僕の滞在期間中も、早朝と夕方の計二回、はあのオーランドという愛想のない少年に欠かさず剣の稽古をつけてやっていた。
それ以外の日中オーランドが何をしているかというと、どうやら彼は庭仕事を手伝っているらしい。挨拶のため墓地へ向かう道中にその姿を見かけたが、彼の方は僕の存在に気がつかず、庭師の指示の元、冬を迎えるアレキサンドルの低木を刈り揃えていた。
ここに来たばかりの頃は昼間でもぼんやりしていたんだけど、最近は自分に出来る仕事を率先して探してくれるようになったんだ。そう言って笑っていたを思い出す。根は素直な子なのだろう。庭用の剪定鋏を持つオーランドは、なかなか様になっていた。
アレキサンドルで過ごす三日目の朝、僕は二人の早朝の訓練に顔を出してみることにした。
勿論その訓練に参加しようと思ったわけではない。外に出ると、はすぐさま僕に気がついて破顔する。その様子にこちらの方がひやりとしてしまうのは、がそうして明らかに目線を外しているというのにオーランドの方はほとんど攻撃の手を休める様子がなかったためだ。
オーランドが剣を持ったのは彼らがここに来てから数日が経った頃だったというが、それにしては飲み込みが良いらしい。とは言え、さすがにの剣技も一朝一夕で身についたものではないから、自分が見せた隙に迂闊に踏み込んだオーランドを簡単にあしらってしまう。
の隙をついて振った剣は素人にしては太刀筋が良かったが、勢いをいなされ弾かれる。オーランドの手から離れた剣は先日のように美しい弧を描いて、音を立てて僕の足下に落ちた。
「わっ! ごめんローレンツくん!」
叫んだのはで、オーランドの方は顔色一つ変えることも、何か言葉を発することもしなかった。彼が剣を取りに来るよりもそれを早く拾い上げる。
真剣よりは遙かに軽いそれは、こうして手に持ってみると分かりやすく古びていた。恐らく、やヴァイル殿が幼い頃に使用していたものなのだろう。
僕は剣術に関しては槍や理学ほど得意としているわけではないが、二、三ほど、軽く振ってみる。手に馴染む感触に、これが抜けるということはもしかしたら握り方が良くないのではないだろうかとオーランドのことを見つめるが、僅かにその瞳に困惑の色を浮かばせた彼が、そもそも僕にそんなことを指摘されたところで素直に聞き入れてくれるのかは甚だ疑問だ。
いつまでも剣を握っている僕にどうしたものかと躊躇しているらしい。意地悪をしたいわけではないから、素直に差し出す。
「どうぞ」
目を見て言ってやれば、まだ未成熟な身体はしかし怯んだ様子も見せはしなかった。無言でぺこりと会釈だけをして、剣を受け取ろうとする。「あっオーランド、ちゃんとご挨拶をしなきゃだめ」と彼の背後でが言うが、それでも彼の唇は真一文字に引き結ばれたままだ。
ここまで頑な態度を取られると、気にくわないと言うよりもその無作法を矯正してやりたいという思いが働いてしまう。それはほとんど同情に近いものではあるが、恐らく彼はそういう感情を持たれることを嫌うだろう。こんな子供に意地悪をしたいわけでは勿論ない。それは否定するが、彼の手に渡りかけた剣の鞘をつい握り返せば、オーランドははっと目を見開いた。
「僕はローレンツ=ヘルマン=グロスタール。レスター諸侯同盟、グロスタール家に連なる者だ。よろしく頼む」
オーランドの榛色の瞳は、僕の言葉を受けて居心地悪そうに細められた。はもう口を出す気はないらしく、はらはらした様子で僕達の行く末を見守っている。今まで彼が必死で剣を振っていたのだろうということは、まだ幼さの残る額に浮かんだ汗が証明していた。
帝国の生まれの少年だ。いくつであるかは知らないが、十年余り、彼はアンヴァルで暮らしていたことになる。
ソフィーや、ソフィーとほとんど年の変わらないと言うもう一人の男の子、ノエルに関しては僕はあまり心配はしていない。あの子たちは子供だし、すぐにの母君にも懐いたと言うのだから、国がどうこう言われても恐らくほとんど理解はしていないだろう。
だが、この少年だけはそうではないはずだ。
「……年は?」
質問の方が答えやすいだろうか。わざわざ尋ねたのは、そういう思惑もあった。オーランドはむっつりと黙っていたが、いつまでも目を逸らさない僕にとうとう諦めたような息を吐くと、初めて目を合わせてくれた。
「……年は、来節で十三です。……名前は、オーランド=コルタス」
その時彼の背後でなぜかが衝撃を受けたようにその口元を両手で覆ったが、その理由は後に判明する。「……オーランド、私には敬語なんか使ったことなかったのに……」だそうだ。それは気を許されていることの証左ではないだろうかと思ったが、面白くなさそうにするはなかなか珍しかったので黙っておいた。
さて、オーランドはそして初めて僕と口をきいてくれたわけだが、僕はそれでこの剣を返すことはしない。
「では、今は十二歳か。ドロテアさんに連れてこられたということは、ミッテルフランク歌劇団で手伝いでもしていたのかな」
「……そうですね。三年前から」
十二歳。質問を重ねながらも、微妙な年代だなと考える。
