1182年 夏
この半年は激務につぐ激務だった。それもこれもあの男、アケロン=レーテ=フレゲトンの無能さが原因だ。学生の時分から尻拭いをさせられていたが、ここに至ってもまだ領主にあるまじき発言を繰り返すのだから嫌になる。
グロスタールにて親帝国派の会合を開けばふんぞり返り「さっさとリーガンにでもなんでも攻め込めばいいじゃないか? まあ、お前みたいにはガキにはできないよねぇ」と僕を顎でしゃくる。定期的に開かれるこの会議に、僕が今回父の代役として出席すると気づいた時点で随分となめた態度を取り始めたことは兎も角、己の無能さを棚にあげての発言はいかがなものだろうか。怒りを鎮めるために、机の下で組んだ足に力を入れる。
「ミルディン地方の北部……つまり貴方の領内における盗賊問題がなかなか厄介でね。そこだけに留まるならまだしも、グロスタールの南部も被害が出始めているのだよ」
「それは仕方がないんじゃないかなぁ?なんせ、盗賊のほとんどはあのガルグ=マクから流れてきちゃってるんだよねえ。それはぼくちゃんの責任とは言い難いだろ?」
「ではどこに責任があると?」
「未だ行方不明の大司教様に決まっているさ! セイロス教の連中も、死んじまったかもしれない大司教を捜す前に、あの崩落したガルグ=マクをどうにかすべきじゃないかなあ? 酷いもんらしいよ、今のガルグ=マクは。ぼくちゃんの領内なんて、それに比べりゃあずっとまともな方だよ」
父が反帝国派の対策のためにとこの会合に出席しなかった時点で、最初からこの話し合いが形だけのものであることは分かりきっていたわけだが、それにしたってこの男の発言は一から十まで癪に障った。隣に座るコーデリア伯は気の弱そうな顔でおろおろと僕とアケロンの顔を交互に見るばかりだ。その隣に座る息女は、ほとんど気色ばんだ顔をしてアケロンを睨んでいるから、どうか落ち着いてくれと目配せをする。
僕だって責任を転嫁し開き直るアケロンの頬に一発いれてやりたい気もするが、さすがにそれはできない。一番まずいのは、アケロンに下手に動かれることだ。ミルディン大橋の北部に支配権を持つこの男が妙な気を起こして帝国に接触すれば、クロードの描いた策が崩壊しかねないのだから。
クロードとは、あのガルグ=マクの陥落後から一度も顔を合わせていない。勿論今の同盟領内の事情を考えればそれは当然なのだが、それでも僕は、あの男が何かを成そうと策を巡らしているだろうことは想像できた。そのために、僕達はその動きを慎重に見ていなければならない。それが分かっている人間はこの同盟内にどれほどいるだろう。それが僕には分からない。
結局実のある議論はできないままに会合は終わる。だが、まあこんなものだろう。こんな会合一つで事態が全て好転するならば、そもそも戦争などははなから起きるはずがない。
会議に使っていた部屋を出た時、不意に僕の隣に誰かが立った。
「ローレンツ」
ふと目線を落とせば、そこにはコーデリア伯の娘であるリシテア君がいる。彼女は普段からコーデリア伯の政務の補佐をしているらしかったが、こうしてこの親帝国派の会合に彼女が付いてくるのは初めてだった。会議前は忙しなかったせいで挨拶が出来なかったから、こうして彼女ときちんと話をするのは、あのガルグ=マクの陥落後初めてということになる。
「リシテア君。久しぶりだね。……おや、コーデリア伯は」
「父は気疲れしてしまったそうなので、部屋に戻りました。明日にはコーデリアに戻る予定なので、そのまま部屋を借りていいですか?」
「そうか。それは勿論構わないよ。いくらでも居てもらって……と言いたいところではあるが、そうもいかないか」
リシテア君は僕の言葉に曖昧に頷く。コーデリア内も、ミルディン地方ほどではないが盗賊の被害が出始めている。国力の衰退による影響もあるのだろうが、今は何とかコーデリアの兵が討伐に回ることで事態の悪化を防いでいる状況だった。
