士官学校の学級には毎節、各々課題なるものが与えられる。
 とは言えまだ入学して間もない竪琴の節で提示される課題なんて、簡単な奉仕活動とか、そういう類のものだろう。大修道院内の清掃とか、厩舎小屋の修繕作業とか、或いは付近の村で畑を耕すお手伝いだとか。そういうのだったら多少は役に立てるかもしれない。勿論、一節で私がどれだけ体力をつけられるかにかかってくるとは思うけれど。そう高をくくっていたのに、教壇に立ったベレト先生は顔色一つ変えず、私たちに言い放った。



「……君達の今節の課題は、盗賊団の討伐になるらしい」



 それは私にとって、全く想定外の言葉だった。
 漣のようなざわめきを見せる教室の片隅で、私は背筋を伸ばしたまま、瞬きもせずに先生の言葉を反芻させている。盗賊団。盗賊団の討伐、って言った? 信じられなかったけれど、どうも聞き間違いというわけでもなさそうだった。ベレト先生が、「これは先日、野営訓練中の君達を襲撃した賊の残党だそうだ」と、抑揚のない声で付け足したから。



「戦況は、セイロス騎士団が整えておいてくれる。さして難しい課題ではないとは思う」



 でも先生、私、武器をまともに扱えないんです、今日の授業だって、散々だったでしょう! ざわざわした心のまま、念じるように思ったら、ベレト先生は誰を見るでもなく、教室を見回し、続けた。



「戦いに不慣れな生徒もいるが、それまでに、君達が最低限戦場で動けるようには指導するつもりだ」



 でも、それで本当にできるかな、私に。あの時フェリクスくんや殿下がそうしてみせたみたいに、武器を自在に操ることができるようになるのかな。



「討伐は騎士団の支援の下で行われる。招集がかかり次第動くことになるから、今節はいつでも出立できるよう準備しておくように」



 私の脳裏には、あの夜の恐怖がまざまざと蘇っていた。月明かりに照らされた山道、ぬかるんだ足元はいつ頃でもおかしくなかったけれど、それが前日の雨によるものだったのか、事切れた賊の血だまりによるものだったのかはわからなかった。頭上を回転していった投擲用の手斧、足元に突き刺さった弓矢には毒らしきものが塗られていた。命はいくつあっても足りないくらいだったけれど、戦いの経験があるフェリクスくんや殿下たちのおかげで、どうにか生き延びることができたのだ。
 討伐って、あの時の賊とまた対峙しなくちゃいけない、ってことになる。
 私は先生が教室を出て行ったことにも気がつかず、自分の席に座ったまま、じっと息を潜めていた。イングリットちゃんが「? どうかしましたか?」と肩を叩いてくれなければ、もう暫く思考は停止していたはずだ。現実に引き戻された私は、はっと目を見開く。視界の奥で、殿下の身につけた、青い外套が緩く翻っている。



「何か悩み事でもあるのですか?」



 心配そうな声で尋ねるイングリットちゃんに迷惑は掛けられないという思いは確かにあったはずなのに、私は気がついたら、イングリットちゃんの制服の袖口部分を掴んでいた。



「……ある……あります……」



 悩みや心配や恐怖と名の付くものを一人で抱え続けることが、私はどうしても、苦手だったのだ。








 イングリットちゃんと私の部屋は、学生が使う寮の二階。階段を上ってすぐのところにあった。
 入学してすぐにイングリットちゃんと打ち解けられたのも、互いの部屋が隣り合っていたためだ。浴場に行くのも、食堂に行くのも、だから、大抵は一緒だった。お菓子を分けてもらったときはイングリットちゃんにお裾分けもしたし、課題で分からないところがあれば聞きに行った。持ちつ持たれつ、と言えば聞こえは良いけど、でも、間違いなく私の方がイングリットちゃんを頼りにしていると思う。たまのお菓子なんかじゃ、全然恩返しできないくらいに。
 軽く片付けた私の部屋で、イングリットちゃんは私が用意したお茶を一口飲むと、ほう、と小さく息を吐いた。緩く編んだ金色の髪が、天井近くにはめ込まれた窓から差し込む光できらきらと輝いている。背筋は真っ直ぐ伸びていて、伏せられた睫毛は柔らかな頬に影を落としていた。きめの細かい白い肌は滑らかで、きちんと切りそろえられた爪は、生来の薄桃色。こんなことを言ったらイングリットちゃんは大きく首を振るだろうけれど、私から見たイングリットちゃんはいつも、物語のお姫様そのものだった。



