妙だな。
 そう思考の端で思ったのは、先生たちが上手く東西の砦を奪取したとの報告を受けた直後だった。
 エーデルガルト率いる帝国軍はセイロス騎士団を上回る兵力でもって城郭内に侵入。目に見える兵力差がある以上まともに戦ったんじゃ勝ち目がないっていうんで、先生らは東西の防衛をしていた騎士たちを主戦場であるこちら側に呼び寄せるためにあの砦の奪還を目指した。それがめでたく成功したはずだってのに、どうにも引っかかる。
 ――上手くいきすぎじゃないか?
 援軍(それも英雄の遺産を振るうカトリーヌさんや、シャミアさんたち、歴戦の猛者だ)を呼び込めたことで士気は向上、前線も随分と楽になったらしく、俺達のいる城壁側に入り込んでくる帝国兵の数も極端に減った。あれだけいた天馬騎士も、空を見上げてももう目視できない。前線は後退するどころかむしろ帝国軍側に押し戻す形になっていて、エーデルガルトの居る本陣に到達するのにだって時間はかからないだろう。
 こちら側の望んだ通りの展開だ。進もうと思っている道に、ぽつぽつと灯りがともされていくような。或いはそちらに、見えない力でもって引っ張られているような。
 天帝の剣を持つ先生だ。ここまで上手く事が進んだのなら、エーデルガルトを討つこともさほど難しくはない。普段通りの、とは言い難いだろうが、ディミトリだっているのだ。精鋭で攻めることができるなら、もしかしたら。そう楽観視して思考停止できたら楽だった。だけど俺の第六感めいたものが、微かな違和感を訴えているのだ。



「どうやらこの辺りに兵士はもういないようだが……」



 城壁の境目で、広がる木々の隙間を窺いながらフェルディナントが言うのに曖昧に頷きながら、俺はその時、遠い前線に意識をやっていた。このままで大丈夫だろうか、勝利に近づいていると見て良いのか? 何か見落としてはいないだろうか、先生は、ディミトリは、気がついているだろうか。まるで何かに導かれているようなこの状況に。
 呼吸を止めて、先よりも分かりやすく遠のいている戦いの音を聞く。



「…………」



 ディミトリの吐き出した静かな声が、その時、不意に蘇った気がした。
 託された以上、判断は慎重にしなければならなかった。








を任せられないか」



 ガルグ=マクに帝国軍が侵攻するその朝、俺を大聖堂に呼びつけてそう言ったのはディミトリだった。「は?」出かかった声は、ディミトリの掠れた声にかき消される。
 微かな声量でも向かい合うディミトリの声が正確に耳に届くのは、大聖堂の天井が高いせいだろう。息遣いさえも明確だった。早朝の大聖堂は春とは言え肌寒く、吐く息は白い。



「本当はいっそ救護班にでも入ってもらえたら良かったんだが……あいつは多分、剣を持つ気でいるだろうから。無茶をしないか、クロードに傍で見ていてほしいんだ」

「おいおい、久しぶりに話すってのに、そりゃ随分な頼みだな」

「それは………………すまなかった。返す言葉もない」



 目を伏せるディミトリの瞳に、微かな自責の念のようなものが浮かぶ。
 前節、聖墓で戦いがあって以降、ディミトリは全てを断ち切るように一人でいた。話しかけても応じるどころか、振り向きすらしなかったくらいだ。俺にだけじゃなく、関わる周囲の人間全てにそうしていたのは、青獅子の生徒たちの様子を見ても明らかだった。正直に言えば、あれは異質だったよ、お前がどう考えていたのかは知らないが。
 俺より先に謝るところはあるだろう、そう思うけれど、口にはしない。できなかったのだ。ディミトリが、俺の知るままの目で俺を見るから。
 春の頃のような。



