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私はその日、久しぶりに外郭都市を訪れていた。ガルグ=マクに戻ってからというものの、休日も鍛錬や論文作成で根を詰めていた私を、たまには息抜きをした方が良いとヒルダちゃんが誘ってくれたのだ。
ヒルダちゃんは流行に敏感でお洒落だから、女の子の好きそうな色んなお店を知っている。お化粧道具や爪をきれいにする道具を売っているお店だったり、美味しい焼き菓子のあるお店だったり。日用雑貨を格安で譲ってくれるようなお店を巡るレオニーちゃんとの買い物も楽しかったけれど、ヒルダちゃんと出かける街はそれとは違う楽しさがあった。
今日は装飾品を作るための小物を探したいらしい。手先の器用なヒルダちゃんは以前ラファエルくんの妹さんへの贈り物として首飾りを作るお手伝いをしたらしく、次は自分用に何か作ってみたくなったのだとか。なんだかんだ言って彼女は面倒見が良い。
だけど、街に下りてみてびっくりしてしまった。ガルグ=マクの中も、指摘されてみれば確かに少し人の数が多いかな、とは思ったけれど、街中はその比ではなかったのだ。女神再誕の儀のある青海の節かと勘違いしてしまいそうなほどの人ごみで、市場がごった返している。これにはヒルダちゃんも驚いたらしく、「えー? なんでこんなに人がいっぱいいるのー?」と困惑していた。
「お祭りでもあるのかなー?」
「そんな話聞いてないけどねえ」
メルセデスさんとアネットちゃんがはぐれてしまうわけだ。私たちも気をつけなくてはいけない。行商人や巡礼者、そういった人たちが大半を占めているらしいのは間違いないが、わざわざこんなに寒い天馬の節を目がけてやって来るなんて不思議なこともあるものだ。帽子や襟巻きで防寒した人々は、俯きがちにガルグ=マクへ続く坂道を上っていく。敬虔な信者が増えたのだろう。去年から続く西方教会絡みのごたごたで、中央の権威が失墜したとガルグ=マクの修道士たちはピリピリしている様子だったけれど、存外そうでもないらしい。
大きな通りから小路に入れば幾らかましになったとは言え、やっぱり人の数は多かった。人とぶつからないように注意しながら歩いていたら身体がぽかぽかと温かくなってきて、巻いていた襟巻きを取って腕に持つ。
「あー、あったあったー。あのお店が見たかったんだー」
ヒルダちゃんが指をさしたのは、街の外れにある小さなお店だった。他に足を止めている人もおらず、店主さんの姿はお店の奥にあるらしく見えないけれど、どうやら細かな装飾品を扱うお店らしい。ガルグ=マクにはまだまだ私の知らないお店はたくさんあるようだ。そう思うと、もう少しでここを離れなくてはならなくなることが残念であるように思えてくる。
お店の軒先で、ヒルダちゃんは革紐の物色を始めた。様々な色や太さ、手触りの品があるけれど、どういったものが装飾品に適しているのかは私にはさっぱり分からない。
「首飾りが作れるなんてすごいよねえ」
「そうー? 誰でも作れると思うよー。教えてあげようかー?」
「でも、私すっごい不器用なんだよ、だって……」
釦を上手く上着に縫い付けられなかったんだもん。と口にしかけて、やめた。いくら何でも卑屈すぎてみっともないし、先日のローレンツくんを思い出しただけで表情筋の動かし方に迷ってしまうのだ。なのにヒルダちゃんは私の内心を見透かすように「でもお裁縫と違って針と糸は使わないし、釦を縫い付けるとかとは全然別物だよー」と言うからぎょっとする。
ローレンツくんは相変わらず釦の曲がった上着を平気で羽織っていた。この口ぶりからヒルダちゃんも気づいていたのだろう。それでもきっと釦が曲がっていることを指摘せず、黙ってくれていたのだ。私がやった、ってことも彼女にはばれているらしいと思うと、羞恥心で顔が熱くなる。
「や、やっぱり曲がってるよね……」
そう口にすれば、ヒルダちゃんは商品に目を落としたまま「うーん、でも、ローレンツくんが良いって言ってるなら良いんだよー」と言うから、思わず顔を覆ってしまった。やっぱりばれてた。
