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 学級の代表者が踊る白鷺杯に興味がなかったわけではない。僕の舞踊ならばこの士官学校でも通用しないはずがないし、優勝も間違いないだろう。
 しかしハンネマン先生は、僕とヒルダさんのどちらに頼むかを決めあぐねていたらしい。ヒルダさんも同盟貴族の一員としての良識や見分を兼ね備えているし、事実彼女の舞踊は目を見張るものがあるから、僕と迷ってしまうのも分からないでもない。
 結局最終的な決定権は級長のクロードに委ねられたようで、放課後に僕は彼女と共にクロードに呼び止められた。それが、昨日のことだ。



「俺としてはどっちでも、やりたい方が出てくれりゃあ良いとは思うんだが」

「はっはっは、すまないなクロード、君も出たかっただろう。やはり先生は実力と言うものを良くわかっていらっしゃるらしい」

「いや俺は別に、誰もやりたいやつがいなきゃ出てやるくらいなもんなんだが……」



 舞踊の腕に関しては間違いなくクロードよりも僕の方が上であることについつい優越感を覚えてしまう僕の隣で、ヒルダさんは想定外に眉根を寄せて「うーん」と渋るような素振りを見せた。



「白鷺杯かー。正直に言えば出たい気持ちもあるけど、あたし、他に約束をしてるのよねー」

「約束?」

「うんー。あーでも、クロードくんには関係ないからー。ちょーっとローレンツくんと二人で相談してもいいかなー」

「あっ、おいなんだよ」

「話がついたらまた報告しに行くってー」



 クロードの背を力任せに押すヒルダさんに思わず言葉を失う。抵抗虚しく、いや、そもそも彼が本気でヒルダさんに抗おうとしているかはさておいてであるが、その力強さは兄君譲りなのだろうか。そんな彼女はクロードを追い払ってまで僕に相談したいことがあるらしい。一体何だろう。今しがた彼女が口にした「他の約束」と関係があるとみていいだろうが。
 思案したその脳裏に、思い浮かんだことが一つだけあった。ヒルダさんの方に目線をやる。訝るクロードを教室から追い出してしまうと、ヒルダさんは僕に向き直って、何とも形容しがたい笑みを浮かべたのだった。








 個人練習を始めて三日目、あたしに任せて、って言ってくれたヒルダちゃんは、その日の朝一番、寮の外で会って早々に私の前で「ごめんねー!」と手を合わせた。彼女の柔らかな毛髪が一本の後れ毛も許さないというように綺麗に結ばれているのを見つめながら、私は自分が何故謝られているのかを考える。
 全く見当もつかないけれど、この雰囲気だと結構深刻そうだ。今日のお昼ご飯は一緒に食べられない、とかそういうものじゃなくて、私が貸したものを失くしてしまったとか、そういう感じだろうか。ヒルダちゃんはやればできるのに面倒くさがりだから、部屋なんか整理されないまま、いろんな物で溢れかえっている。以前本を貸したときも、なかなか戻って来ないなあなんて思っていたら、書庫に返す本と一緒に返却してしまったらしい。二人で書庫の中を探して何とか手元に戻ってきたのが、ほんの数節前のことだ。
 だけど最近ヒルダちゃんに何か貸した記憶はない。首を傾げながら、未だ頭をあげようとしない「何が?」と問いかければ、ヒルダちゃんは瞳だけをこちらに向けて、申し訳なさそうに言ったのだった。



「あのね、実はあたし、白鷺杯の代表に決まっちゃってー……」

「えっ? ヒルダちゃんが? すごいー! おめでとうー!」

「ありがとうー。でも、あのね、それであたし、そっちの練習もしたくてー……」

「!」



 細かく切られた言葉に、ヒルダちゃんの葛藤を量ることは簡単だ。だけど、ということは。
 言葉を失って固まる私に、ヒルダちゃんはその整った眉尻を下げている。








 ヒルダちゃんから試しに踊って見せてほしいと言われ、私の部屋で舞踊と言うにはあまりにもお粗末な何かを見せたのは一昨日の放課後だった。舞踊を封印してから過ぎ去った約五年の間に奇跡が起こっているのではないかと期待したものの、ヒルダちゃんの表情を見た瞬間そういう甘い希望は打ち砕かれてしまった。



