1186年 花冠の節
拝啓 =フォン=アレキサンドル様
アレキサンドルの庭園の白薔薇が雨に映える季節となりましたが、お元気でしょうか。こちらは皆、変わりなくやっています。
あなたがグロスタールへ向かって二節が経ちました。そろそろ戻ってくる頃だろうか、と話していた矢先に、まさかリーガンから手紙が届くとは。てっきりグロスタールの屋敷で諸事を片付けているものとばかり思っていたので、家族一同驚きました。代表して、俺が筆を取った次第です。
グロンダーズでの戦いを制した王国軍がガルグ=マクを発ち、王都へ向かったという報せはアレキサンドルにも届いていました。それを受けて帝国軍が同盟領内に進軍してくる可能性もあるとは上官から聞かされていたので、俺自身覚悟はしていたのですが、ソフィーやノエルには伏せてあります。あの二人はまだ幼いとは言え、賢いから、本当は隠されていることすらも理解して、知らないふりをしていてくれているのかもしれないけれど。
アレキサンドルは帝国領からリーガンへの直線上にはないから戦場になる心配は少ない、とは言われていますが、実際どうなるかは蓋を開けてみねば分かりません。けれど、どうか安心してください。もしもこのアレキサンドル領内に帝国兵が足を踏み入れようと、アレキサンドルに駐在している俺達の軍が、民を守り通してみせます。
なんて、実際に戦場に立ったことのない俺に言われても、説得力はないかもしれないな。まあ、死なない程度には頑張ります。死ぬまで頑張ったら、あんたに怒られそうだから。
ドロテア以外に手紙を書くなんて初めてだから、何だか不思議な感じはするが、この際だから普段言えなかったこともついでに書いてみようと思う。ここからは俺の個人的な話だから、時間があるときにでも目を通してもらえたら嬉しい。
今だから言うけれど、俺はアレキサンドルに連れて行かれることが決まった十二の秋、本当は嫌で嫌で仕方なかったんだ。ソフィーとノエルはドロテアの「優しいお友達がいる」なんて聞き心地の良い言葉を鵜呑みにして勝手に期待していたみたいだったけど、俺は世の中そういう人間ばかりじゃないってことをもうとっくに理解していたし、それが貴族だっていうなら使用人として潰れるまで働かされて、最後はその辺に捨てられるんじゃないかって思ってた。しかも、半年前に帝国によって接収されかけた家だっていうんだから、帝国の出の俺達なんか恨まれて当然だって。
アンヴァルからは長い旅だった。馬車を使って、歩いて。女と子供だけだったから、途中何度も危ない目にあったけれど、ドロテアは俺達を守ってくれた。もしも俺が武器を使えたらって思ったのもこの頃だ。それまでも歌劇団の雑用をこなしていたけれど、剣舞ってやつには興味があったし、本当は騎士に憧れていた。平民どころか親もいない、何の後ろ盾もない俺には過ぎた夢だと知っていた。だから、諦めていたんだよ。十二のときには既に、人生ってやつを。
わざわざ恨まれ、誹られるために同盟下りなんかに行かなくても、俺はアンヴァルで適当に暮らす。そう言ったのに、ドロテアは有無を言わさず俺を引きずっていった。俺は、アンヴァルの外を知らなかった。あの腐敗した美しさしかない箱の中が全てだと思っていたから、外に出て驚いた。
要塞は本当に馬鹿でかい壁で囲まれていて、平原っていうのは先が見えないくらいに広かった。野良猫や犬以外の野生の動物を初めて見た。アミッド川は想像よりもずっと川幅が広く、雄大だった。橋を渡るときは平気な顔をしていたけど、本当は緊張で震えていたんだ。同盟領に入ったら殺されるかもしれないって、そう思ってたから。
だけどそんなことなかった。同盟領に入ったところで、別に変わらなかったんだよ。空気のにおいや、風が冷たくなったくらいで、言葉も通じないわけじゃなければ、良い奴も悪い奴もアンヴァルと同じくらいの比率とは言えないものの確かに存在していて、俺は何だか肩すかしを食ったような気分になったんだ。
は知らないかもしれないけれど、ドロテアも多分、俺達をが受け入れてくれるかどうかに関しては、半々くらいの気持ちでいたんだと思う。アレキサンドル領に入って、広々とした麦畑にはしゃぐソフィーとノエルを見つめていたドロテアの横顔は、確かに強ばっていたから。
アレキサンドルは、美しいな。
空気が淀んでいなくて、汗水流して働く皆はいつも笑っていて、余所者の、いや、領主を殺した国の子供である俺達にすら優しくしてくれて。
