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クロードくんの読み通り、ルーヴェンクラッセは全軍がそのまま弓砲台のある高台へと突撃して行ったようだ。兵を分けて東の橋から進軍してくる可能性も考えてイグナーツくんの率いる部隊を置いておいたけれど、一兵をもこちらに向かってくることはない。森より西から飛び交う怒号に、アドラークラッセとルーヴェンクラッセがぶつかっていることを知る。
「うーん、こりゃあベレト先生の策じゃあなさそうだ。ハンネマン先生やマヌエラ先生が不在の分、ディミトリの指揮に口を出すことを避けたか……」
「どうして分かるの?」
「先生だったら丘にだけでなく、東に向けて兵を分けるはずだ。或いは、いっそ丘を無視して全軍を東の橋からこっちに向けて突っ込ませたかもな。そうすれば時間はかかるが、アドラークラッセと一緒に俺たちを挟撃することもできただろ?」
「ああ、うん、ああ〜……」
「そうなった場合、偵察も兼ねて橋の傍にいてもらっていたイグナーツが本隊に無事合流できるかが問題だったんだが……まあこれなら最初の作戦通りでいいだろ。猪突猛進の王子様は、策が読みやすくて助かるね」
作戦通りに森の中を北上する私の前方で、クロードくんが一体どんな表情をしているのかは私には分からない。読みが当たっただけで、まだ彼の脳に描かれた策がぴたりと嵌ったわけではないのだろう。盤上遊戯の駒になったような感覚はしかし不快ではなかった。彼に委ねていれば、何もかもが上手くいく。そう思わせる力がクロードくんには確かにあるのだ。同い年であるとは到底思えないその背中を見つめる。
彼は一体どういう人生を送ってきたのだろう。一年前まで存在そのものが隠されていたリーガン家の後継者、話だけを聞く分には、それまで外界との接触を拒み続けた少年という想像を働かせるに申し分ない状況ではあったけれど、このクロード=フォン=リーガンという人はそういう印象とは対極にある。好奇心に満ち溢れ、臆することなく他者と関わり、機知に富んでいる。彼のような人間がリーガンにいたのなら、その存在は明らかになっていて然るべきだ。ならば、考え得る可能性は限られてくるのではないか。
間もなく彼の指示通り、アドラークラッセともルーヴェンクラッセとも接触のないままにヒルシュクラッセは森の中央で合流に至る。
「さて、この鷲獅子戦の勝利は如何に他学級の連中を倒したかによって決まる」
振り返って私たちを見渡したクロードくんのその背の奥では、二学級の戦闘が始まって久しい。戦線離脱をする者が出始めた頃だろう。
「このまま森の中に潜んでいたところで意味はないからな。このまま放っておけば、恐らく全兵力をあの丘に投入したルーヴェンクラッセが弓砲台ごとあの要地を制圧するだろう。そうなってからじゃあ遅い」
「で、いつ行くんだよ。もう弓砲台は止まってるんじゃないか?」
「お、良く気付いたなレオニー。確かにこの様子じゃあアドラークラッセの弓兵はもう離脱しているとみて間違いない。つまり、進軍するなら、まさに今だ」
じゃあさっさと指示を出してくれ、そう言わんばかりにレオニーちゃんの眉が寄せられたその瞬間を見計らったように、クロードくんは続けた。
「良いか、皆。俺たちの相手はあの勇猛なディミトリに、食えないエーデルガルトだ。なかなか厄介な相手だが、勝てない戦じゃあない。その横っ腹に、俺たちが穴をあけてやろうぜ」
北から合流したイグナーツくんも、普段は難しいことは分からないと悪気なく他人の言葉を聞き流すラファエルくんも、直前までこの鷲獅子戦を嫌がっていたヒルダちゃんですら、彼に惹きつけられている。私たちは、そうして今までも、彼に鼓舞されてきたのだ。
「さて、伝統ある鷲獅子戦、楽しもうか」
一人ひとりの顔を順々に見つめたクロードくんが、最後に私を見る。その瞬間、その口元が確かに動いた。「ついてこい」と。
私たちに背を向けたクロードくんがその手を翳す。級長を示す外套が音を立てはためいた。
「進め!」
彼の、その低い声を合図に皆は駆けだす。森を抜ければ、目指す丘はすぐ目の前にある。
未だ立ち止まっていたクロードくんがもう一度私に振り向いた。その指先が静かに動くから、それにつられるように、私は足を踏み出す。
大樹の節から、彼の背を追いかけ続けてきた。今だって。世界を変える、そう言ってくれた彼を、私は信奉している。磨き抜かれたその感情は、恋というよりもいっそ切実な、別物の何かであるようにすら思えた。
