそれらの甲斐あってか、この二節では自分の想像以上に成長していた。最近は生徒同士の打ち合いにも参加しているくらいだ。少し前までの、武器のぶつかる音にすら怯えていた彼女を思えば、それはめざましい進歩だった。
 だが戦闘の後始末なら兎も角実戦、それも叛乱の鎮圧となると、未だ時期尚早と言わざるを得ない。
 筋は悪くはないのだが、これまでろくに訓練をしてこなかったこともあり、戦うのに必要な筋力や柔軟性が備わっていない。まともに兵にしようと思えば、三年はかかるだろうことは間違いなかった。
 だが彼女は別に、騎士になりたいわけではないらしい。他の生徒に混ざって剣を振る彼女を前に「ならばそれほど焦る必要があるようには思えないが」と口にすると、は大きく首を振った。



「そんな、大ありですよ。領主になるんだったら、お飾りで守られているだけではいけないじゃないですか」



 は王国南部の、小さな男爵領の出である、と聞いている。いつもジェラルトに従って傭兵稼業をこなしていただけの自分には、そういうことを聞かされてもぴんと来ない。だが実際、領地を守る立場にある存在がまともに武器も扱えないのは困るだろう。



「民たちに不安な思いをさせるわけにはいきませんから」



 懸命に剣を振る彼女の額に浮かぶ汗を見ながら、の本気に応えなければならないと、思考の端のあたりで考える。彼女には強くなってもらわなくてはならない。自分のように、とは言わない。それでもせめて、自身と、大切なものを守れるくらいには。「またこやつに死なれるのも、寝覚めが悪いしのう」不意に脳内に響く幼い声には、瞬きだけで済ませた。
 自分だって、同じ轍を二度も踏むつもりはないのだ。瞼を伏せれば、あの日の血溜まりが今も残っている。








 地面の下から這うようにというよりは、空気中に満遍なく漂う、濃い霧だった。
 「いつもだったら丁度あの二本の楢の木の間辺りに、城の尖塔が見えるんです」と空を指差しそう口にしていたのは、討伐対象であるガスパール城主ロナート卿の養子であるというアッシュだったが、この霧の中では城の輪郭も、影も見えない。騎士団が先に攻囲を進めているとは言うが、その様子は全く窺えなかった。
 かろうじて顔が見えるほどの距離まで生徒たち全員を呼び寄せ、一人一人を見回す。フェリクスのように、予期せず騎士団と共闘する形になったことを自身の糧になると好意的に受け取る生徒もいるにはいたが、ほとんどが動揺しているのは間違いなかった。無理もない。生徒達は皆、後処理を行うだけで、自国の叛乱の制圧にここまで直接関わることになるとは思ってもいなかったのだから。その上、この霧だ。



「間違えて味方を攻撃しちゃったらどうしましょう〜……」



 呟いたメルセデスの腕を、「や、やめてよメーチェ」と青ざめたアネットが引く。
 ただでさえ視界の狭い濃い霧の中である上に、想定以上の敵兵が動いていると言う。王国の伯爵領、その一部地域を統治しているに過ぎない一城主である人物が、それほどの兵を準備できるとは少し考えにくいが、こちらはただ向かってくる相手を切るしかない。メルセデスの言う通り、誤って互いを傷つけ合わぬよう、細心の注意を払いながら。



「……戦闘が始まったら、なるべく近くの人間と離れないよう気をつけてくれ。見えないのは向こうも同じだ。敵は各個撃破し、深追いはしないように」



 言いながら、視界の端にが引っかかる。ここまでの道中ですらも皆について行くことができなかったのもあってか、これからの戦闘を不安視しているのか、或いはその両方か。彼女の表情は重く、暗い。似たような顔を直前で見たな、と考えたとき、それがアッシュの横顔と重なった。
 その時頭を過ぎったのは、先の会話だ。四年前に起きた、ファーガスの王が殺されたという「ダスカーの悲劇」と呼ばれる事件。それに関与したとして処断されたのが、今回兵を挙げたロナート卿の実子であり、また、アッシュの義兄であるクリストフだった。それらを考慮すると、ディミトリの言うように、今回の挙兵は恐らくロナート卿による仇討ちという面が強いのだろう。ロナート卿はアッシュに気付かれることなく挙兵の準備を進め、教団に刃を向けた。アッシュは頭では理解していながらも、それを受け入れられずにいる。今も。
 事情のあるアッシュも気に掛かるが、戦場に不慣れなのことも心配だ。前回のこともある。戦いに突入する前に、一度きちんと声をかけておくべきかと視線を落とす彼女に向けて足を踏み出したとき、「先生」と呼び止められた。そちらに目線をやれば、霧の中でも目を引く、金の髪がある。



「ディミトリ。何かあった?」



 尋ねる自分に、「相談……というか、提案があるんだが」と、彼は遠慮がちに目線を落とした。



「俺が後方に注意を払いつつ、戦いに不慣れな味方を援護する……というのはどうだろう」



 ほとんど耳打ちするのと変わらない声だった。再び自分に向けられたディミトリの、思慮深い瞳を見返す。



「だから、先生は騎士団と共に前線へ」



 その青い双眸が、アッシュの方へと向けられた。霧に飲まれたアッシュの輪郭は霞んで、もうその表情を鮮明にはしなかったけれど。「……そうだな。そうしよう」と頷いた自分に、ディミトリが小さく息を吐いた気がした。
 彼のその背の向こうには、イングリットと何か話し込んでいるの姿がある。目を細めてその後ろ姿を見れば、それは霧の中でも比較的はっきりと、自分の目に像となって残った気がした。







 の生まれ育ったラルミナ領がガスパールに程近く、彼女もまたロナート卿に縁のある人物だったと自分が知るのは、この戦いが終わった後のことになる。


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