やっぱりベルは駄目な子なんです。
 エーデルガルトさんがセイロス聖教会に宣戦をして、ガルグ=マクが陥落してから、もうすぐで五年。その間、アドラークラッセの皆がいろいろ頑張っていたのは知っています。ベルは引き籠もって、そういう情報の一切も遮断したいくらいなのに、酷いですよね、あの扉の隙間から、そういうのは勝手に入って来ちゃうんです。ベルは入っていいよなんて言ってないのに。
 1181年の夏、同盟領が内乱状態に入ったことを受けて、エーデルガルトさんはフォドラの西側から統一を始めることを決めました。内乱状態にある国を攻めるのって、第三国が存在する以上は上手くいかないものみたいです。ほら、なんか、横からちょっかい出されたりすることがあるみたいで。
 でも多分、そういうのを助言するのはヒューベルトさんなんだろうなあ。ヒューベルトさんは昔から、本当に何も怖いものがないみたいな顔で平然と立っているから、ベルはあの人が怖いなって思うときがありました。人間味を極力そぎ落としたような感じがするのに、でもやっぱり人間で、見ていると、ベルの方がおかしいのかなって思ってしまうときがあるから。
 そんな中、五年前、エーデルガルトさんが新皇帝として即位したときにお父様が蟄居を課せられたのは、仕方がないことだったと思います。うちは今までずっと反フレスベルグでしたし。エーデルガルトさんに睨まれるのも仕方ないって言うか。分かりやすく権威を示すためには、そういうのは必要だったと思うんですよね。あ、違うんですよ、恨んでるわけじゃないんです、全然。フェルディナントさんのお父様みたいに軟禁されちゃうよりは、ましだったのかなって思うし。家としてはの話で、私としては出来たらそっちの方が良かったな、って思ってしまうんだけど、これは内緒です。
 でも、どんなに広いお屋敷でも、例えほとんど会うことなんかなくても、お父様と同じ屋根の下にいるのはものすごく息が詰まって、気が狂いそうになるんです。脂汗がじわじわ出て、吐き気がして夜中に目が覚めるんです。これだったら、まだガルグ=マクの寮の部屋にいた頃の方がずっと良かった。あそこにはあたしを追い詰めるような嫌な人は、結局、いなかったから。
 だから、今こうして振り返ってみれば、ベルはもう少し、外に出ても良かったのかもしれないな。
 皆からの視線が嫌で、帝国貴族なのにって目が痛くて、怖かった。アドラークラッセは皆優秀で、きらきらしてて、ベルだけがまるで何の存在価値もないみたいに灰色だったから。ベルはその中では圧倒的に劣等生だった。わざわざ比べるのも烏滸がましいくらい。なんでこんなところにいるんだろうって言いながらお部屋に閉じこもってばかりいたのに、でも、こんなベルのことを気にかけてくれる人がいたから、ベルは、思っていたよりも外の世界も悪くないのかもしれないって思い始めていたの、先生。



「いつも部屋で何をしているんだ」



 ベレト先生は、遠慮とか、そういうのがなかった。
 ベルは、初めのうちは、なんなんだろうこの先生って思っていたんです。皆ベルのことなんて放っておくのに。担任でもない先生が、どうしてわざわざ引き籠もってるベルの様子を窺いにくるんだろうって。もしかして、ベルの弱みを握って、お父様に密告するのかもしれないって思いました。ガルグ=マクで部屋に閉じこもってばかりだなんて知られたら、アンヴァルにあるヴァーリ家のお屋敷から飛んできて引きずりだされてしまうかもしれない。それが怖くて、ベルは仮病を使ったり、居留守を使ったりして凌いでいたけれど、先生は多分、もうそういうのを全部見透かしていたんでしょうね。
 もしも先生がベルの担任だったら、って思わなかったことが一度もなかったわけじゃありません。先生が扉越しに声をかけてくることは、最初のうちは嫌だったけれど段々慣れて来ちゃったし。むしろ、ベルのことを気にかけてくれる人がいるっているのはちょっとだけ嬉しかった。もしも突然部屋の鍵が壊れて内側から開けられなくなっても、先生がいるなら餓死する前に気づいてくれそうだなって思えたし。ベルは多分、先生のことが好きでした。あ、いや、そういう意味ではなく、一人の人としてってことです、はい。
 先生は別に、ベルを無理に外に出そうとはしなかった。いつまでも外で様子を窺ってることもなかった。本当に、通りかかったときになんとなく、生存確認でもするみたいな感じで、おはようとか、今日は雨だなとか、落とし物があるんだがとか、そういったことを口にしていくだけだった。ベルはその距離感が、なんだかちょうどよくて、好きだったんです。構われるのも、外に引きずり出されるのも嫌だったけれど、かといって無視されるのも、いないように扱われるのも嫌だったから。
 勿論ベルの我儘だって分かってます。実際アドラークラッセの皆だって、いい人たちばかりでした。エーデルガルトさんは怖かったけれど、それでもすごく、お手本にしたいくらいに格好良かったし。ペトラさんも、ドロテアさんも、ベルに優しくしてくれた。あたしを外に連れ出そうとするフェルディナントさんだって、何も意地悪でそういうことをしているわけじゃないって分かってたし、カスパルさんに無理矢理連れて行かれて見せられた夕焼けも、すごくきれいだった。リンハルトさんは……ちょっとどう接したら良いのか分からなかったけれど、でも、リンハルトさんの方はベルに変な気遣いもしなかったから、そういう意味では楽だったかな。ガルグ=マクにいた頃は、そんな風には思う余裕もなかったけれど。
 でも、やっぱりベルは皆と肩を並べてとか、そういうの、無理だったんですよ。
 だって、ベルは外に出るのも怖いのに、どうして戦争なんてできますか。ヴァーリ家の一人娘だからって、無理ですよ。お願いだからベルに期待しないで。
 もうゆるして。








