■ ■ ■
「リンハルト、すぐに起きろ!」
「……うるさいなあ……起きてるよ、さすがに……」
口調とは裏腹に未だ夢現のリンハルトに声をかけながら、耳障りなほど心臓の鼓動が煩くなっていることを自覚する。異常事態だ。ガルグ=マクにあれだけの数の侵入者を許してしまうなんて。私達を素通りして一目散に大聖堂へと駆けていった彼らは、明らかにただの巡礼者ではない。
啓示の儀とは言うが、青海の節での女神再誕の儀に比べれば私たちの警戒の度合いも低かったのは確かだ。あの時はレア様の暗殺を計画する密書が見つかっていたから、ガルグ=マク中の空気がぴりぴりとしていた。騎士も従士も士官学校の生徒も総動員しての護衛任務であったが、結局あれも罠で、敵の狙いは聖廟にあったのだったか。あの夏が、今はもう遠い。
今回レア様の御身はベレト先生と共に地下深くの聖墓にある。課題といえども、再誕の儀のあれよりも遙かに緊張感に欠けていたのはそのお姿がここにないからこそか。しかし、迂闊だった。ガルグ=マクに、これほどまでの侵入者があろうなどと誰が予想しただろう。完全に虚を突かれてしまった。私達は最初から受け身に立ってしまっている。
「恐らく巡礼者に変装して侵入しているのだろう。商人も怪しい」
「うん、ふあーあ……なるほど……」
リンハルトがこれでは話にならない。すぐ傍に居たヒルシュクラッセの女子生徒たちに視線を向けると、彼女たちは各々全く異なる表情を浮かべて見せた。ヒルシュクラッセの面々もまた私たちと同じようにガルグ=マク内の警護に当たっていたわけだが、この場で偶然居合わせることができたのは幸運であったと言って良いだろう。
「ヒルダ! 君はクロードを探してくれ!」
「え、ええー? あたしー?」
「そうだ、居場所くらいは分かるだろう!」
目についたヒルダにそう叫べば、さすがの彼女もこの非常事態だ。小さく頷き、すぐに駆けだした。平時ならば兎も角、今日はベレト先生が聖墓にて啓示を受ける特別な日だ。今節その警護が課題となっている以上、今日に限っては自分の学級の級長がどこにいるのかを把握していないということもないだろう。
エーデルガルトは、今日は一日ヒューベルトと共に大聖堂近辺を見回っていると言っていた。丁度侵入者が向かっていったその先だ。どこの勢力かは知らないが、あの二人を簡単にやり過ごせるはずがない。認めたくはないが、やはり、エーデルガルトは我が生涯の好敵手であり、それが故に非凡である。
ヒルダを見送ったレオニーとに「君達は」と続ける。学級の異なるこの二人とはそう親しくはないが、二人とも同じ学校で一年学んだ仲間だ。信頼はしている。その人となりも、実力も。
「リンハルトと共に避難の誘導に当たってくれ。食堂や中庭に子供達がいる」
「あ、そ、そっか……皆を避難させなくちゃ……!」
「でもわたしたちは戦わなくて良いのかよ!」
「戦闘は騎士団に任せて、まずは人命を優先すべきだ。その後はクロードの指示に従ってほしい。私は一先ずエーデルガルト達と合流する!」
「ああ、うん、そうだね。それが良いよ。じゃあ僕はゆっくり避難を……」
「リンハルト、避難をするのは君ではないからな?」
「……わかってるって」
欠伸をかみ殺すリンハルトに一抹の不安を覚えたが、レオニーとの二人が居れば問題はないだろう。そう冷静に考えながらも、私たちを無視して大聖堂に向かった侵入者の後ろ姿に焦りを覚える。もしかしたら、あれは第一波に過ぎないのかも知れない。あれが大聖堂への侵入を目論むものであれば、私たちの足止めを目的とした第二波が来るのではないか。そんな予感が脳裏をはっきりと過ぎるも、自分の行動を迷っている暇はなかった。
今は一刻も早く大聖堂周辺にいるはずの、エーデルガルト達の元へ向かわねば。あの二人ならばこの異常に気がついて、あの侵入者達の撃退のために武器を取るはずだ。しかし如何に武に長ける彼女でも、ヒューベルトと二人であれだけの人数を捌ききることは難しい。クロードか、或いは騎士が偶然近くにいてくれれば良いが。
背筋が粟立つような感覚を振り切るように、唇を噛みしめる。これは予感か、それとも。
「頼んだぞ」
駆けだした直後、怒号が私の背後、丁度門のあたりから響いた。やはり先程の侵入者は第一波に過ぎなかったのだ。嫌な予感が的中してしまったことで内臓が冷えるような心地になる。大広間の扉を開ければ、既に巡礼者に扮していた賊の姿はない。大広間の隅で何が起きたのかと怯える修道士たちに、「ガルグ=マクの外へ避難を! ここは戦場になる!」と声を張り上げ、自身は駆け抜けた。
こんなところで死んでくれるなよ、エーデルガルト。そう思っているのに、どうしてだろう。
何かを見落としているような気がするのだ。
聖墓とやらに一体どんな目的があるのかを、俺は知らない。
