1183年 春


 リシテアちゃんと手紙のやりとりをし始めてから半年が経った。と言っても、厳密に言うとやりとりと言うほどの回数はこなしていない。私はあれからすぐさまリシテアちゃんにお返事を書いたけれど、彼女の方が私に二度目の手紙をくれたのは年が明けてからのことで、しかもそれは彼女らしく、非常に簡素な文章が記されているだけだった。



「次の親帝国派の会合に出席します。もローレンツと一緒に出席しては」



 それを見て「会いたいってことだ!」と思わず叫んでしまった私の背後から、オーランドがひょいと手紙を覗き込む。文章をさっと読んだ彼には「好意的解釈すぎるんじゃないの」と素気なく言われてしまったけれど、リシテアちゃんのことなら私の方がよほど知っているわけだから、これは好意的解釈ではなく紛れもない事実だ。リシテアちゃんは、こういう文章の裏に自分の真意を落とし込みがちなのだ。
 問題はローレンツくんが私を会合に連れて行ってくれるかどうかだった。去年の夏、リシテアちゃんからの手紙を届けてくれた日を境に、ローレンツくんは頻繁にアレキサンドルに顔を出してくれるようになっている。だから彼に頼むこと自体はそう難しいことではなかったけれど、ただ、それを許可してくれるかどうかは別だ。ローレンツくんは、なぜかはわからないけれど私が政治的なことに絡むのを特に嫌っているように思うから。
 だけど予想に反して、ローレンツくんはグロスタールへの動向を許可してくれた。



「君を会合に出席させる気はないが、それでも良いなら」



 とのことだったけれど、会合の後にでもリシテアちゃんに会えるならば充分だった。
 私は二年前、ガルグ=マクを帝国軍に落とされたことを受けて自領に戻って以来、アレキサンドルからは一度しか外に出ていない。その一度と言うのも二年前の併合の際にグロスタールに出向いたときのことだけれど、あれはおじさまへのご挨拶が主だったから、楽しみよりも緊張の方がずっと大きかった。
 士官学校に入る前は水上都市であるデアドラにも良く出かけていたし、さらにその数年前は両親に連れられてグロスタールにも度々足を運んでいた。だけど内戦が始まってしまった以上不必要に出歩くことは気が咎められたし、そもそもリーガンへの街道は封鎖されていて今は通れない。
 デアドラ、見てみたいなあ。本を眺めながらノエルが呟くのを聞いて、胸を締め付けられるような心地になる。戦争が終わったら一緒に行こうね、言いかけた言葉が喉に引っかかるのは、戦況が膠着していることを知っているからだ。去年の暮れあたりから、リーガンから兵が送られてくることは減ったけれど、それでも依然として同盟領内は内戦状態にある。いつ戦争が終わるのか、そもそも終わったとして、その時同盟がどういった形になっているかを想像することが難しい以上、安易な約束はしない方が良いのかもしれない。
 余談であるけれど、ノエルの「見てみたい」は必ずしも「行ってみたい」と同義ではないと気づくのはもっと後のことである。彼は本や絵で見る世界をひたに好むだけで、己の手足を使って外の世界を広げようと思う性格ではなかったのだった。








 グロスタールへ発つ日、私に縋り付いて泣いたのは、あれだけ他の都市に思いを馳せていたノエルではなくソフィーの方だった。ノエルは我関せずとばかりに部屋の隅で本を読んでいる。連れて行ってと駄々をこねるソフィーを宥めるのはオーランドだ。



「二人は遊びじゃなくて仕事で行くんだよ。お前がついていったってやることはないし。……遊んでやるから泣き止めよ」



 そう言って背中を撫でてあげるオーランドはなんだかんだ言って面倒見が良い。お土産を買ってくる約束をして、ようやく諦めてくれたソフィーを抱きしめる。ソフィーはもうすぐ七才になるはずだけど、いつまでたっても幼くて泣き虫だ。でも感情を押し殺さずに泣けるってことは、きっと我慢するよりもずっと大事なことだと思う。少なくとも、彼らのように戦争に振り回されてしまっている子供にとっては。
 見送ってくださるお母様と子供達に手を振って馬車に乗り込む。動き出す馬車の振動に揺られながら、緩んでしまう口元を自覚する。向かいに座ったローレンツくんは呆れたように目を細めて私を見た。



「そんなにリシテア君に会えるのが楽しみなのか?」

「うん。だって二年ぶりなんだよ!」

「……あまりはしゃいで目立たぬことがないようにな」

「はい!」



 ローレンツくんは、この二年でぐっと大人っぽくなったように思う。私より一つ年上なだけなのに、その横顔は私を置いて大人になってしまったようにすら見えるから、本当は少し寂しい。
 流れていくアレキサンドルの景色を眺めているローレンツくんをじっと見つめる。彼は右の髪だけを伸ばし始めていて、その毛先は既に肩についていた。髪の毛、どこまで伸ばすのかな。そうぼんやり考えていたら、視線を感じさせてしまったのか横目で見られてしまって、思わず逸らす。もしも学生の頃だったら「容姿端麗にして才気煥発のこのローレンツ=ヘルマン=グロスタールに見惚れてしまうのは仕方がないが、盗み見るならもう少し上手くやりたまえ」くらいは言われたはずだけど、あれから二年が経って、ローレンツくんはもう、随分落ち着いてしまった。
 この半年間、ローレンツくんは確かにしょっちゅうアレキサンドルを訪れてくれてはいたけれど、私達の間には常にお母様や、三人の子供達の誰かがいた。彼らは私達の間にある微妙な空気を正してくれていたのだと、今更気がつく。二人きりになんて、そういえばずっとなったことがなかった。わざわざ部屋までリシテアちゃんの手紙を届けてくれたあの夜以来かもしれない。
 それに気がつくと、わあっと顔に熱が籠るのが分かる。なんで半年前のことを思い出して、しかも目の前に当人がいるというのにこんなに動揺してしまっているのだろう。ローレンツくんに変に思われてしまう。両手で顔を隠しながら俯くけれど、下を向くと揺れて酔う。
 無言の空間が気まずい。まだアレキサンドルを出たばかりで、グロスタールに着くまではこれから半日以上かかるのに。
 士官学校では二人きりになることなんて度々あったどころか、密室で舞踊の特訓まで付き合ってもらっていたのに、今更何を緊張する必要があるのか。意識しているのは間違いなく私だけだ。難しい顔をしているローレンツくんは、きっと今も同盟のためになることを考えているんだろうな。そう思ったら益々自分のことが恥ずかしくなってしまうのだった。