「…………本当に、無茶な頼みだとは思うが」



 言えなかったのだ、何も。ならばお前こそが傍についていてやるべきなんじゃないか、とも。
 だってそれは恐らく、現実的ではない。
 先生が指揮を執る以上、その手足となって動き、戦うのは、これまで長く先生の傍に居続けた青獅子の生徒たち以上適任はない。級長であるディミトリは尚更だ。俺が先生と共に戦うより、その背を守るのはディミトリであるべきだった。例えディミトリがこの戦いに、何か私怨じみたものを持っていたとしても。戦いの場において、視野狭窄に陥ろうと。それでもそこに立つのはこいつであるべきだった。だってあの春、選ばれたのはお前だ。
 一方で、俺がの傍についていてやる、ということに、特別大きな問題はない。大規模な戦闘になることが予想される以上、先生の指揮下に複数の部隊が作られることになるはずだ。そのうち俺が預かることになるだろう一つを防衛部隊にして、そこにを入れればいいだけの話だ。他方で、うちの学級の連中に関してだって問題はなかった。あいつらは俺がいなくたって部隊に順応し、与えられた自分の仕事を恙なくこなすだろう。



「…………」



 それでもすぐには返事をしなかったのは、探れるなら、探っておくべきじゃないかと思ったためだ。
 俺はことここに至っても人の腹を探るのが趣味な人間で、他人から見ればいくら無粋であれ、好奇のままに首を突っ込みたくなるのが性分だった。――それがいつか、俺の野望に関わってくる可能性が万が一にでもあるならば、尚更。
 だから、折角ならば教えてほしかったのだ。情報との等価交換というやつだ。戦いに向かないの身を守るその代わりに、知りたかった。この一節の間、一体何を考えていたのか、何があったのか、その変化が意味するところは何なのか。俺よりも高い位置にあるディミトリの目を見る。「なあ、ディミトリ」俺とは違う半生を歩んだその足跡にこびりつく、微かな血を見ている。



「――お前とエーデルガルトとの間に何がある?」



 それらの全てをそこに込めて尋ねた俺に、けれどディミトリは数秒の沈黙の後、小さく笑って首を振った。そうされてしまうと、強く出る気も失せてしまう。肩の力が抜ける。



「……なんだ。話す気もないくせに頼み事か」



 そう返す俺に、ディミトリはただ短く、「そうだな」と言うだけだった。こいつはきっと、それでも俺が断らないことを知っていた。








 思い詰めていたな、とは思う。
 少なくともあのときは、この一節の間煮詰めた感情に蓋をしてはいたけれど。
 あんな状態でも、それでもまだ完全に我を忘れているようではなかった。実際戦いに身を投じたときどうなるのかは、俺には分からないが。まだ、他人に大切な人間を預けるだけの冷静さが残っているのなら、希望はあるんじゃないだろうか。
 だけど、希望って、何の。
 考え直して首を振る。それよりも、今自分が集中しなければならないのは、この戦いの趨勢であり、エーデルガルトの思惑だった。
 エーデルガルトの首を取れさえすれば良い教会にとって都合が良いくらい、ことが上手く運んでいる。けれどこの一年、いや、それどころか恐らくもっと長期に渡ってこの計画を企てていたエーデルガルトが、俺達にそんなに簡単に勝利を譲るはずがない。
 彼女にはきっと、何か策がある。



「フェルディナント。一度本陣へ引き揚げる。向こうにいる他の連中に声をかけてきてくれるか」

「あ、ああ。わかった」



 俺の言葉に、血を払うように、フェルディナントが槍を大きく振った。草の上に点々と染みになって落ちるそれは、本来ならばフェルディナントが守らなければならない人間たちのものだった。
 ああ、本当に上手くいかないよな。誰にとっても。ありとあらゆる、色んなことが。
 濡れた草葉を視界の端に入れながら、弓砲台――ベルナデッタのところに置いてきたのことを考えた。上は静かなものだから、無事ではいるのは間違いないが、俺達以上には戦況は掴めていないはずだ。前線のことは気にかかるが、今は本陣に戻って、何があってもすぐに動けるようにしなくてはならない。
 そう、何があっても。
 城壁付近での戦いに参加した全員の無事を確認して、階段を上り始めて、しばらくしたときだった。耳が、何か唸りのようなものを捉えたのは。
 高台にある最終防衛線からは、ガルグ=マクの城郭都市どころか外郭の奥を一望できる。階段を上る足を止めて振り向いた。目を細めなくてもそれが何か分かるのは、俺の視力が人よりも良いせいだろう。あれは、人だった。今は無人の城郭都市から、なだらかな曲線を描いて大修道院まで伸びるその道を、埋め尽くすほどの帝国兵が進軍していた。
 援軍という規模ではない。
 あれは間違いなく、帝国軍の本体だ。
 エーデルガルトたちは、囮だった。


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