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この状況で丘の東にある森からヒルシュクラッセが現れたのは想定内だったが、ディミトリは目の前のアドラークラッセしか見えていないだろう。弓砲台のある丘はほとんど奪取している一方で、南西のアドラークラッセに兵を割いている分東は手薄だ。西からは丁度フェルディナントの率いる騎兵隊の攻撃を受けていて、イングリットとアッシュ、アネットが向かっている。
「あらあら先生、ヒルシュクラッセの子たちも来ちゃったみたい〜。しかも結構な大人数だわ〜」
怪我人の治療のため、後方支援に徹するメルセデスの言葉に曖昧に頷く。最初からこの丘でアドラークラッセと挟撃できる瞬間を見計らっていたのだろう。レオニーとラファエル、ヒルダを先陣にこちらの陣形が崩されていく。弓の扱いに長けたイグナーツの後方からの支援も上手く嵌っているようだ。
恐らくこのままでは切り崩されるのも時間の問題だ。アドラークラッセに対しては押しているとは言っても、あちらも余力は残している。主戦力はほとんど後方に控えているのだ。放っておけば前線を下げられ、いずれは完全に二学級に挟まれるだろう。
「……シルヴァン、フェリクス」
丁度丘の上のアドラークラッセの兵士を切り伏せた二人の名を呼ぶ。丘から視認する限り、ヒルシュクラッセはほとんどの兵をここに持ってきている。二、三人、学生の頭数が足りないが、恐らく別の指示でも受けているのだろう。その指示が読めないのがクロードの恐ろしいところだ。彼はきっと、良い盟主になる。
自分の目線で瞬時に状況を察したらしい二人は目を細めた。二人とも冷静で、良く頭が回るのだ。
「ああ、あれは厄介ですねえ」
苦笑の滲んだ声はシルヴァンのものだが、本当にそう思っているかどうかまでは読めない。
「……指揮官を叩き切っても良いのか?」
「おいおいフェリクス、幾らなんでもそりゃあ強引だろ」
「いや、今なら道がある」
「…………ああ、まあ、確かに」
クロードの姿はこの丘からでも認めることができた。森の奥に引っ込んでいないあたり、彼らしいと言うべきか、或いは。その隣には、副官と言うには聊か頼りない少女が緊張した面持ちで立っている。
弓を扱うクロードは接近戦に弱い。だがそのための護衛に剣や槍を得意とする人物を選んだのも、判断としては悪くないだろう。それがである必要性があるとは思えないが。
本来の戦場に於いて総大将を落とせるならば早いに越したことはない。それで敵の士気は下がるし、上手くいけば投降も期待できる。
フェリクスの言った「道」と言う言葉に、改めてヒルシュクラッセが作った陣形を見る。こちらとヒルシュクラッセとの小競り合いは南北に別れていて、丘を降りる階段からクロードのいる地までは、不自然には思えない程度の進路が確かに確保できているように思えた。何かあるか。そう思ったが、今回は必要以上に口を出さないと決めていた。言葉にはしなかったとは言え、直前にこの二人に声をかけてしまった時点で、自分からの助言は終いだ。
「大将にここまで出て来られちまった以上は、退場願うしかないか」
「そういうことだ。行くぞ」
幼馴染である彼らは互いの考えていることを大筋では読めるらしい。自分に意見を仰ぐまでもなく丘を駆け下りた二人の背の、遥か向こうに立つクロードを見据える。
恐らく、あれはわざとだ。姿を見せているのも、丘の下での戦闘をその南北で分けたのも。目の届く範囲にローレンツが居ないのも気になる。翠雨の節の際、ヒルシュクラッセから借り受けた彼はなかなか優秀な生徒だった。森に伏兵として隠しておいて、敢えてこちらを釣ったところで囲むつもりなのか。だとしたら向かっていった二人が危ないか。
「なあに。負けそうになったらおぬしに与えた力で時間を戻せばよいではないか」
脳内に響く少女の、悪気のない声音にため息を吐く。学校行事でそんなことをするものか。死人が出れば話は別だが。「優勝した学級には豪華な褒賞が出るらしいというのにか……?」そんなの関係ない。
目立つことを嫌ってか、予め二手に分かれてクロードの元へ急襲するあの二人は、戦場慣れしている。例え伏兵があろうと、その場その場の判断で如何様にも切りぬけるだろう。クロードが何を企んでいるかは知らないが。
だが、自分が思っている以上にクロード=フォン=リーガンと言う男は厄介だった。
あの男は、鷲獅子戦すらも己の踏み台にする。
勝ち負けなんか関係ない。とは言ったものの、そりゃあ勝てるなら勝ちたいさ。
ベレト先生は今回先陣を切って戦うつもりはないらしいとは言え、やっぱりそこにいるっていうだけでルーヴェンクラッセのやつらの士気は上がる。これまでの半年間で築き上げた信頼っていうのがあるんだからな。先生なら何とかしてくれる。先生がいれば必ず勝てる。そう思わせるだけの力を持った先生は、人を惹きつける何かがあるんだろう。滅多に笑わない、相手に阿ることもしない。羨ましいくらいだ。厄介な相手だよ。ならば一度くらい、自覚なしに伸びたその鼻を叩ききったって構やしないだろ?
