■ ■ ■
クロードは僕が白鷺杯に出るものと思っていたらしい。今朝、ヒルダさんを代表とするようにと伝えた僕に、彼は「なんだ、そうなのか」と目を丸くして見せた。
「一体どういう風の吹き回しだ? 俺はてっきり、ローレンツのことだから何が何でも代表の座を奪うもんだとばかり思っていたんだが……」
「奪うとは失敬だな。……彼女と話し合いをしてね。より合理的な方を取ったまでだ」
「ほほー? それはヒルダが言っていた『約束』とやらと関係があるのか?」
「あったところで君に話す筋合いはない」
クロードの言う通り、白鷺杯にそれなりの思いがあったのは確かだ。鷲獅子戦や落成を記念する周年祭も兼ねた舞踏会とは比べるまでもなく歴史の浅い大会ではあるが、舞踊の美しさや技を競うなんて、まさに僕のためにあるようなものだ。だからこそ、僕だって出来るならば自分が出たかったさ。だが、の話を出されたらそういうわけにもいくまい。
昨日のヒルダさんの言葉を脳裏に思い浮かべながら、探るようにこちらを見つめているクロードの視線を断ち切るように目を逸らす。
「ちゃんのことを、舞踏会までそれなりに踊れるようにしてあげたいのねー。でも思ったより深刻でー。多分あたしよりもローレンツくんのほうが適任なんじゃないかなー?」
その両の手の平を重ね合わせ「勿論、あたしだってお友達のためにやってあげたいって気持ちはあるんだけどー」と続けながら首を傾げる彼女にそう頼まれてしまったとき、こうやって何度もヒルダさんの要望に応えてきたこれまでの自分を思い出してしまった。人に仕事を頼む、そう言ったことに関して、彼女は実に上手かった。相手を上げて、決して気分を害させることは言わず、あくまで最後は相手の良心に任せた上で、手伝ってもらったことの礼は忘れない。彼女が男女問わずに愛されるのは、そう言った詰めも心得ているからだろう。
ヒルダさんは決して悪い人ではない。そもそも、あのの世話を焼こうとしてくれただけでも幼馴染としては感謝しているのだ。の舞踊が想像を超えていた、ということに気が付いた瞬間、その場で些事を投げなかっただけでも有り難い。どの道、僕自身も彼女のことは心配していた。これまでが大小問わず舞踏会などの場に姿を現したことは一度もなく、舞踊の類を毛嫌いしているらしいことはその言動からも薄々推測することができたから。
あの優しすぎる兄君に庇われて生きてきた彼女は、面倒事から逃げる癖がある。全ての物事に対してではなく、自分が無理だと決めたことに関してのみに発動される諦めの良さと言うのは、根が真面目である分問題視されにくいようだが、貴族と舞踊は本来切っても切り離せない関係にあるのだ。十代のうちならばそれでもいいかもしれない。だが成人したとき、踊りの一つもできずにいて困るのは彼女だろう。
とは言うものの、僕の方から見てやろうとは言い出しにくかったから、ヒルダさんが話を持ちかけてきてくれて助かったのだ。
「のことは僕も心配していたからね。幼馴染として彼女があのままでは困ると思っていたのも事実だ」
「えー! じゃあ、引き受けてくれるのー?」
「構わないよ。このローレンツ=ヘルマン=グロスタールに任せてくれたまえ」
「うんうんー! 心強いよー! ローレンツくんなら安心だねー!」
の面倒を見る以上、白鷺杯の練習をする時間までは取れないだろう。それを承知の上で、僕は彼女に頷いた。「ローレンツくんはすごいなー! 今回のことも、ばっちり兄さんへの手紙に書くからねー!」ホルスト将軍のグロスタールへの評価について、この件でも多少なりとも変化があるのならば、僕としても悪い話ではなかった。
そうした諸々の話し合いの結果、僕はの舞踊の師として彼女の部屋に居る。
は、授業が全て終わったその日の放課後、彼女の部屋の扉を叩いた僕を笑顔で受け入れた。部屋はいつ来客があっても良いようにか、小物や書物が散らかることなくきちんと整えられていて、机の上には理学の教本が並んでいる。そういえば最近彼女はようやく初歩の黒魔法を習得したが、残念ながらこちらもほとんど才能はない。
僕がを気にかけていながら、舞踏会のための練習を手伝おうと自ら彼女に提案することをしなかったのは、そもそも彼女と二人で話すということ自体を避けてしまっていたためだ。
