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 舞踏会の催される大広間は長椅子や机と言った不要な物が取り除かれ、その空間の広さが際立っていた。煌びやかな照明に、いつもより燭台の数が桁違いであることを知る。撤去された長机の代わりに準備された丸机の上には飲み物や軽食が並べられていたけれど、昨晩の前夜祭に比べれば量よりも質であることは明らかで、ラファエルくんの落胆する様子が目に浮かんだ。
 私とローレンツくんは案の定出遅れてしまったようだ。楽団の奏でる音楽に包まれている大広間の中央では、既に何人かの生徒が手を取りあって踊っている。アドラークラッセのエーデルガルトさんに、ルーヴェンクラッセのディミトリくん。まだ舞踏会が始まって間もないはずなのに、彼らの相手を務めている生徒はよほど緊張していることだろうと思ったけれど、大広間でも一際目立つ級長二人に劣らず、お相手をしている生徒も信じられないくらいに舞踊がお上手だった。ローレンツくんやヒルダちゃんに特訓してもらったとは言え、この中で踊ろうと思えるほど、私は自分に自信はない。ほとんどの生徒は未だ壁に背を預けて、学級の垣根を越えての歓談を楽しんでいるようだけど。
 全学級の生徒が一堂に会するということもなかなかない。聞き慣れた声が耳に入って目線をそちらに向ければ、イングリットちゃんが異性に囲まれて狼狽していた。今日はほんのりお化粧をしているみたいで、いつにも増して可愛らしく見える。



「あ、あの私は、踊りはあまり得意ではなくて」



 もごもごと断っているけれど、なかなか諦めようとしない一人の男子学生にとうとう折れたのだろう。彼女は最終的に、渋々とその手を取った。大広間の隅の方で踊り始めた二人を、品がないとは思いながらも凝視してしまう。イングリットちゃんは元々身体がしなやかで柔らかいから、硬いのは表情だけで、遠目から見ている分には決して舞踊が苦手であるようには思えなかった。
 他にも様子を窺っていたらしい生徒たちで、少しずつ中央の空間は埋まっていく。落ち着かない気持ちになって、隣のローレンツくんに目線をやった。その右胸に留められた不格好な釦を隠すためか、彼は腕を胸のあたりで組んでいて、今更申し訳なく思う。
 しかし、これまでまともに考えてこなかったけれど、ローレンツくんは誰かを誘わないのだろうか。いや、聞くまでもあるまい。彼ほどの舞踊の腕があれば何の躊躇も羞恥もないままに中央に繰り出せるだろうし、一際目を引く踊りを見せてくれるだろう。名門グロスタールの嫡男である彼だ。一年も終盤に差し掛かったこの時期、彼の将来の妻の座を欲する女学生は少なくないだろうし、彼の方だって自分に相応しい女性を探している。この舞踏会はまたとない機会なのではないだろうか。最近は女の子に声をかけている姿はあまり見かけないけれど。
 私の目線に気が付かないのか、彼は大広間の中央に向けていた瞳を一瞬丸くした後、苦々しげに細めて見せた。つられてそちらに顔を向ける。「クロードめ」と呟かれた言葉に、心臓が止まりそうになった。
 だって、見たくなんかなかったのだ。ものすごく利己的で、自分勝手だって分かっているけれど、私は他の女の子と手を取り合って踊っているクロードくんを想像しただけで何だか息がしづらくなってしまう。でも、これが舞踏会である以上そんなのどうしようもない話だ。
 多くの相手と親交を深めることを目的としている舞踏会は同じ相手と何度も踊ってはいけないと言われている。いや、厳密にいえば、いけない、ってことはないとは思う。既に恋人同士である人たちは一度だけ踊ったあとは誰の誘いも受けず、ずっと壁際で歓談に徹するつもりだと言う話を耳にしたし、実際に何度同じ相手の手を取っても、見咎める人などいないだろう。ただ、相手はあのクロードくんなのだ。ヒルシュクラッセの級長で、レスター諸侯同盟における盟主の役割を担っているリーガンの後継者、さらに頭脳明晰で人当たりも良い彼と踊りたくない女の子なんているのだろうか。次々と踊りに誘う女の子が現れたって何ら不思議ではない。
 改めて覚悟を決めて、ローレンツくんの視線の先を薄目で見る。ヒルダちゃんやリシテアちゃん、うちの学級の女の子だったらまだそこまでの衝撃は受けない、そう思いながら彼の姿を見つけた私は、果たして彼の楽しげな横顔を見る。あれ、だけど、相手の子、女の子にしては身長が。目を細めたまま認めたその存在に、私は妙な悲鳴をあげてしまった。



