■ ■ ■
私が初めてジェラルトさんのお墓に行ったのは、ガルグ=マクから戻ってきたその日、食堂でヒルダちゃんやハンネマン先生との再会を喜んだ後のことだった。寮に戻る前、クロードくんが私を連れて行ってくれたのだ。
ガルグ=マクにはそう大きくはないけれど、身寄りのない修道士や騎士を弔うための共同墓地がある。宝物庫の近く、厩舎から騎士の間へと続く道を抜けた先にあるのがそれだ。そこからは、丁度そびえ立つ大聖堂が良く見えた。まるで、主のもとへ彼らが真っ直ぐ向かえるためであるかのように。
大聖堂との間に開かれた谷の間から、時折生き物の咆哮のような音が聞こえる。もがり笛と呼ぶには少し大きすぎるくらいのその風は寒々しさを感じさせるから、墓石の前に立ったとき、そこに掘られたジェラルト=アイスナーの名前と没年を示す数字に、胸に穴を穿たれてしまったような感覚になった。
彼が亡くなって一節が経っても、花は絶えず手向けられるらしい。その日も、まだ瑞々しい花が数輪、その鮮やかな花弁を揺らしていた。
「どうも背後から刺されたらしい」
いくら隙をついたって言っても、あの人の背後を易々ととれる気はしないよな。敢えて軽口を言うような声音で続けたクロードくんの横顔は、けれどどこか遠くを見ているようだった。
私がガルグ=マクを発った翌日、ジェラルトさんは亡くなった。
「あの日、旧礼拝堂で魔獣騒ぎがあったんだよ。大々的には発表されていないが、生徒も何人か犠牲になってる」
「……そうだったんだ……そんなことが……」
「ヒルシュクラッセからは犠牲者は出てないっていっても、こればっかりはな」
苦虫を噛み潰したようなクロードくんの表情から、私は目線を足下に落とした。魔獣というものを私は直接見たことはないけれど、ルーヴェンクラッセの皆は何度か相手にしていると聞いている。凶暴で、何度切り伏せても立ち上がる生命力を持った異形の魔物。どうしてそれがガルグ=マク内で発見されることになったのか。胸の内側がざわめくけれど、クロードくんが黙ったままだから、私は服の上から、喘ぐような呼吸を抑えるように自分の胸に触れる。
敵討ち、そういう空気に、大修道院は包まれている。実際にガルグ=マクに戻って、それはひしひしと実感されることだった。
昔ガルグ=マクで亡くなられたと言うジェラルトさんの奥様とおぼしき方の名前は、既に風雨に晒されて長いせいか、掠れて読み取れない。ベレト先生のお母様もガルグ=マクで亡くなられていたとは知らなかった。先生は、両親を失ったことになるのだろう。兄弟もいないはずだから、本当に、彼はそういう意味ではひとりぼっちになってしまったのかもしれない。
ジェラルトさんの魂は、今フォドラを瞬く星の一つに迎えられているのだろうか。クロードくんの隣で、改めて墓石の前で手を合わせながらそんなことを考える。
そこには父もいるだろうか。
もしもこのフォドラで同じ日に亡くなった人が、一緒に空に昇ることができるなら、お父様はきっと恐縮なさるだろうな。お父様から春に届いた手紙には、伝説の騎士の英雄譚が長々と綴られていたくらいだったから。
お父様とジェラルトさんが一緒にいる姿を想像しようとしたけれど、上手くいかなかった。お父様はジェラルトさんに比べれば身体も細く、日焼けはなさっていたけれど、それは農作業によるものだったから。年代は、風貌から察するにきっと同じくらいであったと思うけど。もしも二人が生きている間に会うことがあったとしても、お父様の方が緊張してしまっただろう。そう思ったら、不謹慎だけど、少し笑えてしまった。
だけど二人は確かに、もうこの世にはいない。
私が以来毎日ジェラルトさんのお墓の前で膝をついているのは、死者への哀悼というよりは、もしかしたら懺悔に似ていたのかもしれない。父の葬儀の後から日課になっていたお墓参りの代わりでもあったのだろうか。祈る時間が、私には必要だった。お父様が私に残した首飾りを握りしめて、私はいつも目を閉じた。ジェラルトさんの魂が安らかであることを祈ると同時に、私は父のことも祈った。ローレンツくんが続けてくれた聖句を、いつまでも諳んじた。
アレキサンドルでそうしていたように、温室で一輪だけ花を分けてもらい、墓前に供える。そうしていると、自分以外の誰かの気配が直前までそこに残されていることを感じる。ベレト先生かな、と思ったけれど、そういうわけではないらしいことが分かった。一度だけ、ヴァーリ家のベルナデッタちゃんらしき人影が、私を見て物陰に隠れた瞬間を目の当たりにしてしまったから。
アドラークラッセに所属する彼女は極端な人見知りで、学内ですれ違うことも滅多にない。その日はお祈りを早めに切り上げて、彼女がいない方の階段を使って寮に戻った。振り向いたとき、ベルナデッタちゃんは安心したようにそっと物陰から出てきて、私と同じように墓前にお花を手向けていた。一度も話をしたことはないけれど、きっと、心優しい人なんだと思う。
ベレト先生に直接伝えられない弔意を墓石の前で口にすれば、許されるような気がした。
だけど許されるって、一体何に対してだろう。私は訳も分からないまま、ただ祈るように、日々そこで手を合わせている。
ジェラルトさんの命を奪った敵の居所が大修道院からほど近い「封じられた森」の一角にあるとの報せを受けたのは、守護の節も終わりに近づいていたある日のことだった。