リシテア君は吐き捨てるように「しかし」と呟く。
「さっきの会議、酷いものでしたね」
「……ああ、すまないな。あの通り、アケロンすら上手く篭絡できない。課題が山積みだよ」
「ローレンツは良くやっていますよ。わたしだったら感情に任せて言い負かしてしまいかねないので」
「そして憤ったアケロンが余計なことをする、と」
「その通りです」
士官学校ではそれで済んでも、実際こういう立場になってみると、そうもいかないもんですよね。ほとんど独り言のように続けられた言葉には、肯定も否定も出来なかった。
会議室を真っ先に出て行ったアケロンの背は最早見えず、高官たちの姿も今や疎らだ。級友とは言え、立場上彼女を自室に誘うことはできないが、話したいことがあるという点では互いに共通しているのだろう。目だけで合図して、来た道を戻る。先程まで会議を行っていた部屋には既に人気はなく、扉を閉めてしまえばそこには僕達二人だけであった。
それでも扉の向こうから盗み聞きされるのを嫌ってか、リシテア君は部屋の奥、窓辺の方へと向かう。丁度先程僕が座っていたあたりに立つと、「ところで、あんたは今の状況をどう考えているんですか」と僕を見上げるから、僕はやはり、彼女という存在が親帝国派にいることを心強く思ってしまうのだ。
「……こちら側に居る以上、できることは限られている。クロードの策を滞りなく実行させるためには、向こうの動きに付き合う他ない」
リシテア君は、僕の言葉にその明るい色をした瞳をすっと細めてみせた。苦々しげに寄せられた眉が、この状況を歯痒く思っていることを雄弁に語っている。リシテア君は賢い女性だ。内戦というこの現状がもたらすことの意味を、彼女は理解しているのだろう。
「そう。……それしかないんですよね。わたしたちは下手に動けば帝国に潰されかねない。帝国の目が王国に向いている今なら、何かできることはないかと思ってしまうんですが……圧倒的に兵力が足りなすぎる」
「王国の手を借りることができないならば、各地に点在するセイロス騎士団の力を、と考えたこともあるが……レア様の居所が判明しない以上は難しいだろうな」
「……そうですね」
ガルグ=マクを制圧されて半年が過ぎた頃だ。去年の秋、セテス様がフレンさんを伴ってグロスタールを訪ねに来たことがある。内戦の始まっていた同盟領内を移動するのは例えセテス様といえども苦難が伴っただろうが、レア様の行方が明らかになっていない現状に、彼はよほど胸を痛めているようだった。
憔悴しきった彼の顔にかつての精悍さはなりを潜めていたが、その双眸は未だ力強い光をたたえていた。レア様の生存を疑っては居ないのだろう。だが有力な情報はグロスタールには一つもない。
僕達はガルグ=マクが陥落したあの日、クロードの先導でどうにか同盟領に退避することが出来た。その道中、それまで同じ戦場で戦っていたベレト先生の姿も見かけなかったというのに、最後までガルグ=マクに残り戦っていただろうレア様の行方など知り得るはずがない。
もしも何か新しい情報があれば、グロスタールの教会に届けてほしいと頼み込まれた。それがあまりにも切迫めいていたから、断ることはできなかったが。
残念なことだが、レア様は亡くなられたのだろう。恐らく。ベレト先生もそうだ。あれからずっとその足取りが掴めていないのならば、恐らく二人はこの世には居ない。或いは、帝国に捕われているならばまだ可能性はあるのかもしれないが。
「おかしな話ですよね」
不意にリシテア君が切り出す。色素の薄い彼女の長い髪は、窓の外からの陽の光を受けて煌めいていた。背が伸びたのだなと、こんな時に僕はそんなことを考える。僕達がガルグ=マクを出て、一年と少しが経っていた。
