グロスタールの教会はガルグ=マクの大聖堂と比べれば勿論そこまで大きくはなかったけれど、フォドラ各地からの参列者を収めるには十分だった。多忙である陛下や先生――大司教が来られなかったのは残念だけれど、陛下の代理として、ドゥドゥーと、ブレーダッドの騎士の叙任を受けたイングリットが今、僕の隣に座っている。



「陛下の代理とは言え友人の結婚式と思うと……緊張しますね」



 イングリットにこそこそと耳打ちされ、僕も小さく頷いた。壁に埋め込まれた玻璃硝子からは明るい日差しが入り込み、床に華やかな色を落としている。花冠の節、昨日まで降り続いていた雨はあがり、今日は晴天だ。まるで二人を祝福するかのように。
 僕の右隣に座るイングリットを覗き込むため身を乗り出したのはシルヴァンだ。



「お前がなんで緊張する必要があるんだ? イングリットの役目は、今日はないだろう。……ああ、でも乱入騒ぎがあれば話は別か。そうしたら騎士としてお前が成敗しなくちゃなあ」

「乱入?」

「暴漢とか浮かれた酔っ払いとかだったらまだマシだけどさ。良く聞くだろ? 昔の恋人、或いは二股状態だった相手が結婚式に乗り込んできて……ああーやめろやめろ今日は祝いの場だぞ」

「あなたがふざけたことを言うからでしょう!」



 この二人がこんな調子なのは今に始まったことではないが、こんな場で僕を間に挟んでシルヴァンの胸ぐらを掴もうとするのはやめてほしい。



「……静かにしろ、お前たち」



 ドゥドゥーがそう諫めてくれなければどうなっていたか。式の直前、ざわめきに包まれた教会で僕達の会話はさほど目立たなかったけれど、やっぱりシルヴァンの今の発言はどう考えても不謹慎だ。だって今日は、結婚式なのだから。
 イングリットではないけれど、僕も声を潜めて「いくら冗談でも、笑えませんよ」と口にする。



「悪かった、悪かったって」



 シルヴァンの声はそれでもやっぱり軽いから、イングリットがとどめのように「もローレンツも、あなたみたいに軽薄な人ではないから」と低く呟いてようやく、彼は「すみません」と謝罪するのだった。
 シルヴァンは戦争の後、ゴーティエ辺境伯として家を継いでいる。北方の民族であるスレンとの関係改善に向けて画期的な取り組みをし始めたと聞いていたから、少しは真面目になったのだろうと思っていたのに、人柄というのはそうそう変わることはないらしい。彼の周囲に、浮いた話は尽きない。
 しかしシルヴァンはどちらかというと、この式には友人として招待されたのだと認識しているのだろう。僕もそうだ。騎士の叙任を受け、後継者のいなくなったガスパール家の家督を相続させてもらえたけれど、グロスタールとの関わりとしてはその距離も相まって希薄だったから。



「いやあ、しかし、ローレンツとが結婚か」



 伸びをしたまま、シルヴァンは小さくため息を吐く。その音はこのざわめきの中でも耳に残った。痛いほどに。



「――ようやくだな」



 ええ、本当に。
 だけどそれは声にならなかった。その時丁度、新郎と新婦が教会に入場する合図である鐘の音が響いたからだ。
 ローレンツと。彼らのことを昔から知っている僕達にとって、二人が紆余曲折というには余りにも悲劇的ないくつかの出来事を乗り越えてこの日を迎えられたということは、本当に奇跡のようだった。
 参列者の座る長椅子の間の通路を、二人は寄り添って歩いて行く。ローレンツは胸を張って、は祝福の拍手や言葉に、どこか照れくさそうに俯いて。
 美しい婚礼衣装だった。貴族の花嫁というのは、大体がその家に伝わる婚礼衣装を着るものだと聞いているけれど、のそれはまるで彼女のために仕立て上げられたかのように似合っている。薄く色づいた頬、髪の毛が歩く度に靡いて、そこだけがまるできらきらと輝いているみたいだった。
 不意に顔をあげたは、僕達の姿を参列者の中から見つけたのだろう。彼女は僕達にそれぞれ目を合わせると、それから照れくさそうにはにかんだ。それが、びっくりするくらいに、ガルグ=マクにいた頃のの笑顔と変わらなかったのだ。
 僕の隣のイングリットが息を飲んで二人を見つめているのが、視界にないのに、手に取るように伝わってくる。
 彼女は多分泣いていた。少しだけ。








 司祭に向かう二人の後ろ姿を眺めながら、僕は七年前のことを思い出していた。
 花冠の節のあの日、僕はガルグ=マクの大聖堂で一人、長椅子に座っていた。ロナート様が叛乱を起こしたと聞いて、狼狽していたのだ。
 どうしてこんなことに、混乱する僕を誰も彼もが気遣った。その気遣いすらもが痛かった。大丈夫だと答えなければならない空気に息をするのも億劫だった。大聖堂にいたのは、女神に祈りたかったというよりも、ここならば暗い顔をした自分も目立たないだろうと思ったからだ。
 に声をかけられるなんて、思わなかった。
 は僕を見舞った現状の一つも知らないでいてくれた。自分の身にあった喜ばしいことを、屈託のない笑顔で語ってくれる。あれに僕がどれだけ救われたか。君といたあの時間、僕はまともに息が出来たのだ。
 好きだったのかと聞かれると、そう思っていた時期もあったと僕は答える。彼女との間に交わした様々な会話の積み重ねが、感情表現が豊かで飾ることをしないへの好意に形を変えるのは、あっという間だったから。だけど、きっかけはやっぱりあの日の大聖堂だったのだ。
 君は覚えているだろうか、。あの日は雨が降っていた。視界が白むほどの雨だった。稲光が瞬いて、君は轟いた雷鳴にびくりと肩を震わせたけれど、それだけだった。怖がりなんだと知ったのは、本格的な夏になってからだ。君にとっては恐怖でしかなかっただろうに、は夜のガルグ=マクを一人で歩いていた。父親にもらったと言う首飾りを探すために。
 よほど大切なものだったのだろう。冬に父親を失った後、彼女にとってそれは形見であったはずだ。だけど、はそれを戦場に向かうローレンツに渡した。ミルディン大橋の石畳の上に落ちた、孤月の節の柔らかな陽の光に反射したそれを、僕は今でも網膜に焼き付かせたまま。
 だから、もう君達はいい加減、幸せになるべきなんだよ。
 僕はかつてのことが好きだった。僕の隣で笑っていてくれたらな、なんて夢を見たこともある。でも、だけど君に必要なのは僕ではなくてローレンツだ。僕は、君が昔のように笑っている姿を見ただけで、幸せだ。充分すぎるくらいに。
 結ばれた二人の門出を祝う聖句を、僕は初めて口にする。祈るように組んだ指に、僕はもう力を入れはしない。


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