翌朝、ヴァイル殿の遺体をアレキサンドルの従者と共に迎えに行った。
 その日は花冠の節にしては珍しく、朝から雲間が切れていた。晴れている間にと屋敷を発つ。屋敷の外に広がる小麦畑では多くの民が収穫の作業を再開していた。この数日の騒ぎは領民の間にも広まってはいるものの、帝国兵が去ったことを受けて日常生活に戻ろうとしているのだろう。ヴァイル殿が亡くなったことは当然、アレキサンドルがグロスタールに併合されることになることも、彼らは知っているらしい。僕の姿を見かけると、彼らは農作業の手を止めて声をかけてくれた。



「ローレンツ様、どうかこれからも様をお守りください」

「あの方は小さい頃から人懐っこくてねえ、あたし達にとっても実の子供のような存在なんだよ」

「アレキサンドルも、これからグロスタールに守ってもらえるなら安心だ」



 口々にそう言われて、笑顔が引きつる。何に反応したのかは分からない。それでも、僕の中に芽生えた罪悪感の欠片が自身の卑劣さを指摘するのだ。「お前はの弱みにつけこんだ」と。
 は昨日の今日でまだ疲れているのだろう。部屋から出てくる気配がなかったため、母君に断りを入れておいた。本当は、ほっとしたのだ。いずれ伝えなくてはならない現実を先延ばしにしたところで、どうにもならないのに。の母君は恐縮しきりの様子ではあったが、昨日よりは随分と顔色が良くなっていた。それだけでも、報われたようには思う。



「ローレンツ様、そろそろ」

「あ、ああ、すまない」



 アレキサンドルの従者に声をかけられ、弾かれたように顔をあげる。領民達が農作業に戻る姿を見送りながら、肺に澄んだ空気を取り込む。
 振り向けば、高台にあるアレキサンドルの屋敷が逆光になってその輪郭を濃くしていた。この景色の中で、たちは生きていたのだなと。僕はそんなことを考えていた。








 昨日の林までは馬で数刻。棺を用意できれば一番良いが、準備にも移送にも手間がかかってしまう。遺体を掘り返した後、用意した荷馬車に乗せてアレキサンドルに戻るのが現実的だろう。の母君や長年アレキサンドルに使える従者達と話し合い、そう結論づけたのは昨晩のことだった。
 地面に突き立てられた剣を目印に、従者達が遺体の掘り起こしを始める。しかし、一体誰がヴァイル殿を含めた、御者や護衛の遺体を地に埋めたというのだろう。帝国兵ではないならば、偶然通りかかった何者かであるのだろうが、今の時期この街道を人が通りかかることは滅多にない。それに、明らかに他殺された数人分の遺体をただの商人や農民が見つけたところで、埋葬しようという考えに至るだろうか。
 すっかり考え込んでしまったその時、従者が不意に悲鳴をあげた。飲み込みきれなかったのであろうそれは、ほとんど悲痛な叫び声と言っても良く、僕は目を見開いてその手元を見る。



「お、お館様……!」



 掘り起こしたその遺体を前に縋り付く従者は誰も居ない。皆、恐れをなしたように一定の距離を保ち、ヴァイル殿の名を呼ぶばかりだ。
 やっぱりを連れて来なくて良かった。
 僕はどこか冷静に、首のないヴァイル殿の遺体を見てそう思った。








 その後、他に掘り起こした遺体に分かりやすい損傷は見られなかった。手首が切られたものがあったが、それは「持ち主」の遺体と共に共に埋葬されていたことを思えば、死後にあえて切断したものではなさそうだ。つまり、帝国兵は意図的にヴァイル殿の首を切り落としたのだろう。付近の地中も隈無く探してはみたものの、彼の首だけはどこにもなかった。
 趣味の悪いことだが、「使われた」と考えるのが妥当だろう。アレキサンドルに届けられていないのならば、その送り先は最早一つしかあるまい。
 さしものクロードも、多少は狼狽しただろうな。
 荷馬車に運ばれていく遺体を眺めながら、そう考える。彼は今頃アレキサンドルが帝国に奪われることによって引き起こされるであろう最悪の事態を想定して、次の一手を考えている最中かもしれない。そう思えば、早くこの現状を大々的に公表して彼を安心させてやるべきだろう。
 しかし、今は彼の遺体を弔うことを優先させてもらう。アレキサンドルに戻ったら、に気取られる前にすぐに埋葬しなくてはならない。彼女は「せめて最後にお兄様に一目お会いしたかった」と不満を漏らすかもしれないが、首のない兄との再会など、僕は彼女にさせられない。