「士官学校で皆と過ごした日々よりも、離ればなれになってしまってからの方がもう長くなってしまっているのに、わたしたちはこんな状況に至ってもお互いを信頼している」
リシテア君の言葉に、己の影に目を落とす。
僕たちがクロードを信じているように、クロードもまた僕たちを信じてくれている、きっと。だから一度は帝国の侵略をはねのけたし、その直後に隙を作ることをしなかった。その結果が今のフォドラだ。帝国は政変の起きた王国へと進路を変え、今やファーガス公国と名乗るコルネリアの軍と共に抵抗する東部の制圧へと力を入れている。同盟領にも隣接するそれらの諸侯は抵抗を続けていて、未だ屈する気配を見せてはいない。名門のフラルダリウス、ゴーティエ、カロン、ガラテア。彼らが今後どれほど耐えてくれるかによって、同盟の運命も変わってくるのかもしれない。
「それでも今、わたしたちにできることはクロードを信じて待つだけ、そういう状況でしかないのが……悔しくて、仕方ない」
不意に吐き出されたリシテア君の言葉は、ほとんど独り言だったのかもしれない。だから、頷くことも出来なかった。同じ思いであると答えることも。
力とは残酷だ。思いの強さに関係なく、僕達はそれによって身動きを制限される。僕達がこうして自分の無力さを呪っている頃、フォドラのどこかでは人が死んでいる。賊によって奪われるものがある。民を守る義務があると口にしておきながら、僕達は彼らの不安を拭ってやることすら難しい。
クロードを信じて待つ、それしかないとは言え、それでもこの状況は、苦しいな。
ふとリシテア君が僕を見つめていることに気がついた。目線を合わせて首を傾げれば、彼女は不意にその口を開く。
「そういえばあんた、とは、きちんと会っているんですか」
「は?」
「は? じゃないですよ。婚約したんでしょう、あんた達」
「……いや、まあ……それはそうなんだが」
なんと言ったら良いか分からず言葉を濁す僕に、リシテア君は呆れたような表情を浮かべるから、つい言い訳でもするかのように近況を説明してしまった。
「アレキサンドルへは時折顔を出してはいるさ。先日もヴァイル殿……の兄君の命日だったからね、あまり長くはいられなかったが、会ってきたよ」
それが去年の父君の命日以来、半年ぶりの訪問であったことは胸に秘めておくが。
はいやにしおらしく「忙しいんだねえ。私にもお手伝いできることがあったら言ってね」と微笑んでいたから、そこまで気にはしていないのだと思う。むしろ、僕の婚約者という肩書きに縛られずに清々しているのかもしれない。
は前回会った時よりも髪が伸びていた。美しくなったようにも思えた。そういうことを、しかし僕は一切口にはしなかった。
アレキサンドルは丁度収穫の時期を迎えていて忙しく、彼女も、三人の子供達と共に手伝いをしているらしかった。オーランドはあれからもずっと訓練を欠かさなかったのだろう。体つきがしっかりしていたし、一度稽古を見たときは、随分と上達していた。最近では槍も扱うようになっていうらしい。ノエルは人見知りが治っておらず、僕を見た途端にの背後に隠れた。ソフィーからは「もっと会いに来て」と甘えられたが、に窘められて唇を尖らせていたのを良く覚えている。
最近はアレキサンドル地方における反帝国派との小競り合いの回数は減ってきていた。本来リーガンとダフネルに隣接しているそこは兵糧確保のための補給地でもあるのだから、真っ先に攻め込まれても良さそうなものだが、彼らがそうしない時点でその真意は測れるだろう。だから僕も安心してアレキサンドルを離れているわけだが。
だが、リシテア君はなぜか僕の言葉にため息を吐く。
「ローレンツって意外と女の子の気持ちが分かってないですよね。命日とかも大事ですけど、そうじゃなくても会いにいってあげることで、どれだけあの子の不安が解消されるかとか、もう少し考えてあげるべきじゃないですか」
