親帝国派と講和を結んだクロードくんは今、同盟諸侯を糾合して兵を掻き集め、帝国領に進軍する準備を始めている。だからアレキサンドルにいるお母様がリーガンより私宛の書簡が届いたとその手紙をグロスタールに寄越したとき、私はその件についてのことだろうと察した。
 帝国は今ミルディン大橋を攻め落とされたことを受け、メリセウス要塞に兵を集めているらしい。その規模は王国軍の倍以上で、恐らく皇帝が直接軍を率いているのではないかと推測されるとのことだ。帝国の戦力が王国軍の倍ということは、単純に考えれば同盟と王国が手を組めばその戦力差は拮抗するということになる。勝ち目のない戦を好まないクロードくんは、もしかしたら王国軍と共闘する道を選ぶのかもしれない。
 ローレンツくんの命を奪った人たちと。
 そんなどうしようもないことを考えている自分を自覚しながら、ローレンツくんの手紙と混ざらないように、クロードくんからの手紙の封を切らないまま窓際に置く。
 ローレンツくんを殺したのが誰かを知りようがないことは、幸運だった。私には王国軍に身を置いているだろうルーヴェンクラッセの人達の中に友人と呼べる人物が何人か居たし、もしもその中の誰かがローレンツくんに武器を向けていたと知ったら、それだけで苦しくて、正常でいられなくなる自信があったから。それでもやっぱりお腹の底が痛むように感じられて、慌てて首を振った。