 その日の夕方には、アレキサンドルの屋敷の裏にある代々の領主が眠る墓地にヴァイル殿を埋葬し終えていた。
 以前ここに来たのはガルグ=マクに戻らないを迎えに来た、去年の守護の節のことであったが、それが随分と遠い昔のことであるように思える。あの時はまだ戦争は起きていなくて、僕達は今と比べれば気楽な学生であった、責任なんてほとんどないと言って良いくらいの。
 けれど、もうそうは言っていられない。僕の行動によってアレキサンドルの未来が大きく変わった以上、僕は今後の全てに責任を負わねばならなくなった。
 クロード達と敵対し、帝国の「後ろ盾」と言う名の圧に潰されぬよう気を配りながら、グロスタールも、アレキサンドルも守る。僕達はしぶとく生き延びて、そしていつか隙を突いて帝国から平和を取り戻す。途方もない話だ。少なくとも、僕にはそんな未来がどうしようもなく霞んで見える。
 だが、クロードならばきっと、何か良い策を考えてくれるに違いない。僕はあの一年で、彼の才覚は信頼に値するものだと認めている。まだ何も刻まれていない真っ新な墓石を凝視していた僕の背に、不意に声がかけられたのは、別のことに思案を巡らせかけたその瞬間だった。



「ローレンツくん」



 振り向かなくともそれがのものであると分かってしまった。
 ひやりとした気持ちになったのは、自分が彼女に後ろめたいことをしていると自覚しているからだ。ヴァイル殿の遺体の様子を隠して勝手に埋葬してしまったことも、今後のことについて、彼女の意思を一切尊重しない形になってしまったことも。
 けれどはそんな僕の内心に気がつかない様子で隣に立った。今日は晴れているとは言え、ここ連日の雨は地面を湿らせている。その身体が一瞬軸を失ったようにふらついたのは、地面に足を取られたそれ以上に無理が祟っているせいではあるのだろうが。思わずその肩を支えてやると、は一瞬驚いたように身を強ばらせるから、慌てて手を離した。
 こんなに小柄な少女だっただろうか。不意にそう考える。「あの」気まずい空気を拭い去るように、が僕を見上げた。普段の彼女と変わらないように見える。そう観察していないと、どうしたらいいか分からなくなりそうだった。



「……お兄様を迎えに行ってくれたって、聞いて」



 ぽつりと呟いた彼女は、迷ったように目線を彷徨わせながらも、続ける。



「それで、びっくりして寝間着のまま飛び出しちゃった。あ、あの、夕方まで寝間着なんて、その、本当はいけないんだけど。途中で気づいて、一回戻って、着替えて……階段で足がもつれて、落ちちゃった」



 もごもごと不明瞭な発音の上に早口で捲し立てるように話すものだから、最後の発言を一瞬聞き流してしまいかける。



「……落ちたのか」

「三段くらいだけど……」

「怪我は」

「平気。でもびっくりして変な悲鳴出ちゃった」



 は僕を見上げて、ようやくどこか落ち着いたように、その眦を細めて笑う。士官学校の教室で見ていたそれよりも、随分と力のない笑顔だった。胸が締め付けられたように痛む。不意に僕から目線を逸らしたは、ヴァイル殿の眠る墓石を見る。



「――ありがとう、ローレンツくん」



 突然そんなことを言われるから、「は」と短い声をあげてしまった。



「頑張らなきゃって思ってたの。私しかいないんだからって。でも、どこかで信じ切れてなくて、もしかしたらお兄様は生きていらっしゃるんじゃないか、どこかに隠れていらっしゃるんじゃないか、誰かが守って、匿ってくれているんじゃ、って、そういうことを考えて……そうでもしなくちゃ、立っていられなかった」



 言いながら、はその場にしゃがみこむ。服の裾が地面について汚れることも厭わずに、真っ新な墓石の表面を確かめるように、指でなぞる。「でも、お兄様の身体が本当に土に埋められているのを見たとき、頭が真っ白になって」そこまで呟いてから、はほとんど深呼吸でもするかのように深く、長い息を吐く。
 それから随分、彼女は黙っていたと思う。泣いているのかと思ったけれど、その背は震えていなかった。アレキサンドルをぐるりと囲むように広がる木々の奥で、鳥の鳴き声のようなものが響いた。それを合図にしたかのように、は再びその口を開く。



