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この数日の間に起こった出来事はガルグ=マクを震撼させるのに充分だったから、もしかしたらの耳にもそれは届いているかもしれないと思ったが、当主の死に直面し、世代交代を余儀なくされたアレキサンドルに僕が滞在している間、ガルグ=マクで起きた話を耳にすることはついぞなかった。だから、都合が良かったのだ。彼女を煩わせるものなど、これ以上あってほしくなかったから。
従者と共にがガルグ=マクを発った翌日、俄かに騒がしくなった大修道院では、大きな事件があった。ベレト先生の父君であり、セイロス騎士団の団長であったジェラルト殿が亡くなられたのだ。
元々ルーヴェンクラッセには今節の課題として、旧礼拝堂の調査が与えられていたというのはクロード経由で耳にした話だ。そこはかつて大聖堂を改修したときに仮の礼拝堂として使用していた建物で、使われなくなって久しいせいか今となっては崩落の危険性もあると聞く。貴重な品もなく、勿論平時では見張りもない。星辰の節に入って間もなくそこに侵入者の形跡があったらしいが、一体その目的は何だったのか。
「街の人間が宴でも開いたんじゃないか? 若い連中だったら肝試しってのもあり得るか」
そう笑ったクロードの目は伏せられていて、彼が真意からそう言ったのかどうかはしかし僕には判断がつかなかった。
西方教会との確執もあり聖教会を取り巻く情勢が不穏な昨今、例えクロードの言う通りそこに何らかの思惑が働いていなかったとしても、見過ごすことはできなかったのだろう。
しかし、そこから魔獣が発生するなど、一体誰が予想したか。
ジェラルト殿は亡くなった。ベレト先生率いるルーヴェンクラッセと共に魔獣を殲滅し終えた後、逃げ遅れた生徒の誘導を行っている最中、モニカさんによって心臓を一突きされたのだった。
モニカさんとは角弓の節、行方不明になったフレンさんと共に発見された、アドラステア帝国オックス家の出の貴族だ。彼女は去年の士官学校の生徒で、卒業の時期、自領への帰還中に失踪したとされていたが、この度無事に戻ったことを受け、一年遅れでの卒業を目指すとして飛竜の節から授業に参加していたのだった。一体彼女にどんな目的があったのかは定かではない。ジェラルト殿の殺害直後の彼女に逃げられてしまったためだ。この話のほとんどは伝聞であるため、どのようにして彼女の逃亡が成ったのかを僕は知らないけれど。
実の父親を失ったベレト先生の落ち込み様は凄まじかった。失礼かもしれないが、僕は親の死に面しても彼は表情を動かさないのではないかと思っていたのだ。しかし、その表情は翳り、元々口数の少なかった唇は引き結ばれたまま。騎士団長の部屋である大広間の二階の一室にほとんど閉じこもっていたその間だけ、それは嗚咽のためにだけ開かれたのかもしれない。
そんなものは、どうやっても僕には知りようのないことだけど、それでもガルグ=マクの片隅で彼を慰めるルーヴェンクラッセの級長の目が、形容しがたい光を放っていたのが気にかかった。
復讐を。その口から聞こえた言葉を、僕は確かに聞いていた。
父の代わりにの父君の葬儀に出向いたのはその数日後のことだった。恐らく父がアレキサンドルのためにその時間を割くことはないだろうし、何も言われずとも僕がグロスタールの人間として赴くべきだろうと独断で向かったわけだが、それは正しかった。父は案の定そこにはいなかったから。リーガン、ダフネルと言ったアレキサンドルの周囲を囲う二貴族がそこに居た以上、外聞としてそこにグロスタールの人間が居ないわけにもいかなかった。
けれど、の顔色は芳しいとは言えなかった。喪服は必要以上に彼女の肌を青白く見せていた。僕は彼女に声をかける機会を得ることができなかった。
ヴァイル殿は、一方で、粛々と喪主を務めた。
鷲獅子戦の折、彼がグロンダーズにやって来たその姿を見た瞬間から、僕は自分の記憶の彼よりも随分とその顔付きが変わったように思っていた。風格が滲み出たと、あの日の僕は口にしたけれど、違うのだ。あれは覚悟を決めた人間の顔だった。
「鷲獅子戦の時は途中で帰ってしまい、すまなかったね」
弔問に訪れ、父が参列できないことの謝罪と、哀悼の意を表する僕にヴァイル殿は薄く微笑む。窪んだ眼窩が、その疲労と憔悴を汲み取らせた。
「あの時も、実は父の容体が悪化したことを知らされてね、父にも頼まれていたし、最後までグロンダーズにいたかったんだが」
「……そうでしたか」