今節の課題は騎士団の出払ったガルグ=マクの防衛、ということになっていたらしいけれど、それは万が一何者かに攻め込まれたときの話であって、敵の元へ出撃するとなると話が違う。実際レア様たちは各地に派遣していた騎士団を招集させた上で掃討作戦を決行するつもりであったようだったが、結局討伐に向かうことが決まったのは天帝の剣を持つベレト先生以下ルーヴェンクラッセの生徒たちだった。
先生は兎も角として、ディミトリが、自分たちが赴くことの正当性を強く主張していたように見えたけどな、とは、その様子を盗み見ていたクロードくんの言だ。レア様は、本当はベレト先生をおめおめと敵の前に送りたくはなかったらしい。けれど、他に選択肢がなかったようだ。
「師匠の敵討ちができるなら、わたしだって」
その話を耳にしてレオニーちゃんは息巻いたけれど、ベレト先生やルーヴェンクラッセがガルグ=マクを空けたとき、この地の守りが今度こそ薄くなってしまうのは事実だ。
「まあまあレオニー、俺達には俺達のできることをするしかないさ」
俺達は、先生みたいに天帝の剣を扱えないんだから。
そう続けたクロードくんの言葉を受けて、そういえばと思い出す。彼は一度、夏の頃だったかにベレト先生に実際に天帝の剣を借りて振ってみたと言っていたのだ。どういう原理になっているのかは分からないけれど、ひとたび振れば蛇腹のようにしなるその武器は、資格を持たない人間が振ったところでただの木の棒であるらしい。
レオニーちゃんはそれでもやっぱり気持ちの収まりがつかないらしく、「あ〜」とうめき声とため息の中間のような音をその口の端から漏らして、勢いよく椅子に座った。そうすることで多少の鬱憤が晴れるみたいに、彼女はそのままその短い髪を両手で掻き毟る。
私のお父様は病死だったけれど、ジェラルトさんには彼を死に至らしめた相手がいる。そうである以上、その敵がこの世から消え去れば残された人たちの気持ちは楽になるのだろうか。やり返せば悲しみは癒えるのだろうか。想像してみたけれど分からなかった。勿論、大切な人が突然何者かの悪意によって奪われたとき、その相手に復讐したいという気持ちは私だって抱くことは当然として。
けれど果たして、相手を同じ目に遭わせたところで残るものは、一体何なのだろう。
「……そうだな。せめて各地から招集されているという騎士団が戻るまでは、僕達ヒルシュクラッセと、アドラークラッセが中心となって防衛に努めるしかあるまい。騎士団や天帝の剣を持つベレト先生と言った主戦力を外に釣っている間に、ガルグ=マクが狙われるという可能性もある」
「そうですよね……ボク達はガルグ=マクに残って防衛に専念しましょう。皆が安心して発てるように」
教室の外では、ルーヴェンクラッセの生徒たちが慌ただしく出立の準備をしていた。目的地はほど近いとは言え、敵はジェラルトさんを不意打ちながらに討った相手だ。入念な準備と作戦の立案が必要になってくることだろう。
出入り口に近い自分の席から外を眺めていたら、ルーヴェンクラッセの教室から駆けてきたアッシュくんと目が合った。弓を担いだ彼に思わず口だけを動かして「いってらっしゃい」と告げたけれど、きちんと伝わったらしい。はにかんで頷いてもらえたことにほっとする。
「まあ、何事もなけりゃあほんの数日の間だ。気楽に構えてようぜ。セテスさんなんかも相当お強いって話だしな」
クロードくんの言葉を耳に入れながら視線を教室に戻すその寸前、教室の外を早足で歩いて行ったベレト先生とディミトリくんを見た。
あ、と思って慌てて目線を戻したけれど、その姿は既に視界の外に消えている。先生はどこか思い詰めたような目をしていた。それは静かな闘志に似ていて、むしろ、復讐心に駆られているような目をしていたのは、彼の隣を歩いていたディミトリくんのように思えた。どうして彼が、と思いかけたけれど、先生のことをそれだけ思っている証左なのかもしれない。なんて、たった一瞬見ただけの二人だ。微細な表情なんて、私の見間違いである可能性の方がずっと高い。
先生たちは門のある方角へと向かっていったから、恐らくそのまま出立するのだろう。帰ってくるまで会えないな。これまでだって声をかける時間はいくらでもあったはずなのに、いざ当分の間それが失われるとなるとそんなことを考えてしまうのだから、私も大概身勝手だ。
私は騎士団長の部屋に籠もるベレト先生に、なんと言えば良いのか分からなかった。
慰めの言葉を彼が求めているとも思えなかった。同じ経験をした者として、二人で傷のなめ合いをするような間柄でもない。「大丈夫ですか」と声をかけたいと思っていたはずなのに、いざ手の届く場所に彼がいたとき、私は怯んでしまった。踏み込むべきではないのかもしれないと思ってしまったのだ。私は結局、自分がガルグ=マクへ戻ってきたことすらも伝えられなかった。
だけど、形だけでも、何か伝えるべきだったのだろう。お墓にではなく、残されたベレト先生にも。お悔やみ申し上げますと、自分が散々向けられたその言葉を、例え何の力にもならなくても。
守護の節が終わろうとしている。空はどこまでも白かった。雪が降るのかもしれない。教室の前方に飾られた鹿の旗は、どこか白々しく、私たちを見つめている。