祖父さんの葬儀が終わった後、俺宛に荷物が届いた。弔問に訪れることのできない人々からの手紙に紛れていたそれは明らかに見た目からして異質で、開けようとした侍女を止める。フォドラ人は鼻が利かないのだろうか。両手で抱えるほどの大きさであるこの箱から、妙な異臭がするというのに。



「これを届けたやつはどこにいる?」



 守衛を呼び尋ねると、グロスタール方面からやって来た商人だと言う。表情や所作において不審な点はなく、そのまま市場の方面へ向かっていったらしいことから、この件に関しては巻き込まれただけだろうとは思うが、詳しい話を聞かせてもらうにはその商人しかいない。至急探して連れてきてほしいと守衛に告げると、不穏な事態を察してくれたのだろう。守衛は慌てて屋敷を飛び出していった。



「……これは何の騒ぎだい?」



 祖父さんの昔なじみや、生前付き合いのあった弔問客が帰っても、ジュディットは未だリーガンに留まっていた。今後の方針について話し合うつもりだったのだ。エドマンド辺境伯、ゴネリル公と言った、レスター諸侯同盟の中心である主要な貴族も数日間はリーガンに滞在することになっている。祖父さんの葬儀という弔事を利用した形になってしまうが、こういう時でなければ顔を揃えて話し合うことももうできないだろう。
 円卓会議、なんて言って集まっていた去年の夏が懐かしい。あの時はグロスタールも、コーデリアも揃っていた。
 机の真ん中に置かれた木箱を指先で軽く叩く。ダフネルの烈女の名は伊達ではないらしい。俺の表情と、その異質な存在感を放った木箱を見ただけで、ジュディットは何かを察したようにその瞳を見開いてみせた。
 グロスタールが今回の葬儀に訪れないことは想定済みだった。それを帝国へつくことへの証とするのだろうと。ならば今後はどういう策を取るのが効果的か。相変わらず王国へ送った共闘願いに対する返事はないままだ。王国に協力を得られないこの状況下において、帝国が王国ではなく同盟を第一の狙いと定めたならば、まずは同盟の延命を考えなければならない。
 既に帝国に降った諸侯、それから恐らくこの後そう宣言することになるだろうグロスタール。彼らがそうせざるを得ないのには、地理的な影響があることは間違いない。だが、言い換えればその地理的要因は、こちらにとっても使える条件ではある。
 内戦を演じるのだ。
 反帝国派である同盟領北部のリーガン家と、親帝国派である同盟領南部のグロスタール家を互いに筆頭とした、同盟諸侯による内戦劇だ。長引けば長引くほど良い。その時、帝国がグロスタールに加わって反帝国派のこちらを攻める可能性は低いと見て良いだろう。王国の出方が分からないからだ。同盟を落とすためにこちらの内戦に兵を出した瞬間、沈黙を続けている王国に噛みつかれるとも限らない。逆に内輪揉めをしている同盟は余裕がなくなっていると判断される。例え帝国が王国に軍を進めたところで、その隙をついて同盟が帝国領内に進軍する可能性は低いだろうと考えるはずだ。ならば内戦状態に陥った同盟領を放置して、矛先を王国へと転換するだろう。三つ巴であるからこそ実行に移せる策だ。勿論、根本的な解決策にはならないが。
 だが合理的なエーデルガルトなら、確実に落とせる方から攻めると俺は知っている、
 この内戦が長引く場合、アレキサンドルの所有する兵糧は重要になってくる。だから、その辺も上手くやらないとな、とは思っていたのだ。グロスタールが疲弊しないように、敢えてそちらにつかせるのも悪くはない判断だ。こちらには良港を持ち、国力のあるエドマンドがある。兵力以外の面で双方の力を均等にするとしたら、そこしかない。
 去年の冬に当主の座についた若きアレキサンドル伯の人となりを俺は良く知らないが、ジュディットは「気持ちの良い坊やだよ。些か頼りないところはあるけれどね」と評した。の顔が自然と浮かんで、思わず笑ってしまいそうになった。の兄貴なら大丈夫だ。周りがいくらでも支えてやる。そう思っていたのに。



