■ ■ ■
一節近くもの間まともに動かずにいたのならば無理もさせられまい、というのがローレンツくんの考えであるらしく、道中野営でも構わないと言った私の意見は早々に却下された。
途中の街で一夜を明かしつつ、休憩も挟みながらの移動で、私たちがガルグ=マクへ着いたときにはアレキサンドルを発ってから丸一日以上が経過していた。おかげで疲労感はさほどなかったけれど、これでは急いでガルグ=マクに戻るという当初の予定が狂ってしまったのではないだろうか。ローレンツくん一人だったらきっともっと早く帰れただろうに、気遣わせてしまったことを申し訳なく思う。
「もう夕方だね。時間がかかっちゃってごめんね」
そう口にすれば、ローレンツくんは口をへの字に曲げて、どうして謝られるのか分からないとその目で告げた。ローレンツくんは、アレキサンドルを出てから妙に口数が少ない。ほとんどとんぼ帰りのような形になったせいで疲れているのかもしれない。私がもう一度「ごめんなさい」と口にすれば、そもそも私がいつまでもガルグ=マクに戻らなかったことが原因なのに「当然だろう、幼馴染みなのだから」と、どこか強調するような物言いで返されてしまった。
幼馴染みだから。
じゃあ幼馴染みじゃなかったら、こんな風に私のことを気にかけてくれることはなかったのだろうか。
考えても詮無いことに首を緩く振りながら、人の多い外郭都市を、馬を引き歩く。レオニーちゃんと買い物をしたあの初夏が今は遠く、道行く人々は、どこか薄暗い顔つきをしているようにも見えた。私がガルグ=マクを出る前と比べれば、街を警備する騎士の数が極端に少ない。それが皆の不安を余計に煽るのかもしれない。権威あるセイロス聖騎士団の団長の死は、それほどの影響を及ぼすのだ。
クロードくんやローレンツくんは、この状況でもしも攻め込まれたら、ということを案じているらしい。西方教会が警戒相手として筆頭ということになるのだろうか。セイロス聖教会への謀反を企てそうな組織として思いつくのはそれくらいだ。ならばジェラルトさんを殺したというモニカさんは西方教会と繋がりがあったと考えて良いのだろうか。だけど、昨今の事件で警戒を強めていた教団が今なお彼女の足取りを掴めていないとなると、もしかしたら別の何かが関係しているとも考えられる。こうして思考を巡らせていても、私にはちっとも答えが見つけられそうになかった。
頬に当たる風は冷たく、襟巻きに顔を埋める。外郭都市を抜け、ローレンツくんと共に大修道院へ続く緩い坂道を登っていると、自分が士官学校に戻ってきたことを改めて実感した。先生に挨拶に行く前に敷地内にある厩舎に馬を連れていかねばならない。その道中、ローレンツくんは足を止めた。は、と吐き出された呼吸音が、雑踏の中やけに耳についた。
「わっ」
急に立ち止まるものだから、ついその靴の踵を蹴飛ばしてしまいそうになる。直前でどうにか踏みとどまったけれど、手綱を引いてしまったせいで馬が嘶いた。どうやらローレンツくんは、門番さんと話をしている人物をみとめたらしい。
馬の鳴き声にその人がこちらを向いたのと、私がローレンツくんの身体の横から身を乗り出して前方を見たのとはほとんど同時だった。「お」と、短く呟かれたその声は、一節前と大きく変わっているはずがないのに、私はどうしてか、こんな声をした人だったろうかと考えてしまう。
低く、耳からすとんと落ちてくる穏やかな声、時に表情豊かに色を変えるその音が、私は好きだった。
「なんだ。思ったより早かったな、ローレンツ」
彼がそのとき門にいたのは偶然でしかなかったのだと思う。だけど私は彼に会えたことが嬉しくて、その視線がこちらに向けられた瞬間、自分でもそうと分かるくらいに破顔してしまったのだ。
「クロードくん!」