メルセデスさんが付け直すという発言をしたあの時は直感的に「嫌だ」と思ってしまったくせに、冷静になってみると申し訳なさの方が勝るのだから自分勝手な話だ。あれから何度ローレンツくんに「やっぱりその……付け直してもらった方が……」と提案したか知れない。しかし彼は頑なに「これでいい」と首を振るのだった。「ならば君がつけ直してくれ」と言われないだけ良かった。私はもうあれ以上まともに釦を縫い付けられる気がしない。多分、ローレンツくんもそれを分かっているのだとは思うけど。
「ね、ちゃん」
「はい」
「ちゃんさえ良ければ、次のお休みのときにでも一緒に作らない?」
首を傾げる私に、ヒルダちゃんは「首飾り」と微笑んでみせた。難しいんじゃないかな、と思うけれど、一緒に、という言葉に私は滅法弱い。
「うー……ヒルダちゃんが教えてくれるなら……」
「やった! じゃあ決まりだねー!」
ヒルダちゃんと一緒に居られる日々だって残り少ない。二人で一緒に装飾品を作るなんて、きっと、これ以上ない思い出だ。アレキサンドルとヒルダちゃんのゴネリル家は結構な距離がある。会おうと思っても、簡単には会えないくらいの。ヒルダちゃんの隣で革紐を眺めながら、遠くない未来に一抹の寂しさを覚えてしまう。
私はお兄様を支えるためにアレキサンドルに戻ることになっていて、彼女だってそうだ。将来的に結婚をして自領を出ることだってあるかもしれないけれど、今の私にはそんな将来はまだ思い描けない。アレキサンドルに戻りたくないわけでは勿論ないし、覚悟はできている。だけど、このガルグ=マクから離れがたく思ってしまうのだ。ここで出会った皆が大切だから。
「あー、でも、ちゃんってもうしてたもんねー」
「へっ?」
現実に引き戻されて、思わず声が裏返る。ヒルダちゃんは「首飾りだよー」と、さして気にも留めずに答えた。
「だったら作るとしても全然別のものの方が良いのかなー?」
思わず服の下に潜っているそれに触れる。身を守ってくれると言う石のついた首飾りは、春からずっと身につけているものだ。一度大浴場に置いてきてしまった経験もあるが、しかし今となっては亡き父からの贈り物であり、代えがたいものだと、ヒルダちゃんは知っている。
別のもの、となると、指輪とか腕輪とか、髪留めとか、そういうものになるのだろうか。別に首飾りを二つ付けていても問題はないし、平気だよ、そう言いかけたけれど、ヒルダちゃんはお店の奥の方に何か気になるものを発見したらしい。「あ」と短い声をあげ、屈んでいた体勢を戻すと、「奥の方も見てくるねー」と行ってしまった。
私も着いていくべきだろうか。だけど、店内は狭くごちゃついていて、二人で行くには少し躊躇ってしまう。ここで待っていようと思ったその瞬間だった。
「うわっ」
背後から聞こえた男の人の短い悲鳴に思わずびくりと肩を揺らす。
振り向けば、商人さんらしい男性が、抱えていた果物を幾つも落としていた。彼を中心に転がっていく果物に、「ああ〜……」と一緒に声をあげてしまう。袋に入ったそれを荷車に乗せようとしたところを、手を滑らせてひっくり返してしまったらしい。通行人は巡礼者が多く、急いでいるのか、誰も足を止めようとしない。商人さんは慌てた様子で土のついた果物を傍にあるものから順に拾って手で払っていたけれど、きっとあれでは売り物にならないだろう。
幾つか拾って荷車に移した後、襟巻きや帽子のせいで視野が狭かったのか、彼はそれらを煩わしそうに取り払うと、落下した残りの果物を一つ一つ拾い始めた。放っておけず、私の足下にまで転がっていたものをいくつか集めて、彼の元へ持って行く。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、すみません!」
商人さんは私の声にぱっと顔をあげた。その瞬間、大きく目を見開かれる。