ラディスラヴァは俺がそれについて考えを巡らせたその一瞬を見破るように目を細めてみせた。まるでそれが愚かしい行為であるかのように。あれは非難に近い目だった。
兵士は与えられた任務のことだけを考えるべきなのだろう。理由も、利害も考えるべきではない。それは手足の仕事ではないのだから。ただ駒となれ。例え指揮を執る立場であろうと、上がいる以上は俺もそうであるべきだと思う。武勲を立てねばならない。証明しなくてはならない。まだあどけない妹の顔が、血のつながらない父の顔が、瞼の裏に鮮明に焼き付いている。
俺の任務は二つ。まずは啓示の日までに恙なくガルグ=マクに潜入すること。商人の変装は客観的に見ても馴染んでいたとは決して言えなかったけれど、ガルグ=マクの外郭都市にはすんなりと潜り込むことができた。自分を知る人間と万が一顔を合わせることがあってはならないから、作戦決行の日まで周囲の人間に顔を見せぬように、というのが厄介で、冬であったから良かったものの、街中はほとんどその顔の大部分を隠し、目だけしか見えないような巡礼者や商人で溢れかえっていた。帝国軍は長い時間をかけて、ガルグ=マクに集結している。
この任務は誰かの些細な不始末でも取り返しのつかないことになりかねない。わかりきっていたことだったのに、ガルグ=マクに着いた直後、地形の把握のために商人の変装をしたまま街を散策したあの日、俺は失態を犯してしまった。よりによって士官学校の制服を着た少女に顔を見られてしまったのだった。
丸い目をした華奢な少女だった。あの子は恐らく貴族の出だろう。その所作の一つ一つが、商人に対するにはあまりにも丁寧だったから。俺がぶちまけてしまった果物を拾って集めてくれただけでなく、同情したのだろう、そのうちの幾つかを買って行ってくれた。ああいう余裕のある行いができるのも、貴族である証左だ。
もしも勘の鋭い子だったら、あの時、或いは俺と別れてから、彼女は何か違和感のようなものを抱いたかもしれない。兵士特有のにおいは、いくら服を着込んでも、布で顔を隠しても、どうしたって消せない。目が合った瞬間を思い出す。偽装のために準備した果物を手に持った彼女のあの丸い瞳は、屈託なく細められていた。出来ればもう会いたくないな。もし会うことがあっても、抵抗しないでほしい。
ああいう子を殺すのは、やっぱりいくら任務であっても忍びない。
決行の日、信者に変装した兵士は既にガルグ=マクの敷地内に散らばっていた。大聖堂は今日立ち入りが禁止されているらしいが、例えそこに厳重な警備があろうと数が上回れば押し勝てる。セイロス騎士団を取り纏める団長は先日暗殺されたと聞くし、突然の敵襲に統率がすぐに取れることもないはずだ。既に大修道院内部に潜り込んだ兵士の報せによると、全体的に警備は薄いらしい。その中聖墓に向かうのは指揮官以下数十名の兵士だ。俺はそこには含まれない。
俺の役目は、指揮官と選ばれた兵士たちが聖墓に辿り着くために、地上で騎士団や士官学校の学生たちの足止めをすることだ。誰一人として大聖堂へ先行した彼らの元へ向かわせぬために指揮を執る。命を奪うまではしなくていい。抵抗されればその限りではないが。王国出身の生徒が集まる学級は今、儀式のために聖墓に居るという。俺達が戦うべき相手はフォドラ屈指の騎士団と、未来のフォドラを担う若者たちだ。
聖墓に何があるのか、あの方がそこで何をしようとしているのかを俺は知らない。だけど、与えられた任務は全うせねばならないのだ。例えアドラステア帝国出身の生徒が立ちはだかろうと、顔馴染みの相手であろうと。
帯剣していた武器を取り、叫ぶ。
「修道院の人間を大聖堂へ向かわせるなよ!」
わざと雄叫びを上げて騎士に向かうことで、注意を引きつける。第二波としてガルグ=マクに突入した俺達の役割を、俺は全うする。
大広間を抜けて谷にかかる橋を渡れば大聖堂は目前だ。門から一直線が目的地までの最短距離である以上、戦場はどうしてもこの直線上になりがちだが、敢えて散らばって敵の戦力を分散させる。混乱をもたらすのだ。そのために一体どう動けば合理的であるかは、既に知っている。
武器を持たない女子供は無視する、俺達は蛮族ではないから、この任務遂行を阻害する人間のみを相手取る。ガルグ=マクでの突如として始まった戦闘に、彼らの混乱は手に取るように分かった。騎士団長として指揮を執る人間の不在が大きいのは火を見るより明らかだ。
玄関ホールを抜けた直後、武器を持ち応戦する騎士を切り捨てる。その先で数人の学生が女子供の避難指示を行っているのが見えた。「こっちです、早く!」張り上げたその声を、士官学校の制服を着た少女を、俺は知っていた。
忘れていてくれれば良かったのに、きっとあの子も俺のことを覚えていたのだろう。目が合った瞬間、丸いその目がさらに丸くなったのを、俺は確かに見てしまった。反射的に拭った額は、先ほど切った騎士の返り血で汚れていた。