だけど、俺は鷲獅子戦での勝利よりも、その先が欲しいんだ、先生。
俺には野望がある。誰かに聞かれたら無理だと笑われそうなくらいに現実味に乏しい野望だ。だけど俺は、こいつらとだったらそれも叶えられるんじゃないかって思うんだ。そこに天帝の剣を持った先生がいれば完璧だったんだが、まあそんなにうまくいったら面白くもなんともないよな。ちょっとの弊害くらい、俺は乗り越えてみせるさ。
俺は自分が抱いたこの野望がすぐに叶うもんだとは思っちゃいない。今は力を蓄える時期だってことも分かっている。そしてその力っていうのは、何も俺だけの力に限った話じゃない。俺を信頼してくれる皆の力、ってやつだ。いつかの時のために、俺は皆に強くなってもらわなきゃあならない。ヒルダには面倒くさがらずにその力を発揮してほしいし、ローレンツの信用は得ておきたい。マリアンヌには自信を持ってほしいし、リシテアの知識も借りておきたい。レオニーやイグナーツ、ラファエルにはそりゃあもう立派な傭兵だったり騎士だったり、そういうのになってもらって、それで来る日には、俺と共に戦ってほしい。
ただ、に関しては少しだけ事情が違う。
あいつは大樹の節に重症を負った。マヌエラ先生が言うには、あの怪我で歩けなくなっていてもおかしくはなかったらしい。自身はそれを知らずにいるけれど。
それでも学生生活を送れていたのは、怪我を負った直後の対処が完璧だったからだそうだ。足を切られた彼女が地面に転がった直後、ローレンツが賊を殺した。その後の止血や手当に一切の無駄がなかったからこそ、は一節半の治療を経て、今では以前と変わらない日々を過ごしている。運が良かったのだ。そこにいたのがローレンツとマリアンヌでなければ、は今頃もうガルグ=マクにはいないだろう。
しかし結果出遅れてしまっていたのは当然で、それが彼女の精神的な劣等感に繋がっているのは確かだ。とは言え、その引け目だけがの剣先を鈍らせるのではない。は、人を殺すことの覚悟が備わっていない。
翠雨の節の賊討伐、はなかなかに危なっかしかった。嘘くさい命乞いを信じ、命を奪うことを躊躇い、血塗れの手に吐いた。無血で俺の野望が果たされるならばそれでもいいさ。だが、現実はそんなに甘くはない。だからこそ、が俺の道を行くことを躊躇うならば、俺は無理をしてまでお前を連れていく気はないよ。
勿論お前もいてくれた方が、俺としては嬉しいが。
はけれど差し出した俺の手を取った。世界を変えてやる。その言葉を信じた。だから俺は、この鷲獅子戦でお前の価値観をひっくり返してやると決めたんだ。
隙を見せれば、必ずこちらに向かってくると思っていた。フェリクスの二撃目を食らったのはわざとだ。でも、避けようと思っても無理だったな、ありゃ。
やっぱりベレト先生の受け持つルーヴェンクラッセの勢いってのは、凄まじいよ。培った経験が違うんだ。ザナドへの賊討伐、ロナート卿の叛乱鎮圧、女神再誕の儀では天帝の剣を狙った賊を追い払った。ゴーティエ家督争乱で、黒い獣とやらになっちまったマイクランも構わず征討し、フレンを浚った連中を撃退した。ああ、先生が俺たちを選んでくれていたら、そっちに立っていたのは俺たちだったんだぜ。なんて恨み言、女々しすぎて言えやしないがな。
シルヴァンの投げた槍を地面から引き抜いたは、フェリクスにその先を向ける。剣と理学を扱えるようになりたいと、最近は槍の訓練をやめていたが、元々彼女に向いているのはどちらかと言えば槍だったと、傍から見ていた俺は思う。元は平民の父親から習ったと言うその技術は、お行儀の良い貴族が扱うそれとはかけ離れていた。踏み込みが大きいのに、動き自体に隙がない。だけどやっぱり、鬼気迫っていないのだ。彼女にはどこか遠慮がある。自分が相手を傷つけても良いものか、常に迷っている。それが命取りであることの自覚もあるはずなのに。
「なあ、クロード。お前、何か企んでるだろ」
馬上で槍を手にしたまま、シルヴァンがその口角をあげる。「何のことやら」とぼけながらも、先にフェリクスに切られた肩の痛みで上手く笑えなかった。こいつまで着いてくるとは想定外だった。シルヴァンはこう見えて頭の回転がやたら速い。見透かすのは好きだが、見透かされるのは耐えがたい俺からしてみれば面倒な相手だ。
視界の隅でがフェリクスの剣を上手く捌いているのが見えた。集中しているときのの動体視力は並大抵ではない。得物が長い分対処はできるらしいが、しかしどこまで体力が続くか。ならば、さっさとこちらを片付けなくてはならない。挑発するようにシルヴァンに向けた指先を軽く曲げる。
「手負いの俺くらい、仕留められなきゃ困るよな?」
値踏みするようなシルヴァンの目が、すっと細められた。
ああ、あれもわざとだな。
丘の上から、ほとんど森まで引き込まれたシルヴァンの槍がクロードの脇腹を突いたのを見た。あれくらい、クロードだったら避けて当然だろう。シルヴァンも様子を見るつもりであったはずだ。しかしあの槍を受けたのが故意によるものであるならば、では、どこからが彼の計算だったのだろう。フェリクスの剣撃を受けたこと、総大将である自分まで分かりやすすぎるほどの道筋を作っておいたこと。何を考えてクロードはを傍に置いたのか。しかし答えはすぐに出た。
フェリクスと対峙していたが、腹を押さえ頽れたクロードを振り向く。その隙を見逃すほどフェリクスも甘くはない。はフェリクスに足を切られ、そのまま身体の軸を崩した。前のめりに転がる。その表情までは流石にここからでは見えないが、それでも、息が止まった。は身体を回転させながらクロードにとどめを刺そうとするシルヴァンの首筋に向かってその槍を投げる。戦場の喧騒はやまず、それが丘の上のここに届くはずはないのに、自分はそのとき確かにの叫喚を聞いた。
それはいっそ、悲鳴のようですらあった。