「……私、お兄様の代わりなんて出来なかった。私がアレキサンドルの民を守るために帝国に降るっていう選択を選ぶことは、同盟をだめにすることだったんだね」



 帝国へ降ると宣言すること。恐らく彼女はそうすることで民の命を守れると思ったのだろう。
 実際、それはあの時点では正しかったはずだ。拒否していればの命も恐らくもうなかった。
 慎重に言葉を選んでいる間に、泣き出されてしまいそうで、僕はそれが怖かった。



はあの時点で最善の選択をしたことに間違いはない。そうでなければ……」

「でも、その後は私一人じゃどうしようもなかったでしょう? ……ローレンツくんがアレキサンドルを併合するって言ってくれるまで、それが分からなかった。ううん、さっきお母様にお話してもらえるまで、そういうことも思いつかなかったの」



 僕がヴァイル殿の遺体を迎えに行っている間、母娘の間で恐らく何かやりとりが成されたのだろう。彼女は一体どこまで聞いたのか。探るように目線を向けるも、その旋毛が語ることは何もない。膝を抱えたの、その心細いほど華奢な身体は、けれど何かを堪えるように震えていた。孤独に耐えかねているように。そしてそれは実際、真実だったのだと思う。彼女はきっと恐ろしかったのだ。訳も分からないまま、それでも逃げ出すことができなくて、必死で考えて戦った。
 だから、君は頑張った。頑張ったよ。



は、頑張ったよ」



 僕は、気がつけば考えていたことをそのまま口にしていた。墓石を撫でていたの指の動きが止まる。美しく整えられた爪は生来の色をしていた。「がんばってない」滲んだ声が、彼女の後悔を僕に知らしめる。「頑張った」だって君は今、ここで生きているじゃないか。
 僕は、自らに重石をつけて沼底に沈もうとする君を、放ってはおけない。
 力がないことを知りながらも、貴族として民を守ることを考えた。守られるばかりの女の子だったのに。自分を守る壁がなくなって、君はそれでも逃げずに立ち向かった。
 結果が伴わなかったことがなんだ。それでも君がいたから、僕は力を貸せたし、これからだって君のために尽力する。君ごと同盟を守る。君が一人で立てぬなら、それだけの力がないと嘆くなら、僕を支えに使えば良い。蹲るの隣に膝をつき、その背に手を添える。引きつったようにその背が震えたが、構うものか、そう思う。



「僕は、君の幼馴染みとして誇りに思う」



 そう吐き出した瞬間、身体に衝撃が走った。地面に膝をついたが、僕の腹を目掛けて抱きついてきたのだ。心臓が止まったような心地になって、思わず離れようとしてしまうが、それでもが泣いていると知って、動けなくなった。
 僕の服に、涙や鼻水を押しつけながら泣くの泣き声はくぐもっていたけれど、もうほとんど悲鳴のようだった。その肩が、腕が、全てが震えていた。撫でていいものか迷ったが、小さな頭蓋に手を添える。それでが泣き止むわけでもなかったし、落ち着くこともなかった。だけど、僕は幼子にしてやるように、何度も何度も、一定の拍を刻むようにその後頭部を撫で続けた。
 その時、僕の腕にあった彼女の手が、僕の衣服をぎゅうと握りしめた。縋り付かれているように思えた。僕の前で、いつも無邪気に笑っていたの弱々しい姿に、どうするべきかわからなくなる。だけどそんなこと、僕は口にはしない。
 きっと母君から、全てを聞かされたのだろう。だって君は、僕に何も聞きはしないから。
 アレキサンドルを救うために僕が選んだ道を。そして君はそれを受け入れた。それしか方法がないのだと、飲み込んだ。と言う一人の少女としてではなく、アレキサンドル家に残された人間として。
 帝国軍の介入を防ぐためには、アレキサンドルを併合してしまうしかなかった。すぐさま併合という形を取るにはこれ以外の方法がなかったとは言え、申し訳ないことをしたと思う。君の弱みにつけ込むような形になってしまった。君がクロードを好きだったことを知りながら、僕はアレキサンドルを救うためという大義名分を掲げ、君の思いに蓋をさせたのだ。
 僕は、アレキサンドルに残された唯一の息女である君と、婚約する。
 そうして初めてこの併合は説得力を持つ。
 だけど、僕の君への思いだけは間違いなく本物なのだ。そんなこと、きっと一生口にはできないけれど。
 の温度を感じながら、僕は連綿と続くアレキサンドルの血脈の証である墓石を、ただただ見つめていた。僕は全ての責任を負う。あなた方の後胤を、必ず守ります。そう口に出して呟いたその時、は初めて、は、と短い呼吸を吐いた後、鼻を啜った。


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