「……うーん、ちょっとあたしの真似してみてくれないー?」



 寝台に座っていたヒルダちゃんが立ちあがって、私の隣に立つ。
 基本姿勢はこう、と言いながら腕を空に置くヒルダちゃんは姿勢が良くて、真似をして背筋を伸ばすも、しかし何かが違う気がする。ヒルダちゃんも首を傾げながら「あれー……?」とその顔を曇らせた。まさか足運び以前の問題だとは思わなかったが、私の姿勢は少々おかしいらしい。



「えー、何だろうー……。こう、こんな感じで、シュってできない?」

「シュっ……?」

「肩かなー……? 腕の角度? なんだろう、何か不自然ねー。どこがとは言えないんだけど……あたしも感覚でやってるから、いきなり言語化してって言われると難しいなー……」



 傾げていた首を戻したヒルダちゃんは、「でも、まだ時間はあるし、最低限形になれば良いわけなんだから、ゆっくり頑張ろうー!」と正面から私の両肩に手を置いた。その温かさに目の奥がじんわりと熱くなってしまう。
 うん、頑張る、頑張るよヒルダちゃん。立ち方が変でも、何が不自然なのかはっきりしなくても、だってまだ舞踏会までは時間があるんだから。舞踏会に出たくない、って思ってたけど、私の知らないところでクロードくんが他の女の子を誘っているって考えただけで動悸がする。色んな相手と踊らなくてはいけない、一人の相手を独占することはできない舞踏会だから、他の女の子と踊るところを見たくない、なんて我儘は言えないにしろ、ならばせめて私はその日、クロードくんが手を取って踊った女子その五、くらいにはなりたいのだ。








 そう決意を新たにして数日と経っていないのに、ヒルダちゃんは舞踊の講師の座を降りなければならなくなったと私に謝罪している。それを理解した途端、私は白昼堂々ヒルダちゃんに縋りついてしまった。



「み、み、見捨てないで!」

「ごめん、ごめんねー! 見捨てるつもりはないのー! 放課後付きっ切りでは見れないってだけで、たまにだったら練習に付き合えるしー。だから白鷺杯が終わるまで……」

「白鷺杯っていつ……?」

「十六日……?」

「……」



 確か舞踏会は二十五日だ。脳内で引き算をして、九日しかないことを知ってしまった瞬間、血の気が引いた。九日で踊れるんだったら私はこんなに舞踊を憎悪してはいない。言葉もなく目と口を開けて大きく首を降った私を抱き止めながら、ヒルダちゃんは「だ、大丈夫だよー」と続けるから、泣きたくなってしまう。



「ていうかね、それとは別にあたしも考えたんだけどー、そもそも、やっぱり最後は男の子と踊るもんじゃないー?」

「うん……」

「だから、結局最終的には誰か男子のお手伝いも必要だなーって思ってたのー」

「……お手伝い?」

「だってあたしが練習で男の子役をやっても、当日ちゃんと踊るのは男子よー?」

「それは……御尤もです……」



 痛いところを突かれてしまった。
 そこは私も問題だと思っていたのだ。もしヒルダちゃんに練習に付き合ってもらって踊れるようになったとしても、手汗問題が残っている。ヒルダちゃんなら緊張しなくても、男の子の手をこう、咄嗟にとかそういう状況じゃなく、「握っている」と強く意識したままの数分を過ごす、しかも舞踊をしながら、と考えると、例えそれがクロードくんでなかったとしても厳しいように思えてしまうのだ。
 ヒルダちゃんが、私がそこに拒否反応を覚えていると気づいているとは思えなかったけれど、それでも彼女は「それって全然違うんだよー」とその指先を私に向けた。



「たぶんちゃんは舞踊に関しては苦手意識もあるけど、本当に、生まれつき駄目なんだと思うのねー」

「はい、だめです」

「あたしとばっかり練習したら、たぶん変な癖がついちゃうと思うのー。だってただでさえちゃん、あたしより背が高いでしょー? でも自分より背が低い男の子なんて滅多にいないし、そうなってくると当日のちゃんは『いつもと腕の高さが違うー!』って混乱しちゃわないー?」

