ガルグ=マクに送りこんだ帝国の密偵からの連絡が途絶えたらしい。これで少なくともこの孤月の節に至っては、向こうの正確な情報を得ることができなくなってしまった。彼らと合流しているセイロス騎士団の中に、そういう人間を見つけ出す観察力に優れた人物がいたことを思い出し、苦虫を噛み潰すような思いになるが、こればかりは致し方ない。
 先生達は挙兵した。フラルダリウスから援軍や物資を受け、その力は着実に蓄えられつつある。だが、そんなもの帝国の圧倒的な力を前にすれば無力も同義だった。
 だからこそ僕は彼らがそのまま王都に向かうものとばかり思っていたのだ。王都フェルディアを占領する公国軍を打ち倒し、そこで軍を再編、まずは国内にいる帝国兵力を一掃するのが本来の王侯貴族としてあるべき姿だ。喘ぐ民を前にして、彼らに背を向けて敵国の総大将の首を狙うなど愚の骨頂だと。
 そう僕は信じていたから、孤月の節の終わりを目前に控えた三十日、クロードが自ら軍を動かしてグロスタール軍を引きつけるような動きを見せたことについて、ほとんど失望に近い気持ちを抱いてしまった。その動きの意図するところを理解できぬほど、僕は愚かではなかったのだ。
 ここ数節、リーガンへの反発を益々強めていた父はクロードの挑発に乗った。出立の直前になって、僕にまで挙兵を命じられたものだから、僕は言葉を選びながらも訴える。



「父上、これはクロードの仕組んだ罠かもしれません。不愉快なことですが、あれは卓上の鬼神と呼ばれる男。グロスタールが無人になるのを待ち、その隙を突いて一息に攻め込む気かもしれません。その可能性を潰しきれぬ以上、私はいざというときのためにグロスタールに留まるのが最善でしょう」



 父も聡い人であるから、僕が残ることに関しては納得していただけた。
 だが、部屋に戻り一人になった瞬間、握った拳を閉めたばかりの扉に叩きつけてしまう。貴族らしくない行いと知りながら、どうしても感情の昂りを抑えることができなかった。
 灯りの消された部屋の中、呼吸を整えながら、目の焦点を床に合わせる。途切れ途切れの息が徐々に正常に戻っても、それでも心臓の鼓動だけは正直で、煩わしいほどに耳についた。
 僕は父に告げたように、本当にクロードがグロスタールの横腹を突くと考えているわけではない。
 ガルグ=マクに集った王国軍が着実に戦力を増強させている中でのこの不可解な動き、恐らくこれは陽動だ。僕達グロスタール兵をリーガンに引きつけておいて、その後背を王国軍に通過させるための。
 彼ら王国軍は何も僕達親帝国派の同盟貴族を攻撃対象としているわけではないから、リーガンに引きつけられた僕達を挟撃しようとは考えていないはずだ。兵力の増強が出来たとは言え、彼らの狙いが直接帝都アンヴァルへ向かうことであるとすれば、無用な戦いは避けようとして然るべきなのだから。
 彼らが戦場として見ているのは、同盟と帝国を繋ぐミルディン大橋。彼らはあの橋を押さえている帝国軍を潰すつもりだ。そしてクロードはそのための協力要請を受けて、僕達を釣っている。恐らく王国軍は既にガルグ=マクを出てミルディン大橋へと向かっているだろう。反帝国派の動きにつられて父の目がそちらに向いたまさにこの時、グロスタールの南西部分を通過していると考えてすら良いはずだ。



