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ルミール村の一件で、ともすれば暗くなりがちであったガルグ=マクを活気づかせたのは、節の後半に控えた舞踏会の存在だった。
舞踏会は、元々ガルグ=マクの落成を記念する周年祭だ。生徒全員が参加する大々的な会で、ほとんどの生徒はそれを楽しみにしていることだろう。しかし、私は今頭を抱えている。
「学校の行事だし、お洒落はできないにしても楽しみよねー」
「前夜祭から続いて二日もごちそうが食えるんだろ? オデ、それまで筋肉を思いっきりいじめて、腹を空かせておくんだ」
「舞踏会の前に白鷺杯もありますしね。ヒルシュクラッセからは誰が出場するんでしょう」
「し、しらさぎ……そういえばそんなものもあったね……」
白鷺杯とは、舞踏会とは別に行われる舞踊の美しさや技を競う大会で、各学級から代表者が一人ずつ選ばれる。つまり踊れない私には無関係な行事だ。踊りの得意なヒルダちゃんあたりがやることになるだろう。私の課題は舞踏会だ。考えただけでお腹が痛くなってきてしまった。
「ち、ちなみにイグナーツくんやラファエルくんは踊りの経験は……」
「オデ? ねえなあ。踊っても味がするわけじゃねえしよお」
「はは、ボクも全く。でも、さんはアレキサンドルの御息女ですし、踊りの心得も……」
答えに窮して目を逸らす。「え、あ、すみません……」とイグナーツくんに謝られてしまったが、彼は全く悪くない。貴族ならば円舞曲くらいは踊れて当然、それは固定観念などではなく、間違うことない事実だ。だけど私は例外で、もう、本当に、舞踊だけはだめなのだ。足を踏む、髪を相手の服に引っかけるのは序の口で、躓き、華美な衣装は最悪破く、転びかけた瞬間、相手の手を離せずもろとも顔から床に突っ込む。
小指の爪が剥げた十三歳の冬、私はもう舞踊はしないと引き籠った。舞踊の練習は嫌だ。その前の年は練習に付き合ってくださっていたお兄様の腕の骨を折って、そのさらに前の年では転んだ際に強打したおかげで半日鼻血が止まらなかった。六歳のときは前歯をぶつけたこともある。乳歯で良かったねって、そういう問題じゃない。
私にとって、舞踊は凝縮された恐怖でしかない。恐らく私は呪われているのだ。他の運動や剣技はそれなりに出来ても、なぜか優雅な音楽が流れると身が竦む。手から滲む汗が尋常じゃないから、正直お兄様以外の人に触れていただくことすら申し訳ない。
「……壁に立っていてもいいと思う?」
「えー? なんでー? 勿体ないわよー」
舞踊の心得のある御令嬢、ヒルダちゃんに私の苦悩は分からないのかもしれない。「折角の舞踏会なんだからー」と実際くるりとその場で回って見せたヒルダちゃんは、その指の先まで、計算し尽くされたように美しかった。舞踏会では同じ相手とは何度も踊れない。だからこそ各学級の異性と親しくなる好機なのだとヒルダちゃんは笑う。
「それにね、男子から誘われたら受けるのが礼儀なの。勿論断っちゃ駄目ってことはないけど」
「お、お腹痛いって言って籠ってるのは……」
「……ちゃん、そんなに踊れないの?」
「踊れない……」
一人で練習すれば転ぶし、男性に先導してもらっても転ぶ。原因はそれぞれ違うんだとは思う。一人で転んでしまうのは練習不足と才能のなさからだし、相手がいるときは触れられていることに神経を使ってしまうせいで訳がわからなくなるからだ。
だけど、踊りとは本来は異性と触れ合って行うものである。手だけでなく、腰に手を添えられて、時にそれ以外の身体の一部分、それこそ腕や腿が触れ合うこともあるのだ。考えただけで眩暈がする。それも誘われた時点で断るのは無礼であるというならば、もう逃げるしか選択肢がない。勿論、私なんかを誘うような物好きな異性がいるとは到底思えないけれど。
やっぱりその日はお腹が痛くなる予定にしておく、と言いかけたときだった。ヒルダちゃんがこそっと私に耳打ちしたのは。
「でもちゃんが不参加だと、クロードくん、誰かに取られちゃうかもよー?」
はっと目を見開いて、教室の隅で本を読んでいるクロードくんに視線を向ける。その横顔を見ただけで、凝り固まっていた拒否感が根っこの辺りからぐらりと揺れた。これはヒルダちゃんの意地悪ではなく、彼女なりの助言で、私を勇気づけるための言葉だ。だけど、でも、やっぱりヒルダちゃんは私の舞踊への苦手意識を甘く見過ぎている気がしてならない。無理なものは無理だ。私が同盟貴族の社交界に一切現れなかったことを、彼女だって知らないわけではあるまいに。
「あたしが一緒に練習してあげるから、頑張ろうよー」
でも、そう言われてしまえば断ることなんてできない。
両手で顔を覆って思案する。練習。大嫌いだ。もう歯をぶつけたら困るし、爪も大切にしたい。でも、そうだ、制服でいいのだ。そう思えば多少は気が楽、なような気がしなくもない。
私が生徒になったら、本当に、たくさん迷惑をかけると思うけど、とぼそぼそと口にした直後、やっぱり躊躇してしまって「あー」だの「うー」だのという呻き声を口の端から漏らしてしまう。だけどそれでも最後は「おねがい……します……!」と小さく頭を下げた。ヒルダちゃんが相手役を務めてくれるなら、それだけでそんなに緊張しないんじゃないかと思ったのだ。それに、やっぱりクロードくんが他の誰かと踊る、と考えると、なんだか落ち着かない気持ちになってしまう。胸のあたりがどくどくと音を立てて、苦しくなるのだ。
顔をあげた私に、ヒルダちゃんはぱあっと目を見開いて微笑んだ。
「うんっ! あたしに任せてー! 一度しかない舞踏会、一緒に楽しもうー!」
相好を崩して頷くヒルダちゃんに手を握られて、単純な私はすっかりその気になってしまった。まだ何も始まってないのに、もしかしたら踊れるんじゃないかという気持ちになってしまう。
とりあえず、練習で骨を折らないように気を付けなければ。私も、勿論ヒルダちゃんも。