「……まだまだいっぱいあるなあ」



 机の上に並べたローレンツくんのお手紙を見回してそう呟くことで、負の思考に陥りかけていた自分の気を逸らす。
 ローレンツくんの部屋は元々きちんと整頓されていたし、今更私が片付けるものなんてなかったけれど、お義父さまはローレンツくんが好んで書き物をしていることを存じていらっしゃったらしい。「君宛のものがあれば全て持って行ってくれても構わない」と仰ってくださったから、私はこうして、彼の手紙を整理している。時折お義父さまに宛てられたものも混ざっていたから、そういうのは中を見ずに、逐一お義父さまにお渡しすることにしていた。
 お義父さまは私が彼の部屋から出てきたあの夜、私の指に光るそれに目を留められて「そうか」と、ほとんど全てを理解したように小さく頷かれた。私がお義父さまと呼ぶことも、そうして受け入れてくださったのだった。
 反帝国派と親帝国派が講和したことを受けて、アレキサンドルの地は戦から少しだけ遠のいた。グロスタールの兵をその領内に置く必要がなくなった以上、お義父さまが暗にそれを許可するような発言をしてくださったように、ただの穀倉地帯として、リーガンやダフネル、グロスタールに守られ存在する小さな家に戻ったって良かったのだ。
 それでも私は今更、元のアレキサンドルに戻りたいとは思えなかった。ローレンツくんのしてくれたことを否定したくなかったのもあったけれど、併合からこの春で五年、アレキサンドルはこれまでよりもずっと安定した作物の出荷ができるようになっている。グロスタールがその管理を徹底してくれているからであるのは言うまでもなく、それらを維持したまま、私が一人でアレキサンドルを治めることは難しいと理解していたのだった。
 アレキサンドルはもうこのままグロスタールの一部になる。その時、亡くなった子息の婚約者だった私の存在は宙に浮いたようになってしまうけれど、未だ戦争の続くこの状況では、それ以上の身の振り方を決めることは難しい。だから「落ち着くまではいくらでもここに居て構わない」と仰ってくださったお義父さまの言葉に甘えて、私はこうして、日がなローレンツくんの書いた手紙や、時折思いついたように混ざり込んだ詩を、整理をしつつ読んでいる。いつまでも婚約者である顔をして。
 ローレンツくんの詩は、なんだかすっと心に入り込んでくるものであるように思えた。平和な世の中だったら、詩人の道だって選べたのかもしれない。
 そういえば士官学校の寮でも何か書いていたな、うっかり目にしてしまって、見ていないととぼけたけれど、あれはきっとばれていた。ローレンツくんはどうしてか、私の嘘を簡単に見抜いてしまう目を持っていたから。
 ローレンツくんのことを考えていると、かさかさした心の上に雲ができて、そこからもたらされた水分で少しずつ、心がふくふくしていくような感覚になる。けれどそれは夜を跨いではくれないから、そうすると次の朝、私はやっぱりかさかさになっていて、ローレンツくんの部屋に行く。縋り付くように彼の手紙を繰り返し眺めている。そうして今更私は、もうここにはいない彼の苦悩を見る。私のことで苦しんでいた彼を、私は自分の心に置いていく。それらの一つ一つの影に自分を縛って、自らそうして身動きを取れなくすることで、どうにか息をしているように感じている。
 だけどそうしていても、どうしても自分の身体の左側に放っておかれているクロードくんからの書簡に意識の数分の一を奪われてしまうのだ。
 クロードくんから手紙をもらうのは二度目だ。お父様が亡くなられたとき、いつまでもガルグ=マクに戻ろうとしなかった私にヒルシュクラッセの級長として彼が書いてくれた手紙は、今でも自室の机の中に入っている。最初で最後の手紙だろうというあの時の私の直感は呆気なく外れて、今、こうしてほとんど五年越しに彼からの手紙を受け取っているのに、あの頃のような高揚感とは遠く離れた位置に今の自分は立っていた。封を切ることが、なんとも言えず、気が重かった。
 ローレンツくんの死を悼む手紙は既に同盟領のあちこちから送られてきている。リーガンは勿論、ヒルダちゃんのおうちのゴネリル家、リシテアちゃんのコーデリア家、ダフネルやエドマンド、その他小さな家からも。私はグロスタールに到着して以来十数日が経った今ですら自分の気持ちが整理しきれておらず、こうしてローレンツくんの手紙を並べて、それをじっと眺めている。そういうときも、不意に自分の魂がどこかあらぬところに飛んでいってしまうような感覚に陥る。なんだか現実味がないのだ。食事をしていても雲を食べているみたいだし、お義父さまや侍女の方と会話をすることがあっても、言葉が出てこなくなるときがある。
 グロスタールのお屋敷の外では、それでも世界はきちんと動いていて、ローレンツくんの死を皆が受け入れている。彼の死に報いるためにも武器を持てと声高に叫ぶクロードくんが居る。私はそれを責めているわけではない、同盟領を背負う身であるならば当然だと思う。だけど、私はその背の後ろを追いかけることが、できないような気がしているのだ。
 横目で窓際に置いた書簡を見る。リーガンの印が押されているそれは、渡されてからよく見ないで窓際に投げてしまったけれど、私はその時ようやく、それが二通分あったことに気がつく。








ちゃん、お手紙読んでくれたかなー」



 ヒルダはそう言いながら眉根を寄せた。パルミラへの牽制のためにどうしてもゴネリルから離れられないホルスト将軍に代わって合流したヒルダは、五年の経過を思わせない口調で「やっぱりアレキサンドルに直接迎えに……って、それじゃあ無理矢理だよねー」とぼやく。風貌は学生時代に比べれば随分と大人びたが、男が放っておかないだろう雰囲気ってのは健在だった。