「……しちゃう」

「でしょー? だから、やっぱり先生はもう一人いた方がいいと思って」

「先生」

「そう、だから男の子に頼んでおいたんだー」



 仕事が早い。
 私がヒルダちゃんの言葉に慌てることがなかったのは、その「先生」に見当がついていたからだ。クロードくんと舞踏会で踊りたいという目標がある以上、ヒルダちゃんが先生に彼を充てるはずがない。ラファエルくんやイグナーツくんは舞踊の経験がないと言っていたし、わざわざ他学級の生徒に声をかけるのだって考えにくかった。ならば彼以外にいないだろう。



「ローレンツくん……?」

「そう! ちゃんも、ローレンツくんだったらやりやすいでしょー?」



 そもそも消去法にしなくても、「男子のお手伝い」とヒルダちゃんが口にした時点で、私は彼のことを思い浮かべていた。貴族として幼少の頃から舞踊を叩き込まれたと常々口にしている彼は、間違いなくそれに関してはこの士官学校に於いても他の生徒に引けを取らないだろう。先生としては、最適な人材だ。



「ね、それだったら大丈夫じゃないかなー?」

「う、うん、たぶん……」

「うんうん、よかったよー! 正直あたしひとりじゃ荷が重かったしー……」

「えっ」

「あたしも余裕があるときは一緒に練習してあげられるから、頑張ろうー!」



 ヒルダちゃんにぎゅうと両手を握られて、何だか誤魔化されたような気持ちになってしまうが、満面の笑みを浮かべるヒルダちゃんの存在は心強かった。
 だけどその時、鷲獅子戦の後にローレンツくんに言われた「僕が君を貰ってもいいか」を不意に思い出してしまって、私は突然走り出してしまいたくなる。あれ以来彼がその話をすることはなかったし、きっと、やっぱり、冗談だったんだろう。だったらこんな感情はなかったことにして、きちんと彼の生徒になるしかない。舞踏会以外にも芽生えてしまいかけた不安の種を踵で潰して、私はヒルダちゃんの隣で「がんばる!」ともう一度握り拳を作ってみせた。














 先日、自分から驚かせる宣言をしておいてなんだけど、神出鬼没なその人に私はまたしてもしてやられてしまった。私がそういうことを言ったせいもあるのだろう。彼は暗闇の中、わざわざ私が一人になるのを見計らって、ぎりぎり視界に入るか入らないかくらいの位置から顔を半分だけ覗かせて「よ」と声をかけてきたから、私は盛大に叫んでしまったのだった。柱の陰からなんて狡い。そう訴えたけれど、気を抜いているお前が悪いと笑われて終わった。
 夜しか会わないな、なんて思っていたけれど、こうなってくると私を驚かせるためにわざと夜のガルグ=マクに出没しているようにしか思えない。実際私は彼が他の人と話しているのを見たこともなければ、日中のガルグ=マクを闊歩している姿も見たことがなかった。こんな「美少年」がその辺を歩いていたら、目立って仕方ないはずなのに。
 星辰の節の夜風は酷く冷たい。風上に立ってくれたのは優しさなのか偶然なのかは分からないけれど、その人は相変わらず端正な顔立ちで私を見下ろしている。



「しかし、今節は何かあるのか? やけに浮ついてるやつらが多いよな」

「舞踏会があるので、多分それだと思います」

「ああ〜、もうそんな時期か。舞踏会ねえ……そりゃあ貴族様は楽しみか」



 貴族でも楽しみじゃない人間もいるんですよ。心の中で呟きながら、曖昧に笑っておく。まさか全く踊れませんとは名前も知らないこの人に正直に伝える気もなかったけれど、「好きな男と踊れると良いなあ?」なんて不意打ちのように言われてしまえば、ひゅっと喉の奥で空気を鳴らしてしまう他ない。



「す、すきな男ッ?」

「いるだろ一人や二人」



 核心を突かれてしまったように思えて、返事に窮する。一日に二度も驚かされたのがどうしても癪だったけれど、言い返せなかった。そんな私を見て、彼は人の悪い笑みを浮かべるだけだった。


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