「美味しいです。はお茶を淹れるのが上手ですね」

「いやいやそんな。ありがとうございます」



 今日は気の利いたお菓子がないのが残念だったけれど、イングリットちゃんは「そこまで贅沢をしたら、罰が当たってしまいます」と笑いながら言ってくれた。私はイングリットちゃんのそういう、良い意味で貴族らしくない、素朴なところが好きだった。
 しかしイングリットちゃんはいつもこうして、しみじみと私の淹れたお茶を褒めてくれるから、私はそれを真に受けて、ついつい面映ゆい気持ちになってしまう。お茶を淹れるのは、数少ない私の特技の一つだ。読書、編み物、簡単なお菓子作りと、困らないくらいの礼儀作法。これらのうち何か一つでもこの士官学校で役立つものがあったら、私ももう少し楽に構えていられただろうに。



「それで、は一体何を悩んでいるのです?」



 気負わせないようにか、笑みを携えたままそう尋ねられて、私はちょっとだけ、言葉に詰まってしまった。
 王国東部にあるガラテア家の息女である、イングリットちゃん。騎士への憧れを持つ彼女は、私と違って武芸に秀でている。盗賊に襲われたあの夜も、野営地に帰ってきたイングリットちゃんの槍の先は人の血で汚れていた。イングリットちゃんは蹲るだけの私と違って、きちんと戦っていたのだ。きっと、小さい頃から鍛錬を積んできたのだろう。イングリットちゃんの努力の積み重ねは成果として現われていて、それを羨んだりするのは、筋違いだった。
 イングリットちゃんの、冬の空みたいに澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめられていた私は、一度ぎゅうと目を閉じてから、「実は」と、振り絞るように口にする。



「……こ、今節の課題で、みんなの足を引っ張らないかが、すごく不安で」
 


 イングリットちゃんは、私の言葉にちょっとだけ目を見開いていた。
 そんなイングリットちゃんに、あの夜のことが、実はそれなりに自分に打撃を与えていて、とまでは、言えなかった。そこまで言ってしまったら、それこそそれが自分の中で、殿下の言う「精神的恐怖」の柱となりかねないような気がしたから。「……なるほど」と短く言うイングリットちゃんは、それから微かに眉根を寄せた。もしかしたら、今日私が訓練場で、槍もまともに構えられなかったことを思い出しているのかもしれなかった。



「盗賊の討伐とはいいますが、先生や殿下もいますし、さほど危険が伴う課題ではないと私も思います。ですが……そうですね……」



 戦況はセイロス騎士団の皆さんが粗方整えておいてくれるとは聞いているけれど、だからと言って、何もしなくていいわけではない。この前みたいに、万が一敵に囲まれたとき、何も動けないようでは困るのだ。少なくとも、自分の身は自分で守れるくらいでなければ。
 一瞬で強くなれる魔法を求めたわけではない。圧倒的な力を得る最短の道を教授してもらおうと思ったわけでも、勿論ない。だから少し考えれば、助言を求められたイングリットちゃんが、私にそれを言い出すのは、想定できたはずだった。
 イングリットちゃんは、私の顔をじっと見た。うっかりこちらが呼吸を止めてしまうほどの真剣な面持ちで、「わかりました」と小さく頷いたのだった。



「私と特訓しましょう」



 彼女の前に置かれた茶器は、いつの間にか空になっていた。


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