 クロードの策は、こうしている今も巡らされているのだろうか。
 と共にグロスタールに向かう馬車に揺られながら、そういうことを考える。彼を信じているはずなのに、この状況が長引けば長引くほど不安になるのは、守るべきものが増えたからだろう。
 ここ最近、フォドラ全土における戦況が膠着状態に陥っていた。それが良いことなのか悪いことなのかは、分からない。
 同盟内は依然として内戦状態にあるが、小競り合いが本格的な総力戦に繋がることはない。去年あたりからリーガン兵が同盟領南部に送られる回数はとんと減り、彼らは自領の防衛に徹していた。父が時折兵を送り込んでも、既に民や商人の通行が禁止されている街道には常に兵が配備されていて、リーガンに近づく前に矢や砲台からの集中砲火を食らい、追い返される。どのみち反帝国派との兵力の差は一目瞭然だから、さすがの父も無理をしてそこを突破したところでどうにもならないことを知っていた。だからこそ、どうしたって攻めあぐねてしまうのだった。
 勿論、僕はこの内乱が帝国の目を欺くためのクロードの策であることを察しているため、万が一父が本格的な攻勢に移るようであればそれを止めるつもりではいる。だが、同盟内で内輪揉めしている状況を維持し続けねばならぬ以上、大きな犠牲が出ない程度の小競り合いはそれなりの頻度で起こしておかねばならない。
 その塩梅は僕には難しかったから、父が上手く駆け引きをしてくれることは有り難かったし、恐らくクロードも同じように考えているはずだった。
 戦況は停滞しているとは言え、一方で盗賊の動きは活発だ。最近の僕の仕事といえば専ら村を襲う盗賊の討伐だったが、ほとんどいたちごっこと言っても過言ではない。根城を潰しても、奴らは鼠の如く湧いて出る。兵はいざという時の防衛のため、反帝国派と隣接する地域においているから、なかなか手も足りない。消耗する一方だ。
 そんな状況ではあるが、アレキサンドルへは去年の夏以来、頻繁に戻るようにしていた。達には、暗い顔を見せたくなかった。不在が長引けば彼女たちは僕を、同盟の未来を案じる。何食わぬ顔でいなければ。
 ソフィーの遊びに付き合い、ノエルに本を貸し、オーランドの鍛錬を見てやり、の淹れたお茶を飲む。そうしていると、今が戦時中であるということを忘れてしまいそうになるときがある。彼女たちと別れると我に返る。そういうとき僕はいつも、途方に暮れてしまう。
 僕はたちを守らなくてはならない。やれることをやるしかない、そう言い聞かせても、実情は去年の夏から何も変わっていない。悪化していないだけましだろうと言い聞かせるべきなのだろうか。僕の与り知らぬところでしかし同盟は未来のためにその歩みを進めているのだろうか。僕の周囲はいつだって靄にまみれていて、不透明だ。
 未だフラルダリウス家が抵抗を続けているファーガスでは、去年から帝国将官の惨殺事件が起きているらしい。犯人は見つからないまま、帝国小隊の壊滅が続いていると聞く。正直に言えば帝国の兵が減るのは喜ばしいことではあるが、その手口の残忍さを聞けば眉を顰めざるを得ない。
 僕はこのフォドラに暗雲が立ちこめているように思う。それを払わぬ以上、事態の好転はあり得ぬと。
 受け身にならざるを得ないこの状況が、今はただ、歯痒い。
 馬車の向かいに座るに目線をやる。彼女はリシテア君からの手紙を受けて、今回会合に同行したいと言い出した。それは特には構わない。彼女がグロスタールに付き添うこと自体、何か不都合があるわけではないのだから。ただそれでも会合への出席を勧めなかったのは、そこにアケロンがいるからだ。
 あの男が帝国軍を同盟内に通したせいでヴァイル殿が亡くなられたのは事実だし、その恨みは今でも凝り固まったまま僕の内側にこびり付いている。リシテア君は前回の会議で僕を褒めたが、僕だって、何か一つでも間違えば彼を殴り飛ばしてしまいかねないのだ、本当のことを言えば。
 をアケロンに会わせるわけにはいかない。



「グロスタールでは、できれば僕の傍にずっといるんだぞ」



 思いついたときに話しておかねばとそう口を開けば、ははっとした顔で僕を見つめている。そういえば、ずっと考え込んでいたせいで馬車に乗ってから暫く言葉を発していなかった。気まずい思いをさせてしまっただろうかと不安に思うが、は丸くした目を細めて、小首を傾げながら笑ってくれた。その笑顔に目を奪われる。



「……リシテアちゃんとも一緒に居て良い?」



 微笑んだままそう尋ねられて、慌てて首肯した。顔が熱いように思えて、咳払いをしながら口元を覆う。二人きりになるのは随分久しぶりなのだと、今更気がついてしまった。
 グロスタールまでの道のりは、まだ長い。


prev list next