父上ならばどうなさっただろう。
 迷ったときにまずそう考えてしまうのは、もう一種の癖なのかもしれない。
 本来アレキサンドルの家督を継ぐべきであったのは父ではなく、正当な血を継いだ母の方だった。
 元々母には兄にあたる人がいたが、母が十代の頃、事故で亡くなってしまったと聞いている。感受性の高いには知らされてはいないが。は恐らく、今でも母を生まれながらの一人娘だと思い込んでいるだろう。
 アレキサンドルの次期領主として期待されていた人物の死により、その重責は母の肩に突然のしかかったそうだ。余命宣告という、多少の準備や心構えが出来る期間があった俺よりもその動揺は大きかったに違いない。
 俺達の前では毅然と振る舞う母上は、しかし本来良くも悪くも貴族らしいというか、のんびりとした人だった。本当は、は母によく似ているのだ。二人とも、いい意味で妹気質というのだろうか。人を頼るのが上手く、重責に弱い。そういうところも。
 父にアレキサンドルを任せてからと言うものの、母は常に父の半歩後ろで夫人としての役割を担っていた。それは父の死後も変わらず、今後も表舞台に出る気はないらしい。帝国からの降伏勧告文が届いた際もその意向を問うたが、母ははっきりと俺に言った。



「今のアレキサンドルの当主はあなたでしょう、ヴァイル。あなたはあの方の息子です。己が信じる道を選びなさい。母はそれに従います」



 父は立派な方だった。
 伯父が亡くなったとき、母は士官学校を卒業する直前だったらしい。憔悴した母を支えたのが、ヒルシュクラッセで共に学んでいた平民出の父だった。おかげで父は散々謂われのない中傷を受けたというが、それがあまりにも的外れであったため、一切堪えなかったと笑う。自分のことは、先代と領民が認めてくれさえすれば問題はないのだと。我が父ながら、胆力のある人だ。そうでなければ、母と結婚することでアレキサンドルの家督を譲り受けられることもなかっただろうが。
 ただの平民から、父はアレキサンドルを治める立場にのし上がった。時勢を読み、後継者の居ないリーガンの力が今後同盟内で弱まるだろうことを確信し、グロスタールに追従しようとしたのは十年前。盟主の家にクロードという後継が現れることなど誰にも予想できなかったのだから、父がグロスタール伯に不義理を働くような形になってしまったのも致し方ないとは思う。
 これから先はリーガンに従えとは、父の遺言でもあった。
 リーガン家の後継者としてその存在を公表されたクロード、彼はなかなかに優秀な男だと聞いている。共にガルグ=マクで勉学に励んだも、彼を信頼しているのは間違いない。これからのレスター諸侯同盟を担うのは彼だ。例え、フォドラが戦火に飲み込まれようと。
 ここに来てまさか帝国からの降伏勧告が成されるとは予想だにしなかったが、例えコーデリアや、ミルディン地方の北部にその領地を置くあの鼻つまみ者のアケロン、そしてグロスタールがどう動こうとも、アレキサンドルが進むべきは彼の、リーガンの行く道だ。父上ならばどうなさっただろう、その疑問は、だからすぐに答えに至るのだ。
 アレキサンドルは地理的には王国寄りの内地で、西にダフネル、北東にリーガン、南にグロスタールを置く安全地帯だ。帝国と戦争になろうと、すぐに戦地になることはない。そういう読みもあった。俺はこの判断が間違っていたとは思わない。帝国からの勧告を無視し、リーガンと共に同盟を守るために戦う。父上だって、生きておられたらそうしたはずだ。
 にその方針を伝えたとき、彼女はぱっとその目を見開いた。意外だったのかもしれない。だが、としても本心ではそれを望んでいたのだろう、言葉にされなくてもそれが分かるのは、その細められた瞳が雄弁に俺の意思を肯定してくれていたからだ。



「私はお兄様の判断に従います」



 はリーガン家を、クロードという青年を、心底信頼しているようだった。








 お兄様は帝国からの降伏勧告文を破棄した。
 私は、お兄様は帝国に降るという判断をするものだとばかり思っていたから、驚いた。帝国の軍事力はあまりにも強大で、それを実際にガルグ=マクで目の当たりにした私はまるきり悲観的になっていたのだけれど、お兄様は、同盟と王国がいずれ共闘に至るだろうということを予測しているらしい。なるほど同盟だけではなく王国の軍事力も合わされば、帝国にも太刀打ち出来るに違いない。ガルグ=マクの戦いでは準備不足が故の防戦一方になり、物資の不足も否めなかったけれど、長期戦を見越しての戦であるならばこちらにも勝機はあるだろう。
 それに、同盟にありながら帝国に尾を振るなど恥ではないか。お兄様はそう言い切った。その言葉尻は強く、私は思わずどきりとしてしまったのだけれど、お兄様も領主になられて肝が据わられたのかもしれない。



「帝国に近接する諸侯はどう動くでしょうか」



 そう口にすることは、けれどついぞできなかった。
 帝国に従うことは恥だとお兄様は仰るけれど、実際にアレキサンドルが降伏勧告を無視できるのは、その領土が内地に位置しているからだ。コーデリアのように、すぐさま帝国軍に攻め込まれうる地にあれば、ここまで強気の判断は下せなかっただろう。
 だから、グロスタールは兎も角としても、アミッド川沿いに広がる領土を持つ諸侯は帝国に降る可能性が高い。そうなった場合、同盟は割れるだろう。さらに、もしも帝国側にグロスタールがつくような事態になれば、それははっきりと内紛の様相を呈するかもしれない。そう考えて、ぞっとした。アレキサンドルがリーガンにつく以上、ローレンツくんと戦う未来だって起こり得る。そう気づいてしまったのだ。
 リーガンと共にあることができるのは心強いけれど、だからと言ってローレンツくんやコーデリア家のリシテアちゃんと対立したいわけではない。そもそも帝国との戦だってそうだ。私はガルグ=マクで一緒に過ごしたアドラークラッセの皆と戦いたくなんてないのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
 どうにもならない思いを抱えて息苦しくなるとき、私は父の墓石の前に行き手を合わせる。祈りを捧げるけれど、祈りごときでこの世界が変わるのであれば、きっと戦争なんか起きてはいなかった。








 同盟の南部に位置するコーデリア伯、そしてアケロン子爵が帝国への臣従を表明したのは、花冠の節に入る直前のことだった。


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