彼の名前が口をついて出たとき、クロードくんはその眦を細めた。大きく手を振った私に、彼も「」と手をあげてくれる。駆け寄りたいのをどうにか抑えて、私はさらに手を振り返した、まるで子供のように。
冬のくすんだ空の下、彼を形作る輪郭はやけに鮮やかに見えた。
馴染みの商人さんの並ぶ通りの先、玄関ホールや大広間の奥にそびえ立つ荘厳な大聖堂、騎士は今少なく、手薄な状況であるはずだけれど、それでも上空警備にあたる天馬騎士の姿がある。私があの夜、準備もそこそこに飛び出したガルグ=マクは、あの頃と状況を一変させているのに、それでも変わらずに彼が笑ってくれるから、私はそれだけで安堵してしまった。
言葉もなく歩き出したローレンツくんは私の馬の手綱まで引いた。どうやら代わりに厩舎まで連れて行ってくれるつもりであるらしい。一瞥を向けられた、その目が「積もる話もあるだろう」とクロードくんの方に合図するような動きを見せるから、私は素直に彼の厚意を受け取ることにした。
実際クロードくんに話したいことは、たくさんあった。
「おかえり」
クロードくんが口にした言葉が、私の薄皮の外側からじわじわと浸透して、こそばゆい。
「ただいま!」
彼が微笑み返してくれたその瞬間、寒さでかじかんだ指先に、熱がこもったような気がした。
ちょうど午後の授業が終わった後だったらしい。クロードくんは日課の情報収集のために門番さんとおしゃべりをしていたのだそうだ。門番さんは私に「さん。戻られたんですね! ……この度はご愁傷様でした」と深々と頭を下げてくれるので、思わず狼狽してしまう。
「お、恐れ入ります。門番さんも、その節はアレキサンドルの従者を案内してくださったそうで……」
「いえ、自分は途中でローレンツさんにお任せしてしまったので! ……ですが、すぐにさんを見つけていただけて良かったです。自分では大広間にいたさんを捜し出すだけでも時間がかかってしまったでしょうから……」
「ローレンツは声もよく通るしな。さて、折角遠路はるばるガルグ=マクに戻ってきたのに、ここで立ち話ってのもなんだな。とりあえず食堂にでも行くか? ハンネマン先生もそこで見かけたし、挨拶もしたいだろ?」
「あ、うん。……でもローレンツくんがまだ」
厩舎の方向に視線を向けるけれど、彼が戻ってくる様子はまだない。すると門番さんが「でしたら、戻られたら自分がお伝えしておきましょう」と声をかけてくれたので、その厚意に甘えることにした。
クロードくんと並んで玄関ホールに入れば、冷え切っていた頬がじんと温かくなるのを感じる。室内であるだけで大分違う。冷え切った身体が急にぽかぽかと熱を持って、襟巻きを取って手に持った。
「そうだ、クロードくん」
ぱっと顔をあげて隣の彼を見上げれば、クロードくんは「ん?」と小さく首を傾げる。「お手紙、もらったよ。どうもありがとう」と小さく頭を下げれば彼は思い出したように緩く首を振った。食堂へと続く階段は、いつもだったら煩わしく感じていたのに、今は疲労も霞んでしまう。
「ああ、いやいや、特別なことは書いてなかっただろ?」
「そんなことないよ。嬉しかったし、意外だった」
「いや〜、あれは伝えておかないとな? 勿論ローレンツには言ってないだろ?」
「言ってないよ、聞かれたけど内緒って言っておいた」
「そうしておけよ〜。俺が怒られるからな」
「怒るの? クロードくんを?」
「そうそう。『君はどうしてそう口が軽いのだ!』」
「ふ、や、やめてよ」
「『あることないこと書かないでくれたまえ!』って感じか?」
「あることないこと書いたの?」
「さあ、どうだったかな」
クロードくんの軽口が面白くて、思わず声をあげて笑ってしまった。天井の高い玄関ホールに私の笑い声は反響して、思わず口を押さえる。クロードくんは階段を上りながら、そんな私に目を細めていた。