この人についていけば間違いなどないのだと、私はどこかで思っている。
それをローレンツくんは、愚かだと笑うのだろうか。
三つ巴の戦いである以上、混戦は必至だった。丘の上はほとんどルーヴェンクラッセが制圧を完了してはいたものの、アドラークラッセの抵抗も続いている。丘の西に居たアドラークラッセの騎兵隊が前線に到着する直前で私達ヒルシュクラッセが攻勢に移れたのは最良の頃合いだっただろう。丘の上のルーヴェンクラッセを東西から挟撃することに成功したのだから。
伝統ある鷲獅子戦で死人を出すわけにはいかない。武器は相手の命を奪わないように極限まで威力を落とした訓練用のそれで、相手が意識を失うか、或いは敗北を認めた時点でそれ以上の攻撃は禁じられている。だと言うのに、その人の気迫は鬼気迫るものがあった。槍で吹き飛ばされたアドラークラッセの学生が、丘に繋がる階段を転がり落ちる。もしも本物の槍であれば、あのお腹に完全に穴が開いていたことは間違いない。
ルーヴェンクラッセの級長、ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッドは、丘の上からこちらの金鹿の旗を見止めたはずだ。
挟撃のために動き出したヒルシュクラッセの存在に気が付いたルーヴェンクラッセの生徒がこちらに向かってくる。「良いか、前に出過ぎるな! 突出してきたやつは森まで釣れ!」クロードくんの声は、戦場の中でも良く通る。しかし、向こうもこちらの策は読めているのだろう。丘の下で始まった小競り合いは、互いの陣形を崩すには至らなかった。その時、クロードくんが低く呟く。
「……なんだ。兵を分けることもできるんじゃないか」
丘から一直線に駆け下りてくる人物を見据える。「だが、総大将を真っ先に狙ってくるなんて、ちょーっと血気盛んすぎやしないか?」言いながらクロードくんはおもむろに矢をその筒から取ると、ほとんど狙いも定める間もなく撃った。相手の髪を掠めたその矢は、彼が率いていた兵士の胸元に突き刺さる。頽れた兵士を気にも留めず、その人は剣を抜いた。あ、と思う。
「、右だ!」
不意にクロードくんに叫ばれた。一歩も動けなかったのは、私があの剣士に気を取られて、彼の方に全く気が付かなかったせいだ。思いもよらぬ方向から投げられた槍に息が止まる。だけど、その槍は私の鼻先を掠めるというには大分逸れた形で地面に突き刺さっていた。馬の嘶きが響く。丘の下から大きく迂回する形で突出してきたその騎兵は「あーあ」と白々しく吐き出した。
聞いた覚えのある声だ。一方でもう一人の剣士が、クロードくんに切りかかる。一撃目は見切ったものの、その剣技は見事なもので、クロードくんの左肩を強く打った。「ぐっ」低く漏れた悲鳴に、彼の名を叫ぶ。
「……おい、シルヴァン。ふざけているのか。もう少し真面目に狙え」
「いやぁ、やーっぱ女の子相手じゃ本気になれないなあ。しかも相手はなんて、流石にいくらなんでも、良心が痛む」
本物の武器より劣るとはいえ、まともに切られれば血も出る。血の滲む左肩を抑えたクロードくんが口元だけで笑った。
「釣れたは良いが、よりによってこの二人か。これはちょっと分が悪いな」
馬上で私たちを見下ろすシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ。その隣に立つのはルーヴェンクラッセ、いや、今期のガルグ=マク士官学校随一の剣士、フェリクス=ユーゴ=フラルダリウス。
クロードくんが分が悪いと言うのも分かる。ただでさえ戦いに慣れたルーヴェンクラッセの中で、この二人の存在感は群を抜いている。
「、フェリクスとの模擬戦経験は?」
「……ない、です」
「勝てそうか?」
耳打ちするクロードくんへの返事に窮しながら、私は足元に突き刺さったままの槍を見る。春先から訓練場に入り浸っている姿しか見ないフェリクスくんの実力は、言うまでもないだろう。同じ得物であるならば経験の差がもろに出てしまう。だけど剣よりは射程範囲の広い槍ならば、時間稼ぎくらいは出来るかもしれない。多少なりとも耐えられれば、或いは。
言葉もなく槍を地面から抜いたのと、シルヴァンさんと何か会話をしていたフェリクスくんが長いため息を吐いたのはほとんど同時だった。
「なら俺がその女をやる」
宣戦布告するように、剣の切っ先を向けられた。その双眸は、同じ士官学校で学ぶ者に向けるには、やけに冷え冷えとしていたのだった。