「……本当に大胆な奴だな」

「え、あれ、ベベ、ベレト先生だよね?」

「間違いなくベレト先生だ」



 大広間の真ん中で踊るクロードくんは一際注目を浴びていた。それは相手が女子生徒ではなくベレト先生であったからというのも勿論あるのだけれど、舞踏会で踊るには、それは忠実な舞踊とは言い難かったためでもあるだろう。
 どちらが先導しているのかも分からないちぐはぐな舞踊は、もしかしたら傭兵としての生活が長かったベレト先生に合わせたものだったのかもしれない。だけどクロードくんのその表情は「楽しけりゃなんでもいいだろ」と言わんばかりで、だからこそ、周囲の人間は彼にあてられるのだ。
 踊りは経験がないと自信なさげに笑っていたイグナーツくんが、同じように隅で居心地が悪そうにしていたマリアンヌちゃんに手を差し出したのは、きっとクロードくんの存在があったからだ。どことなく張りつめていたような空気が緩くなっていくのが分かる。舞踊に自信がない人、誘う勇気がない人、そういう皆の背を押したのは、間違いなく彼だった。







 不意に名前を呼ばれて隣に立っていたローレンツくんを見上げたのと、「あの」と珍しく彼が言い淀んだのと、背後からするりと腕を掴まれたのはほとんど同時だった。突然の感触に心臓が大きく脈打つ。



「ひゃっ」



 思わず悲鳴を漏らしてよろめくと、絡められた腕に力が込められて、そのまま背中を支えられる。ふわりと香った花のような匂いと柔らかな感触に、私はそれが女の子だと知った。



「探したのよ、ちゃん」



 何となく周囲がどよめいたような気がしたのは、それが白鷺杯の優勝者であり、未だに人気の根強い歌劇団の歌姫であるドロテアさんだったからだろう。ほとんど抱きすくめられるような形になって、目を白黒させる私の視界の中で、ローレンツくんが目を丸くしていた。彼が言いかけた言葉の続きが気になったけれど、こうなってはもう、すぐには聞けそうもない。



「ねえ、さっきの私の踊り、見ててくれた? 結構盛り上がったと思うんだけど……」

「さっきの……あ、もしかして前に言ってた、優勝者の人が皆の前で踊るっていう舞踊ですか?」

「ええそうよ。その様子だと……もしかして、見てない?」

「お、終わっちゃったんですか……私たち、今さっき来たばかりで……すみません、楽しみにしてたんですけど……」

「あら、そうだったの」



 残念、と肩を竦めるドロテアさんは、私の背後に立っていたローレンツくんに目をやると、自然な笑顔を浮かべて「ローレンツくんも居たのね。その節はどうも」と小さく会釈をしてみせた。対するローレンツくんの方も軽く頭を下げ、「ああ、ドロテアさん。相変わらずお美しいね」と逡巡なく口にするから、私はつい二人を見比べてしまう。
 そういえば、ドロテアさんは彼に相手をお願いしてみようかと言っていたけれど、既に代表者による舞踊が終わった後だということは、結局ドロテアさんはローレンツくんを相手に選ばなかったのだろう。ドロテアさんの言う「その節」が一体何なのかを思案しながら、私は彼らの会話に入れずにただただ作ったような表情をする二人の間に立っていた。



