イグナーツくん、ラファエルくん、レオニーちゃん、そしてリシテアちゃんは、もうこの世にいないらしい。



「星の一つになると、フォドラでは言うんだよな」



 クロードくんの言葉は、けれど他人事と言うには情感が籠もりすぎていた。
 それでも私は、すぐにはそれを信じることができなかった。お兄様のときと一緒だ。四人は生きているように思えたのだ。私の知らないところでひっそりと。イグナーツくんとラファエルくんは騎士として、レオニーちゃんは傭兵として、リシテアちゃんはコーデリアで政務を手伝って。だけどクロードくんはそれを否定する。皆は、彼の目の前で命を落としたと。
 リシテアちゃんだけはコーデリアの墓地に埋葬することが出来たけれど、イグナーツくんたちはグロンダーズの戦場に残さざるを得なかった。嘘だと否定してほしかったのに、クロードくんは撤回してくれない。そんな嘘を吐く人であるはずがないのに、分かっているのに、それでも今からでも冗談だと言って欲しかった。皆との思い出がぐるぐると脳裏を駆け巡って、耳の奥がきんと鳴る。
 私は、皆に会えると思っていたのだ。
 グロンダーズの敗戦があっても、それでも彼らは生きていると思い込んでいた。一瞬でもその生を疑えば、グロスタールのお屋敷から一歩も動けなくなるだろうと本能で察していたせいかもしれない。ローレンツくんの死に打ちのめされていたあの日々に、もしも動き出すことが出来ていたら、けれど私はグロンダーズでの戦いに参入していただろう。そうしたら彼らにもう一度会えたはずだった。この思いは後悔というには少し形が違う気がする。ただ生きていて欲しかったと願うだけの私は、利己主義者だ。
 魚釣り大会で針に餌をつけてくれたイグナーツくんの横顔も、私のお皿にどんどん食べ物を流し込んだラファエルくんのあの笑顔も、大修道院へと続く緩やかな坂道に息が上がった私を呆れたように眺めていたレオニーちゃんの表情も、いつかまたこうして会えたら嬉しいと微笑んでくれたリシテアちゃんの温度も、私は全て覚えていると思っていたのに、ふとした瞬間に先の方から消えかけていることに気がつく。あとからあとから流れる涙の中に、その欠片が混ざり込んでしまったように思えて、それが、たまらなく恐ろしい。全てを抱えたままでいたいのに、私の脳が、それを薄れさせてしまう。
 クロードくんは私が泣き止むのを待たずに、言葉を重ねていく。 
 円卓会議における話し合いは、滞りなく進んだと。
 グロンダーズの敗戦により、兵力のほとんどを失ったことが原因なのだろう。私達に残された選択肢はそう多くなかった。今同盟領内に残っている兵力を全て掻き集めたとしても、それはほとんどが東のパルミラを警戒するゴネリル家のもので、この戦のためにそこから離れさせてしまえば外敵からの侵攻を止める手立てがなくなってしまう。これ以上帝国と戦うには、同盟は兵を失いすぎていた。



「これ以上は、手詰まりだな」



 クロードくんの静かな声が、本当に終わりだと告げている。
 同盟は終わるらしい。
 同盟には二つの選択肢がある。帝国に従属し、その支配を受けるか、或いは王国に臣従を表明するか。飲み込むには大きすぎる塊をどんどん与えられて、私はどうしたらいいのか分からなくなる。頭に雑音があって、「俺はディミトリ達にフォドラを託す」と、クロードくんは静かに言葉を重ねるから、ちょっと待ってほしいと、言いたいのに言えない。
 元々同盟領は王国から分かたれて生まれた、それが元に戻るだけだ。言い聞かせるようにそう考える。帝国か、王国かと言われれば、そちらを選ぶ他はないのだろう。私達は帝国に降るには既に多くのものを奪われすぎている。お兄様も、仲間達も。ローレンツくんだって。
 直接的にローレンツくんの命を奪ったのは帝国軍ではないけれど、元の原因を作ったのは彼らだ。分かってはいるし、これから王国に臣下の礼を取る以上は、この蟠りは消し去っておかねばならない。彼らだって、目の前に立ちはだかる以上は倒さねばならなかった。そしてローレンツくんは己の責務を全うし、命を落とした。実にローレンツくんらしい最期だった。もう消化したはずの後悔や痛みは、そういうことを考える度に不意に蘇って私の目の奥を熱くさせるけれど。
 三百年の歴史の帰結点がここなのかと思うと、何だか俄には信じがたいような、不思議な気持ちになる。勿論、解散したからと言ってフォドラの北東部にあるこの地そのものが消滅するわけではない。連綿と続いていた人々の暮らしを、ディミトリくんに託すことになるだけだ。
 だけど、そしたら私はどうするべきなんだろう。



