そうでなければいいと思うのは、俺が未熟だからだろうか。
 俺の視界の先には、仰々しい鎧を纏い、素顔を隠すように仮面を被る、炎帝の姿がある。
 改めて考えてみれば、仮面を被る理由なんて、素顔を隠したいからに決まっているのにな。それでもまだどこかで、お前でなければ良いと思っているんだ。エル。



「ここで貴様と再び見えるとはな。……何をしに来た、炎帝」



 炎帝の背後には、帝国軍の兵士達が美しい整列を見せていた。帝国軍。それが意味することから目を背けられたら、どんなに良いだろう。軽く首を振れば、耳の奥がざわざわと音をたてた。雑音は俺に、もう諦めろと言っているようだった。それはやがて、良く知る父の声になった。
 目を瞑れば、父が、継母が、グレンが、仲間達が言う。「成すべきことを成せ」と。相手が誰であろうと、どれだけの苦難が待ち構えていようと。俺の命はそのためにあるのだと。再び瞼を開けたとき、そこには今も、俺の憎しみをその身に受けるに値する人間がいる。
 四年が経った。
 俺が全てを失ってから、四年だ。その四年をどう表現すべきか、俺には分からない。ただ、濁流の中にあるような日々だった。学ばなければならないこと、調べるべきことは多く、日々の鍛錬も欠かすことはできなかった。睡眠を削り、必要なことに費やした。「成すべきことを成す」ために。幸運にも、俺はあれ以来まともに睡眠を取れなくなっていたから、それはある意味で、都合が良かったのだ。生の前借りだ。俺には誰もいなかったから、もう何の問題もなかった。
 王族として、ロドリグに連れられ、初めて反乱の鎮圧に赴いたのは、俺が一人になって二年が経った頃だ。
 同行していたフェリクスは頭から大量の血を被った俺を見て、その顔を顰めた。いや、顰めた、なんて表現では足りないな。あれは俺への失望であり、嫌悪だった。俺は、鎮圧対象であった反乱軍を、復讐すべき相手と重ねたのだ。本来ならば、彼らだって俺の守るべき民たちに相違ないのに。そうでもしなければ彼らを殺せなかったのか、或いは反乱に身を投じた彼らがあの時の男たちと重なったせいなのかは分からない。何をどうしたのかも、覚えていないのだ。ただ、気がついたとき、あたりは酷い惨状だった。血と臓物が飛び散り、骨の突き出た遺体があちこちに転がっていた。遺体というよりも、残骸と呼ぶに相応しい。「獣が」唾棄するようにそう言ったフェリクスは俺に背を向け、以降ガルグ=マクで再会するまで、一度も顔を合わせることはなかった。そういうことにも、何も感じなければ良かった。俺にもまだ獣でない部分が残っているなら、それはきっと、復讐に必要の無い部分だったから。
 復讐。そう、ガルグ=マクに入学したのは、復讐のためだ。
 あの日のことを調べ、ダスカーの悲劇の裏に隠された事実を白日の下に晒すこと。父たちの敵を、惨たらしい方法の末、その命をもって償わせること。そうでなければ、誰も救われない。俺の外套を掴む父の手を、俺の足首に絡む継母の指を、背にのしかかるグレンたちを、そうしなければ救ってやれない。



「何をしにきた、とは……。知れたこと」



 聖墓の入り口、俺の言葉に答える炎帝の声はくぐもって、男なのか、女なのかも分からなかった。何か声帯に変化をもたらすよう、仮面に何らかの仕掛けがされているのかもしれない。……その正体が、俺達に明らかにならないように。あの日足元に突き刺さった短剣が、脳裏に浮かんで消えて行く。



「聖墓には力が眠る。このフォドラを統べるための力がな」



 力と、炎帝は言った。
 それが何なのかは判然としない。けれど、レア様ならばご存知だろう。俺達をここに運んだあの仕掛けも、その「力」に基づくのかもしれない。そう思えば、それは恐らく強大な、人智を越えたものですらあってもおかしくない。――帝国や炎帝、タレスが欲するのも、不思議ではないほどの。
 けれど。