「君の華麗な舞踊が見られなくて残念だな。楽しみにしていたんだが……」

「あら、良いんですよお世辞なんて。貴族様からしてみれば、私の踊りなんて下賤極まりないでしょうし」

「そんなことはないさ。白鷺杯での君の踊りは堂々としていて実に素晴らしかった」

「所詮、型に押し込めただけの付け焼刃の踊りです。貴族様方の見様見真似。大したものじゃないわ」



 ドロテアさんの言葉に、ローレンツくんの表情が僅かに固まる。その場の温度が意図的に下げられたような気がしてドロテアさんの方に目線をやれば、彼女は私の肩に手を添えて「さ、ちゃん、行きましょうか」と私を会場の中央に緩く押すから、私は分かりやすく狼狽してしまった。目を見開いたローレンツくんが人ごみに紛れる。いや、彼からしたら雑踏に消えてしまったのは私たちの方だったのだろうけれど。



「ど、ドロテアさん、ちょ」

「踊ってくれるって約束だったわよね?」

「し、しました、約束した、けど」



 ドロテアさんは私の肩から腕、手首をするりと撫でたかと思うと、そのまま指を絡めた。迷いない足取りで私を先導して、大広間のほとんど中央を陣取る。単純に、周囲が私たちに気が付いて譲ってくれたというのもあるのだろう。四方八方からの視線はそのほとんどがドロテアさんに向けられたものであると知っているけれど、それでも尻込みしてしまう。



「硬くならないで。大丈夫よ」



 先ほどローレンツくんに向けていたものよりもずっと穏やかな声音が私の耳元で発せられる。ドロテアさんはまるで自然な所作で私の手を引くと、音楽に合わせてその足を前へ出した。
 ドロテアさんは自分の踊りを貴族の見様見真似で付け焼刃だなんて言ったけれど、私はその一瞬だけで、ドロテアさんの才能を垣間見たように思う。もしかしたら、才能なんて言葉で収めてしまうには彼女に失礼だったかもしれない。丁寧な所作で、男性として、彼女は踊り上げる。歩幅が足りなければ足を伸ばし、腕を掲げ、私が動きやすいように先導してくれる。歌劇団で培った経験が、その柔軟な動きに繋がっているのだろう。彼女だったらどんな相手とでも上手く合わせて踊ることが出来るに違いない。



「わ、わあ、お、踊れてる、ような?」

「ふふ、ええ。踊れているわよ、ちゃん。とっても上手」



 身体を引き寄せられた瞬間、耳元で笑われて、くすぐったさに思わず身を捩った。「ドロテアさんが上手だから」そう言いながら、だけど、もしかしたらドロテアさんは嫌がるかな、と考えてしまう。先ほどのローレンツくんの賞賛を、まるで露でも払うみたいに素気無く聞き流した上に分かりやすい嫌味で応対したドロテアさんは、もしかしたら貴族があんまり好きじゃないのかな、と思ったのだ。それにしては彼女は私やイングリットちゃんには優しく接してくれているけれど。
 私の杞憂はすぐさま解消された。彼女は演技と言うよりはあまりにも自然に柔らかく微笑むと、「ありがとう。嬉しいわ」と素直にお礼を言ってくれたから。
 ということは、貴族に悪印象があると言うよりもむしろローレンツくんが何か彼女に失礼なことをしたのだろうか。考えられなくもない。あの人は無自覚に他人を煽ることがあるから。ドロテアさんの先導はあまりにも上手で癖がなく、ほとんどローレンツくんと踊っているときと変わらないように思えたからこそ思考をする余裕が出来てしまう。眉根を寄せて考え込む私に、ドロテアさんは分かりやすく笑った。「なぁに? どうしたの?」と尋ねられ、私は思わず繋がれた手に力をこめる。



「あの、ローレンツくんと何かあったのかなって。ドロテアさんが怒っているみたいに見えたから」

「あら。何もないわよ。……確かに開会の舞踊の相手は断られちゃったけど」

「えっ! あ、そうなんですね……」



 最初から他の人に頼んだのかと思っていた。そんな思いが顔に出ていたのだろう。ドロテアさんは人がいない場所を背中で見ているかのように、私の手を引いてくれる。



「ええ。そう。でも、それで彼にああいう態度を取ったわけじゃないのよ。別件でちょっと彼には思う所があって、それでなんだけど。……もしかしたら勘違いされてるのかしら」