も俺と一緒に来るか?」



 クロードくんにそう切り出されたとき、だから、その言葉の意味が理解できなかった。
 息もできなかった。それこそ冗談だとも思った。だけど、きっと彼は本気でそう言ってくれた。未だに消化し切れていない私の痼りの形を、クロードくんは知っている。私を足のつかない海から連れ出そうとしてくれている。
 それでも受け止めきれなくて、ぽかんと目と口を開けたまま彼の顔を見つめる私に、クロードくんは小さく笑った。「突拍子もなかったな。悪い」そう言うものの、言葉自体を撤回することを、彼はしない。



「今、王国軍は王都の奪還を目指しているらしい。それが叶えば、あいつらに後顧の憂いはなくなる」



 王国軍はまさに内憂外患の状況で、これまでのディミトリくんは帝国という外にばかり目を向けていた。もしも今ここで王都の奪還が果たされれば、憂慮すべきだった兵や兵糧の不足も解消されることになるだろう。そこに同盟軍が加わることを、拒むことはないはずだ。そうクロードくんは計算している。



「目を覚ましたディミトリは、きっと良い王になる」



 本来、苛政に喘ぐ民を無視するような人ではないと思っていた。ディミトリくんがその武器の向ける先を変えたのであれば、それは決して悪い兆候ではない。彼ならば、王国領だけでなく、臣従を表明した同盟領に住まう民たちをも救ってくれるはずだ。同盟貴族のことだって、悪いようにはしないだろう。領地を再編することなく、それぞれの家に、そのままの統治を認めてくれることすらあるかもしれない。勿論、彼らが帝国に勝った後の話にはなるけれど。
 彼らに託す道しかもう残されていないならば、私は、このかすかな痛みと呪いを抱えて生きなければいけない。そう思っていたのに、クロードくんは私にもう一つの選択肢を与えるのだ。
 クロードくんは王国軍に全てを託した暁には、レスター諸侯同盟領を離れるつもりでいるらしい。一緒に来るか、っていうのは、つまりそういうことだ。どこに行くつもりなのかは、分からないけれど。
 私は彼がどこから来たのかも知らなかった。突然公表されたリーガン家の後継者、彼がそれまでどこで過ごしていたのかを知る人物は、きっとそう多くない。秘境の隠れ里にでも住んでいたのか? とガルグ=マクにいた頃口にしたのは、レオニーちゃんだった。それにクロードくんはお腹を抱えて笑っていたけれど、もしかしたら、当たらずとも遠からずだったのだろうか。そこで彼は、余生というには長すぎる日々を過ごすつもりなのだろうか。居場所のなくなった私を連れて。
 今すぐに答えろとは言わないと、クロードくんは私の目をじっと見つめる。



「まだ俺には最後の仕事が残ってるからな。その後で、答えを聞かせてくれよ」

「最後の仕事?」

「王国軍が王都に向かった今、恐らく帝国軍は同盟を攻める。一直線に、リーガンまで」



 何てことないように口にするクロードくんが、私はこのとき、何だか自分と同じ人間であるように思えなかった。だけど、言われてみれば確かにそうだ。王国軍が帝国から離れた今、帝国は力を失った同盟を確実に仕留めに動くだろう。



「本軍は動かせないとは思う。エーデルガルトも大層な怪我をしたようだしな」



 だけど、それでも同盟軍よりは遙かに軍備は整っていると見て良い。
 兵は足りず、ゴネリルから借り受けることも出来ない。先の戦いで兵を出さずにいたダフネルと、残った兵だけで帝国軍の攻撃を防ぐことはそう簡単なことではないだろう。



「だから、まあ、あとは賭けだな」

「……賭けって」

「ここまで負け続けたが、俺はこの賭けには勝つよ」



 根拠があって口にしているのだろう。クロードくんが口角をあげる。そのとき不意に、ガルグ=マクで、並んで座った日のことを思い出した。目の前がぱちぱちと音を立てて光るような感覚ですらあった。
 私が壁にぶつかったとき、彼はいつも隣に座ってくれた。放課後の教室の、橙に染まる片隅。クロードくんの細めた目が、宝石のように輝いていたあの双眸が、今ここにある。私が惹かれたその色は変わらないまま、私が持ち得なかった自信と輝きを持って、彼は笑う。



「どんな手段を使っても最後くらい勝ってやらないと、あいつらに示しがつかないだろ?」



 私があの日信奉した神様は、まだフォドラにいた。








 夜が明けてしまった。
 私は寝台に横になりながら、ほとんど眠れないままに朝を迎えてしまったことに気がつく。窓掛けの合わせ目からは薄く朝陽が差し込んでいて、微細な空気中の塵がきらきらと輝いていた。それを視界に入れながら、私は、これからのことを考える。
 最後くらい勝ってやらないと。
 クロードくんのその言葉が、ずっと耳にこびりついていた。それに気がついた時点で、心はもう決まっていたのだ。
 起き上がって、机の上に置いていた革手袋をはめる。その下に隠れた左手の薬指には、今も指輪が光っている。


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