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 僕は初めから、クロードの手駒に成り下がるつもりはなかった。
 あの男の能力は認めよう。あいつは何を取っても非凡だ。弓の扱い、用兵術、生来からのものでもあるのだろうが、必要に迫られて身に着けたのだろう対人能力。そもそもそう言ったものがなければ、幾らリーガン家の後継者と言えど父にねじ伏せられていたはずだ。
 クロードは他者の懐に入るのが上手い。他人の求めている言葉を見抜き、決して押し付けがましさを感じさせない論調で諭すように自らの見解を説く。それで丸め込まれたことが何度あったか。僕でさえそうなのだから、なんかは最早あの男の手の平の上で体よく転がされている駒の一つだろう。



「今回には俺の傍にいてもらう」



 鷲獅子戦における陣地を定められた直後、クロードは事も無げに言い放った。弓を扱う以上、護衛として近接に長ける誰かを傍に置くことは不思議なことではない。凡その作戦を全員に伝えた後、クロードは一人ひとりに対して持ち場や細かな作戦の最終確認をして回っていた。には一言二言で終えていたところを見れば、終始彼女の面倒を見るつもりでいるのだろう。
 午後からの鷲獅子戦に備えて、最終確認を終わらせた面々は昼食を摂るために散り始めている。はヒルダさんに声をかけられたようだ。あの二人は、大樹の節から仲が良い。年相応の少女の表情を浮かべる彼女を見ると、どこか妹を見守る兄のような気持ちになる。それでもやはり緊張は拭えないようだから、始まる前には声をかけてやるべきか。少しでも解れてくれれば良いのだが。



「ローレンツ」



 名前を呼ばれて目線だけをそちらに向ければ、クロードが僕に手をあげた。



「なんだ」

「午後からの鷲獅子戦、ローレンツ先生には大仕事を頼みたくてだな」



 そう言えば僕が気を良くすると思ったのだろうか。
 いや、厳密に言えば、もしもの存在が気にかかっていない状況であるならば、僕は恐らく懲りずに彼の巧言に騙されていただろう。不快感を顔に出した僕に、クロードが目線を泳がせながら「あ〜」と珍しくその言葉を濁す。
 僕はヒルシュクラッセの級長としてのクロードに対しては、一定の信頼を置いている。半年の間監視していたが、彼の級長としての働きは申し分なかった。大樹の節、最初の課外授業で逃げた教師の代わりに盗賊の注意を引きつけた判断力は素晴らしかったし、一方での怪我を自分の責任だと認め、彼女の付き添いを買って出たことも評価に値する。青海の節、あれだけの情報で西方教会の目論見をレア様の暗殺ではなく聖廟にあると見抜いたのも大したものだ。僕は何も、クロードの存在が気に食わないと、彼を頑なに認めないというわけではないのだ。
 だが、それはヒルシュクラッセの級長としてのクロードという男に対してであり、レスター諸侯同盟における次期盟主として、フォドラの未来を担うだろうクロード=フォン=リーガンに対してではない。僕はまだ測りかねている。彼が同盟に齎そうとしているものを。それが病原でないかどうかを見極めるには、まだ足りない。
 お前は今どちらに立っているんだ。ヒルシュクラッセの級長としてか、それとも。
 目だけで尋ねれば、クロードは乾いた笑いを浮かべた。その瞳が笑っていないことくらい、僕でもわかるさ、クロード。お前は自分の手の内側を決して僕たちに見せようとしない。



「心配するな。上手くやってみせるから」



 ならば僕はやはりお前を心から信用はできないよ。








 森の南部に待機していた僕とマリアンヌさんの元に、とクロードが、ルーヴェンクラッセのシルヴァン、フェリクス両名の攻撃に晒されていると伝令が入った。
 僕にとって、は大切な幼馴染だ。誰にも傷つけさせたくないとすら思う。だからこそ、僕はあの時クロードに「お前を信用できない」と言うのではなく、「を頼む」と伝えるべきだった。いや、「彼女を僕の傍に置いてほしい」と、本音を吐露することを厭うべきではなかったのだ。
 どうか無理をさせないでくれ。彼女は本当に、人を傷つけることができないのだ。他人の痛みを自分のもののように感じてしまうから、だから、彼女の剣の切っ先が鈍ったとしても、それを責めないでくれないか。彼女に同盟貴族としての自覚を持ってほしいと願いながら、そんな甘えたことを思ってしまう僕は既に自家撞着を起こしている。
 シルヴァンと、フェリクス。よりによってあの二人が彼女に武器を向けたとなれば、ただでは済まないだろう。その上クロードは早々に負傷したのだと言う。今からこの森を北上して、救援のために二人に合流するのは現実的ではない。第一、僕には与えられた任務がある。