「今思えば、あの時にを一度連れて帰るべきだったのかもな」
ままならないものだと自嘲気味に吐き出したその言葉に、僕は返す言葉もない。
「の様子はどうだった?」
アレキサンドル領から戻った僕を出迎えたクロードは、開口一番そう尋ねる。
どうもこうもない。僕は彼女に避けられて、向こうではその姿を遠目から見ることしかできなかったのだから。
大丈夫かとも、いつ戻るのだとも言えなかった。そういう思いを押し殺して、僕はただ首を振った。
「そっか。まあ、仕方ないよなあ。親に死なれるってのは俺には経験がないが、ベレト先生ですらあの状況だ。病気のことだって知らされてなかったんだろ? そう簡単には割り切れないよな」
もしもその時のクロードの目が、いつものように薄皮一枚で本音を隠すようなものであれば、僕は感情に任せて彼を罵っていたかもしれない。分かったような口をきくのはやめろと。それがほとんど八つ当たりでしかないことを知りながら。
生気の抜けたような目で、ただ彼女は立っていた。領主の死を嘆くようにアレキサンドルの空はどっぷりと重く、冷たい雨のぱらつく中、墓石の前で立ち尽くすあの後ろ姿を見ていれば、お前はそんな他人事のような言葉を作れまい。それを僕は、ほとんど喉元まで出しかけていた。それが出来なかったのは、目線の先のクロードの目があまりにも色濃い同情に染まっていたからだ。
クロード。
呼びかけたその名前すらも、僕は飲み込んでしまう。
「戻って来れるといいんだが」
お前は彼女に、きっと何らかの感情を抱いているのだろう。
それが何なのかをお前が僕の前で口にすることは、きっとない。
はガルグ=マクに戻らなかった。
ハンネマン先生には一通だけ、彼女の兄であるヴァイル殿から手紙が届いたらしいが、期限も提示されぬまま、少し自領にて休息を取らせますとあったと言う。その少しが如何ばかりのものかを知る術は教室にいる僕たちにはなく、ジェラルト殿のこともあって重苦しい空気に終始息が詰まった。
中でもジェラルト殿を師匠と慕っていたレオニーさんの憔悴は凄まじく、あの気丈な彼女がヒルダさんに震える背を撫でられているのを見たときは、僕は何かいけないものでも見てしまったかのように思ってしまったのだった。
ジェラルト殿を失ったことへの喪失感を復讐心で埋めようとしているのか、或いは他に理由があるのか。レア様たちセイロス教会はその敵討ちのため、モニカさんの居場所を探ることに躍起になっている。騎士団のほとんどを捜索にあてているのを、学生の方が心配する始末だ。今守りが手薄になっているガルグ=マクを攻められたら危ないのではないかと。名だたる将など一人も残ってはいないのだから。
それが分かっているから、クロードも僕の言葉に「俺もローレンツに頼もうと思っていたんだ」と口にする。
守護の節の半分が過ぎた頃だった。
「明日、を迎えに行こうと思う」
そう言った僕に対して、彼はどこか安堵したような目で笑う。「助かるよ」と、掠れた声で呟いて。
「本来級長である俺が行くべきなんだろうとは思うんだが、如何せんこの状況だ。騎士団が不在の今、いざって時のために戦力になるために、ガルグ=マクを離れるわけにもいかないからな」
彼の言うことは尤もだ。レア様がどうお考えなのかは分からぬが、ここまで戦力が揃ってない現状、もし何かが起こった場合、戦場に出るのは恐らく僕達士官学校の生徒になるだろう。その時に級長が不在であるなど、話にならない。
クロードの言い分は筋が通っていて、決して言い訳めいてはいなかった。その表情も、僕にを任せることに対して穏やかでない様子であるわけでもない。そういうことが積み重なって、僕は確信を深めていく。
「仕方ないさ。それが君の務めだ。僕が不在の間、ガルグ=マクを頼んだぞ」
「はは、大丈夫だ。何とかなるよ。今はあの人もあんなだけど、いざって時は死ぬ気で動くだろ」
その「あの人」が誰を指しているのかを察することが出来ぬほど、僕は愚かではない。
クロードはまだ、彼にどこか淡い執着を抱いている。
翌朝、ガルグ=マクを発つ準備を整えた僕の部屋を訪れたクロードは、一通の手紙を差し出した。
「ついでにこれも頼むよ」
へ。封の端にそう書かれたその手紙に、僕は目を細める。
彼の考えていることを、僕は今でも完全に理解することはできていない。だけど、この手紙を受け取ったはきっと、それを原動力にして立ち上がるのだろうな。予感のように思う。僕は彼女の力になれるのだろうか。この世でただ一人の、僕の幼馴染であるあの少女の力に。