「……そのために、死者の安楽も、生者の信仰も、何もかも踏みにじるのか」



 続けようとした瞬間、躊躇うように、空気が一瞬喉に張り付いた。それでも、俺は言わねばならなかったのだ。お前がそれに何と答えるのかを見届けなければならなかった。



「貴様らがかつて、ダスカーでそうしたように」



 聖墓の空気はどこまでも冷たく、張り詰めていた。
 俺の背後には、先生が、が、ドゥドゥーが、フェリクスたちがいたし、炎帝の背後にも多くの兵達がいたのに、俺はまるでその時、ここに俺と炎帝とだけが取り残されたような気がしていた。俺達の間に見えない糸があって、それが、かろうじて繋がっている。それを切るも、繋ぎ留めるも、お前の側だった。そしてお前が本当に、俺の思うお前であるならば、お前は首を横に振るだろうと。俺の疑念を否定してくれると。もしそうであるなら、俺は。
 どこまでも、甘い。



「知ったことではないな」



 突き放すような、冷淡な声音だった。俺の望みを打ち砕くほどの。
 目を見開いても、炎帝の仮面の奥にある目が、もう俺を見ていないことは明らかだった。



「……迅速に紋章石を回収せよ! 抵抗する者は殺して構わぬ!」



 その腕が背後の兵たちの合図として動いたのを見た。レア様が、先生に逆徒を討ち滅ぼすように告げているのも確かに聞いたのに、足が動かない。



「戦闘態勢を!」



 敵は地鳴りのような唸りをもって、聖墓の端からこちら側へ向かってくる。「で、殿下」誰かが俺を心配そうな声音で呼ぶのに、振り向けない。炎帝の言葉が、脳をいつまでも反芻している。
 知ったことではない。
 ダスカーの悲劇を。あれだけの命が奪われた事件を。彼女にとっては、実の、血の繋がった母の命すらも失われた日を。知ったことではないと、何の感情の乱れもない声色で。
 ならばいっそ炎帝はエーデルガルトではないのだと言われた方が、納得がいく。
 縋るように思ってしまったなんて、馬鹿だな。俺はただ、認めたくなかったのだ。お前であってほしくなかったから。だから、この時もそのお前らしくない答えに、いや、自分の求める答えをお前が吐き出さなかったことで、俺は一縷の望みを見出してしまった。「顔さえ見なければ、顔見知りかどうかなどわからんだろう」と、フェリクスが言った言葉を思い出した。顔を見たわけではないのに、どうしてエーデルガルトと言えるのかと。ならばまだ確かではない。別人かもしれないと。そうしなければ、自分が今、まともに動ける気もしなかったのだ。



「紋章石は棺の中だ! 片っ端からこじ開けて奪え!」



 その時炎帝の麾下の男が叫んだ言葉に、意識を引き戻される。疑念に蓋がされ、憎悪に心が焼かれる音がする。地面に張り付いたようだった足が、怒りで一歩前に進む。「外道が」呟いた声に、背後の、俺を呼んだ誰かの気配が、微かに揺れた気がした。



「……墓を暴き、死者を辱しめて何になる」



 殿下、と、もう一度、か細い声が俺を呼んだ気がしたけれど、それはレア様の「聖墓を守りなさい、紋章石を奪われてはなりません!」という叫びに飲み込まれ、消えた。
 槍を持ち、先生の指揮のもと、皆と共に玉座に続く階段を駆け下りる。



「殿下!」



 引き攣るような悲鳴に似た声がのものであるということくらい、本当は気がついていた。
 ならば最後に一度くらい、振り向けば良かった。いつもみたいに、あまり前に出ず後ろにいてくれと、伝えれば良かった。笑えなくても。酷い顔をしていても。
 そうしたら何か変わっただろうか。俺の憎しみはお前の光に焼かれて、端だけでも溶けて消えただろうか。そうすれば俺は、汚れた部分を削ぎ落とせたか、獣を殺せたか、怒りもないままに、守る為だけに武器を振るえたか。
 そんなことはないのだ。きっと。
 戦場になろうとする聖墓を駆け抜ける。紋章石とやらが一体何なのかは俺には分からないが、帝国軍らの暴挙を見過ごせない。見下ろすように、俺達の逃げ場を塞ぐように聖墓の入り口を陣取った炎帝だって、逃がすわけにはいかないのだ、今回こそは。
 その顔を見るまでは。――その正体を、確かめるまでは。
 そうしたとき、ふと脳裏をの笑顔が過ぎった。それはいつもどこかぎこちなくて、だけど、俺を照らす春のようだった。先生ならば、彼女を危険に晒すような采配はしないだろうと信じているが、それでもどうか、と思う。
 どうか幸せに。
 そう願う時点で、俺は自分の行く末の予想がついていたんだろう、本当は。








 仮面の落ちた音を聞く。
 そこにあった紫水晶の瞳をみとめた瞬間、俺は確かに息を止めていた。


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