「……は」



 何も面白くはないのに、笑いがこみ上げてくるのはどうしてか。
 王国軍の目論見も、彼らがこれからどう動こうとしているかも、僕は読めている。だが、なあ、クロード。皮肉なことに、僕は君の考えていることだけが少しも読めないんだ。
 何故だか立っていることすら辛くて、体重を扉に預けたまま、僕はずるずると床に座り込む。俯けば、片側だけ伸ばした髪が視界に入った。随分長くなってしまった。の髪だってそうだ。
 あれから五年。離れていたとは言え、これだけの日々がありながら、僕はとうとうクロードのことを真には分からず仕舞いだった。
 同盟のために動いているのだろう。僕はそう信じていた。ここに来て仲間を見捨てるような人間ではないと。だからこそ君の演じる内乱に乗った。君が軍を動かせば被害が出ない程度の小競り合いを演じたし、クロードの思惑を知らずにリーガンと決着をつけようとする父に未だその時ではないと訴え、そうして君が正しく動き出すのを待った。
 君の考える策に頼らざるを得ない状況であったことは、申し訳なく思う。僕が必死で作り上げた安定は、砂上の楼閣だ。帝国の傘下に本気で降ったわけではないし、いつかあの尾に噛みつく瞬間を僕は待っている。そう言って同盟の未来を憂いながら、僕は自分の手の届く範囲しか守ることが出来なかった。本来ならば、君と肩を並べて帝国に立ち向かいたかったのだ。こんな風に作り上げた舞台の上で、まどろっこしく踊ることなどないままに。
 分かっていた。僕はクロードに頼りすぎていると。それはあのガルグ=マクで共に過ごした一年があったからだ。僕の君への信頼はあの日々の間に少しずつ形成されていった。最初は、やはりどうしても反発してしまったけれど。だが君は、悔しいが頼りになる男だった。ヒルシュクラッセの級長としても、同盟領の未来を背負う男としても。その素性はどうしても怪しかったが、そんなことすらも最後には些事であるように思えた。が君を好きになったのだって、当然だ。君はまるで光のようだった。
 それがこの五年、僕の中でその信頼が静かに摩耗していたこと、それについて僕は知らぬふりをし続けてきたと、認めなくてはならないのかもしれない。
 君を信じる他なかった。を、グロスタールに住む民たちを、僕を信じ受け入れてくれたアレキサンドルの人々を、ソフィーを、ノエルを、オーランドを、僕は守らねばならぬと思っていたから。
 だが僕は、君にも、僕自身にすらも、枷を与えてしまっていたのだろう。クロードならば何とかしてくれると君に全てを押しつけた。本当は、今でも信じていたかったけれど、僕と君を繋ぐこの線がいつの間にか腐りかけていたことに、僕は気がついてしまった。
 僕はここに来て、君の考えていることが本当に分からなくなってしまったのだ、クロード。
 王国軍を帝国に通して何になる。
 今の戦力を考えれば、彼らは無駄死にだ。ガルグ=マクで挙兵した彼らがここで命を落とす。残るのは多少の傷がつけられた帝国だろう。それでは今までの構図と変わらないではないか。彼らは王都に行くべきだ。そこで喘ぐ民を救うべきだ。そしてその後で、僕達同盟と彼ら王国とが手を取り合い、帝国を打倒すべきではないのか。ここでむざむざ散らせていいはずがないのだ。
 だから彼らを今、帝国に向かわせてはいけない。王国軍が潰えたとき、その先に建つのは同盟の墓だ。
 ――クロードは、本当に同盟を救う気があるのだろうか。
 今まで考えないようにしていた思いが脳裏を過ぎった瞬間、とうとう僕は呼吸を止めた。
 服の上から、胸元にある首飾りを握りしめる。が学生時代から肌身離さずつけていたものだと知っていた。亡き父君からの贈り物であるということも。それを彼女は僕に渡してくれた。
 あの守護の節の夜のことを、僕は今でも覚えている。色鮮やかに。
 を置いて死ぬわけにはいかない、彼女の未来はもう何者にも奪われてはならない。僕は彼女のいる同盟を守るために、動かねばならないのだ。








 奇跡だなんだと言われているが、俺は勝つべくして勝ったんだと思うんだよ。
 ついこの間の、ガルグ=マクでの防衛戦の話さ。守護の節、ディミトリとベレト先生率いる王国軍は、セイロス騎士団の力を借りながらも帝国の将を撃退。それも、どうやら相手はベルグリーズに連なる名の知れた将だったらしいじゃないか。それを奇跡だなんて言葉で括っちゃいけない。そういうのはさ、実力に裏打ちされた何かが必ずあるんだ。天帝の剣っていう存在とか、な。
 だから、王国軍からグロスタール軍を引きつけてくれはしまいかと打診があったとき、俺はようやく始まったと思ったよ。ああようやく動けるってな。
 引きつけてほしいってことは、要するにあいつらは帝国に直接攻め込むってことだ。
 まあ勿論、ディミトリ達は戦力を考えりゃあ王都に戻った方が現実的だろうな。コルネリアを倒してフェルディアを取り戻し、そこで兵や物資を整える。だがそれを選ばなかったってことは、よほど急いでるってことだ。とは言え何もそれは先生や、全員の意思ってわけじゃないだろう。思い当たる男の顔を脳裏に浮かべて自嘲気味に笑う。急いでいるのではなく、誰もディミトリを止められないからの間違いか。
 まあ、今回は良いとしてもミルディン大橋から先が問題だよなあ、なんてぼやけば、ジュディットが「王国軍が橋を落とせるとは思っているわけかい?」と探るような目を見せるから、肩を竦めた。