ドロテアさんはと親しくしてくれていた。状況から考えるならば、彼女が帝国の密偵を忍ばせる可能性は高くはないはずだ。五歳のソフィー、七歳のノエル、そして十二歳のオーランド。例えそのための教育を受けていたとしても、兵として使い物になるとすれば十三、四からだろう。やはり僕の考えすぎか。
彼の顔をまじまじと見つめる。その榛色の瞳が、ほとんど不快を露わにしたように思えた。だから僕は安堵する。こんな風に己の感情を露骨に示すような、不用心な兵がいてたまるかと。
彼はただの子供だ。
「そうか。……こんな状況になってなかなか慣れないことも多いと思うが、何か困ったことがあったら頼ってほしい。でも、僕でも」
「はい」
そう返事はしながらも、分かりやすく警戒心の籠った目だった。それを口に出すことをしないのは、恐らく、子供ながらにその背にいるに気を遣ってのことだろう。その時ふと視界の端に何か違和感を覚えて、僕は引き寄せられるようにそちらに目線をやった。僕の持っていた剣の柄を握りかけたままだったオーランドの手の平、そこに痛々しいマメが見えたのだ。これを庇っているせいで、もしかしたら彼は剣を上手く握れていないのかもしれない。
彼に今度こそ剣を返してやって、その肩に労いの意味を込めて軽く触れる。元々脂肪が付きにくい性質なのかもしれないが、それにしてもその肩は骨張って、細かった。アレキサンドルにいれば、食事には困らないから、一年もすればきっと必要なだけの筋肉もつくだろう。
「」
「はい?」
「……彼の手を手当てしてやった方が良い。あれでは上達するものもできないぞ」
「えっ! オーランド、怪我してるの?」
気を遣って声を落としたのに、はわざわざ顔にも声にも出すのだから困ってしまう。一昨日のオーランドも今の僕と同じ心境で居たのかもしれない。彼女は何でも、表にいろんなものを出し過ぎるきらいがある。
は僕の言葉に顔色を変えてオーランドの元へ飛んでいくと、その手の平を見て「わ、わ、うわあ〜」と申し訳なさそうな声をあげていた。「気づかなくてごめんね、無理させてたんだね」そんな風に謝罪するに、オーランドは困ったような顔をしている。
彼からしてみたら、彼女の反応は些か大袈裟すぎるのかもしれない。平民の出で、ミッテルフランク歌劇団の手伝いをしていたとはいっても、彼のような子供が怪我をしたところでこんな風に騒がれることはなかっただろうから。
二人の様子を遠巻きに眺めていたら、視線を感じたのか、オーランドと目が合った。それはすぐに素っ気なく逸らされてしまったが、に対する目は僕に向けられるそれよりもよほど情が籠っていたから、僕は今度こそ自分が抱きかけた不審の芽を根こそぎ抜いてしまうことにする。
僕の警戒心を、彼の方だって嗅ぎ取っていたのだろう。僕は少し穿ちすぎていたのかもしれない。を傷つけるものがそこかしこに転がっているものとして目を光らせている。だけど、四六時中傍にいることができない以上、本質的な意味でその根を削ぐことはきっと不可能だ。そして僕のしていることは、間違いなく自身の世界も、可能性も狭めている。
難しいものだな、と目を伏せる。彼女を苛ませるものだけがきれいになくなってしまえば良いのに、そういうわけにもいかない。
の父君の命日、の母君はその墓前で「新しい家族ですよ」と彼ら三人を紹介していた。ソフィーは面映ゆげに母君にその身を預け、ノエルは未だ僕に慣れないらしく僕に視線を送るも、目が合いそうになるとぱっと逸らす。
オーランドだけはきちんと目を閉じていた。手の平には、痛々しく血の滲む包帯が巻かれたまま。あれ以来二人の剣の訓練は一日に一度に減っていた。
「主よ、おいでください」
目線を合わせるために膝をついたが、去年のあの日最後まで言えずにいた聖句を唱えながら、ソフィーとノエルに続けさせている。
「我が愛する人を、お迎えください」
たどたどしい子供の声で紡がれる聖句はあどけなく、故人を思い出し暗くなりがちな命日を優しく包むように響くから、それだけで、彼らがここにいてくれて良かったと思うのだ。僕とアレキサンドルの従者たちだけでは、たちがその絶望の淵にいるところに寄り添うことしかできなかっただろうから。
オーランドだけは、しかしその唇を引き結び、諳んじられる聖句にじっと耳を傾けているだけだった。
帝国では今、セイロス教が弾圧されている。それと関係してのことなのかは、きっと本人しか知らない。
「瞬く星の一つにお迎えください」
十二歳。何も考えずに済む年齢では、彼はもうなかった。
不意に目が合ってしまって、ほとんど無意識に薄く微笑む。先日のようにすぐ目を逸らされるかと思ったが、オーランドはじっと僕を見つめていた。何か言いたげにその唇が動くが、結局彼が僕に言葉を作ることはない。
星辰の節が終わろうとしている。僕は明日、グロスタールへ戻る。同盟領内が俄に荒れ始めたこの現状で、次にアレキサンドルに来るのがいつになるかは、今はまだ分からないが、彼らならばきっと、の心をこれからも絆してくれるはずだ。
ならばもう、僕は君たち三人には感謝をする以外にない。