前節、全く本気であるとは取られなかったとはいえ、僕は彼女に結婚の意志があることを示した。冗談ですませる気はなかったものの、ある意味ではほとんどその場の勢いだったと言ってもよく、後になって後悔したのも確かだ。もう少し、きちんと場を用意しておくべきだった。自室で二人きりといった状況以上の「きちんとした場」をガルグ=マクで考えろと言われてもそうそう出てはこないが。しかしそうであるが故に今彼女の部屋で二人きりになるのは気まずい。教室や、食堂、訓練場などで話すのとはわけが違うのだから。
「ローレンツくんが引き受けてくれて助かったよ。ヒルダちゃんが白鷺杯に出るって言ったときは、もう当日はお腹が痛いからおやすみしますって言おうかなって思ったんだけど」
が、彼女の様子を見るにそう思っていたのは僕だけだったらしい。やはり僕の言葉は彼女の表皮で弾かれていたのだろう。一体何が悪かったのかは甚だ見当がつかないが、安堵している自分がいるのも確かだ。
しかし腹痛だと嘘を吐いてまで休もうとするとは、本当に逃げ癖のある子だな。指摘する気はなかったものの、そう思いながら小さくため息を吐きかけた瞬間だった。
「でも、やっぱり頑張りたくて」
僕は、彼女の決意の理由を知っている。
ヒルダさんから直接聞いたわけではない。彼女はそういった個人的なことを、本人の許可なく吹聴するような人ではないから。だけど、僕は分かる。その横顔をずっと見ているから。
が何かをしようとするとき、そこには必ずあいつの影があるのだ。
これまでのなら、舞踏会に参加することすら拒んだだろう。恥をかきたくないからと。今から練習したって間に合うとも限らないと言い訳をして。だがそうしなかった。才能がないことを自覚しながらも理学を学んでいるのだって、恐らくあいつのためだ。
「ありがとうローレンツくん。呆れられちゃうかもしれませんが、よろしくお願いします」
僕はそれを知っているのに、それでも君を支えてやりたいと思っている。
「……仕方あるまい。君をどんな舞踏会に出しても恥ずかしくないようにしてやろう」
品行方正、容姿端麗にして才気煥発の、このローレンツ=ヘルマン=グロスタールの名にかけてね。冗談めかしてそう言えば、は何だか気が抜けたように眉尻を下げて笑った。
その笑顔を見た瞬間、それまでの彼女はどこか緊張していたのかもしれないと、そんな確証のないことを思ったのだった。
「あのね、この前ヒルダちゃんに見てもらったときはね、立ち方が変って言われて」
座っていてと言われたが、それでは的確な指示がしにくいと、僕は部屋の壁に背を向けて彼女の姿をまじまじと見つめる。
は、女子の平均的な身長だ。手足の肉付きはあまり良くないが、極端と言うほどではない。姿勢がどうこうという話はヒルダさんからも聞いていたから、もしかしたら大樹の節に負った怪我が原因ではないだろうか、と想定していたものの、どうやらそれ以前の問題があるようだ。
ふむ、と口元に手を当てて彼女の足元を見つめる。
「舞踊は普段の姿勢とは違うのだよ。拇指球に体重をかけていないだろう」
「ぼ、ぼしきゅー?」
「そう。まず拇指球からつま先に体重をかけて」
「ぼしきゅうってどこ?」
「……」
そこからか。
深く考えずに彼女に歩み寄って、その手を取る。本当は足の裏で指し示してやった方が分かりやすいのだろうが、さすがに靴を脱がせてそれに触れることはできない。
の手は僕のものより一回りも二回りも小さく、柔らかかった。彼女の手の甲に沿えた親指以外の指がその滑らかな皮膚をどうしてもなぞってしまっていることを、あまり考えないようにしながら、彼女の拇指球、親指の付け根の、ふっくらとした部分を指の腹で軽く押す。
「ここだ。足の裏にも似たような部分があるだろう? そこに体重を」
言いながら彼女の顔を覗き込もうとして、しかし僕は言葉を失った。
妙に頬が赤くはないか。
「……?」
名前を呼んだ瞬間、自分の手を見つめていたが大きく目を見開いた。
「わーっ!」
悲鳴と呼ぶには聊か女性らしくない声をあげて、はその手を引っ込める。守るようにその手を胸に当て、何故か僕を責めるような目で見上げてくるから、僕は言葉に詰まるのだった。