「何があっても、合図があるまでそこから動くな」



 クロードにはそう言われていた。だが、の危機と知ってどうしてじっとしていることなど出来ただろう。ここからでは、丘の南部が良く見通せる。クロードの読みよりも、その動き出しがはやいように思えるのは気のせいか。
 ルーヴェンクラッセの級長であるディミトリ君が単身でも敵陣に突っ込んでいく勇猛さを兼ね備えていることは、翠雨の節の課題協力の時に学んでいた。だからこそ、彼は必ずどこかで突出する。だが、縦に伸びた陣形の横腹を二学級から突かれれば、それも長くは続くまい。彼はいずれ引くはずだ。その時ルーヴェンクラッセがあげた前線は再び丘の上に戻る。アドラークラッセは勝機とばかりに攻勢に出るだろう。その背を叩くのが、僕たちの役目だった。
 だがそれも、こちらの指揮官が動けない状況であれば意味がない。
 このままではアドラークラッセまでが彼らの元へ向かうだろう。



「……マリアンヌさん」



 クロードの怪我と聞いて顔色を変えたマリアンヌさんが、僕に目線を寄越す。
 僕には、何があっても動くなと言う彼の命令に背いてでも、成さねばならぬことがあった。








 アッシュくんとかイングリットちゃんとか、あとはやっぱり、シルヴァンさんが相手でもちょっとやりにくかったから、ほとんど面識のないフェリクスくんが私の前に立ってくれたことに安堵はした。けれど、力量差を考えれば気を抜いていい相手であるはずがない。ルーヴェンクラッセがこの半年に於いて培ってきた経験というのは一朝一夕では覆せないし、加えてこのフェリクスくんという人は鍛錬の鬼だ。彼が訓練場に居ない日なんて見たことがないし、イエリッツァ先生がまだガルグ=マクに居た頃は、彼はほとんど毎日のようにその剣技を叩きこんでもらっていた。
 敵うはずがない、というのは対峙した瞬間、その剣の構え方や呼吸、双眸からも分かるというもので、だけど、それでも私が槍を取ったのは、多少なりとも時間を稼ぐしか道がないことを知っていたからだ。せめて数分。この場を切り抜けなければ、手負いのクロードくんを守れない。
 視界の端に捉えたシルヴァンさんとクロードくんの姿に、焦燥感に苛まれる。「おい」呆れたように吐き出された声音は、目の前のフェリクスくんのものだった。目つきの鋭い人だ。いつもどこか怒っているように寄せられたその眉は、ほとんど緩むことをしない。



「余所見をする余裕があるのか。俺はあれと違って、女だろうが加減はしないぞ」



 抑揚の薄い声に背筋が粟立つ。呼吸がしにくくて、視界が歪んだような気すらした。けれど、その中で中央に据えられていたフェリクスくんが踏み込んだのが分かる。その速さにほとんど反射的に身体を捩じった。私の肩口を狙った剣先が空を切る。すぐに二撃目が来ると分かっていたのは、先のクロードくんへの攻撃を見ていたからだ。切っ先が切り返される前に槍で払う。そうしながら距離を取ろうとすれば、次に狙われるのは脇腹だ。
 教本に近い貴族仕込みのお行儀の良い剣技、練度に差があるとはいえ、彼の根底にあるのは私と変わらぬそれだ。動きを見極めて槍でいなすことはかろうじてできたけれど、しかしそれがいつまで続けられるかは分からない。武器同士がぶつかる度に手の平はじんと痺れたし、そもそも彼はこちらが攻撃する隙を与えてくれなかった。
 だが例えフェリクスくんが隙を見せてくれたとして、私は彼に攻撃することができただろうか。
 アッシュくんやイングリットちゃんのような、顔見知り以上の友人が相手でなくて良かった。シルヴァンさんが私相手ではやりにくいと言ってくれたときもほっとした。だけど、ではほとんど面識のないフェリクスくんであれば私は躊躇いなく武器を向けることができるのか。それがこうして武器を交えている今でも分からない。攻撃する隙がないのではなくて、私には彼に切りかかる気そのものがないのではないか。自分のせいで相手が傷つくことを恐ろしいと思っているのではないか。クロードくんを傷つけられた今でさえ。
 フェリクスくんによってじりじりと後退させられていた私の視界に木々が見え始めた。なかなか崩れない上にほとんど反撃しようとしない私に苛立ったのか、フェリクスくんが舌打ちする。突出してきたやつは森まで釣れ。先ほどヒルダちゃんたちにクロードくんが告げた言葉を思い返す。クロードくんも上手くシルヴァンさんを森まで引き込んだらしい。私はクロードくんの策を詳しくは聞かされていない、だけど、きっと何か思惑があるはずなのだ。彼の言葉の一つ一つを、私たちは掬う。