「どうもグロスタール方面から送られてきたものらしい」

「……随分と趣味が悪いね」



 吐き捨てるようにジュディットは呟くが、「……なんてことを」と続けられたその声は、はっきりと震えていた。
 グロスタール方面から届けられた荷物と言えば、考えられる可能性はいくつかある。だが、葬式に来るだろうと踏んでいた人間が来なかったことを思えば、これが「誰」であるかは明白だ。
 想像力を働かせる。帝国兵がアケロンの治めるミルディン地方北部から領内に侵入し、未だその立場をはっきりとは表明していなかったアレキサンドルに向かって北進、見せしめのために領主を殺害し、街道を通る商人に手渡した。もしかしたら、彼はリーガンへ向かう道中に襲われたのかもしれない。脳内で一番自然と思われる可能性を繋げて、眉を寄せた。ジュディットもその答えに辿り着いているから、言葉を失っているのだろう。
 これはアレキサンドル伯、の兄貴であるヴァイル殿の首だ。



「……参ったな」



 思っただけの言葉は、気づけば口をついて出ていた。
 領主を失ったアレキサンドルは降伏し、恐らく帝国の介入を受けることになるだろう。
 例えが新たな領主として就いたところで同じだ。領主になるための教育を受けていなかったは飾りとして置かれ、アレキサンドルは傀儡される。
 そうなると少し困ったことになる。帝国兵そのものがアレキサンドル領内に置かれる可能性も出てくるのだ。リーガンとアレキサンドルが隣接している以上、もしも俺の描いた内戦の形を作る前にそこに帝国の主力を置かれてしまえば、一気に同盟が崩されてしまうことも考えられる。いや、むしろ。



「エーデルガルトの狙いはこれか……?」



 口元を押さえて低く呟く。
 今から馬を出したとして、間に合うだろうか。だが、アレキサンドルへはどんなに急いでも半日はかかる。これを届けた商人が一体いつこれを受け取ったかによって状況は変わってくるだろうが、いずれにせよ、後手に回ってしまったことは間違いなかった。
 アレキサンドルの意思に関わらず、さっさと兵士を送っておくべきだった。
 こうなってしまえば、次の手を考える他ない。 








 併合するって何だろう。
 その意味が上手く飲み込めなかったけれど、ローレンツくんは放心していた私の代わりに、帝国の人たちと話し合いをたくさんしてくれたらしい。半日後には、帝国兵は揃ってアレキサンドルを出て行ったのだから、一体どういう風に話をしたのだろうと不思議に思う。



「魔法でも使ったの?」



 無理をして昔のような口調で尋ねたのに、彼は全く、笑ってくれなかった。



「今日は休んだ方が良い」



 そう言われてしまえば、それ以上尋ねることもできなくなる。昨晩一睡もできなかったことを、もしかしたら彼は見抜いていたのかもしれない。



「僕も数日はここに留まらせてもらうから、とにかく今は眠るんだ。顔色が酷い」



 寝台に潜っても眠れる気はしなかったけれど、お兄様の首飾りを握りしめているうちに、いつの間にか夜は明けていた。
 窓掛けの合わせ目から漏れた光の筋が、寝台の端まで伸びている。身体を起こし、ぼんやりした頭でその頼りない光を見つめていた。この外の明るさから、もう昼なのではないだろうかと気がつくけれど、やっぱりそれ以上は身体も、頭も上手く動かない。
 アレキサンドルの血を継ぐ者として私はもっと頑張らなければいけなかったのかもしれない。
 だけどそれでも、情けないことに、今の私は立ち上がることができないのだ。








 僕がアレキサンドルの屋敷に着いた時には、もう全てが終わってしまっていた。
 ヴァイル殿は既に帝国兵により殺され、はその遺体を確かめに、ほとんど僕と入れ違いになる形で屋敷を発った。そう教えてくれたのはの母君だったが、記憶の中に残っていたそのお姿よりも、随分と痩せたように思えた。
 アレキサンドルは帝国に降ることになり、が戻り次第その手続きに入ることになる。僕に淡々と告げる彼女は毅然としながらも、その声音は、微かに震えておられた。
 フレゲトンやコーデリアが帝国に降るのとではわけが違う。領主となるべき人間が不在の状態で降伏するということは、その統治権を降伏先に譲ることと同義だ。帝国のフリュム家が良い例ではないか。コーデリアだって、フリュム家の内乱に与したことが原因で内政干渉を受けるに至っている。それ以上に問題なのが、今の同盟が帝国から宣戦を受けた状態であるという点だ。戦時下においてアレキサンドルが帝国の傀儡になることは、同盟領の崩壊に繋がりかねない。リーガンに接する以上、地理的な条件があまりにも悪すぎる。
 少なくとも、の母君はそれを理解しているらしい。
 僕はこのとき一つだけ、この状況を打破しうる選択を思いついていた。だがそれは、僕の独断で決められるものではない。いくら同盟の未来が懸かっているとは言え。
 唇を噛みしめた僕に、しかし、の母君はほとんど前触れもなく、その頭を下げていた。深く、深く。僕は目を見開く。自分の親ほどの年齢の方に、こうして頭を下げられたのは初めてだったから。
 によく似た丸い頭を微動だにさせずにいる彼女の背後で、従者や侍女が顔色を変えている。どうか、おやめください、そう口にしかけたその瞬間、彼女ははっきりと口にした。その声は、決して震えてはいなかった。