榛色の髪をした人だった。身体は大きく、筋肉質なのが服の上からでも分かる。見開かれた瞳は私の顔から足下までを満遍なく見るけれど、士官学校の制服がそんなに物珍しかっただろうか。確かに平日はそこまで見かけないだろうけれど、休日であればちらほらと街中を歩く学生の姿があるはずなのに。
精悍な顔立ちをしたその人の顔を、思わず見返す。商人さんは呆けたようにしていたけれど、それで我に返ったのだろう。慌てた様子で「す、すみません、助かります」と丁寧に腰を折って私の手から果物を受け取った。人が良さそうな人だ。売れなくなってしまった商品も丁寧に扱うところとか。どうにも不器用そうな雰囲気に、親近感を覚えてしまう。
「あの、良かったらそれ、幾つか買いますよ」
「えっ」
「だって、もう売れないでしょう? 捨てられてしまうのも勿体ないですし」
「あ、ああ、いや、でも……さすがに申し訳ないです」
そんなことを言う商人さん、初めて見た。
思わず笑ってしまいそうになるのを堪える。普段からガルグ=マクで商売をしている女性の商人さんだったら、こんな果物でも上手く商売に使うのだろうけれど、彼はそういう器用なことはできなそうだ。商人として働き始めて間もないのかも知れない。
「大丈夫、私、その果物好きなんです」
そう返した私に、商人さんは少しだけ考え込んだ後、申し訳なさそうに「じゃあ……」と、相場の半分ほどの値段で果物を売ってくれた。逆に気を遣わせてしまったかもしれない。定価で良いと言っても、彼は頑なに受け取ってはくれなかったから、最後は二人で謝罪しあう状況になってしまった。
商人さんが立ち去った後に戻ってきたヒルダちゃんには、「果物? どうしたのー?」と不思議そうに首を傾げられたけれど、仔細を話せば彼女も「商人さんらしくない商人さんだねー」と笑った。
荷車を引いた商人さんの後ろ姿は、街の雑踏に飲み込まれて、既に消えてしまっていた。
慣れない荷車を引きながらため息を吐く。巻いた襟巻きは煩わしく、視界が狭まって窮屈だが、もう二度と、何があってもこれを取るわけにはいかない。先刻の失態を思い出すと、臓腑がひやりと縮こまったような思いがする。ここはもうガルグ=マクだ、気を抜くわけにはいかない。肌を刺すような冷たい空気を吸い込む。この空気の薄さにも、慣れなければ。
士官学校の生徒に顔を見られてしまった時はやってしまったと思ったが、全く知らない相手だったことは不幸中の幸いだった。王国か、同盟領の人間であってほしいと思う。そして、できれば俺の顔をさっさと忘れてしまってほしいとも。目に焼き付いた少女の顔を、しかし俺の方は覚えておかねばなるまい。己の犯した失態を忘れぬように。
賑々しい街の中、俺と同じように顔を隠した巡礼者とすれ違う。目を合わせることはしないが、互いに「そう」だと知っている。
作戦は既に始まっている。
俺はそれに従うだけだ。
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用事があって日中のガルグ=マクを歩いている最中、女同士でつるんで歩いているを見かけた。買い物にでも行ってきたんだろうか。前節はやけに景気の悪い面をしていたが、それなりに元気にはなったらしい。あれから勝手に調べちまったが、どうやら父親が死んだんだとか。ならばまあ落ち込んじまうのも無理はないが、ちょっとでも元気になったなら一安心だ。
にしても、今日のガルグ=マクは随分人の数が多い。何だか妙に気にかかるが、おかげであいつは俺がいることにも気がつかないらしい。こんな美少年、明るいうちから歩いてりゃあ注目の的にならざるを得ないんだがなあ。声をかけられることだって片手じゃすまねえくらいだ。だが笑みだけを浮かべて躱したところで、怒るような女もそうそういない。
なんとなく二人の背を追いながらガルグ=マクを歩いていると、随分寒くなったことを実感せざるを得なくなる。気がつけばもう天馬の節だ。どうやら今節はあの先生が女神の啓示を受けるらしいと小耳に挟んだが、俺達アビスに住まう人間にとっては特に関係もないだろう。ちらと見かけた先生の髪の色が変わっていたことは気にかかるが、も深くは事情を知ってはいまい。