俺はドロテアの後について初めてアレキサンドルの屋敷に入ったあの日のことを、今でもよく覚えている。は突然の来訪者であった俺達に目を丸くしていた。ドロテアの姿を見たときに、俺達がアドラステア人だってことも分かっていただろうに、負の感情の一切を表さなかった。
ドロテアの後ろに隠れてしまったソフィーに「怖くないよ」と慌てて口にしたを見て、あまりにも想定外だったから、俺は本当にこの人がそうなのかとドロテアに目だけで尋ねてしまったくらいだ。頷いたドロテアに、こんなんだから帝国に付け入られたんだろうな、なんて思ったよ。生きにくそうな人だなとも。
実際は危機感のない人だったな。俺に剣を教えてくれると言ったとき、嬉しかったけど、それと同じくらい大丈夫か? って思った。大丈夫かこの人、こんな俺のことを信用して、って。あの頃のアレキサンドルはグロスタールに既に吸収されていて親帝国派に名を連ねていたけれど、それが生き残るための選択だってことを分からないほど俺は子供ではなかったし素直でもなかった。帝国の人間に武器の扱いを教えるのって、どう考えても危険だろ。ほんと、あんたはおめでたいよ。俺が悪い奴だったらどうするんだよ。手の皮がずるむけになった俺に、気づかなかったことを半泣きになって謝るあんたは、やっぱりこんな時世を生きるには少し向いてなかったんだろうな。
ローレンツさんは、そういうの足りないところを全部埋めてくれていたんだと思う。は気づいていなかっただろうけど、あの人は俺に武器の扱いを教えることをきちんと危険視していたから。
あの人の信頼を得るのにかかった時間は、二年か、三年か。も少しは見習った方が良い。世の中はそんなに優しい人間ばかりじゃない。
だけど、あんたがそんなんだから、俺もソフィーもノエルも、幸せだった。今更家族が出来るなんて思ってもみなかった。あんた達が敵国の子供を受け入れる底なしのお人好しだから、俺は祖国を敵に回すことに決めたんだ。
祖国っていっても、十二年ただただ暮らしていただけの街だ。思い入れなんかないさ。そりゃあ恩人でもあるドロテアが敵側にいたらちょっとは躊躇うかもしれないけど、それでもグロスタールの、同盟の兵士になった俺がすることは一つだ。
リーガンに残ってかつての同級生と共に戦うっていう選択を取ったあんたがもしも今復讐の念にのみ囚われているっていうなら、ひっぱたいてでも止めたいとは思うが、それでもあんたの傍に仲間がいるっていうなら、俺はその仲間を信じるよ。
ソフィーとノエルはが戦場に出るとは知らないんだから、だから、どうか無事で。できれば怪我の一つだってあんたにはして欲しくないし、戦場にすら出てほしくはないくらいなんだけど、そうもいかないんだよな。俺は上官の命令通り、アレキサンドルでここに残る皆を守る。
ただ、覚えておいて欲しい。
あんたに何かあったら、ローレンツさんが悲しむってことだけは、絶対に。
無茶だけはしないでくれ。どうか、体を大切に。
オーランド=コルタス 拝
「おーいオーランド」
屋敷を出た時、先輩の兵士に声をかけられた。
間延びした声に緊急性は感じられないが、それでも名前を呼ばれると、焦燥感のようなものがじわりと皮膚の隙間から滲み出てしまう気がする。心の中で三まで数えて平常心を保ち、軽く目を閉じて表情を落ち着かせてから振り向く。先輩はいつも通り気の抜けた顔をしていて、それでようやく、ああ、大丈夫だ、と思うのだ。
「野営用の天幕が一つ足りないんだが、知らないか?」
「……天幕? そんなでかいもん、なくなるんですか?」
「それがないんだよ。まさか野営訓練で忘れてきたか?」
「あれを? 忘れようがないでしょう。最近ここらへんも治安が悪いですからね。盗まれたのかも」
「マ〜ジかよ……誤魔化せねえかな……」
「さすがに天幕となると、誤魔化すのも厳しいですね」
「あー……仕方ねえな、叱られてくるか……。……ん、それ手紙か?」
「はい。丁度そちらに向かう商人がいるので、リーガンに届けてもらいます」
「ああ、奥方様にか」
とローレンツさんは婚約をしていただけで、実際に婚姻を結んだわけではない。だけどグロスタール兵は、二人をそういうものとして扱っているし、それはローレンツさんが亡くなった今も変わらない。
俺にとっての二人はほとんど、姉と兄のようだった。
俯いて、封をした手紙をじっと見る。どんなに祈っても届くかも分からないけれど、少なくとも、間に合え。