本当は直接会って話をしたいところではあるんだが、如何せんこの状況じゃあガルグ=マクを出ることも難しい。手紙になってしまうことを、どうか許してほしい。
クロードくんからの手紙は、その後もお父様への哀悼の意を示す文章が続いていた。私を気遣う気持ちが全面に表れたそれに、ローレンツくんによって正された涙腺が緩みそうになったのも事実だ。だけど泣き腫らした目でお母様に出発のご挨拶をすることも、お兄様やローレンツくんのいる応接室に戻ることもしたくなかったから、どうにか耐えた。
どのみちクロードくんの手紙は私を元気づけるために書かれたものだ。恐らくほとんどはローレンツくんの口から伝わっているはずだと彼も想定していたのだろう。手紙の後半は、ガルグ=マクの現状や、ジェラルトさんが亡くなられたことについては一切触れず、私のいないヒルシュクラッセがどんな状況になっているのかが、克明に書かれていた。もしかしたらそれらは多少誇張されていたのかもしれないけれど。
ヒルダちゃんは私の不在が影響しているのか、訓練に対して益々やる気がなくなる一方で、「ちゃんが帰ってきたらお泊まり会するんだー」と部屋の片付けをし始めていると言う。リシテアちゃんは自分の勉強の合間に理学の問題集に印をつけているらしい。「多分が引っかかる問題なので」と話していたそうだけど、そうだ、勉強、全然やってなかった、と胃が痛くなった。ラファエルくんは「さんが帰ってきたら宴会するんだろ? 早く帰ってこねえかなあ」と言っているらしい。心配してくれる気持ちもあるんだろうけど、多分お肉が食べたいんだな、と瞬時に理解して笑ってしまった。
ローレンツくんに関しては事細かかった。そんなにクロードくんは彼を観察していたのだろうか、と考え込んでしまうほどに。葬儀から戻ってからというもの、ローレンツくんは茶器を割った。破片を片付けようとして机に頭をぶつけるような彼らしからぬ失態を犯したかと思えば、草むしりの当番では言葉もなく延々と草を抜き続け、一方で授業中は頻繁にため息を吐いていた。アレキサンドルから手紙が来たと聞けば顔色を変えてハンネマン先生にその内容を尋ね、いつ戻ると明示されていなかったそれに落胆した様子を隠そうともしなかったと言う。
「幼馴染みっていうのは、俺にはいないから分からないが、良いもんだな」
手紙にも記されていたその言葉を、彼は改めて私の隣で口にする。羨ましいよ、と。
それが照れくさくて、私は「へへ」と緩む口元を隠すために、僅かに俯いた。
クロードくんからの手紙は、アレキサンドルの自室の引き出しの中に置いてきた。士官学校を無事に卒業できたら、時にそれを読み返すこともあるだろう。それが、私たちが共に一年を過ごした証だ。
食堂に入れば、「あーっちゃんっ!」と声をかけられた。入り口の付近でハンネマン先生と何か話をしていたらしいヒルダちゃんが、私の姿を見つけて声をあげてくれたのだった。
「帰ってきたんだねー! 心配してたよー!」
私に駆け寄って抱きしめてくれるヒルダちゃんを受け止める。その背中に腕を回しながら、私はなんだか胸がいっぱいになってしまった。「ひ、ヒルダちゃん〜」ヒルダちゃんの香りだ。離れていたのはたった一節の間だけだったのに、それが懐かしくて、苦しい。
ヒルダちゃんの頭越しに、ハンネマン先生の浮かべた微笑を見た。
「おかえり、君」
「た、ただいま戻りました、ハンネマン先生」
帰ってきた、帰ってくることができた。その事実が今、突然信じられないことのように思えて、視界が一瞬でぼやけてしまった。涙を拭いたいけれど、ヒルダちゃんの腕の力は想定外に強くて、身じろぎもできない。
自分の居場所があることが、こんなにも心強いだなんて、私は知らなかった。
抱きしめ返したヒルダちゃんの身体は温かくて、柔らかかった。皆がいてくれて良かったと、私は強く思う。
だけどローレンツくんがその後食堂に現れることは、なかった。