「おいおい、さすがの俺も死ぬとわかっていて行かせやしないさ。橋は落とせるよ。橋はな」

「どうして」

「なぜって、そりゃあ先生がいるからさ」



 我ながら面白みのない回答だと思うが、まあ、あとは帝国の警戒がそこまで高くはなっていない、というのが大きいだろう。勿論王国軍が国境に近いガルグ=マクで挙兵する前よりかは、その度合いは強くなってはいるはずだが。
 前節、アリルにてフラルダリウスから兵の受け渡しを約束していた王国軍は、そこで帝国に降ったローベ家の攻撃を受けている。秘密裏に行われる予定であったそのやりとりに無粋な乱入者があったってのはつまりガルグ=マクに帝国の密偵が潜んでいたということの証左だ。
 フラルダリウス公の合流もあってその場では勝利を収めた王国軍は、それからさらにガルグ=マクに潜り込んだ密偵捜しに慎重になったらしい。
 なんで俺がそんなことを知っているかっつーと、ちょっと前に同盟から送り込んでいた密偵がひいひい言いながら逃げ帰ってきたからだ。あと一歩遅ければおっかない顔をした傭兵に首を切られるところだったらしい。十中八九シャミアさんだろうな。ジュディットはそんな俺を見て「あんた、密偵なんてもんいつの間に……」と顔を顰めていたが、手に入れられる情報は全部もらっておかないと、だろ?
 今節に関して言えば、帝国の密偵を余すところなく処分したらしい王国軍の動きが直接帝国軍に伝わることはないだろう。それに、もしも王国軍が迫ってくるならば、橋に到達する前にグロスタール軍との武力衝突があるはずだと帝国軍は考える。
 いやあ、帝国の警戒心を削ぐには上手い作戦だと思うよ。よほどの切れ者が王国軍にいると見たね。帝国も攻め込まれる可能性を全く考えていないってことはないと思うが、ディミトリ達が王都を無視する可能性は低く見積もっているだろうし、グロスタールを素通りされるとも思うまい。
 急襲ってのは強い。そこに先生の力が加われば、橋の一本や二本落とすくらい容易いだろう。
 あとはローレンツがきちんとこっちの意図を汲んでくれりゃあいいんだが。
 ここだけは、賭けだ。そもそもそこまであいつが読んでくれるかどうか。よしんばそれが叶ったとして、あの清廉潔白な男が俺のやり方を良しとするか、それが俺には分からないのだ。
 ローレンツはきっと、王国軍は王都に進むべきだと考えているだろう。なるほどそれは正しいよ。王国軍を通過させる俺は、みすみすあいつらを帝国に潰させようとしているようにすら見えるだろうな。だが、まあ、大体あたりだよ、ローレンツ。
 俺はもうディミトリは駄目になったと思うんだ。
 密偵から聞かされた話と、この現状を見りゃあな。妄執に囚われちまったあいつは、きっともうまっとうな治政者にはなれない。
 勿論、そんな風にならなきゃ一番良いとは思うがな。あいつらがミルディン大橋を奪った後、どういう行動を取るか、その後はどうするか、そういうのを俺は見させてもらうよ。どうしようもないなと思えば、或いはディミトリが途中で命を落とすようなことがあれば、俺はあいつらを見捨てる。あいつらが崩し、力を削がれた帝国をそのまま急襲する。
 そんな俺の描いた未来をローレンツは許さないだろうか。



「でも、どうか乗ってくれよ、ローレンツ」



 最後まで俺に付き合ってくれ。
 未来の同盟に必要なのは、俺よりもお前だ。








「……すまない、クロード」



 僕は君が何を考えてリーガンにグロスタール兵を引きつけようとしているのか、王国が潰れるのを待つのかを、理解できなかった。
 僕はクロードの策には乗らない。どうせこうなっては帝国からすぐに援軍要請が送られてくるだろう。その前にミルディン大橋へ向かう。そして少しでも多くの王国軍を撤退させるのだ。
 君達は王都にて力を蓄えるべきだ、そしてゆくゆくは僕達同盟と手を取り、帝国軍を共に倒そう。そう訴えれば、ディミトリ君なら理解を示してくれるのではないか。ベレト先生も無理な進軍をしないのではないか。例えそれが叶わなくとも、シルヴァンなら僕の気持ちを理解して、上手い説得をしてくれるのではないか。メルセデスさんやアッシュ君もそれを支持しはしないか。君達は、だって、あの一年を共に過ごしていたのだから。それは何も、死ぬためではなかったはずだ。
 自身の足に力を入れ、立ち上がる。
 クロード。君を最後の最後に信じることが出来なかった。これが過ちだったかどうかを、僕はもう、知らないままでも良い。


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