「アレキサンドルを救うのではなく、同盟を救うと思って、どうか、グロスタールのお力をお貸しいただけませんか」



 だけど僕ははじめから、貴女たちを救うつもりだったのだ。
 身体の前で揃えられたその細い指先を見る。夫を失い、息子を失い、次は家を失おうとしている人だ。僕は、痛みを抱えたこの人を、を、救いたい。



「……アレキサンドルという名が、フォドラの地図から消えることになっても構いませんか」



 僕の問いかけに、正当なアレキサンドルの血を継いだ彼女は、確かに頷いた。








 そして僕はを追ったのだ。ヴァイル殿の遺体が残されていると言う、リーガンに向かう街道の道中、その林の中に果たして彼女はいた。彼女に会うのは、ガルグ=マクを落ち延びて以来だった。
 は悄然としていた。彼女の傍には、墓標代わりにされたと見られる剣が刺さっていた。泣き叫びたいのだろう、だが、彼女の中の貴族としての矜持がそれを許さない。だったら、僕は君に貴族らしくあれなどと言って聞かせなければ良かった。



「アレキサンドル領の今後については、グロスタールを通してもらいたい」 



 を庇う形で背にやったから、僕は彼女がどんな顔をしているのかを知らない。ただ意図を理解したらしい帝国兵の表情が、さっと青ざめたことだけは分かった。



「アレキサンドル家はグロスタールが併合する」



 皇帝の目論見は、僕が潰す。
 だけどその代わりに、僕は君の自由を奪うことになってしまった。








「そのような権限がグロスタールにおありですか?」

「逆に問うが、帝国が我がグロスタールに介入する権利はあるのか?」

「……グロスタールのご子息とアレキサンドルのご息女がそのようなご関係にあるとは、耳にしたことがありませんので」

「ああ、そうだろうな。公には未だ発表してはいなかった。だがこれを機にグロスタールも帝国に臣従を表明する。アレキサンドルの領地を有した状態で、だ。帝国からしてみれば何の問題もあるまい」

「しかし……」

「元アレキサンドル領にはグロスタールが兵を置く。我が領地なのだから当然だな。……それとも何か、不都合な点があったか?」



 そう冷え冷えとした目で尋ねてやれば、帝国兵たちに反論の余地はなかった。
 これ以上は皇帝や直属の上司に伝えた方が良いと判断したのだろう、彼らはその日のうちにアレキサンドルの屋敷を発つことになる。その後ろ姿に、彼らのうちのいずれかがヴァイル殿を殺したのだろうかと考えると、腸が煮えくりかえるような思いがしたが、拳を握りしめて耐えた。
 帝国兵がアレキサンドルを発つと、屋敷中の誰も彼もが安堵の息を吐いた。これで終わりではないのに暢気なものだ。アレキサンドルは元々、そういう穏やかな人柄の人間が多いことは知っていたが、けれどその暢気さに僕は存外救われたような思いになっている。僕のしたことは間違いではないと言われたように思えて。
 の母君には謝罪をせねばと思ったが、逆に礼を言われてしまった。同盟の崩壊を防ぐには最早これしか手段がないことを、聡い彼女は分かっていたのだろう。だが、問題はだ。僕は彼女の意思を無視して、一方的にこの状況に導いてしまった。








 は部屋に閉じこもったまま出てこない。僕が部屋で休むようにと言ったのだから当たり前だが、一応帝国兵が引き上げたことを伝えに行けば、酷い顔色で、それでも内緒話でもするように「魔法でも使ったの?」と言うから、こんな時なのに、僕は泣きたいのか笑いたいのか、分からなくなってしまう。
 魔法と呪いがある年代に於いて同一視されるように、それをほとんど同義として捉えるならば、「魔法でも使ったのか」という彼女の問いに僕は頷かざるを得ないだろう。僕は魔法を使ったのだ。君を縛り付ける魔法を。君の全てを奪う呪いを。
 次に彼女が目を覚まして部屋から出てきたら、話さなくてはならない。
 だけどその時君は、聞き分けの良い子供のような顔をして、何もかもを飲み込むのだろうな。


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