「そうだなあ。が手紙を読んだとして、俺達に力を貸してくれる可能性は、半々ってところだな」



 王国軍が目論見通りにミルディン大橋を落としてくれたのは良かったが、その中で唯一危惧していたことが起きてしまった。ローレンツが王国軍との戦いにおいて戦死してしまったのだ。
 王国軍の軍勢を過小評価した上で帝国に義理立てしようと戦場に向かったのか、はたまた他の思惑があったのかどうかは、死人に口がない以上俺には分からない。ただ子息を失ったグロスタール伯が、これまでの反リーガン体制をはっきりと方向転換してくれたのは不幸中の幸いだった。グロスタール伯自身はもう戦場に出る気はないようだったが、帝国への攻勢にあたってほとんどの兵を貸し与えてくれるらしい。
 傭兵団に所属するレオニーや、これまでも協力してくれていたラファエルやイグナーツの力もある。エドマンド家からは、兵は出せないがと軍資金だけはたんまりいただいた。その領土の位置が災いして親帝国派とならざるを得なかったコーデリアのリシテアの力を借りられるのもでかい。そうして同盟内の総力を合わせたところで、しかし帝国にはどうしたって及ばないのが現状だ。
 一旦は王国と協力するのが一番現実的な策であるように思うが、だが、妄執に囚われたディミトリは話を聞いてくれるだろうか。先日駄目元で出した使者は未だ戻らず、このまま行けば俺達はどこかでぶつかることになるだろう。協力を拒否されたからと言って、ディミトリ達をみすみす放っておくのは駄目だ。ミルディン大橋で勝利を収めたとは言え、王国軍自身もその兵力を大きく損なったに違いない。彼らが一節やそこらで出来ることと言えば、そうだな、ガラテアは貧しいから無理として、ガルグ=マクにも程近いカロン家に援軍の要請を行うことくらいか。だが、そうしてどうにか軍としての体を成したところで、恐らく自ら指揮を執るだろうエーデルガルトの軍を潰すことなど到底叶うまい。さすがの俺も、今王国軍に無駄死にされるのは困る。死ぬならもう少し、帝国の力を削いでからにしてもらわないとな。なんて、こんな腹黒いことは表には出せないが。
 に手紙を送ったのは、別にその力を当てにしたからというわけではない。そもそもあいつはそこまで戦いには向いていなかったし、一部隊を指揮するのも苦手だ。衛生兵として後方で支援に徹することもできないならば、わざわざ危険が想定される帝国との戦いに無理に合流してもらう必要はない。だがそれでもああして手紙を送ったのは、ローレンツを失ったの心が少しでも穏やかになりはしまいか、なんていうお節介半分、今後のことを考えて、その隙間に存在を示しておくという打算半分。ヒルダが俺の意図を読んでいるとは思えないが、「あたしもちゃんにお手紙出すよー。今まで同盟内が二つに割れちゃってたせいで、会いに行くこともお手紙を出すこともできなかったんだもんー」と言ってくれたのは有り難かった。
 は今、少しでも外と繋がらなきゃならない。これからも彼女が真っ直ぐ生きるために。そういうことを考えちまうのは、ガルグ=マクで過ごした一年を、俺自身が割と気に入っていたからなのだろう。
 への手紙には、ローレンツを失ったことへの弔辞と、これからのフォドラについての話を少しだけした。俺の策をあいつに信じさせてやれなかったせいで、ローレンツは死んだのだろう。すまないと、そう書きかけたその手紙は、破いて捨てた。それは直接彼女に伝えなければならない言葉だった。
 の周りで何かが起きるとき、必ず傍にいたのがローレンツだ。対立を演じざるを得なかったとは言え、何年も顔を合わせていない俺は、そもそも軽率に二人の関係に触れてはいけなかったのかもしれない。
 ガルグ=マクでの一年を過ごしたが故の推論に過ぎないが、なあ、、お前は多分ローレンツが好きだっただろ。自分で気づくのが遅かっただけで。
 そう思っているからこそ、俺はその傷に直接触れず、彼女が立ち上がるのを待っている。
 この手は差し出しておくが、それを取るか取らないかを最後に選ぶのは、だ。








 結局共闘要請の書を送った王国軍からも、からも返事は来なかった。
 改めて王国軍に向けて送った密偵からの連絡を受けて、俺達は同盟領内を南下する。途中コーデリアのリシテアと合流し、ミルディン大橋に比べれば随分と軍備の薄い橋を落とし、帝国領内へ侵攻。ミルディン大橋を発ち帝国領土内に進軍した王国軍と、それを迎撃するためにメリセウス要塞から出立した帝国軍と相まみえる形になったのは、奇しくも五年前、俺達が共に競い合って戦った鷲獅子戦の部隊である、グロンダーズ平原だった。


prev list next