不安。何を言われているのか一瞬理解が遅れる。
リシテア君ほど賢い人なら、僕達があの時婚姻を結ばざるを得なかった状況にあったということは分かってくれているはずだ。そこにの意思はなく、彼女を尊重しようにも今この状況でそれを解消させることが不可能であるということも。彼女の瞳に目を丸くした僕が映っている。
「あー、もういいです。いいです。わたしはそろそろ父の様子を見てくるので、行きます」
「リシテア君」
僕の制止を聞かず、彼女は部屋を突っ切って扉へ向かう。
「のことは兎も角、今後の同盟に対するあんたの考えが聞けて良かったです。まあ心配はしていませんでしたが、安心しました。にもよろしく」
「いや、ちょっと待ってくれ。が君に」
僕の言葉に、扉を開けようとしたその手が止まった。振り向いたその大きな瞳は、瞬きもないままに僕を見つめる。
「……が君に、会いたがっていた。……もしも会うことがあったら、今度手紙を送っても良いかと聞いてほしいと」
でも手紙を読む暇もないくらいに忙しかったら、きっと迷惑だよね。そう困ったように僕に相談したのことを思い出す。リシテア君は僕の言葉に「手紙?」と尋ね返した。まあそういう反応をするだろう。僕だって、そんなこと気にせずとも送れば良いだろうとは言ったのだ。だが、あの子は変なところで遠慮する。そう続けた僕に、リシテア君は目線を彷徨わせた。
リシテア君はしかし、そうして何か考え込むような素振りを見せた後、返事もしないままに部屋を出て行ってしまう。思っても居なかった反応に、僕はすっかり身動きができず、部屋に取り残されてしまったのだった。
翌日コーデリア伯とリシテア君がグロスタールを発つのを見送る際、彼女は僕に一通の封筒を手渡した。「に、あんたの手で直接届けてください。なるべく早く」と注文をつけられてしまい面食らう。
あの時、彼女はこれを書くことを思いついて部屋を出て行ったのか。そう気がついた僕に、リシテア君は気恥ずかしさを隠すようにそっと目を逸らした。
「本当はアレキサンドルまで会いに行っても良いんですけどね。……でも、今のコーデリアを長く空けるわけにもいかないので」
「……そうだな。分かった。これは責任を持って僕が届けよう」
「ええ。次にわたしがグロスタールに来るときがあれば、その時は是非会いたいです」
「伝えておくよ」
「頼みましたよ」
馬車に乗り込むコーデリア伯とリシテア君の背中を見送る。
僕達が共に過ごした日々はいつの間にかもう振り返らねば見えぬほどに遠くなってしまった。そう思っていたが、目に見えぬ繋がりは確かにまだあるらしい。
グロスタールの印がある封筒はリシテア君が侍女に言って、もらったものなのだろう。僕が出す気もないままにしたため、部屋にため込んだそれらと全く同じ見た目をしているから、取り違えないようにと、彼女から渡された手紙を懐に入れる。
リシテア君にのことを話したせいか、ずっと抑え込んできたたがが外れそうになっていることを自覚した。手紙を渡す、それ以外に何の用事もないのに会いに行って、迷惑ではないだろうか。「意外と女の子の気持ちがわかってないですよね」というリシテア君の言葉が不意に蘇る頃には、それにたきつけられるように脳内で計算をし始めていた。
これから書類を片付けて、父に会議の報告をし、それからグロスタールを発ったところでアレキサンドルに着くのは真夜中だ。だけど、それでも会いたいと、そう思う。リシテア君がくれたに会いに行くための大義名分を、今使わずにどうするというのだろう。
たまには自分の感情に正直になっても、許されるだろうか。想像の中のは僕を笑って出迎えてくれるから、僕は深々とため息を吐いて、彼女に会いに行くことを決める。