 先生がいなくなっちゃった。
 五年も前のことなのに、ベルはあれからどうしても、一歩も動けなかった。お部屋の中でちくちく、針と糸を持って、いろんなものを量産しているときだけベルは自分を雁字搦めにする先生の声から抜け出した。ベルナデッタ。ベルナデッタ。ふんふん、ふーん、ベルはもう歌も上手く歌えないや。
 先生みたいな人がいなくなっちゃうなら世界っていうのはやっぱりいいものじゃないから、ベルはやっぱりお部屋に閉じこもります。戦争のせいで、アレキサンドルの領主の、そう、ヒルシュクラッセにいたさんのお兄さんも殺されてしまったって言うし。その後同盟は内乱状態。ベルはさんと話したことなんか一回もないけど、お隣の領地のローレンツさんと婚約することで帝国の直接支配を逃れたとか。すごいな、きっと、強い人なんだろうな。ベルだったらもう、そんなことになった時点で発狂しちゃっていたかも。ベルは自分の周りが変わっていくことが耐えられないから。
 王国ではディミトリさんが処刑されて、既に王都を奪われても尚、同盟寄りのフラルダリウスが未だに抗戦しているみたい。そういうのも、全部ベルには遠い異世界のことのように思える。
 ペトラさんとドロテアさんは今、アンヴァルにいるんだって。ヒューベルトさんと一緒にエーデルガルトさんを支えているんだろうな。フェルディナントさんは国境を守るためにミルディン大橋の方にいるみたい。カスパルさんとかリンハルトさんも、きっと自分にできることをしているんだろう。絵を描いて、縫い物をして、小物ばかりを自分のまわりに増やして埋もれるベルとはもう根本的に違うんです。
 薄暗い部屋はじめっとしていて落ち着いた。こんなところでほっとするあたしはやっぱり駄目な子なんですよ。ベルはこのまま死にたいな。








 会議に出てほしいって言われたときは、だから、ひっくり返りそうになりました。ていうか、実際にひっくり返りました。
 あれは戦況が膠着して長い守護の節。ミルディン大橋の防衛を命じられていたというフェルディナントさんから、わざわざ連絡が来たんです。



「ガルグ=マクで不穏な動きが見られている。親帝国派であるグロスタール家のローレンツと、それからカスパルとでその件について話し合いたい。君も来てくれるだろうか」



 書簡はそのまま突っ返しました。なんで? どうしてベルが? お父様が蟄居中である以上それは仕方がなかったのかもしれない、ヴァーリが治める領土はミルディン大橋にも近いし、全く無関係ってわけじゃないから、それも分かります、でも、それでもベルは「なんでベルが?」って思っちゃうんです。結局その会議には行けませんでした。
 でも、もしもあの時勇気を出して外に出ていたら、そしたらベルは、もっと早くに先生が生きていたって聞けていたんだろうな。
 ベルのお部屋の扉はいらない話ばかりをベルに持ってきて、そういう大事なことを、全然教えてくれない。ベルが先生の生存を聞いたのは、守護の節が終わる頃でした。
 フェルディナントさんが言っていた「ガルグ=マクの不穏な動き」っていうのは、要するに、王国軍がそこで挙兵したってことだったみたい。処刑されたはずのディミトリさんは生きていて、そこにルーヴェンクラッセの皆やセイロス騎士団も集まって、そして。
 そしてそこにはベレト先生もいるんだって。
 ベルは、先生にとってベルが特別だったわけじゃないってことくらい知ってます。ベルはアドラークラッセの生徒だったし、本当に顔を合わせて話したことなんて、数えるくらいしかなかった。でも、ベルにとっての先生は、光の糸みたいな人だったんです。
 ジェラルトさんが亡くなられた時、お花を手向けたベルの背から、先生はベルの名前を呼んでくれた。
 晴れていたけれど、あれはとても寒い日でした。ベルの頬を刺すみたいに冷たい空気、息を吐けば、白くなってふわりと空に飛んでいった。どうか、どうか安らかにおねむりください。ベルなんかの祈りでも、少しはお空に真っ直ぐ飛べる力になれますように。



「ありがとう、ベルナデッタ」



 ベルはあの時先生がくれた「ありがとう」を、今もずっと大事にして生きていた。
 先生は、これから奪われた王都を取り戻しに行くのかな。ベルはそういうの、よく分からないけれど、でも先生が生きていて、立ち上がったっていうんだったら、ベルももう逃げてちゃだめなのかもしれない。
 エーデルガルトさんから、お手紙が届いた。あなたにも兵を率いてもらわなければならない日がきっと訪れるから、そろそろ顔を見せてほしい。そういうことが、綺麗な字で書いてあった。ヒューベルトさんのものじゃなくて、エーデルガルトさんの字だって、彼女の背中をずっと見ていた私は知っていた。だから、ベルは、長い長いため息を吐く。
 本当に怖いけれど、もうこれ以上は、逃げる方が苦しいみたい。先生。
 行くね。


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