「え、どうだろ、私も全然、ドロテアさんからお誘いがあったって話も聞いてなかったので……」

「へえ? 意外ねえ。そういうの、すぐに誰彼かまわず話しそうに見えるのに」



 ドロテアさんがそう思うのも分からなくはない。実際、私も驚いているのだ。彼は確かに自分の妻に相応しい相手を探していると言っていたし、それは平民やうちのような小さな貴族の人間には務まらないと宣言している。とは言え、舞踊の相手を頼まれれば、それが平民だろうと貴族だろうと関係なくその手を取ると思っていたから。断るのは貴族として相応しくない、そんな考えでもって、であろうけど。
 ローレンツくんがドロテアさんの誘いを断った、その真意は想像することすら出来ないし、流石に本人に理由を問いただすような真似をしようとも思えない。ローレンツくんにもきっと何か信念なり思惑なりが存在しているのだ。それらの全てを把握することなんてできないからこそ、時には引いて物事を考えなくてはいけないだろう。勿論、幼馴染という立場である以上、ローレンツくんのことは多少なりとも引っ掛かりを覚えてしまうし、気になりもするけれど。



「あの、そういえば結局開会の舞踊は、誰と……?」

「カスパルくんと踊ったわ」

「えっカスパルくん?」



 フェルディナントくんか、ヒューベルトさんあたりだろうか、と想像しながら尋ねた質問に思いもよらぬ答えが返ってきて、思わず声をあげてしまった。
 カスパルくんと言えばアドラークラッセで一番小柄な男の子だ。カスパル=フォン=ベルグリーズ。確かにベルグリーズ家と言えば帝国の軍務卿を世襲する立場である、アドラステア帝国でも有数の貴族だ。私は彼とは個人的に会話をしたことはないけれど、これまでガルグ=マク内で見かけたカスパルくんの印象は、貴族的と言うよりもどちらかと言えば奔放で、訓練を好み、喧嘩と見れば首を突っ込む。大きくなるために食事量を増やすのだとラファエルくんと並んで同じだけの量を食べようとする姿を見かけたことは片手では済まず、雨の中だろうと平気で駆け出し、掃除にも常に本気、そう言えば以前厩舎で教本を馬に食べられている姿を見かけたが、あれは大丈夫だったのだろうか。つまり、そういう元気な男の子で、そんな彼がドロテアさんと一緒にこの修道院の落成を祝う舞踏会で踊って見せた、というのは聊か想像が難しい。
 不思議な顔をしてしまっていたのだろう。向かい合ったとき、ドロテアさんは分かりやすく吹き出した。



「皆のそういう顔が見たかったのよ」



 結構盛り上がったと思うんだけど。ついさっきドロテアさんが私に向けて呟いた言葉が不意に脳裏をよぎるけれど、それでもすぐには飲み込めない。
 ドロテアさんが不意に腕を高くあげる。男性側にこういう仕草を取られたときは、くるりとその場で回転。だけど、突然のことに慌ててしまった私は分かりやすく爪先を引っかけて、そのままよろめいてしまう。ほとんど慌てた様子もなく私の身体を受け止めたドロテアさんは、笑いながら告げた。



「カスパルくんも、さっきこれで転んだのよね。勿論、こんな風に受け止めたけれど」



 その言葉に、私は目を丸くする。それはつまり、彼に対しても自分が男性役で踊ってみせたということだ。「ちょっと悪乗りしすぎだって、マヌエラ先輩に怒られちゃったわ」と小さく笑ったドロテアさんは、いつもの彼女よりも少し幼く見えた。



「うおお! 負けてられねえぜ!」



 不意に壁際からそんな声が聞こえて目をやれば、一際目立つ色の髪をしたカスパルくんその人が、ラファエルくんと一緒に料理を平らげているところが視界に入る。
 仕方のないことだったとは言え、ドロテアさんとカスパルくんの舞踊をこの目で見ることが出来なかったのは、やっぱり何となく、惜しいような気がしてしまった。


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