「ぐっ」



 ここまでくれば。そう息を吐いた瞬間、私は自分の背後で何かを抉る音と、低い呻き声を聞いた。
 誰かに背中を押してもらわなければ決断できないのだと、私はあの日彼に打ち明けた。
 背中を押してもらうということは、責任の一端を誰かに担ってもらうということだ。私は私が奪った命を一人で背負う勇気がなかった。怪我を負わせてしまうことすらも恐ろしかった。
 優しいと言えば聞こえはいいのだろう。だけど、違うのだ、私はただひたすらに狡いだけだ。強くなりたいと言っておきながら、いざ自分の手が汚れる寸前、私はそれを拒絶する。武器を振るう理由すらも誰かに作ってもらって、自分が傷つけた誰かに恨まれることからも、逃げる。
 世界を変えてやると言われたとき、それでもそれが恐ろしくなかったのは、その手を差し出してくれたのがクロードくんだったからだ。彼を信頼しているからこそ、私は自分の何もかもを無条件に彼に差し出せる。彼の言葉が好きだ。踏み込ませてくれないくせに、簡単に人の心を奪ってしまうあの瞳が好きだ。彼の作る光を見るのが好きだ。それだけじゃいけないのだろうか。その背中を追いかけてはいけないのだろうか。
 それを奪われたとき、私は初めてその感情を知った。



「クロードくん!」



 振り向いた瞬間、彼の名前が喉から漏れる。
 シルヴァンさんの槍に腹を突かれたクロードくんがついた膝の下に広がる血だまりに、フェリクスくんの存在も忘れて、彼の元へ踏み出す。クロードくんは私の言葉に何の反応もしない。俯いて、破れた腹を抑えている。血の気が引いた。瞬きもできない、漏れた悲鳴は、自分のものとは到底思えなかった。
 足がもつれた、そう思ったけれど、違う、背後からフェリクスくんに足の腱を切られたのだ。平衡感覚を失い地面に手をつく、片手で受け身を取りながらも、手にした槍に力を込めた。転がった私の背後でフェリクスくんが剣を翳していたのも分かっていた。だけど、それでもクロードくんにとどめを刺そうと武器を振り上げたシルヴァンさんの首を目がけて槍を投げる。
 こんな時でも、情けないな、私は、腕が震えていたのだ。恐ろしかった、クロードくんを失うことも、他人を傷つけてしまうことも、何もかもが。どのみち私の槍は届かなかったはずだ。クロードくんに振り下ろされかけたシルヴァンさんの槍は、けれど私の投げたそれを払うために軌道を変えた。がき、と鈍い音がする、弾かれた槍が、平原へと飛ぶ。
 地面に転がった私は、けれどそれに紛れるようにクロードくんが笑ったのを、霞む視界で見た。



「上出来だ、



 その瞬間、立ち上がることのできない私の身体の上すれすれに、巨大な闇が口を開けた。彼女の放つその闇魔法の威力は、並みのそれではない。短い悲鳴が背後で聞こえた。うつ伏せのまま地面に這いつくばった私は、どうにか馬上で目を見開いているシルヴァンさんを見た。



「まぁじかよ……」



 吐き出されたその声は、ほとんど感嘆に近かった。彼女の初撃を受けたのはフェリクスくんの方だったらしい。どうにか身を捩れば、気を失って伏せているフェリクスくんが視界に入る。
 突出したやつは森まで釣れ。クロードくんは最初からこのつもりで、彼女を森に潜ませておいたのだ。



が転がってくれたので、狙いが定めやすくなって助かりました」



 リシテアちゃんが再び詠唱を始めたその時、一際大きなため息を吐いたシルヴァンさんは、手にしていた槍を投げ捨てて降参の意を示すようにその両手を挙げた。


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