一年近く彼女から情報を貰ってきたが、期待したほどではなかったな、そんなことを考える。と言っても、俺が危惧していたほど、アビスにまであの先生の影響はなかった。結果論として、俺とあいつがたまに喋るだけの顔見知りみたいなもんになっちまっただけだ。まあでも、悪くはなかったかもな。警戒心が薄い上、俺に変な執着を見せることもない女っていうのはなかなかいないし、俺も喋っていて楽だった。
一年付き合って貰った礼もしなくてはなるまい。あいつがこの学校を卒業して、ガルグ=マクから出て行く前に。でも、金は面白くねえ冗談だとかいうんだよな。俺にもさほど興味ねえし。
悩みながら夕暮れの空を見上げれば、箒で掃いたような筋雲が幾つも浮かんでいる。ああ、どうすっかなあ、と再び前を歩く二人の背を見れば、派手な色の髪をした女は用事でもあったのか、食堂の手前でと別れた。悩んでる時間も煩わしく思え、一人になったその背に「よ」と声をかければ、は面白いくらいにびくりと飛び跳ねたから、思わず笑ってしまう。
「びびって釣り池に落ちんなよ?」
「お、落ちませんよ、ちょっと危なかったけど……」
「そうだよなあ。落ちたらさすがに俺も知らねえふりをするが」
「それは酷いのでは……?」
驚愕の目で見つめられると、その表情の豊かさに絆されるような気になってくる。いつもは夜にばかり声をかけていたが、陽が沈み始めているとは言え今は夕方だ。何だかいつもよりもその顔がはっきり見えるようで、物珍しく感じられてしまう。
さて、さっさと用事を済ませてしまいたいところだが、問題は聞き方だよな、と思うわけだ。これまでの礼と言われたところでこいつには意味が分からないだろうし、言葉の選び方によっては突っぱねられる可能性の方が高い。じゃあ礼なんかせずに終わりで良いだろう、と言うとしかしそういうもんでもないのだ。例えこいつが無自覚だろうと、こっちが一方的に使ったんであろうと、それ相応の対価を払わねえままはい終わりっていうのは俺が気持ち悪くて安眠できねえ。
じ、との顔を見つめるが、は相変わらず俺の顔を見ても特に反応がない。最初はもうちょっと顔に出ていたとは思うんだが、見慣れちまったか。俺とは違う顔つきの男が好みなんだろうが、さすがにここまで動揺されないとなると自信をなくしちまいそうになる。
だがは、分かりやすく眉を寄せた。黙って見つめられることに違和感を覚えたのだろうが、ここまで付き合って警戒されるのが今って、ほんと、おかしいだろ。思わず笑いそうになるが、どうにか堪えて「今なんか欲しいものあるか?」と聞けば、「はい?」と上擦った声で反応されてしまった。
「いや、もうすぐお前も卒業だろ? その前に、何か記念になるもんでもあればなと思ってな」
これでもお前と過ごした日々は楽しかったんだぜ、と嘘でもないようなことを呟けば、は一瞬でその警戒心を解いてしまった。卒業だとか、記念だとかいう言葉が効いたのかもしれない。「それって何でもいいんです?」と思いのほか食いついてきたものだから、俺もなんとなく肩の荷が下りたような気になって、「おう、なんでもなんでも」と返事をした。それがまずかった。
「じゃあ、お別れする前に名前を教えて下さい」
俺達とは価値観の違う貴族の女だってことを、すっかり忘れていたのだ。
「ずっと知らなかったから」
悪気なく微笑むに、思わず苦虫を噛み潰したような表情を向けてしまう。
名前、名前ねえ。何でも良いとは言ったけど、真っ直ぐ生きているわけでもない俺の名前なんか、これから同盟領に戻って普通に暮らして、普通に結婚するだけのお嬢さんでしかないあんたは知らないでいた方が良いような気がするんだが。
言葉に詰まった俺に、は不思議そうに目を丸くしている。
結局、その日は適当に丸め込んで、帰らせた。礼になるだけの価値が今使っているこの名前にないとまでは思わないが、不必要な情報は時に毒にもなり得る以上、慎重になるべきだと結論づけたのだった。